ヒノマルミヤビ
主な登場人物
・反町友香(ソリマチ ユウカ
中華街に暮らす探偵少女。中学2年生。
ピンク味の帯びた白い髪に、赤い瞳を持つ。
茉莉花茶が好き。
・青山清花(アオヤマ サヤカ
神奈川県警の刑事。友香の姉的存在。
英国人と日本人のハーフ。
灰色の髪色に青い瞳という身体的特徴を持つ。
愛車、ナナマル(JZA-70)の整備が趣味。
・神津柳(カミツ ヤナギ
中華街で探偵事務所を営む女性。
カールしたショートボブと眼鏡が特徴。
友香の叔母にあたる、母親的存在。32歳。
・生天目 響(ナマタメ ヒビキ
友香のクラスメイトで、親友。
黒髪ロングをハーフアップにした少女。
天才ハッカー。バニラアイスが好物。
21
「ただいま帰ったわよ」
空が赤く染まってきた頃、昼過ぎに外出した友香が事務所に戻ってきた。帳簿をつけていた柳が出迎える。
「あら、お帰りなさい。どこ行ってたの?」
「響の家よ」
友香が柳の問いに答えつつ、洗面所で手を洗う。
「ふーん……楽しかった?」
「ええ、ちょっと教えてもらいたいことがあって、そのレクチャーを受けてきたの。とっても楽しかったわ」
ガラガラガラ……と、うがいをする友香。
宿題を教えあうなんて微笑ましいと柳は思った。友香は基本的に一人でなんでもこなしてしまうため、宿題を教えたことなんて一度もなかった。そのため、柳は少し響を羨ましく思った。
友香がテーブルを挟んで向かい側のソファに座る。ポケットからメモ帳を取り出し、中を見てはうんうんと頷いていた。復習でもしているのだろうか。
「ふーん、友香にもわからないことがあるのね」
「あら、心外ね。私にだってわからないことはあるわよ。特に専門分野は」
顔を上げて友香が言う。
「へぇー……専門分野?」
友香の言葉に引っ掛かりを覚えた柳は、自分は何か大きな勘違いをしているんじゃないか、そんな嫌な予感がした。
「ええ、私の知る限り、c言語に関して響の右に出る者はいないわ。そんな彼女に師事してきたの」
友香が誇らしげに笑った。
柳の予感は的中した。友香は予想斜め上のことを学んできたようだ。宿題ではなく、c言語を学んできた、とは斜め上がすぎる。
「学期末試験の勉強とか……ないの?」
「私はもう終えてるわよ?」
当然のように返答する友香。この答えに柳はなぜか少し安心した。予想通りだったからだろうか。
「そうそう、c言語を教えてもらう代わりに、響の宿題を見てあげたわ」
「あ、教えあったことには代わりないのね」
「ええ。響、宗教史が苦手だったみたいで……教えてほしいって言われちゃった」
少し嬉しそうに照れる友香。柳は改めて微笑ましいと思った。のだが、
「ん?待って、教えあってこの時間?四時間くらいしか経ってないじゃない」
時間の流れが明らかにおかしい。宗教史はともかく、c言語を学ぶには短すぎではないかと疑問に思った。
「ええ、でも響の教え方が上手だったのよ。難しかったけど、すぐ理解できたわ」
「あー……そう」
響も友香も国内トップレベルの教育機関に籍を置いているのだ。響の教え方は上手であり、その教えた内容は、一流である彼女の専門分野である。そして、友香の新しいことへの探究心や吸収力は常人レベルではない。短時間での学習は、この二つの要素が合わさった結果なのだろう。二人の天才秀才が寄れば、文殊の知恵にも匹敵するかもしれない。
「それにしても、プライドの高いあなたが友達に習うなんてね……」
この柳の言葉に友香は、目を丸くして不思議そうな顔をした。何を言っているのか理解できないという様子だった。彼女がそうした理由は、柳の発言に共感できなかったからだった。
友香がメモ帳を閉じ、真面目な顔をして口を開く。
「プライドっていうのは金庫を守るダイヤルのようなものよ。空っぽの金庫を守って何になるっていうの?時間の無駄でしょ」
今度は柳が驚く番だった。友香はとてつもない才能や知識を持っている。それを空っぽとは呼ぶのはどうなのだろうか。
柳は眉をひそめる。
「空っぽ?友香は、たくさん勉強してるし色んな才能を持ってるわ。それなのに空っぽ?」
「ええ。新しいことを学ぶんだから、その分野の金庫は空っぽでしょ?むしろ金庫自体がないわ」
柳は、鳩が豆鉄砲を食らったような感覚がした。
彼女は始め、金庫は一つだけで、学んだものは全てその一つに入れていくと想像していた。しかし、友香は違った。一つの分野に一つの金庫、という考え方をしているようだった。
言われてみればそうだ。新しい分野を学ぶとき、その容積は空である。空である金庫は金庫ではない。
