誰も知らない誘拐事件
主な登場人物
・反町友香(ソリマチ ユウカ
中華街に暮らす探偵少女。中学2年生。
ピンク味の帯びた白い髪に、赤い瞳を持つ。
茉莉花茶が好き。
・青山清花(アオヤマ サヤカ
神奈川県警の刑事。友香の姉的存在。
英国人と日本人のハーフ。
灰色の髪色に青い瞳という身体的特徴を持つ。
愛車、ナナマル(JZA-70)の整備が趣味。
・神津柳(カミツ ヤナギ
中華街で探偵事務所を営む女性。
カールしたショートボブと眼鏡が特徴。
友香の叔母にあたる、母親的存在。32歳。
・李徳深(リー トクシン
中華街で茶屋を営む、事情通の男。
茶屋の名前は、峯楼館(ホウロウカン。
友香が幼い頃から親交があり、今では茉莉花茶を一緒に飲む仲。
何かと友香の面倒を見ている。
16
「ただいま帰ったわ」
茶屋を後にし、友香が事務所へと戻ってきた頃には、すでに陽は傾き始めていた。
靴を脱ぎ、手洗いうがいをするため台所へ向かう。
「あら、友香おかえり」
居間では柳がパソコンに向かって、作業をしていた。どうやら、依頼の報告書を作っているようだ。彼女はパソコンから目を離さなかった。
「清花は?」
「結構前に帰っちゃったわよ」
「そう」
友香は、柳の横を通り台所へ入る。用を済ませたついでに、戸棚から茶葉と二人分の茶器を取り出し、お湯を淹れる。茶器が充分温まった頃を見計らって、お湯を捨て、改めてお茶を注ぐ。正直、この淹れ方は、お茶を美味しく飲むためとはいえ、友香はあまり好きではなかった。というのも、捨ててしまうお湯がもったいないからである。
今回は、シンからおすそ分けでもらった、雀山黄大茶というお茶を嗜むことにした。
「どうぞ、柳も飲むでしょ?」
友香は茶器をテーブルに置いた。
ちょうど、作業もひと段落ついたのだろう。柳は、長時間の作業で凝り固まった体を伸ばした。
「あら、いい香り。ほうじ茶かしら?」
お茶から漂ういい香りに、彼女は茶器を顔に近づけた。
「それに近い香りね。いいお茶だわ」
雀山黄大茶という茶葉は、中国茶の一種である黄茶に属しており、安徽省の雀山が主な生産地である。この黄茶は製造に手間がかかるため希少価値が高く、同じ黄茶でも100g一万円以上の値段がつけられる茶葉もある。また、宮廷で愛飲されていた歴史があるため、気品に満ちた、由緒正しいお茶といえる。
「さて」
お茶を一口飲んだ柳は、切り出した。
「なんであなたが電話相手を知っていたのか、教えてもらいましょうか」
「いやよ」
「な!?」
友香が即座に拒否したことに、柳は絶句する。
「教えてくれてもいいじゃない」
「理由を語らずに結果を告げることは、相手により強い印象を与えられる。英国が誇る名探偵、シャーロック・ホームズの言葉よ」
「それが……?」
「逆を言えば、理由、その結果に至るまでのプロセスを明かしてしまうと、ああ、なんだそんなことか、と軽んじられてしまうということ。実際に、ホームズ探偵は依頼人の職業を推理してネタばらしをするんだけど、その途端、下に見られていたわ」
つまり、友香は種明かしをすることで軽んじられてしまうのが嫌だった、ということだろう。プライドの高い彼女らしい発言である。
「はぁ……あのねぇ友香。いくら種明かしをしたって、あなたがその事実にいち早く気づいたことに変わりないわ。そんなあなたを下に見るわけないでしょう?」
柳の言葉に、友香は口元に笑みを浮かべ、
「柳がそんなことしないくらい、わかってるわよ。ちょっとイジワルしてみちゃったの、ごめんなさいね」
ところで、平成のシャーロック・ホームズは元号が変わって復活しても平成のシャーロック・ホームズなのかしら?難しいわね……その点、和製シャーロック・ホームズは安泰ね。友香は頭の中で、くだらないことに考えを巡らせているようだった。
「っと、話が脱線したわね。で、なぜ私が通話相手を当てられたか、だっけ?」
「ええ」
「それは、カマをかけただけよ」
「え?じゃあ確証はなかったってこと?」
