37 初体験
たかしは赤沢をお姫様だっこで抱き上げる。赤沢はたかしの胸の中でわたわたと慌てるが、赤沢を運ぶくらいはたかしにとって造作もないことである。バカでどうしようもない女だが、今はたかしのお姫様にしてやってもいい。謎の上から目線に自分でも苦笑しつつたかしは赤沢をベッドに横たえ、布団を掛けてやった。
「もう休め。電気消す」
もう午後十時が近くなっていた。普通なら寝るにはまだ早い時間だが、今日はいろいろありすぎて疲れている。早く寝るべきだ。
たかしは部屋の電気を消し、ソファに寝転がる。あまり眠れる気はしないが、仕方ない。
「黄山、そんなところで寝ると、風邪を引くぞ」
赤沢は心配そうにたかしに声を掛けてくる。
「大丈夫だ。バカは風邪引かないっていうし」
まさかたかしが赤沢のいるベッドに潜り込むわけにもいかない。ちょっと寒いが、我慢する。
しかし赤沢は弱々しい声で訴えた。
「頼む……。こっちに来てくれ。眠れそうにないんだ……」
「……しゃーねーなぁ」
赤沢にそう言われればたかしは拒否できない。断じて赤沢と添い寝したいわけでも、お布団の魔力に負けたわけではない。赤沢が寝付いたらベッドから失礼しよう。
若干の緊張を覚えながら、たかしは赤沢の隣に潜り込んだ。すぐさま赤沢はたかしの体にぎゅっとしがみついてくる。
「おい……!」
たまらずたかしは抗議の声を上げかけるが、赤沢が震えていたため何もできなくなった。赤沢は半ば自分に言い聞かせるように、ぶつぶつとつぶやく。
「黄山のためにやったのだ。私に後悔はない……! あのまま連れて行かれていたら、黄山は殺されていた……! だから、私がやったことは正しかった……!」
やはり銃で人を撃つという経験は赤沢には重すぎたようだった。元々睡眠薬を使っていた赤沢が寝られるわけがない。
あの場で無抵抗に捕まるのがベストで、はっきり言ってたかしは赤沢に余計なことをされたのだが、それを指摘したら収拾がつかなくなる。むしろたかしは赤沢に感謝しているふりをしなければならない。
「ああ、おまえは正しかったから安心しろ! 後のことは俺が何とかする!」
たかしは思っているのと真反対のことを言う。警官の銃を奪って撃つなど絶対に間違っているし、たかしにはこの後どうにもできないなんて、言えるわけがない。ぐずる子どもをあやすように、たかしは赤沢の背中を撫でてやった。赤沢といるといつもだが、子どもの相手をしているような気分になる。
ふとたかしは自分は絶対いい親にはなれないなと思った。間違っていることを間違っていると子どもに言えないのでは、話にならない。いくらたかしが反抗しても正しいことを言い続けていた母の偉大さが身に染みて、涙がこぼれそうだ。
たかしが撫で続けていると、赤沢は大人しくなる。寝入ってはいないようだが、震えは止まった。部屋の中が急に静かになる。
落ち着くと、隣の部屋から聞こえてくる音が俄然気になってくる。ここはラブホテルだ。なので基本的に休憩中のカップルしかいない。率直に表現すると、左右の薄い壁から喘ぎ声が響いていた。
「……黄山」
「……なんだ?」
気になっていることは同じのようで、電気を消していてもわかるくらいに赤沢は顔を赤らめていた。赤沢は半分くらい顔を布団に埋めながら、上目遣いでたかしを見る。
「眠れない。どうすればいい?」
「……羊の数でも数えればどうだ?」
たかしは、ポケットに入れっぱなしの睡眠薬のことを思い出す。が、赤沢の家から失敬したことを話したくないので、忘れることにした。
「だめだ。みんなが元気すぎる……」
