突破口
主な登場人物
・反町友香(ソリマチ ユウカ
中華街に暮らす探偵少女。中学2年生。
ピンク味の帯びた白い髪に、赤い瞳を持つ。
茉莉花茶が好き。
・青山清花(アオヤマ サヤカ
神奈川県警の刑事。友香の姉的存在。
英国人と日本人のハーフ。
灰色の髪色に青い瞳という身体的特徴を持つ。
愛車、ナナマル(JZA-70)の整備が趣味。
・神津柳(カミツ ヤナギ
中華街で探偵事務所を営む女性。
カールしたショートボブと眼鏡が特徴。
友香の叔母にあたる、母親的存在。32歳。
20
鑑識課と表示されたプレート、その横にある扉をくぐり、清花は鑑識室を訪ねた。
「ことりさん、いますか?」
ことりというのは、清花と面識のある鑑識捜査官である。歳は上だが、個人的にも親しくしており、信頼がおける人物の一人であった。
呼びかけてみたが鑑識室はシーンと静まっており、返答はなかった。時折、稼働中の機械が音を立て、光が点滅していた。何のために置かれているかわからない水槽の水が、ゴボッと音を立てた。
清花は一瞬、彼女が留守中なのかと思ったが、もしやと奥にある扉を開けた。
奥の扉は解剖室へと繋がっており、中央にある解剖台の上に人が横たわっていた。その人こそ、清花が信頼する鑑識官、一之江ことりだった。
彼女の歳は清花より2つほど上で、三十路目前なのだが、童顔のせいか幼く見える。親指の爪を咥えて寝ているという仕草が、可愛らしいということも手伝っているのかもしれない。
紺色の制服の上から白衣を羽織っており、腰あたりまで伸びた癖っ毛のミルクティー色の髪と相まって洋菓子のようだった。
どうやら、彼女は解剖台で眠っているようだった。よく彼女がそうしていることを知っていた清花は、台に近づくと、ライトの電源を入れた。
「ん?んんん……?ま、まぶしい……」
光を顔に受けた彼女は、瞼を閉じたまま、眉間にしわを寄せ、両腕で顔を覆う。
「ことりさん、起きてください」
起こし方を心得ていた清花が、無表情にことりに声をかける。
「んー?その声は清花ちゃん?おはよう……」
「もうお昼ですが……」
ことりは身体を起こすと、台の上で胡座をかき、伸びをした。
眠そうな垂れ目が清花を捉える。
「どしたの?今日来るって聞いてなかったけど」
右目をゴシゴシとかきながらことりが尋ねた。
「突然お邪魔してすみません。少し確認したいことがありまして」
「確認したいこと?」
「ええ、先日の銃殺された金田巳神の通信デバイスについてなんですが…」
「あー、そう……そう……」
ことりは相槌を打っていたのだが、次第にそれが舟を漕ぎ出し、終いには寝息を立ててしまっていた。よほど睡眠不足なのだろうか。
「起きてください、話はまだ終わってませんよ」
「ん?んー……あー、そうだったね」
清花は、ことりの身体を揺らし二度寝から起こすことに成功した。
「しかし、よくもまぁこんなところで寝られますね……」
「あー、感染症?それは大丈夫だよー。ちゃんと殺菌滅菌してるから」
「それもですが……」
「あー、霊魂とかの話?」
ことりが今さっきまで寝ていたのは、死体を切ったり開いたりする台なのだ。死体が乗っかってた台に乗るのは気持ちが悪い。取り憑かれたりしないのか、という恐怖があり、清花はことりの行動が理解できなかった。しかし、ことりは違うようだ。
「そういうの信じてないんだよねぇ……ていうか今のご時世、信じてる方が少数派じゃない?」
彼女が指摘するように、科学技術が発達した昨今においては、霊魂や神などの存在を重んじる方が少数派となってしまっていた。
戦後間もなくして宗教教育を取り入れた日本ではあったが、今現在は、彼女のような考え方をする人間の方が珍しくなかった。
「まぁ、そうですが……」
「んー……コーヒー飲みたい」
