36 シンデレラ(本人的に)
たかしと赤沢はしばらく町を彷徨った後、目に着いたホテルに駆け込んだ。しばらくここでやり過ごそう。
たかしと赤沢は無人のフロントに設置された客室パネルで部屋を選ぶ。普通っぽい部屋から、三角木馬や鞭といったSMグッズ一式の揃った部屋までよりどりみどりだ。どんなプレイにも対応していて安心だね!
「……ってラブホテルじゃねーか!」
たかしは頭を抱える。まさか逃亡犯として初めてのラブホを訪れることになろうとは。人生、一寸先は闇である。
「……ほう、こうなっているのか」
赤沢は少し恥ずかしそうにしながらも、興味津々にパネルを覗き込んでいた。この女の脳天気さがうらやましい。
「黄山はどの部屋がいいのだ? ほら、選べ」
赤沢はたかしの手をとって部屋を選ばせようとする。たかしは赤沢の手を振りほどこうとして、止まった。赤沢の手は震えていたのだ。
「……悪い」
たかしはそっと赤沢の手を離す。赤沢はばつが悪そうにうつむいた。
「……済まない。さっきから震えが止まらないんだ。怖くてたまらない。黄山のことは私が守ると決めたはずなのにな」
「……それが普通だ。気にすんな」
たかしは赤沢の手をぎゅっと握り、一番無難そうな部屋のボタンを押した。部屋の鍵が自販機のように出てきたので、たかしはそれを回収する。たかしは赤沢の手を引いて指定した部屋に向かった。
一番まともな部屋を選んだら、内装はビジネスホテルと大して変わらなかった。ベッドはダブルなので、たかしが別の場所で寝るしかないだろう。ソファがあってよかった。
「……今日はここに泊まることにしよう」
「……そうだな」
赤沢は提案し、たかしは同意した。下手に動き回るより、ホテルに留まった方が警察に見つからず済むだろう。
普通のホテルのように、夕食をルームサービスで頼むこともできた。たかしは夕食に特製ステーキ定食を頼み、あっという間にたいらげる。もっとメシが喉を通らないかと思っていたが、そういえば今日は朝から何も食べていない。たかしには死という道しかないはずなのに、体が栄養を求めていた。
対照的に、赤沢は全く食が進んでいなかった。全然肉が減っていかない。赤沢はもそもそと野菜の咀嚼を続けるばかりだ。
「大丈夫か……? 無理するなよ」
「ありがとう、大丈夫だ」
赤沢はぎこちない笑みを浮かべるが、顔は真っ青である。たかしはかける言葉が見つからず、黙り込んだ。今は赤沢をそっとしておくしかない。
食事の後、たかしはソファに寝転んで思索する。赤沢はトイレに行っていていない。ちなみになぜかトイレには鍵がなかったので、赤沢は絶対に来るなと言っていた。べつにたかしだって赤沢がクソしているのを覗く気はない。
いったいこれからどうすればいいのだろう。赤沢まで犯罪者になってしまった。死んではいないと思うが、警察官を銃で撃って軽い刑で済まされるはずがない。たかしも赤沢も、未成年ではないのだ。荒唐無稽な国外逃亡を真剣に考えなければならななくなった。
とはいえ海外へ逃げるというのもかなり非現実的だ。具体的にどうやって海外に出ればいいのだろう。貨物船にでも忍び込んで密航すればいいのか。
「……やっぱ、ナマポンに頼むしかないな」
仮に間違ってたかしも赤沢も生きたまま勝てたとすれば、タイかフィリピンくらいに転送してもらえるように交渉しよう。日本人も多いらしいので、きっと向こうでも何とかなる。今まで無職童貞ヒキニートとして過ごしてきたことを棚に上げ、たかしは楽観的に考える。
予定通りたかしが死んで赤沢が生き残った場合はどうなるだろう。遺憾ではあるが、このパターンが実現する可能性が一番高い。ナマポンに頼んで赤沢だけを東南アジアに送ってもらうか? でも赤沢一人でいったい何をどうするのだ。エロ同人のごとく襲われる展開しか思い浮かばない。
そうでなくても、言葉の通じない異国で赤沢が稼ぐ手段というのはかなり限られる(この点はたかしが同行しても同じだろう)。多分、体を売るしかない。そんな暮らしを赤沢にさせるというのか。
「やっぱ、普通に捕まった方がマシだよな……」
天井を見上げながらたかしはつぶやいた。赤沢の罪がどれほどのものかはわからないが、死刑になったり一生塀の中から出られなくなったりというレベルではないだろう。たかしに騙されていたということにすれば、情状酌量の余地も生まれる。あの家族ならきっと赤沢がどうなっても支えてくれるに違いない。大人しく逮捕されて、更正するのがベストということになる。
