ロゼット咲き
主な登場人物
・反町友香(ソリマチ ユウカ
中華街に暮らす探偵少女。中学2年生。
ピンク味の帯びた白い髪に、赤い瞳を持つ。
茉莉花茶が好き。
・青山清花(アオヤマ サヤカ
神奈川県警の刑事。友香の姉的存在。
英国人と日本人のハーフ。
灰色の髪色に青い瞳という身体的特徴を持つ。
愛車、ナナマル(JZA-70)の整備が趣味。
・神津柳(カミツ ヤナギ
中華街で探偵事務所を営む女性。
カールしたショートボブと眼鏡が特徴。
友香の叔母にあたる、母親的存在。32歳。
5
「お待たせしました」
駐車場から戻った清花が、玄関前で柳と合流する。
「じゃあ行きましょうか……っとその前に」
辺りを見回す柳。
そんな彼女を察して、友香を車内に残してきたことを清花が告げる。
「ちゃんと置いてきましたから、大丈夫ですよ」
「そう、よかった……」
実は、車の鍵は友香に渡してしまったのだが、清花は口が裂けても言えなかった。
少しの罪悪感に駆られながら、インターホンを鳴らす。
数秒間の沈黙があった後、どちら様でしょうか、という女性の声が聞こえてきた。清花は警察手帳をカメラにかざしながら、身分を明かした。
「先ほどお電話した、中華加賀町署の青山ですが……」
すると、女性は落ち着き払った様子が一変し、大きな声をあげた。
「刑事さん!?ああ、お待ちしてました!今すぐ鍵を開けますね」
その直後、シックな装飾が施された観音開きの扉が、音をたてて開いた。
5-2
「さてと、どうしようかしら」
清花から車の鍵を預かった友香は、庭園を散策していた。
「清花も私に甘いんだから……」
どこか困ったように目を細め、先ほどあったやり取りを思い返す。
車を停めた清花は、エンジンを切ると運転席を降りた。
扉を閉める前、友香に釘を刺す。
「では、大人しく待っていてくださいね」
「無理よ」
「即答ですね……」
腕を組み、笑みを浮かべながらきっぱり言い切った友香に、清花はため息をつく。
「連れてってとは言わないわ。そこらを歩くだけよ」
清花をじっと見つめる。その視線に根負けした彼女は渋々了承する。
「……危ないことはしないでくださいね。あとそれから、何かあったら必ず連絡すること」
「ありがとう。じゃあ、はい」
「は?」
友香が右手をこちらに差し出す。清花は、その意図を読めず困惑する。
「車の鍵、貸してちょうだい」
「え、なぜですか……」
少女の言葉に、さらに困惑する清花。
「あなたが鍵を閉めて行って、私が後から出たら鍵が開けっぱなしになっちゃうでしょ?不用心じゃない」
「いや、それなら一緒に出て鍵を閉めればいいじゃないですか……」
すぐさま反論を試みるが無駄だった。
「もし、私が先に戻ってきたらこの炎天下の中、待たせるつもり……?」
少し悲しそうな表情を見せる友香。
まだ七月とはいえ、今日の最高気温は三十八度を記録したとラジオが報じていた。たしかに、この猛暑日に締め出してしまうのは忍びない。加えて、友香は生まれつき身体が弱かった。だからこそ清花は友香に出歩いて欲しくなかったのだが、止めても無駄なことも重々承知していた。
「はぁ……無くさないでくださいね」
不承不承といった様子で清花は鍵を渡す。
「ええ、ありがと」
ニコっと笑う友香の手の中で、ブドウのキーホルダーがかちゃりと音を立てた。
清花はふと思った。友香の周りは、彼女に甘い人間しかいないのではないのだろうか。こんなことではこの先、彼女の人生が心配である。しかし、その甘い人間にはもちろん清花も含まれていた。
「じゃあ、また後で。情報交換するの、楽しみにしてるわ」
そう言うと、友香は手を振りつつ邸宅の方へと消えていった。
一人取り残された駐車場で、清花は自らの甘さにため息をついた。
回想に耽っていた友香は、いつの間にかかなりの距離を歩いていた。駐車場が小さく見える。
暑さにふらつく身体にムチを打って歩を進める。
(にしても、監視カメラが少ないのね……)
友香は違和感を覚えた。
(私が見たカメラは、門に一台だけ。あまりに少ないんじゃないかしら……?)
