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僕はみんなに会いに行く  作者: 丘/丘野 優
第2章 月宮七瀬
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第8話 月宮七瀬3

 ――そこにいたのは、匂い立つような色気を放つ、妙齢の女性だった。


 ゴルドーから案内されて、彼の《依頼主》が待っているという馬車のところに辿り着いたのだが、そこで薫が顔を合わせることになったのは、今まで薫が感じたことのないような、蠱惑的な美貌を放つ女性だった。

 絹のような金色の長く美しい髪が大河のように流れ、瞳は淡く濡れて夢見るように儚く、仕草にはひとつひとつ隠された意味が感じられ、吐く息にすら色気が感じられるような。

 家に引きこもり、女性に対する興味や関心などとうに放り投げていた薫にとって、ここまで強烈に体の奥底に眠る情欲を刺激される相手は初めてだった。

 それほどに、その女は美しく、魅力的で、そしてつい手を伸ばさずにはいられないような色気を放っていたのだ。


 しかし、薫はそんな気持ちを会った途端に抱いたことを反省し、表情を取り繕った。

 初対面の女性を、まさかいきなりそんな風に見るなんてあまりにも礼を失した話だ。

 それが分かるくらいには薫には常識がある。


 ただ……ふと、思った。

 初対面?

 いや……どこかで会ったことがあるような気がする、と。

 これほどに印象に残る女性のことを忘れるはずがないのだが、しかし、やはりどこかで……。

 それに、彼女が依頼主だ、というのなら、そう、彼女は薫のクラスメイトであるはずなのだ。

 それ以外に、薫のことを知る人物など、この世界にいるはずがないのだから。

 けれど、やはりこんな女性と面識など……。


 考えが堂々巡りになりそうなところで、女性の方が口を開く。


「……やっぱり、貴方だったのね。薫くん。懐かしいわ……元気だったかしら?」


 そう言った彼女の表情には、言葉通りの懐かしさとやさしさ、なくしたものに対する愛しさのようなものが込められていて、薫は困惑する。

 薫の名前を、彼女は知っていた。

 まだ、ゴルドーにしか名乗っていないし、ゴルドーはまだ彼女にそれを教えていないにも関わらず、である。

 つまり、彼女はやはり薫のクラスメイトのはずなのだ。

 それなのに、全く見覚えがない……。


 唖然としながら絶句する薫に、彼女はふっと笑い、


「……あら? もしかして、私が誰なのか覚えてないの?」


 と尋ねてきたので、薫は何と答えるべきか迷ったが、しかしここで嘘をついても仕方がないだろうと諦めて、正直に、


「……申し訳ないです。貴方のような美しい人に出会ったのは、これが初めてだと。ですが……僕の予想が正しいなら、貴方は僕のクラスメイトのうちの誰か、なのですよね……?」


 今、ゴルドーは少し離れた位置で見張りをしている。

 この会話を聞かれることは無いがゆえの台詞だった。

 彼女は薫の言葉に頷き、


「ええ。もちろんそうよ。この世界に貴方の名前を知っている人間なんて、それしかないじゃない。でも……ふふっ。まさか、貴方に“美しい人”なんて言われるなんて思わなかったわ。お世辞も言えたのね? 向こうにいた時は、もっとぶっきらぼうだったのに……」


 その言い方に、確かに薫のことをよく知っているのは間違いないと確信する。

 なにせ、向こうにいた時、つまりは地球で普通に高校に登校していたとき、薫は女子と話すことなどめったになかった。

 せいぜいが事務連絡くらいで、しかもその会話の内容は突き放すようなものというか、出来る限り接触時間を短くすべく努力したものだった。

 なぜそんな対応だったのかと言えば、下手に女子に関わって、いじめがエスカレートしては困ると思っていたからだ。

 もともと、自分ではコミュ力がないなと思ってはいるが、それは少し自分を卑下し過ぎで、現実には普通の会話能力くらいはある薫である。

 もういじめがどうこうということがない今、思ったことを正直に言えるのだった。


「……向こうにいたときは色々ありましたから」


 そんな、色々な思いを込めた台詞を薫が言うと、彼女はその美しい顔貌を悲痛な、申し訳なさそうな表情にゆがめて言った。


「そう、よね……貴方は。ごめんなさい。私、知っていたのに、何もできなかった……何かしなきゃと思っていたのに、私は……」


 と謝罪の言葉を口にする。

 それは、薫がいじめられていたことについてのものだろうが、彼女が誰なのか分からないので今一、どんな気持ちでそれを聞いたらいいのか分からない薫だった。

 そもそも、こんな世界にやってきて、地球でのいじめが……とか言っているのはもう、くだらない気がした。

 そんな気分になっている薫は、自分のそういった気持ちに気づくと少し驚いた。

 なんだか妙に吹っ切れてしまっているなと、そう思って。

 まぁ、これだけ妙なことに巻き込まれているのだ。

 そもそも、薫は意外と割り切り型なところのある性格をしていた。

 だからこそ、いじめられて金を持って来いと言われれば、そんなことするくらいなら永遠に引きこもることにする、などという一種極端な選択が出来たのだ。

 こうと決めたらやる。それが善いことでも悪いことでも。

 そういうところが、薫にはあった。

 今の薫は、風祭のいっそ理不尽な頼みをやれる限りやってみようかと思っている。

 だからこその、こんな気持ちだった。

 ただ、あの豚頭に追いかけるのはもちろん二度と勘弁願いたいが。

 そう思いながら、薫は女性に言う。


「いや……別に構いませんよ。何も気にしてないというわけじゃないですけど、こんなことになってしまって、正直あっちでのことは小さなことのような気がするというか……」


「そう、なの……? でも……」


「まぁ、仮にそうじゃないとしても、僕は女子のクラスメイトにいじめられた記憶はないですからね。何もしなかったことも罪だとはよく言いますけど、そこまで押し付ける気はないです。だから気にしないでください」