意外な返答に柳は驚く。
「ええ、でも、私が考えた中で、最も可能性の高い人物の名前を出したの。そしたらビンゴだった」
「そうだったの……でも、なんで一番可能性が高いって結論になったのよ?」
「それは順を追って説明するとして、これで第一の事件の全容がほぼ明らかになったわね」
「第一の事件……?」
「ええ、この事件は二部構成。そしてその第一部は、父親による、斑鳩家の財産目的の狂言誘拐よ」
「狂言誘拐!?ちょ、ちょっと待ちなさい。それに、二部構成ってどういう……」
「それも後から話すわ。まず、どうして彼があやしいかと思った経緯を話すわね」
友香の衝撃的な発言に、素っ頓狂な声をあげる柳。
それとは対照的に、友香は淡々と語り出した。
「まず、初めに私が違和感を覚えたのが、あの邸宅にあった監視カメラが少なかったことよ」
「監視カメラ?」
「ええ、散歩したっていったでしょ?そのときに確認したんだけど、門前と玄関前にしかなかった。明らかに不自然だわ」
ま、それ以外の方法ではきちんと防犯されていたけど。と付け加える。
「それからもうひとつは、時間が経過してから彼が発狂し出したということ」
「時間が経ってから?」
「散歩してる途中、庭師の人に話を聞いたんだけど、彼は誘拐発生の翌日からおかしくなったそうよ」
「逆に言えば、それまでは平静を保っていたということ。おそらく、なんらかの方法で慎司君の安全を確信していたんじゃないかしら」
柳は、友香が斑鳩邸を無断で出歩いていたことを思い出したが、口をつぐみ彼女の言葉を待つ。
「ここまで想定したとき、私は一つの仮説を作ったわ」
友香は、一旦言葉を切ると、真剣な表情をして言い放った。
「少年の父親は、人身売買組織と何らかの関わりがあり、斑鳩家の財産を自分のものにしようと結託し、狂言誘拐を企てた、と」
「な……!?」
柳は彼女が立てた仮説に唖然とした。が、すぐに疑問が生じたので問いかける。
「ちょ、ちょっと待って、自分のものにするって……そもそも自分の家でしょ?」
「いいえ、自分のものではないわ。彼、婿養子なのよ」
ついさっき、シンからもらった資料をテーブルに置く。
「何これ……?」
「気になったからシンに調べてもらったの。そこには斑鳩政司の家族関係と交友関係が書かれているわ」
資料を見て、柳は目を丸くした。
「ほ、本当だわ……でもどうしてわかったのよ?」
「さっき、散歩の途中で庭師と会ったって言ったわよね?」
「ええ」
柳が首肯する。
「そのとき、彼は慎司くんの母親のことをお嬢様と言ったわ」
「え?それが……ああ!」
「気づいたかしら?よくよく考えるとおかしいのよ。彼女は結婚して子供もいるんだから、普通、呼ぶとしたら奥様よね?でも彼はお嬢様と呼んだ」
柳がハッとした表情になる。たしかに、未婚の女性なら相応しい呼称かもしれないが、彼女は結婚もしているし、子供もいる。にも関わらず、彼はお嬢様と呼んだという。柳は、そのワケに気がついたようだった。
重ねて友香が説明する。
「それはなぜか。彼は斑鳩家とは二十年来の付き合いと言っていたわ。当然、彼は未婚の、若き日の彼女を知っているわけだから、その当時からの習慣でずっとお嬢様と呼んでいるんでしょう」
柳の予想とほぼ変わりなかった。しかし、友香の解説には、その根拠となる庭師の証言があり、確信を抱ける内容だった。
「って考えたとき、父親が直系ではないんじゃないか、って推測したのよ」
「だから、あのときお嬢様がどうたらって言ってたのね」
柳は、車の中でのやり取りを思い出した。
そのときにはもう友香は、事件の真相に迫っていたということに柳は戦慄した。しかも、こんな瑣末なことから。
「ええ。そして、さっきも話したけど、誘拐発覚の翌日から取り乱し始めたという点にも違和感を抱いたわ」
友香は、さらにもう一つの根拠を語り出した。
「普通、感情の起伏のピークは、お母さんのように事件が発覚した直後じゃないかしら?つまり、それまでは慎司君がどうしているのか知っていいたんじゃないか、って考えたら色々と辻褄が合うのよ」