立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡したが、カメラらしきものは見当たらなかった。
しかし、カメラは無くとも防犯設備はきちんとしているようで、手近にあった窓ガラスに近づいてみると、うっすら繊維のようなもの見えた。
(ふぅん、強化電圧ガラス……なかなか割れない上、ヒビが入ると微電流が流れて泥棒を撃退するシステムね)
この窓の特徴は、電流が流れているため、窓に近づくとほんのり温かい点である。ガラスの丈夫さや、オプションで厚みを変えられることから、雪国で多く使用されているらしい。もちろん、なんらかの異常を感知すると警報も鳴って、警備会社へ通報する機能もついている。
(ま、カメラは景観を損ねるっていうし、使いたくなかったのかしらね)
納得して、再び壁沿いに歩き始める。壁が影を作ってくれていたので、太陽に弱い友香にとって、ありがたいことこの上なかった。
休み休みしばらく歩いていると、花園が見えた。
「薔薇、かしら?」
興味を惹かれた友香は、立ち寄ることにした。
広さは六十平方メートルくらいだろうか。そこそこの広さであった。入り口には小さなフラワーアーチが三つ、トンネルのように設置されており、桜色がかった白い薔薇が来賓を歓迎していた。
(なんだか、このアーチをくぐったら童話の世界に行けそうね)
咲き誇る薔薇たちを横目に、友香は奥へと進む。まっすぐ歩いていくと、白いガゼボがあった。八角型で、大理石でできているのだろうか、色は白かった。中には白い丸テーブルと、椅子が二つ置いてあった。
ちょっとした階段を登り、ガゼボの中へと入る。
「ん、涼しい・・・」
そよ風が友香の頰を撫でる。ガゼボの中にいるためか、緑のおかげか花園は全体的に涼しかった。
「薔薇も綺麗だし、来てよかったわ」
落ち着いて見渡すと、とても管理が行き届いた花園だった。見た限りでも十種類の薔薇が植えられており、丁寧な剪定がされていることが、素人目から見てもわかった。
(それにしても、人がいないわね……)
友香はふと思った。
これだけ大切に育てられているのだ、庭師の一人や二人いてもおかしくはない。だが、ここに来るまで誰一人すれ違わなかった。辺りをぐるりと見渡す。しかし、やはり人の陰は見られなかった。
「もう少し、歩こうかしら」
ガゼボから出て、再び歩き出す。歩いていると両脇の薔薇が、赤いものに変わった。
「赤色の薔薇も、王道ってカンジでやっぱりいいわね」
少し楽しくなってきたところで、友香の目に何かが留まった。
(ん……?人かしら?)