 主に薫のいじめに参加していたのは男子だった。

 男子のうち、少し粋がっているというか、不良じみたことをかっこいいと勘違いしているような者たちの一部が、それをやっていた。

 他は、風祭のようないじめに反対する者、そして傍観者であろうとするもの、完全な無関心、の三種類程度に分かれていたような覚えがある。

 そんな対立構造みたいな空間が嫌になった、というのも学校に通わなくなった原因かもしれない。 

 自分がもとになって、空気が酷く悪くなっている場所になっていたくなかった。

 本当に嫌なら、自分自身で戦って居場所を確保すべきだったと今なら思うが、それこそ今さらである。

 どうしようもないな、と思っていると、彼女は言う。


「……薫くん、何か変わった、わね? それもそうか。あれから五年も経っているのだし、大人になっても当然よね……」


 そう言えば、彼女からすればそうなのだったな、とそこで風祭の発言を思い出す薫。

 けれど、彼女はそうでも薫はそうではない。

 あのときのままだ。

 にも関わらず変わった、というのなら、それは風祭の話を聞き、色々と思うところがあったからだろう。

 完全に吹っ切れた、というわけでもないが、色々と軽くなってはいる。

 責任ももうないし、いっそこの世界でならすぐ死ねるかもしれないという自暴自棄な気持ちもある。

 そういった色々が、薫の今の性格を、つい先日までとは異なるものに映しているのだろう。


「たぶん、誤解がありますが……僕がこっちに来たのは今日です。そしてそれは、向こうでは2年D組の生徒たちが消えて、約一週間後、ということになります。ですから、年齢は17ですよ。貴方はやっぱり、22ですか?」


 その言葉を聞いた時、彼女はおそらく一番驚いたのだろう。

 目を見開いて、


「え、嘘……!? もしかして、向こうとこっちの時間軸って……」


「どうも、向こうでの一週間はこちらでの五年にあたるみたいです。それで、僕はなんだか無理やりこっちに飛ばされて……」


 どこから説明したものか分からず、ざっくりとした説明になったが、薫はそう言った。

 彼女もそれだけではよくわからないような顔をしていたが、とりあえず、薫を保護する必要性を感じたらしい。

 ため息を吐いて、


「……まぁ、ともかく、そういうことなら色々と困っているでしょう。しばらくは、私のところで過ごしたらどうかしら?」


 そう言った。

 これは薫にとって渡りに船で、


「とてもありがたい申し出なのですが……いいのですか? 僕はこれでも男なんですが」


 あまりに美しい女性と一つ屋根の下、みたいな状況だと一応まずいのではないかと言外に匂わせる。

 実際に薫がそんな行動をすることは度胸の面でも腕力の面でもありえないのだが、一応これは言わなければならない。

 しかし、これに女性は笑って、


「私はこっちで五年過ごしてきたのよ。さっきみたいな豚頭……魔物っていうのだけど、あれくらいなら私でも倒せるの。そんな私を、貴方は押し倒せるというの?」


 ……。

 あれを彼女は倒せるのか。

 薫はそう思って驚く。

 薫には絶対にできないと思われるその行為。

 しかし彼女にはそれが出来るらしい。

 ならばまず間違いなく、薫に彼女を押し倒すことなど出来るはずがない。


「……無理です」


「でしょう? 遠慮せずにうちに来なさいな」


「ありがとうございます……あ、あの一つだけ質問が」


「……何かしら? あとで色々と聞きたいのは私もだけど」


「……貴方のお名前は?」


 そう言った時の彼女の顔は、酷く面白そうに歪んでいて、それからしばらくして吹き出し、大笑いした。

 そしてひとしきり笑った後、彼女は、


「ふふふ……冗談だと思っていたのに、まさか、本当に私のことを分かっていなかったなんて。なるほど、それでそんな敬語だったのね? てっきり年が違うから嫌味でやってるんだと思ってたわ……」


 最後の方で若干怖い顔になって言った彼女に少し後ずさった薫だったが、すぐに彼女は笑顔に戻って言った。


「まぁ、とっくに分かっていたと思っていたけど、改めて自己紹介ね。私は貴方のクラスメイト、2年D組月宮七瀬。どう、思い出した?」


 言われて、薫ははっとした。

 月宮七瀬。

 それは、2年D組において最も男子に人気のあった女性であり、いわゆるクラスのマドンナ的な立ち位置にいた人物である。

 今目の前にいる彼女の顔には、確かに月宮七瀬の面影が感じられる……いや、髪の色を黒くし、少し大人びさせ、化粧をすれば彼女になるだろう。

 しかし、ほんの五年に過ぎないとはいえ、朴念仁の薫にとって、この変化はあまりにも落差が激しく、簡単に看破できなかった。


 そんな驚きに満ちている薫の表情に色々と理解がいったらしく、七瀬は、


「やだ、薫くん。私、そんなに厚化粧? やっぱり若い時の自分には勝てないのかしら……」


 などと言って笑った。

 その表情には、先ほどまでの蠱惑的な色気や、きらめくような美貌は感じられず、どちらかと言えば、あの頃のような純粋さと女の子らしさがあり、そこで初めて薫は彼女が月宮七瀬なのだ、と深く納得した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白いです!是非続編描いて欲しいです。
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