新しいことに挑戦するときは、知識がないのだからプライドも何もない。それを柳のように勘違いして、あたかも金庫が一つしかないと思ってしまう人が多く存在する。そしてその中には、金庫がないくせに、そのことに気づかないまま驕り高ぶり、文字通り、虚勢を張る人間がいる。そのような人種を、友香は愚か者と呼んだ。
「折角お金持ちになれるのに、プライドを頑なに誇示することで、そのチャンスをみすみす逃して、ことさら時間を無駄にするのよ?それは愚か者のすることだわ」
友香は、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。少し前まで彼女は、自分の言う愚か者の部類だった。その頃の自分を思い出したのだろう。
しかし今の彼女は違う。いくらプライドが高いからといって、それを常に誇示することは得策ではないと考えるようになった。むしろ逆に、高いプライドを持っていたからこそ、このような発想に至ったのかもしれないが。
彼女は加えて、いちいち金庫をダイヤルで閉めていたら、新しいものを入れるのが億劫になってしまう。プライドと折り合いをつけて、そうならないように気をつけるべきであると語った。それから、金は天下の回り物。むしろどんどん使うべきだと付け加えた。
「知識や経験っていうのは、誰にも奪われない、使ったら増えていく無形の財産なのよ」
仮に奪われることがあったとしても、その使い方はその人にしかできない。だから、誰にも奪われない財産なのだと彼女は語る。
友香は知識を財産と言った。そこには、彼女の母親の影響があった。
『お金持ちになりたいか?』
昔、友香の母親、反町薫が彼女に問いかけた言葉である。決して裕福とは言えない暮らしをしていた友香は、うんと頷いた。すると薫は友香に向かい、
『じゃあ本を読め、外で遊べ、そして友達を大切にしろ!』
と言い、ニカッと笑った。
その母の言葉に、そうしたらお金持ちになれるの?と友香が聴くと、
『もちろん。お前がお前だけの時間を費やして得た知識や経験は、誰にも奪われない何ものにも代えがたい尊い財産だからな』
と、薫は友香の頭を撫でた。
その当時、友香はその言葉の意味を理解できなかった。しかし、だんだん成長するにつれ、その意味がなんとなくであるが、彼女は理解していった。
そして、成長した少女が言葉を続ける。
「私が友達と財産を分け合えば、私も友達もお金持ちになれるよ?これ以上に有意義なことはないんじゃない?」
知識は使っても減らない。寧ろ増えていくものだと彼女は言った。人はそれぞれ他の誰かとは違う生き方、そしてそこから得た専門的な知識を持っている。知識とはその人の人生を象徴する、そんな尊いものなのである。しかも減らない。それを共有できたら、それは素晴らしいことだと友香は語る。
「知識って財産はね、分けあっても減らないの。素敵でしょ?」
友香は微笑む。
母親の言いつけ通り、できた友達を大切にし、お互いに学び合っていく過程で友香が感じたことだった。
「っと、話がズレたわね」
友香の屈託のない笑みが、不敵な笑みに変わった。
「私が、響から学んできたことには理由があるの。柳、パソコン貸してくれるかしら?」
「いいけど……何するの?」
少し不安そうな顔をする柳。友香はテーブルに置いてあったパソコンを開くと電源をつけた。
「その前に、少し説明しなくちゃいけないことがあるの、いい?」
友香が尋ねる。
柳は少し戸惑いの表情を見せたが、
「え、ええ……」
と頷いた。
「じゃあ、まずは、私が立てた予想とその真相から話しましょうか」
友香は、斑鳩政司の通信機器にウィルスが仕込まれ、身代金要求が傍受されたのではないか、と予想したことを話した。
柳は目を見開いたが、その予想が的中していたと言うと、さらに驚いていた。
「じゃ、じゃあ、あなたがc言語を学んだのは……」
「ええ、事件解決の足がかりになると思ったからよ」
友香は、かもしれない、ではなく断定的な言葉を使った。今の彼女のプライドは、経験に裏打ちされ、彼女の自信に繋がっているようだった。
いくら足がかりになるからといって、学ぼうという考えに至るだろうか。少なくとも柳には、理解ができなかった。しかし、友香は学ぼうと考え、それを実行に移した。彼女の行動力には毎度驚かされる。
「あ、ちょっと待って。そのあなたの予想が正しかったって誰が言ってたの?」