「う、うーん相変わらずの推理……いや想像力かしら?でも友香、彼がそこまでした理由はなに?実の息子よ?そんな簡単に、大切な存在を売るようなマネをするとは思えないんだけど」
というより思いたくないわね。と友香の推測に難色を示す柳が付け加えた。
「その資料の二枚目を見て」
そんな彼女の反論に、友香は資料を見るように促した。そのページにはもちろん、斑鳩政司の借金に関する情報が事細かに記されている。
「何これ……闇金じゃない……!」
「ええ。彼、ギャンブル依存症で、タチの悪いところからかなり借金してたそうよ。少しは返していたらしいけど、途中から首が回らなくなったみたいね」
驚く柳とは反対に、友香は冷静な態度でお茶を飲んでいた。
「闇金からの借金。家は資産家だけど、自分のものではない。奥さんに相談なんて以ての外。八方塞がりの中、彼は最後の手段に出たんでしょうね」
「それが、狂言誘拐……」
「おそらく、彼は金田と知り合いだったんじゃないかしら?どちらが持ちかけたかまではわからないけど、二人は狂言誘拐を計画した。そして、一家が中華街を訪れたあの日、実行に移した」
まぁ、初めは結婚前から計画してたんじゃないかって疑ってたけど、借金返済が目的だったみたいね。と付け加え、友香が眉間に皺を寄せる。
「でも、なんで協力者に金田を選んだのよ?危ない仕事をやっているのはわかっていたはずでしょ。そんな奴に頼むかしら?」
「むしろ逆よ。危ない仕事をやっていたからこそ好都合だったのよ」
「……何かあったとき、罪を全て押し付けられるから?」
「ええ。そしてなにより、金田は児童売買を展開していた。監禁場所には困らなかったでしょうし、子供の扱いにも長けていたはずよ」
「斑鳩政司はそれを知っていて……?」
「可能性はかなり高いと思うわよ。推測の域を出ないけど」
肩をすくめる友香。
「でも、実際に彼らのリストの中に慎司君の名前があったでしょ?金田が、慎司君を子供たちの中に紛れ込ませていた何よりの証拠じゃない?」
「人を隠すなら人の中……紛れ込ますため、部下に怪しまれないためにリストに記載したわけね」
息子のことを顧みない、自分勝手な彼の態度に、柳は吐き気がした。
「にしても……あなたの想像力には毎回驚かされるわ」
「まぁ、私自身もまさかこんな妄想が当たるなんて思ってもみなかったけど」
妄想と謙遜し、再び肩をすくめる友香。しかし、彼女は軽くポーズをとっただけで、本心ではないようだ。彼女はこの発想力を武器に、いくつもの事件を解決に導いている。想像力にはかなりの自信があり、プライドを持っているようだった。
そして、彼女が再び語り出す。
「ここまでは計画通り。しかし、二人にとって想定外のことが起きてしまった」
「想定外のことって?」
「具体的にはわからないけど、何らかの手違いがあったんじゃないかしら?そして、斑鳩政司はその異変に気づき、金田に電話をかけた」
柳は神妙な顔をして、友香の話を聞いている。
「依然、慎司君は行方不明のまま。何者かに連れ去られたか、買い取られてしまったか……いずれにせよ、今度は本当に慎司君の身が危ないわ」
たしかに今までは、父親の預かり知るところで少年は監禁されていた。しかし、今回は本当に消息不明になってしまったのだ。一刻も早く見つけなければ、彼の命が危ない。
「これが、現在進行形で起こっている事件の第二部よ」
「じゃあ、「俺のせいだ」っていうのは……」
「文字通り、自分の愚かな行いのせいで、息子が思わぬ危険にさらされてしまっている、ということでしょうね」
友香は、お茶が入った茶器を見つめた。
「仮にも親だったようね。全く、後悔するのが遅いのよ……」
救いようがないと言わんばかりに、少女が大きなため息をつく。
その直後、通話デバイスの着信音が鳴った。音の主は柳のモバイルウォッチだった。
円周から投影された認識画面には、「青山清花」の文字が表示されていた。