第11章
最大級に警戒しながら、橋を渡り、ヤブの中を潜り抜け、アイツらの家に一歩一歩近づいていった。
茂みの間から見ると、戸は開けっぱで、明かりがいっぱい、もれてた。
アイツらの姿はもちろん、物音なんかも全然聞こえなかった。
「チャンスだよ!」
でも、浩介は「待って!早合点は禁物だよ。裏に回ろう」
裏手に行った。
その途中に、小さなプレハブの小屋があった。
「ソーラーのバッテリーだね」と懐中電灯で照らしながら解説してくれた。
「へ~スゴイ一杯あるね」
裏庭に出ると、そこもシーンとしていた。
「大丈夫そうだね」と浩介も安心したみたい。
「じゃ、靴を取りに行こう!」
その時、向こうの竹ヤブから、ガサッと音がしたの。
「誰か来る!」と浩介。
「え?」
「早く隠れないと!」
隠れるってどこに?
一番近くにある、隠れられそうな所は、足元にあるタンクだった。
くみ取り式トイレのタンク・・・
浩介は、すぐにタンクのフタを開けて中に入り、小さな声だけど、緊張した調子で言った。
「お姉ちゃんも!さあ!」
「え~マジで?」
暗闇。
激クサいウンチ。
ハエがプ~ン!プ~ン!
下は、膝までズブズブに「ウンチの泥沼」漬け。
上からは、ジジイかババアかの足音が聞こえてきた。
・・・もう!頭が発狂しそうだよお~
「我慢して」と浩介が言ったけど、ムリだよ!
たまらず、ハシゴを上って、外に出ちゃった。
「あ、まだダメだよ!」と止めようとする浩介の手を振りほどいてね。
ホッとしたよ。
真夜中の冷たい空気が、こんなにもイイなんて。
アイツらに追いかけられてること、すっかり忘れてた。
でも、ここから見た限り、いない様子。
だから「誰もいないよ。早く出てきなよ」と、まだ激クサのタンクで頑張っている浩介に言ったんだ。
でも、タンクから出てきた浩介のクサいの何のって!
鼻が曲がりそう・・・
「そういう姉ちゃんだって、ものスゲー臭いぞ!」
確かに。
タンクトップからも、強烈な悪臭が・・・
ホットパンツから伸びた生足も、土色に変色してるし・・・
サイアク~
でも、浩介は「行くよ」と何でもない風に言って、表の玄関に向かったの。
そうだよね。ここまで来たら、もう何でもアリだもんね・・・
それで入口に戻って、中に入ったわけ。
囲炉裏のナベから、煙がモウモウと出ていた。下の火も赤々と燃えてたっけ。
急いで、置きっぱなしの白サンダルを探したよ。
サンダルと浩介のスニーカーは、四方に散らばってた。ジジイたちがすっ飛ばしたんだろうね。
やっとのことで履いて、ほっとしたな。
そして・・・
「見て!」
板の床に、べったりと血が飛び散っていたの。
「ひどい!」と浩介。
よく見たら、血だまりにメガネが・・・
「これは・・・」と浩介が拾い上げた。
「・・・お父さんのだね」
「やっぱり・・・」
その時、廊下からミシッっていう音がしたんだ。
息をのんだよ。
廊下の暗がりから、ゆっくりと姿が見えてきた。
ジジイだ。
「やっぱり戻ってきてたか・・・だろうと思ったんだよ。靴なしじゃ、逃げれんもんなあ」とニタニタしながら言ってきた。
「逃げるよ!」と叫んだけど、ジジイは、素早く斧を飛ばしてきたの。
それが、アタシのふくらはぎに深く食い込んだ。
マジで激痛が走ったよ!