「さっき清花から電話があってね、金田の腕時計からウィルスが検出されたって教えてくれたのよ。で、そのコードをこのパソコンに送ってくれたそうよ」
友香は清花に、事の真相がわかったら真っ先に自分に連絡を寄越すように言っていた。予想を立てたのは自分なのだ。それに結果論だが、真相に近づけた。少しくらい無茶な頼みをしてもいいだろうと友香は考えたようだ。
「そ、そうなの……」
頭が追いついていないのか、柳は呆然としていた。
あ、ウィルスは無力化されてるみたいだから安心して。と友香が付け足して、立ち上がったパソコンを操作していた。
「たしか……ここって言ってたわね」
清花から教えてもらった箇所を見る友香。送られてきたコードからウィルスを見つける。
「ふーん、これがウィルスなの?」
友香の隣に座り、画面を覗き込んだ柳が呟く。
「みたいね……ん?」
「どうしたの?」
友香が何かに引っかかりを覚えたようだった。
「さっき響に教えてもらったんだけど、これ、戦時中に使われたコードにすごい似てるのよ」
「どういうこと……?」
柳が眉をひそめる。
友香は響からc言語を教わった際、先の大戦で使われたウィルスコードも学んでいた。というのも響曰く、その大戦が、ハッカーチームの地位を確立させた大きな出来事であり、彼女たちの歴史もそこから始まったからだそうだ。原点となったと言われてしまったら学ばざるを得ない。といっても友香は初めから学ぶ気でいたのだが。
一通り学び終わって帰る際、響の新しい側面を知ることができてよかった。と彼女に伝えると、照れ臭そうに笑っていた。
友達を大切に。友香は、その言葉の意味を理解できたような気がした。
「前にも話したけど、先の大戦によってハッカーチームが結成され、サイバー技術は飛躍的に向上したわ。そして、その大戦時、彼らが作成したウィルスの一つに『雅』というのがあったの」
友香は、響から学んだことを思い出しながら言葉を続ける。
「そのウィルスは当時、他のどのウィルスよりも強力で、いくつもの亜種が生み出されていたそうよ。その特徴はコードの一部に、10381の数列が使われていること。おそらく、ヒノマルミヤビの語呂合わせね。その雅は今もなお、姿を変えて現役だそうよ」
「そ、そんな強力なウィルスが使われてたの……?」
「ええ、金田の腕時計には高度なセキュリティが施されていたわ。それを破るくらいだもの、それ相応のコードが必要だったんでしょうね」
「そうなの……」
「と、ここよ。10381ってあるでしょ?それからこっちには910って数列が。これはクジュウ式と言われた亜種だそうよ」
友香が指差す。画面を見ると彼女のいう通り、雅を象徴する数列があった。
「ん!?ちょ、ちょっと待って!!」
ぼんやりと画面を見つめていた柳は重大なことに気がついた。
「犯人はそれだけコンピュータウィルスに精通してる……っていうことは、ハッカーチームのメンバーかもしれないじゃない!」
彼女が絶叫する。
そんな彼女とは正反対に、友香は落ち着き払っていた。
「ええ、その可能性が最も高いと私は考えてるわ」
「なんでそんな冷静なの!?犯人がハッカーチームのメンバーなら、響ちゃんの知り合いかもしれないってことなのよ!?」
「だから私は、響に手伝ってもらうんじゃなくて、自分の手で解析できるように技術を学んできたのよ」
付け焼き刃だけどね。と肩をすくめる友香。
もし仮にメンバーの中に犯人がいた場合、響に手伝わせてしまったら危険が及んでしまう。そして、自分にも。響の自宅は、構造上、会社と繋がっている。もし、社員に犯人がいた場合、そこでコードの解析などしていたら口封じしてくださいと言っているようなものである。
友香は事件解決を目指すだけでなく、きちんとリスク管理もしていた。
(シン……あなたの言いつけ通り、最低限のリスクは回避しているわよ)
友香は心の中でそう呟いた。
「それでも危ない橋を渡ったことには変わりないでしょ……全くもう……」
友香が今無事でいることに、柳は安堵していた。ため息を吐く。
だが、いつまでも安心していられない。相手がどう出てくるのかわからない以上、必ず危険はついて回る。そう思った柳は表情が暗くなる。
「でもその必要も、もう無くなるわ」
そんな柳とは反対に、友香が不敵な笑みを浮かべる。
「犯人の目星はついた。あとは絞り込むだけよ」
友香は前向きだった。彼女はいつもそうなのだ。肝心なところ、普通の人なら震えてしまうところを、彼女は自信に満ち、堂々たる振る舞いをする。そんな彼女を、柳は羨ましく思った。