自分たちも行為に及ぶのなら気にならないのかもしれないが、たかしと赤沢は気になって仕方ない。今さら遅いが、たかしが気を利かせて最初から音楽でも掛けていればよかった。今から掛ければ音に混じる声が余計に気になるだろう。
赤沢は耳を押さえてうんざりした顔を見せるが、本気で嫌がっている風ではなかった。よく見れば耳を押さえる手にはわずかに隙間がある。ゲンナリはするが、興味も津々というところか。仕方ないね、お年頃だからね。
たかしだって、状況は同じだ。エロゲーでしか聞いたことがない声を、エンドレスに流されてはたまらない。ああ、トイレに鍵が掛からないのが残念だ。鍵さえあれば一人でスッキリしてくるのに。
まぁ、ノン気な声がこれだけ聞こえてくるのだから、警察も銃を持ったたかしと赤沢がこのホテルに潜伏していることには気付いていないのだろう。わかっていればまず客を避難させるはずだ。カップルたちの淫らな声が安全を証明している。ありがたいと思わなければ。
「いいことだろ。きっと日本の少子化問題は解決するに違いない。俺らには関係ないけどな!」
たかしはヤケクソ気味に発言する。明日、たかしは童貞のまま死ぬか、警察に捕まる。何一つ思うようにいかなかった人生だったが、特に恋愛はうまくいかなかった。思い返せばここ数年の間、母と妹以外でまともに話した女子がいない。赤沢はいるが女子にカウントしたくない。
赤沢はたかしの真意を問うかのように、たかしの瞳をじっと見続ける。思わずたかしは何も訊かれていないのに訊き返した。
「……何だよ?」
猛烈に嫌な予感がする。赤沢は核爆弾を投下した。
「黄山、愛してる」
「……はぁ!?」
ケモノたちが交尾する嬌声をBGMに、たかしは素っ頓狂な声を上げる。赤沢は強くたかしに抱きついた。女の子特有の甘酸っぱい香りが広がり、たかしは赤沢の温もりを感じた。
「黄山、私は本気だ。私のためにここまでしてくれた人は、黄山だけだった。黄山だけが私を愛してくれた。だから私は黄山のためなら何でもするし、何でもしたい」
動揺するたかしとは対照的に、赤沢の声は落ち着いていた。たかしはひっくり返りそうになる心臓を抑えながら、冷静に話そうとする。
「赤沢、おまえは勘違いしてる。俺は何もしてない。本当に何もしていないんだ……。おまえは偽物に騙されてるんだ」
ただたかしは気まぐれで、ちょっとかわいそうな女の子に優しくしただけだ。それは決して愛なんかじゃない。たかしは、ただ赤沢を見下して自分のプライドを満たしていただけだった。
「私は嬉しかったんだ、黄山。家にも、学校にも、私の居場所なんかなかった。でも、黄山が居場所になってくれた。だから偽物なんかじゃない。本当の愛なのだ」
学校は知らないが、赤沢の家族は充分に赤沢に優しかった。本気で赤沢のことを心配して、本気で赤沢をかわいがっていた。あれが本当の愛なのだとたかしは思う。
けれども、赤沢自身は家族の愛に全く気付いていない。つまらない劣等感から家族を遠ざけ、曇った色眼鏡で見ている。そして、ねこじゃらしで適当に赤沢の相手をしていたたかしに、本当の愛を感じている。
何も見えちゃいない。全くバカだ。バカ過ぎて涙が出る。
赤沢はたかしの体に覆いかぶさり、怯えているかのように震えながらもそっとたかしの頬にキスをした。
「現実から目を逸らすわけにはいかない……。私たちは、明日も知れぬ身だ。二人とも、明日には死んでいてもおかしくない。だから、今言った。今言うしかなかった。黄山、愛してる」
現実から目を逸らさず、大人しく自首するのが最善だろう。その結論から目を逸らし、赤沢はたかしに逃避しようとしている。
