第1章
もう、何十年も使用されてきたようなジェットコースターが、客1人を乗せて、面倒くさそうに上へ昇っていく。
東北は秋田の遊園地。
私はベンチに座りながら、コースターに乗る小学生の息子を見ていた。
お盆の夏休みだというのに、閑散としていた。陽が傾いていたが、まだまだ明るい。
昔だったら、この時間でも、家族連れでごった返していたものだ。親父は漁が忙しくて、一緒に遊んでもらった記憶があまりないのだが、お盆だけはここに連れてきてもらった。
あれから40数年の月日が経った。
両親はすでに亡く、実家は廃屋に朽ちてしまった。
まあ、仕方ない。
都会の味を知ってしまった以上、田舎に戻る選択肢などありえなかった。
大学は埼玉にある三流の私立だったが、名古屋の会社に就職した。
もちろん東京で働きたかったのだが、希望する職種だと、この名古屋に本社を構える会社が最大手だったのだ。
それでも30代の一時期、東京支社に配属されたことがある。
その時に知り合ったのが、妻の育子だった。10歳年下で幾分なりと肥えていたが、快活で話が面白かった。そろそろ身を固める時期だったし、贅沢言えるようなスペック(外見や年収)でもなかったので、腹を括ってプロポーズしたのだった。
「ええ!こんな私でいいの、公之さん?」
「もちろん、一緒に歩みませんか?」
「うれしい!」
だが問題がすぐ浮上した。
本社に戻ることになったのだ。
「育子、絶対に離れたくない!名古屋なんて行きたくないよ!」と、生まれてこのかた東京を離れたことのない婚約者は強硬に反対した。
私自身も、東京のアーバンライフに愛着を感じ始めていたので、部長に相談した。
「困るな、栄転なんだぞ」
「はい、よく分かってるつもりです。ですが・・・」
部長は立ち上がり、窓のブラインド越しに外を見た。20階から見下ろす池袋の風景が、目に眩しい。
「東京は1300万人か・・・名古屋なんて目じゃないよな。だがな、わが社に限って言えば、脇役に過ぎんのだよ。決して、本流にはなり得ないんだ」
私は後ろを振り返った。さして広くもないオフィスだったが、ほとんど営業に出払っており、クーラーの効きが強くて寒いくらいだった。
肩に手を置かれた。
いつの間にか、部長がすぐ近くにいた。
「僕もね、君が行っちゃうのは寂しいんだ。仕事中のテキパキとした所作は素晴らしいものがあるね。思わず惚れ惚れしてしまうな」
「え?」
なんか、変だぞ・・・
「でも結婚してしまうんだし、君の将来を考えればこそ、断腸の思いで名古屋行きを推薦したんだ」
「はあ・・・」
「なーに、僕も追って転勤することになるだろう。そうすれば、また一緒に働けるんじゃないかな」とにっこり微笑んできた。
凍える寒さ。これがクーラーのせいじゃない事だけは確かだ。
私は、直ぐに名古屋行きを希望した。
180度の方針転換。
とてもじゃないが、あんなホモ野郎のそばで働きたくなかった。
育子も、私の懸命の説得にしぶしぶ承諾した。
「え~オカマなの?信じらんなーい。ハナシ作ってない?名古屋に行かせようと思って・・・」
部長は、結局、その特異な性向が露見して九州の営業所に飛ばされてしまった。
私はといえば一軒家も購入し、長女の理奈と長男の浩介を儲け、それなりに幸せな小市民の生活を送って来た。
「乗ってきたよ」
浩介が戻って来た。ベンチに座ると、携帯ゲームをすぐ取り出して遊び始めた。
10歳だが、もうメガネをかけていた。頭はよくて、家族には生意気な口もきくが、基本的には人見知りの気弱な性格である。身長は120cmと小柄で、学校ではチビとからかわれるそう。
「どうだった?」
「え?う~ん、なんか子供だましって感じ」
「子供だましか、ハハ」
愛想笑いをした。
最近は、妙に、斜に構えた態度をとる。扱いの難しい年ごろに入ってきたのかもしれない。
「ゲームなんて家でもできるだろう。まだ時間もあるし、ほら、あのビックリハウスにでも行って来たらどうなんだ?」
浩介は、無言でビックリハウスのある方へ眼を上げたが、すぐ首を横に振った。
「あんなの意味ないよ。お金をドブに捨てるようなものだよ」
「そんなことないだろ。お金の心配はしなくていいから、遊んで来なさい」
「コースターでノルマは達成したよ。もう好きにさせてよ」