「あああ!」
「姉ちゃん!」
「いいから、あんたは逃げて!」土間に倒れこんだアタシは、そう叫んだの。
ジジイはスキップするように寄って来て、手荒く、アタシに突き刺さってた斧を抜いたよ。
「痛ーい!!」
そしたら、浩介が、ジジイに向かって「くそー!」
斧をブンブン振り回すジジイ。
それをよけながら、火のついた薪をつかんでは投げ飛ばす浩介。
でも、ジジイは斧で跳ね返しながら、ズンズン向かって行くの。
浩介は、たまらず廊下に逃げて行ったよ。
それを追いかけるジジイ。
しばらく、ドタバタと騒々しかったけど、やがて静かになった。
・・・痛い。
足から、ドクドク血が流れ出ていた。
冷たい土の上で、うつ伏せでじっとしていたの。逃げようという気力が、もうなかったんだよね。
ヤバいな・・・
どこからか、煙クサい匂いがしてくる。体を起こすと、流し場の方から炎が出ているのが見えた。
たぶん、浩介の投げた薪から燃え移ったんだと思う。
こんなとこで、死んでたまるか!
必死に腹ばいになって、イモムシみたいに入口のほうへ進んでいった。
あと1メートル足らずで、外に出られる位置まで来たんだけど、そこで力尽きちゃった。
もうダメ・・・悔しいけど・・・死にたくないけど・・・
怖い、悲しい、痛い・・・色んな感情が襲ってきたけど、不思議と涙は出なかった。
やがて、頭がぼやけてきて、どうでもよくなってくる。
あれだけイヤだった、ウンチクサい匂いさえ、懐かしく感じたな。
「姉ちゃん、姉ちゃん!」
浩介が揺さぶってきた。ジジイを撒いて戻ってきたのかな。
「ああ・・・もう無理だから・・・」
「何言ってんだよ!ほら、つかまって!」
その時、よくわかんないんだけど、マジで腹が立ってきたんだ。
「いいから聞いて!もう歩けないの!足手まといになるだけ、わかるでしょ!」
「そんなのイヤだ!」
浩介は泣き叫んだ。
バチバチという音がした。煙がモウモウと出てくる。
アタシは、最後の力を振り絞って、浩介のほっぺたを思いきりビンタした。
「さっさと逃げろ!ホントに死にてえのか?だったら、アタシが殺してやるわ!!」
たぶん、鬼のような顔をしてたんだと思う。
あまりの迫力にビビったのか、ようやく浩介は立ち上がると、こう言って走り去った。
「姉ちゃん・・・ごめん!」
終わったな・・・後は、無事に逃げてくれることを願うだけ。
熱かった。煙かった。
でも、もう、何も感じない。
視界がぼやけてきたので、目を閉じた。
もうすぐで解放される。
その時、ドタドタと足音がした。
・・・ババアとジジイみたい。
「おい、何じゃこりゃ!」
「クソ!あのガキが、薪を投げつけてきやがったもんだから・・・どこ行きやがった!」
「ええい、そんなことはどうでもいい!早く、水!水だ!とっとと消さんかい!」
「いや、もう無理だ!逃げよう!」
「何だと!ここはな、ワシが丹精込めて作った家なんだぞ!」
「そんなこと言ってもしょうがないだろ!命あっての物種だぞ!・・・もういいわ!」
「コラ待て!逃げようたって、そうは行かんぞ!こうしてくれるわ!!」
「うわーっっ!!」
グシャグシャと音がした。ジジイが食べられちゃったんだろう。
アタシは笑った。
そして、ババアは大きく息を吐いた。
こちらに近づいてくる・・・
足で、アタシの体を小突いてきた。
「死んでるんか?」
別に、怖いとかそういうのはなかったけど、食われたくないとは思った。
だから、じっとしてたんだけど、炎と煙はひどくなるばかりだったから、たまらず、せき込んでしまったんだ。
「うん?やっぱり生きてたか・・・よおし、そんなら、お前も食ってやるわ!」
ああ、そんな・・・
そしたら、遠くから爆発音がしたんだ。
そして・・・この家も丸ごと吹き飛んだ。
それは、凄まじいものだったんだけど、それに負けじとババアの絶叫も凄かった。
・・・多分、これで、みんなお終い。
少なくとも、浩介は無事に生き残れそう。
よかった・・・
***
ボクは、茂みに隠れてて、その大爆発を見ていたんだ。
凄かったよ。
地震でも起きたみたいに、地響きがした。
音も、耳が痛くなるほどだった。
光も、目を開けてられないんだ。
木材やらソーラーパネルやらの破片が吹き飛んで、燃えたまま降り注いできた。
家の前に置いてあったいろんな農機具が、巻き添えを食らって丸焦げになってしまった。
ボクも、巻き添えを食うわけにはいかないので、10メートルほど下がった。
一体、どうしたんだろう?ガスかな?いや、あのソーラーのバッテリーが原因だろうね。
姉ちゃん・・・死んじゃったのかな?