赤沢はたかしの体に跨ったまま上着を脱ぎ、肌を晒した。病的に白い肌が露わになる。押し入れの中で栽培されたもやしの白さなのだろうけど、不覚にもたかしは美しいと思ってしまう。
「……」
たかしは何も言えない。赤沢はブラをはずし、決して豊満とはいえない胸をたかしに見せる。生で見るのは初めてだ。微妙に形が整ってなくて、青白くて、乳首なんか陥没していて、生々しいけれど、引き寄せられる。
たかしの上で、赤沢は涙をこぼす。
「だめなのか、黄山? ここまでしても。やはり私は、いらない子なのか? 私の居場所はないのか?」
「そんなことは、ない……!」
たかしは赤沢の言葉にハッと我に返り、手を伸ばして赤沢の涙をぬぐう。赤沢には帰る場所がある。涙に濡れた赤沢の頬は冷たかった。
「私には未来がない」
「俺にだってない」
「私たちは同じ……。そうだろう?」
違うと思う。たかしはガチだが赤沢はそうでない。でもたかしは言うことができなかった。赤沢の柔らかい唇が、たかしの口を塞いだのだ。
赤沢はぽつりと言う。
「恋に生きるのもいいかもしれない……。未来はなくても、幸せになれる……」
前にたかしが深く考えずに言ったことを、真に受けているのだった。悲しすぎる。その本質は愛でも恋でもなく、逃避だということに本人だけが気付いていない。なのに本人は無駄に幸せそうだった。
たかしも、赤沢に全く魅力を感じていないわけではない。たかしだって男だ。体は充分に興奮して、股間はかつてないほど盛り上がっている(大きくなってもポークビッツ級だということに本人だけが気付いてない)。だけど、こうやって節々でガキさ加減を露呈するからブレーキがかかるのだ。
たかしにも赤沢にも、幸せなんかない。あるのは辛い現実だけだ。それを忘れるための逃避を幸せと呼ぶ欺瞞に、たかしは耐えられない。
「黄山……。今、この瞬間だけでも私を幸せにしてくれ」
それでも目の前の赤沢は懸命にたかしの体に身を擦りつけ、必死に偽物の果実を掴み取ろうとする。この姿勢で普通にがんばればよかったのに。なぜ、ニートというやつはそんな簡単なことができないのだ。論理が逆で、できないからニートなのだけど。
たかしは全く他人のことを笑えない。どうせ人間社会から永久失格だ。もう取り返しなんてつかない。後戻りできない。女を抱くのに理屈がいるのか。偽物の幸せに、今だけでも浸ればいいのではないか。
「ああああああっ! 赤沢ァッ!」
たかしは叫び、逆に赤沢を押し倒す。こんなことをしても何にもならない。ただただ虚しいだけだ。頭はどこか冷めていて、自分自身の愚かしさを痛いほどに自覚していたが、たかしは声と行動でそれを塗りつぶそうとする。赤沢は一生懸命たかしにしがみつき、たかしは湿気った火薬に無理矢理着火する。俺は野獣だ! だからできる!
「黄山、私を下の名前で呼んでくれ……!」
「……」
え~っと、赤沢の下の名前って何だっけ? たかしが沈黙していると、赤沢は自分から言った。
「そういえばちゃんと自己紹介したことはなかったな……。私は赤沢ソラだ。ソラと呼んでくれ……!」
「ソラ、ソラ……!」
たかしは夢中になって赤沢の名前を呼び、抱きしめる。赤沢の体はたかしが本気になると意外にも冷たくて、骨張っていた。肌はかさかさで、弾力が弱くぶよぶよしている。思っていたのと、かなり違う。
「やっと私は、黄山と一つになれるのだな……!」
たかしの下で、赤沢は感極まって涙を流した。本当にこれでいいのだろうか? そんな疑問に目の前の現実は待ったなしで、たかしは激流に流されるしかない。グッバイ、童貞。たかしと赤沢は、最後まで行った。
これくらいならセーフだよね……?