ゲーム画面を見ながら、冷たく言い放った。
全く、ゲームなんて買わせるんじゃなかった・・・
それでも、半ズボンの佇まいは、微笑ましさを感じないでもなかったが。
観覧車の方向から、育子と理奈が戻って来た。
「あ~疲れた~」と理奈は倒れこむようにベンチに座った。
16歳の女子高生。ロングヘアで、親が言うのも何だが、けっこうな美少女だった。
誰に似たのだろうか?まさか育子が他の男と・・・
ああ、止め止め!下らない!そんなことある筈がない。
育子はガサツな女ではあったが、ああ見えて倫理的なのだ。おそらく、遺伝子的な突然変異で、こんな可愛い女の子が生まれたのだろう。
それでいい。
複雑にさせる必要はない。そんなのは世界情勢で沢山だ。
「喉がカラカラ。ちょっと水筒を出してよ」
白のロングスカートをはいた育子は立ったまま、腰に右手を当てて言った。左手は、麦わら帽子を動かして風を送っている。カーキ色をした派手な柄のポロシャツに汗がにじんでいた。
私は、黄色いリュックサックから、古くさいデザインの水筒を出した。
「ああ、おいしい水だこと。あの観覧車、蒸し風呂みたいだったね」と育子はダレている娘に向って言った。
「だから、言ったじゃーん。止めようって、もう!」と理奈は口を尖らせた。
青いホットパンツから伸びた小麦色に焼けた長い足を、おっぴろげている。身長は170cm近くあり、母を超え、私とも大差なかった。ピンク色のタンクトップも、胸辺りは膨らんでいた。
育子は、水筒を私に返そうとしながら「まあ、せっかく来たんだからさ・・・」
「この辺はロクな所がないからな、昔から」
私は苦笑いをした。
理奈は汗を拭いながら、
「だから、USJがいいと言ったのに・・・」
「ハハ、まあ、そう言うな」
と私は立ち上がった。
「さてと、そろそろ旅館へ行くとするか」
育子は、少し怪訝そうな表情を浮かべながら「まだ、けっこう時間がかかるの?」と言った。「そうだな、30分くらいじゃないかな」
妻は腕時計に目をやりながら「じゃ、そろそろ行かないと・・・」
「そうだな」
横に並んでいる2人の子供を見た。
浩介は相変わらずゲーム。理奈はスマホで友達にメールを送っているらしかった。
「ほら2人とも!行くわよ!」と二児の母は手を叩いて急かした。
子供たちは無言で立ち上がり、私たち一家はゆっくりと出口へ向かった。
夫婦共働きで忙しく、めったに旅行することはなかった。
こうして故郷に帰るのも、何年振りであろうか。
子供たちも大きくなれば、親と行くのを嫌がるだろう。現に、私がそうだった。高校時代は、よくガールフレンドと東京へ泊りがけで遊びに行っていたものだ。
まあ、いいだろう。親離れするのは成長の証しなのだから・・・
にしても、最近は、親子の会話というものが少ない感じはしていた。
理奈は、まあいい。年ごろの女の子てのは、父親とは話したがらないもの。育子とはそれなりに相談などもしているようだ。
問題は浩介だ。この年頃の息子なら、親子でキャッチボールが定番だろうが、ハナから相手にしない。
今もゲームしながら歩いている。
危ないな。
少しは、鉄拳制裁をするべきか?でも、育子や理奈にちょっと注意されただけで、泣きべそをかく子だ。
もう少し、生暖かい目で見るべきだろう。
「ガハハハッ!」
目の前を歩く育子が、隣の理奈が飛ばした冗談に馬鹿笑いした。
「おい、あんまりデカい声で笑うなよ」とやんわり注意すると、
「だって、この子、ヘンな話するんだもの」と後ろを振り向きながら言った。
「何だよ、ヘンな話って・・・」
すると、理奈が母親の腕をとって駆けだした。「女同士の話だもん。父さんには内緒!」
遊園地の入口に戻った。帰りのファミリー客が、まばらにゲートを抜けていく。
後ろを振り返った。さして高くもない観覧車が、夕日に照らされていた。柱の錆びついた色が哀愁を漂わせている。
ここも閉園になるのは時間の問題だろう。
感慨深い気持ちに浸っていると、
「早く~母さんたち、もう車にいるよ」
浩介が偉そうに、10メートル先で腕を組んで待っている。
私は手を挙げて応え、チノパンの後ろポケットからハンカチを取り出し、メガネを外して汗を拭った。
もうすぐ暗くなる。急いだほうが良さそうだ。