信じられないよ・・・
また、大きな音と衝撃が走った。
炎が、夜空に高く噴き上がっては消えた。
ヤマンバもジジイも出てこない・・・死んだかな。
・・・独りぼっちになっちゃった。
ボクは、泣きに泣いた。
どれほど、泣いていたんだろう?
よく分かんないけど、気づいたら、炎がだいぶ小さくなり、音も静かになっていた。
さて、泣いてばかりもいられないぞ。
これからどうしよう?
アノ爆発はすごかったから、ふもとの町でも気づいているんじゃないかな?
消防とかTV局がヘリコプターで来るよ、きっと。
そうだ、ここにじっと待ってた方がいい。
実際、ヘトヘトなんだ。
もう一歩だって歩けやしないよ・・・
あ、すぐ近くに、作業用の水栓柱があるぞ。
そういえば、さっきトイレのタンクに隠れてて、クソまみれだったな。
ボクは、半ズボンから伸びた、汚れまくった足を洗った。
ジャバジャバ。
うん?
遠くの暗闇から、何か、影が動いているのが見えた。
急いで蛇口を閉めて、物陰に隠れる。
それは、炎に揺らめきながら、ゆっくりこちらに近づいてくる。
誰?姉ちゃん?まさか!
それは、全身がススだらけで真っ黒だった。
背格好から見て、ジジイじゃない。
ヤマンバ?
顔も真っ黒で、よく分からない。
だけど、頭の上に、何かヒモのようなモノが、炎の風に揺れていた。
口元も、よく見ると、牙が灰まみれになりながらも、鈍く白光りしている。
間違いない!あのバケモンのくそババアだ!
その途端、震えが止まらなくなった。
早く逃げないと!
でも、助けのヘリが?いや・・・とてもじゃないが間に合わない。
とにかく、一刻も早く・・・
ボクは、這うように後ずさりしながら、少しずつ少しずつ、そこから離れていった。
ヤマンバは、右手に巨大な出刃包丁を持ちながら、呆然としたように突っ立って、燃える家を見上げているようだった。
バキッ!
しまった!枝を折っちゃった!
ヤマンバが、こっちを振り向いた。
ヘッドライトがピカッと光った。
顔についたススを振り落とすと、ムチャクチャ怖い表情が炎に照らされて、ビビった。
「誰じゃ!さては・・・あのチビか。そうかあ・・・まだ生きてたか・・・」
ボクは、震えながらじっとしていた。
「どこにいる?・・・オヤジもオフクロもウマかったぞ、歯ごたえがあってな。そうそう、ネエちゃんもな、食おうと思ったんだが、丸焦げになっちまってな」
ヤマンバは、ヘッドライトの光を左右に動かし、目を皿のようにして見回していた。
「若いのは肉が柔らくて、これまた絶品なんだよ。惜しいことをしたな・・・まあいい。最後にお前がいるんだから。ゆっくりとな、骨の髄まで味わいながら食ってやるぞ!」
どうしよう?オシッコをちびりそうだ。
段々と、足音が近づいてくる。
このままじゃ食われちゃう!
いや、落ち着け!
そうだ、冷静になるんだ!