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9 ホームのニートは滅法強い

 たかしは赤沢を連れて大学構内を歩く。赤沢は四浪ということでいい歳なので、極めて自然に大学の風景に溶け込んでいた。赤沢の引き籠もりが勇気を出して外に出たような私服も、擦れた大学生っぽく見えなくもない。まさか部外者が侵入しているとは誰も思うまい。


「き、黄山、どこに向かっているんだ?」


 赤沢は不安げにたかしに尋ねる。たかしは思わせぶりに答えをぼかす。


「まあ来いよ。おまえなら喜んでくれるんじゃないかと思うぜ」


 たかしは敷地の奥にある古びた建物へと赤沢を案内する。赤沢は落ち着かないようで、ずっとそわそわしぱなっしだ。


「ヒッ!」


 建物に入ったところで赤沢はいきなり悲鳴を上げて柱の影に隠れる。


「どうしたんだ?」


「し、知り合いがいたような気がして……」


 赤沢は柱の影から周囲の様子を伺う。たかしは苦笑した。


「こんだけ人がいるんだから、知り合いがいてもわかりゃしないさ。行こうぜ」


 たかしは階段を昇っていく。




 最上階の角部屋。そこがたかしの目的地だった。たかしはドアをノックしてから入室する。


「失礼しま~す!」


「おお、黄山君。そういえば今日はゼミの日か。うん? その子は?」


 奥のデスクに掛けたたかしの指導教官、吉田先生がたかしたちを迎えた。


「こいつは赤沢っていって、俺の知り合いです」


「黄山、まさかこの人は……!」


 たかしの背中に隠れておどおどしていた赤沢が目を丸くする。


「俺の指導教官の吉田先生だ。赤沢なら知ってるんじゃないのか?」


「ではやはり、あの日韓共同歴史研究会で有名な……!」


 吉田昌司教授。日本における北朝鮮研究の第一人者として知られる、国際政治学者だ。テレビ出演こそ断っているが、著書は多数で経産新聞や右派政治誌によく記事を書いているため、その筋の人たちの間では有名である。日本語講師として長い在韓経験があり、日韓共同歴史研究会では韓国側をボコボコにやり込めた。赤沢にとっては神様のような人だろう。


「ちょ、ちょうど新刊を買ったところでした……! サ、サインを頂けますか……?」


 赤沢は目を白黒させながら鞄を開けて真新しいハードカバーの本を差し出す。どうやら書店で買ったばかりだったようだ。


「いいよ」


 吉田先生は手慣れた調子でサラサラと中表紙にサインして、赤沢に返した。講義の後にその筋の人にサインを求められることが多いため、実際先生は慣れている。赤沢は感激した様子で本を抱き、お礼を言った。


「あ、ありがとうございます! 我が家の家宝にします!」


 赤沢は感極まって天井を見上げ、ぼぉっとする。吉田先生はたかしに目を移し、尋ねる。


「黄山君、結局この子、何者? 学部生じゃないよね? 講義で見たことないし」


「受験生というか何というか、ハハハ……」


 たかしは笑ってごまかし、吉田先生もそれ以上は追及しなかった。


「まぁ座りなさい。それより黄山君、単位の方はどうだい? 来年こそ卒業できそうかい?」


 吉田先生に促され、たかしと赤沢は手前にある来客用のソファーに腰掛ける。今年のゼミ生はたかし一人だ。院生もいて普段なら生徒二人なのだが、今日は北朝鮮旅行(物好きのためにツアーがある)に行っていないそうだ。吉田先生もソファーの方に移った。