人影らしきものをやっと見つけた。男性だろうか。ツナギを着て、しゃがんで何か作業をしているようだった。帽子をかぶっているため、表情まではわからない。
友香は近づくと声をかけた。
「綺麗な薔薇ね。ザ・ダーク・レディかしら?」
背後から聞こえた声に、男性は驚き振り返った。
顔を見ると、初老の男性だった。白い髭と目尻のシワが印象的だった。
「赤系品種の中でも最高傑作と呼び名の高い、イングリッシュローズのひとつ。イギリス人のデビット・オースチンが990年代に産み出した薔薇ね。イングリッシュローズに多くみられる特徴であるロゼット咲きをすることから、花はうつむいた形になる……だったかしら?」
「あなたは……」
突然現われ、薔薇の解説をする少女に、男は警戒心をあらわにして立ち上がった。
「ああ、怪しい者じゃないわ。トイレから帰って来る途中、この素敵な薔薇園があったものだから見させてもらっていたの。勝手にお邪魔してごめんなさい」
友香は、それらしい嘘を並べ立て、ごまかした。
「ああ、お客様でしたか。いえいえ、失礼いたしました。どうぞゆっくりご観覧ください」
それを信じた男は、一礼すると再びしゃがみ込み、作業に戻った。
友香も彼に習い、男の横にしゃがみ込む。そんな友香の行動に男は再び驚くが、手を止めず質問をした。
「薔薇が、お好きなんですか?」
「ええ、特にこの薔薇が。ロゼット咲きは賛否あるようだけど、どこか哀愁があって私は好きよ」
ロゼット咲きとは、多くの花びらが密集し、放射状に平べったく咲くことを指す。イングリッシュローズをはじめ、オールドローズによくみられる特徴である。この咲き方をする薔薇は、自らの花びらの重さに耐えられず、そのほとんどが下を向いてしまう。そのため、悲しいことに、美しくないと評価を下す人もいる。
「それに香り高くて、とても気品に満ち溢れていると私は思うわ」
男は目を丸くすると、くすくすと笑った。
「いやはや、恐れ入りました。こんなにも薔薇を愛している方がいらっしゃるとは……聞いたらお嬢様もきっと喜びます」
「ここのおうちには、お嬢さんがいるの?」
「ええ、とても綺麗な人で、お花が……特に薔薇がお好きな人なんですよ」
「そうなの……慎司君が行方不明になってショックでしょうね……」
友香が、うつむきながら心中を察する。
「どこでその話を?」
男が眉をひそめる。
「さっき、トイレに行く途中聞いてしまったの」
「そうでしたか……ええ、大変ショックを受けておられました」
「行方が分からなくなった日は一日中、泣いて取り乱しておられました。旦那様もその時は冷静に対処しておられましたが、とうとう心労が限界を迎えたのか、泣き叫ばれることが日に日に多くなって・・・」
「そう……お気の毒に……」
男が押し黙り、空気が重くなってしまったので友香は話題を変えた。
「にしても、本当に人の手で育てているのね。今の時代、観賞用や食用ならいくらでも機械で育てられるのに」
そっと花びらの香りを嗅ぐ。
近頃、自給自足生活ブームによって、ベランダや庭先で小さな菜園を作っている家庭が少なくない。
そういった家庭をターゲットに、水肥やりや害虫駆除を自動でやってくれるロボットが開発された。また、ガーデニング会社や観葉植物店の商戦によって、より大きな規模での菜園や庭園を管理可能なシステムが作り出されている。
鑑賞などの目的なら、全てを機械に任せている家がほとんどである。しかし、ロボットも万能ではなく、お気に入りの植物を枯らされたと、ロボットの製造元が訴えられるという事件も起こっていた。
「お嬢様は、薔薇を鑑賞することではなく、育てることがお好きなんです。しかし、この広さですから、一人で管理するのは大変です。ですから、庭園の管理をするついでに、こちらのお手入れもお嬢様に頼まれまして、ささやかなお手伝いをさせていただいているのです」
目を閉じ、懐かしむように男は答える。
「庭園の管理もしているの?」
「はい、人の手によって手入れされた植物は、温かみが宿ると先代がおっしゃられまして」
「たしかに、薔薇ひとつひとつに、人の気持ちがこもっているような気がするわね」
「ありがとうございます。ここには十八種類の薔薇が植えられています。どうぞ、他の薔薇もご覧になってはいかがでしょうか?」
友香に薔薇を褒められたからか、男はハニカむ。
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
彼の提案に賛成した友香は、立ち上がりつつお礼を述べた。
「あ、そうそう」
友香は何か思いついたように、振り向き男に声をかけた。
「さっき先代がって言ってたけど、あなた、どれくらいここに仕えているの?」
「ええと、かれこれ二十年以上でしょうか、こちらにお世話になっています」
「ふーん……そうなの……」
その回答に、友香は何か引っかかったのか、深く考えている様子だった。