ここで話すのもなんだから、鑑識室行こ?と、提案することり。台からのそのそと降り、裸足にサンダルを履いていた。サンダルをパッタパッタ言わせながら鑑識室へと歩きだす。清花もそれに従い、場所を移した。
相変わらず静かな部屋だ。
実は、この鑑識課には彼女ともう一人しか所属しておらず、鑑識課は全ての捜査を一人で担当していた。その背景には、機材性能の飛躍的向上があった。特に、動物型ロボットの存在が大きく、あらゆる痕跡を見落とさない性能が、多くの事件解決に貢献していた。
清花は以前に一度だけ、一人で大変ではないか、とことりに訊いたことがあったのだが、
『んー、そうでもないよ?ほとんどロボットがやってくれちゃうし、私一人分の労力でも回っちゃうんだよねー』
とのことだった。
そんな回想に耽っていると、ことりが口を開いた。
「で、話ってなんだっけ?」
コーヒーメーカーを起動させつつ、ことりが尋ねる。コーヒーの香りが部屋に漂う。
彼女の眠そうな垂れ目もいくらかマシになっていたが、眠そうなことに変わりはなかった。
「先日起きた銃殺事件の被害者、金田の通信デバイスの中身を見せて欲しいのですが…」
四人がけテーブルについた清花が要求を述べる。
「あー、この前の。でもそれ見てどーするの?」
「実は、どうしても気になることがありまして」
清花は先ほどの取り調べの内容を全て話した。誘拐事件の被害者の一人であった、斑鳩政司が実は共謀者であり、狂言誘拐を企てていたこと。そして、その計画は失敗し、政司は金田が裏切ったと思っていること。
「金田は、身代金の要求をしていました。しかし、斑鳩政司はそんな電話はなかったと言っているのです」
「んー、それはおかしいなぁ。実際、通話履歴は残ってるんだし……」
コーヒーメーカーからマグカップを取り出す。香りを楽しんだのち、ことりは、清花の対面に座った。
「ええ、そこで私は、一つの仮説を立ててみました」
本当は私じゃなく、友香が、ですが。と心の中で呟く。
「昨今、通信デバイスは、ネットワーク化により、パソコンと差し障りのない機能性を獲得し、より利便性の高いものとなりました」
「ふんふん」
「しかし、いくら進化したとはいえ、まだ進んでいない分野もあります。それが、通信デバイスにおけるファイアウォールです」
ファイアウォールとは、普通に防火壁の意味でも使われるが、ここではコンピュータをはじめとするネットワーク関連用語として用いる。セキュリティの向上を目的とし、外部からの不正アクセスを遮断する役割を持っている機能のことを指す。この不正アクセスを炎に例えることからファイアウォールと呼称される。また、外部からの攻撃だけでなく、内部に潜む敵性ウィルス、トロイの木馬を抑制する効果もある。総じて言うところ、コンピュータウィルス対策であった。
「なるほどねぇ、つまり清花ちゃんの言いたいことは……」
「ええ、金田の通信デバイスになんらかの電子ウィルスが仕込まれていたのではないかと」
これが、先ほど友香が確かめて欲しいと言った内容だった。
清花には、どうしてそれが一気に事件を解決させるのかわからないかったが、そう言われては期待せざるを得ない。どうしても確認しなくてはいけなかった。
ことりは、そんな彼女を眠そうな目で見る。だが、その瞳には、興味深いものを見つけたときに人が見せる輝きのようなものがあった。
しばしの沈黙の後、彼女が席を立つ。
「うん、わかった。ちょっと待ってて」
そう言って彼女は、棚からダンボールを運んでテーブルの上に置いた。
「うーん、これか」
ゴソゴソとダンボールの中身を探っていたことりが、真空パックに入った腕時計を取り出す。金田の物だ。目当てのものを探し当てたことりは、自分のデスクへ向かい、椅子に座った。ギイっと椅子が軋む。