「はい。今のペースなら大丈夫です」


 来年卒業できなければ退学になるので、さすがにそこは計算している。現在たかしは一週間の半分以上が休みであるが、一年のときの貯金があるので単位は足りる。


「ならそろそろ卒論のテーマを決めないとねえ。もうあまり準備期間もないけど、どうする?」


「この間見せてもらった文献、こんな感じにまとめました。これを深めていく方向でやりたいんですけど、どうですか?」


 たかしは作ってきたレジュメを吉田先生に見せ、院生用にもう一部刷っていたものを赤沢にも渡す。吉田先生は煙草をくゆらせながら、たかしのレジュメを読んだ。


「うん、学部生レベルならこれでいいんじゃない。他の先生はいい顔しないだろうけど」


「ありがとうございます! じゃあ他の文献集めてまとめていく方向で行きますね」


 吉田先生にOKをもらい、たかしはホッとする。隣で赤沢は首をかしげていた。


「ソ連体育史と北朝鮮……? 何なのだ、これは?」


「卒論のテーマにしようと思ってな」


 「オリンピックでの活躍などで知られているように、旧ソ連は体育教育に力を入れていた。北朝鮮もその流れが入り込んでおり、今日の北朝鮮マスゲーム等に昇華されていく」という内容をたかしはつらつらと書いていた。日本語文献と少々の英語文献をまとめただけのしょぼい内容であるが、映像資料などを添付すれば勢いでごまかせるだろう。


 吉田先生は赤沢のために解説を加える。


「北朝鮮は『宣伝統治国家』だからね。マスゲームや映画なんかで見えてくるものも多いんだよ」


 冗談のように金正日や金正恩をマンセーする北朝鮮産の動画がネットでも出回っているが、これが国民の洗脳、教化、統制の手段なのだ。その形成過程や現在を分析することは、立派に研究になる。


「なるほど……」


 赤沢はわかったようなわかっていないような顔をした。大学で何をやるか、赤沢はいまいちイメージできていないようなので説明してみたのだが、多少は役に立っただろうか?


「しかし黄山君、君は院にも来るつもりなんだろう? 院でもやるとなると、日本語と英語の文献だけじゃ厳しいぞ。韓国語とロシア語ができないと」


 吉田先生自身、北朝鮮機関紙である労働新聞を読み、出てくるキーワードの増減で北朝鮮の動きを分析したりしていた。やはり原典にあたらないと研究は進まない。


「ハハハ……。何とかがんばってみます……」


 たかしは顔を引きつらせた。卒業したら院に行き、学生の身分のままラノベ作家を目指すというのがたかしの計画だ。学費が多少不安でもあるが、奨学金を借りればいいだろう。割合誰でも貸してくれるらしいし。


「ま、院では別のことをやるという手もあるし、まず君は卒業することだな。君に必要なのは、希望だから。卒業したらうちの研究室に来る。そのつもりでがんばりなさい」


「はい!」


 まず院試に受かる必要もあるが、今は考えないことにしよう。続いて吉田先生は赤沢に目をやった。


「君は受験生といったね。失礼だがそれにしては年齢がいってるような……」


「よ、四浪してますので……。東大を目指しています……」


 赤沢は恐縮しきりといった様子で、たかしに見せる尊大な態度はなりを潜めていた。


「ふ~ん。黄山君とどういう関係なの?」


「き、黄山とは同志というか仲間というか……そういう関係です!」


 赤沢は緊張しているのか顔を真っ赤にしながらそんなことを言う。間違ってはいないが、事情を知らない人にはわけがわからない。


「ああ、なるほど。ネットか何かの友達か」


 吉田先生は赤沢をたかしのネトウヨ仲間か何かだと勘違いしたらしい。それでいいだろう。赤沢は遠慮がちながら話題を振る。


「えっと、今朝の経産新聞、読みました。『韓国民族史観の嘘を切る』、面白かったです。まさか李氏朝鮮が車輪を作れなかったとは……」


「それだけじゃない。針も染料も作れなかったんだよ。李氏朝鮮は驚くほどインカ帝国に似ている……。つまり中世ではなく、古代の停滞を続けていたわけだ……」


 赤沢は借りてきた猫のように大人しく吉田先生の話を聞き、時折話題を振ってそれなりに盛り上がる。


 やがて話題は研究室そのものの話に移っていった。


「うちはオタクを更正するゼミでねえ、黄山君みたいなのが来るんだよ。もう一人の院生なんて北朝鮮のラジオばかり聞いている……。みんな、私が『友達なんていなくて大丈夫だ』っていうと、安心した顔をするんだ。いや、本当に大丈夫なのだよ? 私も友達がいないからね……」