結局、どうしようもないのだ。たかしには何の力もない。為すに任せる他に、何ができよう。怪人たちを倒して責任を取った後、赤沢に自首させるのが一番だろう。
つまらない結論に辿り着き、たかしは嘆息した。自分たちをつまはじきにした社会に頼るのが一番マシだという結論は、はっきり言って面白くない。つまはじきにされたのが自業自得なのはわかっているけれども。
とどのつまり、たかしに足りなかったのは努力だったのだ。努力していれば、今よりマシだった。少なくとも、明日死ぬということを真剣に考えずに済んだ。
「がんばっても、使い捨てられるだけなんだ……」
たかしの独り言が虚しく響く。たかしは死んだ父を思い出す。父は社会の歯車としてぶっ壊れるまで働き、捨てられた。たかしには父の人生が何の意味もないのだと思えた。でも、違うのだ。父が死ぬまで働いてくれたおかげで、こうして今日までたかしが生きていられたのである。
今さら父の偉大さに気がついても仕方ない。明日たかしは死ぬ。なのでたかしに必要なのは、死ぬ覚悟だ。
急に心細くなったたかしはトイレの方に目をやる。赤沢はなかなか出てこない。もう三十分くらいトイレに籠もっている。いくら大でも長すぎやしないか。便秘にしても限度がある。かなり赤沢は体調が悪そうだった。まさか中で倒れているのだろうか。
不安になったたかしはトイレの前まで行ってドアをノックし、呼びかける。
「おい、赤沢! 大丈夫か?」
反応はない。水が流れる音も、トイレットペーパーを回す音も、衣擦れの音さえ聞こえない。これは本気でまずいかもしれない。たかしはトイレのドアを開けた。
「赤沢!」
「ん……黄山……?」
便座に座って頭を抱えていた赤沢は顔を上げる。赤沢は顔面蒼白で震えていた。
「大丈夫か!? 調子、悪いのか……!?」
便座に座ったまま赤沢は答える。
「いつも……こうなのだ。緊張するとお腹が痛くなって……。受験のときも……」
「そ、そうなのか。済まない。すぐ、出る」
「ま、待て!」
たかしは身を翻そうとするが、赤沢はたかしの上着の裾を握って引き留めた。
「な、何だよ……?」
「一人だと、怖くてたまらないのだ……。一緒にいてくれないか?」
「いや、それはいいけど……」
さすがにどうかと思うが、震えている赤沢を見ると断れない。赤沢は懇願するように言いながら、たかしの体に抱きついてくる。
「何も見ず何も聞かず、何も嗅がないでくれ。頼む……!」
なかなかに難易度の高い要求だ。たかしは目を閉じて両手で耳を塞ぎ、口を大きく開けて鼻呼吸から切り替えた。トイレに侵入するときに、赤沢の露出した下半身の黒い陰りが見えた気がしたが、忘れた方がいいんだろうなぁ。
赤沢はたかしの体に強くしがみつき続ける。視角、聴覚、嗅覚を遮断したたかしの触覚は、かなり鋭敏になっていた。赤沢の体温が、ダイレクトにたかしに伝わる。
赤沢はたかしの体に顔を埋めて、泣いていた。多分、今さらながらに後戻りができないことに気付いて、不安になっているのだろう。特に、銃を撃った赤沢の右手は震えが酷い。たかしのためにここまでやらせてしまった。非常に申し訳ない気持ちになる。
そうしてしばらく泣いてから、赤沢はたかしの体を離した。
「もう……大丈夫だ。済まなかった」
「いや、いい」
便座に座ったまま赤沢は謝り、たかしはそっけなく返す。本当は、嬉しかった。何もないたかしに、赤沢はこんな不安を押し殺して一緒にいてくれるのだ。いよいよ押し潰されそうになったら、たかしを頼ってくれるのだ。柄にもなく、胸がどきどきした。
赤沢は便座でうずくまり、下半身を隠しながら恥ずかしそうに言った。
「悪いが、肩を貸してくれないか? 腰が抜けて、立てないのだ」
「そんなことならお安いご用だ」
たかしは赤沢に手を貸し、立たせてやる。赤沢はぎこちない動作でどうにかパンツをはいた。赤沢は続けてトイレから出ようとするが、足取りがかなり危なっかしい。
「無理すんな。俺に任せろ」
「えっ、おい、黄山!?」
たかしは赤沢をお姫様だっこで抱き上げる。たかしには赤沢がやけに小さく、軽く感じられた。