「よいしょっと。今から調べるから、こっちおいでー」
腕時計とパソコンをケーブルで繋ぎつつ、清花を手招きした。
「あ、ありがとうございます」
清花は礼を述べつつ、ことりに駆け寄る。
「私も気になったからいいよー。この前調べたときは、履歴の精査と通話音声の復元しただけだったからねぇ」
パソコンを立ち上げつつ、引き出しから取り出したUSBメモリを挿入する。
「普通、通信デバイスにウィルスを仕込まれるなんて、誰も思いませんからね……」
その点、友香はその可能性に気がついた。捜査官の誰も気がつかなかったことに。彼女の発想力には脱帽せざるをえなかった。
「ん、起きた。じゃあ見てくよ」
パソコンが起動したようだ。ことりが、金田の腕時計の内部データをphpコード化する。
しばらくの間、スクロールしながら画面を見ていたことりが、声を出した。
「ん?あー……これだ」
ことりがウィルスを発見したようだった。
「ウィルスっていうかワームだねこりゃ。ルートキット使われて難読化されてるけど、挙動がちょっとおかしいし、これで間違いないねぇ」
喋りながら、ことりがキーボードを叩く。どうやら、ウィルスを隔離無力化し、コードを取得しているようだった。
友香の予想通り、ウィルスが仕込まれていたことに、清花は唖然とした。
「まさか、本当にあるとは……」
「うん。それもすごいけど、こっちもすごいよ」
ことりがまた別のコードを見せてきたのだが、清花にはさっぱりである。
「これは?」
「あー、これは腕時計に入ってたファイアウォールコードね。これすごいよ、今まで見てきたどの壁よりも難読化されてる」
「は、はぁ……それはすごいですね……?」
清花にはイマイチ、その凄味が理解できなかった。
「すごいよ。この壁を突破するは至難の技だろうねー」
「と、いうことは……」
「うん。突破した人はもっとすごいよ」
実際に、その壁が突破されている。犯人は、相当その道に通じている人物だということが浮き彫りになった。
清花は、友香の言ったことの意味がなんとなくわかった気がした。
「にしても、これ、誰が作ったんだろ?腕時計の持ち主が作ったっぽくないんだよねー。これほどの腕持ってたらワームなんて仕込まれないだろうし」
ことりが首をかしげる。
「金田が所属していた組織は、かなり大きなものでした。彼らの上部組織が手配したのでは?」
「あー、なるほど。部下への支給品かぁ」
それほどの腕があれば引く手数多だったろうに……と、ことりが呟いた。
「よし、はいどうぞ」
ことりがUSBを引き抜き、清花に差し出す。
唐突なことに清花はたじろいだ。
「え?これは?」
「ん?ウィルスのコード。製作者とかの追跡は専門外だから、サイバー課の人にやってもらった方が速いよー」
あと、おまけで復元した通話音声も入れといたからねー。と付け加えた。
ことりがパッタパッタと音を立て、テーブルに向かう。彼女は、マグカップに残っていたまだ冷めてないコーヒーを一口飲んだ。
「私ができることはここまでかなぁ」
ことりは肩をすくめた。
その多才さに忘れていたが、彼女はあくまで鑑識官である。遺留品の解析という点では清花の頼みであるcコードの解析は仕事の範囲内ではあったが、本職かといえばまたそれは違う。
それでも清花の頼みに嫌な顔一つせず、彼女は手を貸してくれた。
「ありがとうございます」
清花は、ことりの懐の深さに感謝を込め頭を下げた。
「いいっていいってー。いっつも一人で寂くてさぁ。構ってくれるの清花ちゃんぐらいだし」
ことりがニコニコと笑う。
「だから、また面白そうなことあったら教えてねー」
「ええ、では今度、ランチにでも行きましょう」
「お、楽しみにしてるよー」
再びお礼を言い、清花は鑑識室を後にした。
その彼女の背中に、ことりはフリフリと手を振っていた。