 たかしは苦笑いしながら赤沢とともに先生の話を聞く。


 たかしも、拾われたクチだ。五年前、たかしはこの大学の情報経済学部に入学した。受かりそうな大学の中で一番ランクが高かったのが、この大学の情報経済学部だったのである。受かってからのことなど何も考えてなかった。結果、何の興味もない分野だったので何のやる気も起きず、たかしはあっという間に落ちこぼれた。


 どうにか遅れを取り戻そうと単位を取りやすいという理由で先生の講義に通っていたら、いつの間にか転学部してたかしは先生のゼミに入ることになっていた。一時期ハ○グル板で暴れていたたかしには、国際政治学の方が興味を持てるし囓った程度の知識もある。おかげでこちらの学部でどうにか卒業できそうだ。先生には感謝しても感謝しきれない。


「彼らにコーヒーをいれてもらうと、不思議と全員まずく作るんだ。試しに赤沢さん、いれてみてくれないか?」


「は、はい!」


 吉田先生に頼まれ、赤沢はコーヒーを作る。ちなみにたかしも一度だけ先生にコーヒーを作ったことがあるが、「普通にまずい」と言われ、それ以来やっていない。


 ぎこちない手つきで赤沢はコーヒーをいれた。吉田先生はゆっくりとカップを持ち上げ、コーヒーをすする。


 吉田先生は渋面を作り、一言。


「うむ、実にまずい!」




 その後しばらく雑談して、ゼミは終わった。たかしと赤沢は帰宅するべく並んで大学構内を歩きながら話をする。赤沢が歩きということだったのでたかしは自転車を押し、人のいない裏道を通る。


「黄山、気を遣ってくれてありがとう。楽しい時間だった。サインももらえたし。また本を持ってくるから、吉田先生にサインをもらってくれないか?」


 サイン入り新刊本の入った鞄を大事そうに抱えながら赤沢は微笑んだ。赤沢は他にも吉田先生の著書を持っているらしい。たかしは不覚にもかわいいと思ってしまい、慌てて目を逸らす。


「そ、そうか。喜んでくれて俺も嬉しい。これで昨日の件はチャラだ。勉強がうまくいってないのかもしれないけど、あんまり思い詰めるなよ」


「うん……。八つ当たりしてしまって、済まなかった。本当は東大は絶望的なのだが、諦めきれないのだ……」


 たかしは立ち止まり、赤沢に言った。


「なあ、おまえうちの大学に来いよ」


「え……?」


 赤沢はたかしの隣から一歩進んだところで立ち止まり、振り向いた。たかしは続ける。


「俺の後輩になれよ。うちのゼミに入ればいい。一応、俺も院に行く予定で、あと三年はいるから。東大に比べりゃ大したことない大学だけどさ」


 わざわざたかしに本を預けなくても、自分でサインをもらいに行けばいい。吉田先生はきっと拒まずゼミに入れてくれる。


 赤沢は一瞬、何を言われているのかわからない、といった表情を見せるが、すぐにポロポロと涙をこぼし始める。


「ありがとう。そんなことを言ってくれたのは、黄山が初めてだ」


「お、おう……」


 たかしは慌てるが、赤沢は人目を憚らず泣き続ける。赤沢が本当に喜んでいるのがたかしにもわかった。その上で、赤沢は首を横に振る。


「本当に嬉しい。しかし今の私には使命がある。だから、黄山の後輩にはなれない。本当に申し訳ない。ごめん」


 赤沢は泣きながら笑い、言った。


「私は使命に生きると決めているんだ。靖国で会おう」

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