第21話 婚約者の肉じゃが
「マッサージ、気持ちよかったですねぇ」
「あれはかなり良かったね」
家に帰ってから、由弦と愛理沙はそんな会話をしていた。
風呂にサウナ、マッサージ機と二人は施設の設備を堪能したのだ。
「愛理沙もかなり泳げるようになったね」
もちろん、遊んでばかりではなく愛理沙の水泳の練習もした。
まだ“泳げる”とまではいかないものの、由弦の手に掴まりながらバタ足をするくらいはできるようになった。
「あとどれくらいの特訓が必要ですかね?」
「このペースを考えると、あと二回も通えば二十五メートルくらいなら何とかなるんじゃないか?」
後は手を離した状態でバタ足ができるようになり、息継ぎができるようになればいい。
そこまでいけば、泳げるようになったと言えるだろう。
水を掻いて進むだけなら、犬かきでも良いのだ。
……クロールや背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライの習得となると話は変わるが。
さて、そんな雑談をしながら二人は夕食の支度を始めた。
由弦も野菜の皮を剥くくらいは、ピーラーを使えばできる。
その日の夕食は……
鰆の西京漬け。
肉じゃが。
ほうれん草の胡麻和え。
味噌汁。
というラインアップだ。
「肉じゃが、美味いな」
もちろん、どれも美味しかったが由弦が一番気に入ったのは肉じゃがだった。
特にじゃがいもがほくほくとしていて、味がよく沁み込んでいて美味しい。
「新じゃがですからね」
愛理沙としても一番の自信があったのか、嬉しそうに胸を張って言った。
それから愛理沙は首を傾げながら尋ねる。
「由弦さんって、肉じゃが好きですか?」
「え? いや……まあ、人並み程度には」
特別に大好きかと言われると、そういうわけではない。
だが嫌いではない。
「急にどうしたんだ?」
「いえ……男性は肉じゃがが作れる女性が好きみたいなのを、小耳に挟んだので」
「あぁ……よく言われるね、それ」
肉じゃがは男ウケがするとはよく言われる。
とはいえ、好きな料理は何かと聞かれて、肉じゃがを上げる男は……おそらくカレーライスやハンバーグよりも少ないだろう。
つまり「肉じゃが」が好きなのではなく、「肉じゃがが作れる女子」が好きなだけだ。
「由弦さんはどうですか?」
「うーん……いや、まあ、肉じゃがが作れる女性が好きというような価値観は、あまりないかな……」
由弦の母親はお世辞にも料理が上手ではない。
そもそも普段の食事は雇っている使用人が作ることが多かった。
なので、由弦は肉じゃが、というよりは料理上手なお嫁さんが欲しいとは思ったことはあまりない。
「そう、ですか……」
由弦の答えはあまり愛理沙が望むものではなかったようだ。
落ち込んでいる……というほどではないが、少しテンションが下がっている。
「……もちろん、君の料理は好きだよ?」
「はい、それは分かっています。……いえ、その、そういうわけじゃなくてですね」
愛理沙は少し困ったような表情を浮かべた。
由弦が愛理沙の料理に不満があったりするわけではない、ということは分かっている様子だ。
「その、何と言うか……由弦さんは私の料理が好きなのであって、料理が上手な私が好きなわけじゃないのかなって……」
「それは……」
由弦は愛理沙が料理下手になったとしても、料理ができなくなったとしても、嫌いになったりはしない。
由弦にとって愛理沙は恋人で、婚約者で、将来のパートナーであって、使用人ではないからだ。
しかし愛理沙はそういう答えを望んでいるわけでは無さそうだ。
由弦が少し答えに窮していると、愛理沙は申し訳なさそうに軽く首を振った。
「すみません。……その、上手く言えなくて。変な空気になっちゃいましたね」
どうやら愛理沙自身も、自分の気持ちを上手く言語化できないようだった。
そして由弦もそんな愛理沙にどのような言葉を言えばよいのか分からなかった。
「いや、大丈夫だ。……お代わりを貰ってもいいかな?」
会話を打ち切った方が良いと判断した由弦は、話題を変えることにした。
愛理沙もこの話は終わらせたかったようで、大きく頷いた。
「あ、はい。どうぞ、どうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
由弦は大皿から自分の皿へ、菜箸を使って肉じゃがを移すのだった。
さて、食事の後片付けを終えた二人はリビングで寛いでいた。
いや、寛いでいたというのには少し語弊がある。
……二人は揃って、ソワソワしていた。
「……あの、由弦さん」
「どうした、愛理沙」
「いえ、その、何でもありません」
由弦に何かを提案しかけ、愛理沙は途中で口を噤む。
愛理沙がソワソワとしている理由については、由弦はよく分かっていた。
(この後、一緒に入るんだもんな……)
水着で一緒に風呂に入ろう。
そんな約束を二人でしたのだ。
妙に意識してしまうのは当然のことだ。
(……やっぱりやめましょう、って言おうとしたのだろうか?)
恥ずかしいので、やっぱりやめましょう。
土壇場でヘタれる愛理沙ならありそうだ。
もちろん、嫌がる愛理沙と無理に一緒に入ろうとは思わないが……
「愛理沙」
「は、はい」
「……そろそろ、入らないか?」
先手を打つことにした。
由弦の言葉に愛理沙は小さく頷いた。
「そう、ですね。入りましょうか」
幸いなことに決して嫌なわけではないようだ。
単純に言い出すのが恥ずかしかっただけだろう。
「じゃあ、由弦さんは先に入ってください。私は後から水着を着て入ります」
「ああ、分かった」
言われるままに由弦は水着に着替え、浴室へと入った。
そして軽く体を洗う。
後は愛理沙が着替え終えるのを待つだけだ。
(……大丈夫かな)
由弦は少し不安になってきた。
もちろん、愛理沙を押し倒すような真似は……理性が持たないという心配はあまりない。
その辺りは由弦の意志の問題だ。
問題なのは由弦の意志とは無関係に反応しそうな、というよりすでにしている下半身である。
(ま、まあ……プールの時はバレなかったし)
そもそもだが、水着着用とはいえ、好きな人と共に風呂に入って反応しない方が失礼というものだ。
最悪、「君が魅力的だから」みたいな臭い台詞で乗り切ろうと由弦は決意する。
「……そろそろ入ります」
と、由弦がくだらないことを考えている間に愛理沙の声が聞こえてきた。
思わず由弦は背筋を伸ばした。
しばらくして、ゆっくりとドアが開いた。
「……さあ、体が冷える前に、入りましょうか」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、翡翠色の瞳を右往左往させながら……
白いビキニに身を包んだ婚約者はそう言った。
愛理沙ちゃん不安度:25%→30%
次回、ついにお風呂です
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