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僕はみんなに会いに行く  作者: 丘/丘野 優
第2章 月宮七瀬
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第6話 月宮七瀬1

 異世界。

 剣と魔法の世界。


 まぁ、分かっていた。

 そういう場所であるからには、危険がそれなりに存在する場所なのだろう、ということは。

 しかし、それはただ知っていた、というだけで、本当の意味で分かっていたわけではなかったのだと、薫は今、改めて感じていた。


「ぶしゅるるるるる……」


 荒い息を吐きながら、こちらを見つめている恐ろしげな視線が薫の目の前に、ある。

 視線の主の瞳は、人と似ている。

 目が二つあって、確かにその中には知性の輝きが存在していた。


 けれど、他の部分があまりにも人間とは異なっていた。


 二本足で立っているが、足の先は、蹄がはえている不格好なものだ。

 体の作りは大まかに見れば、人と同じような感じがするが、どうも、ぶつぶつとした肌質をしているし、その腹は妙に出ている。

 顔立ちは、人のもの、というよりかは、豚の頭をそのまま載せたようなものであり、頭の周りには不規則に小さな角のようなものが生えている。

 手には棍棒と思しき物体を握りしめ、腰には布を巻いていることから、猿よりは賢いということが見て取れる……。


 明らかに、地球には存在していない生き物だ。

 怯えながらも、薫は観察し、それから、こいつはまずいと察知して、とりあえず逃げることに決める。


「……いやいやいやいや」


 しかし、ぶつぶつと呟きながら、踵を返して自分とは正反対の方向に唐突に走り出した薫を、その生き物は決して見逃しはしなかった。

 薫が走り出すと、それに続いてその豚頭の二本足は走って追いかけてきたのだ。

 振り返りながらその様子を見てみると、それほど足は速くないようで、すぐに追いつかれるということはなさそうだった。

 けれど、振り切れるほど遅いかと言われると微妙なところである。

 少なくとも、そのためには死ぬ気で逃げなければならないだろう。

 そして、薫はその直感の通り、実行している。


 もし仮に可能なのであれば、対話なども試みたいところだが、薫を追いかけてくるその豚頭の反応は、会話したいから追いかけているという感じではない。

 直感だが、せっかく見つけた獲物が急に逃げ出したのでどうにかして行動不能にしたくて追いかけているような、そんな雰囲気である。


「捕まったら死ぬ、捕まったら死ぬ……」


 地球にいたとき、死にたい死にたいとは思っていたが、こんな死に方はまず、望んでいなかった。

 仮に死ぬとしても、あの豚頭に捕まって食われるなどという結末はごめんである。

 どうにかして逃げ切らなければならなかった。


 幸い、薫にはそのための手段のようなものもないでもない。

 ステータス画面のマップ機能は、薫に逃走のために必要な情報を提供してくれる。

 どこに崖があるか、行き止まりになってしまうか、などの情報はそれによって確認できるから、不案内な森の中でもなんとかなっているのだ。


 このままうまくやれば、何とかなりそうな気がする……。


 そんな希望が見え始めたとき、


「ぷぎぃぃぃ!! ぷぎぃぃぃ!!!!」


 と後ろから鳴き声が聞こえた。

 先ほどまでの声とは若干、雰囲気の違うものだ。

 遠くに聞こえるような声色であり、薫を脅すような感じではない。

 しかし、その声が、どことなく、犬の遠吠えに近いものであるなと感じたとき、薫は恐怖を感じた。


 仲間を呼んでいるのではないか。


 そう、直感したからだ。

 一匹でもこれだけ決死の覚悟で逃げなければならないのに、他に仲間が現れたとしたら……。


 考えるだけで、恐ろしかった。


 しかし、それでも薫に出来ることは、ただひたすらに逃げるしかない。


「くそ……風祭……!!」


 こんなところに送り込んでくれた友人が急に憎くなってくるが、それは言っても仕方がない。

 とにかく、逃げなければ。

 どうにか……。


 そう思って、薫はひたすらに逃げる。

 どこか、安全な場所を求めて。


 ◆◇◆◇◆


 ミゼン王国の西部を貫く街道の一つ、カローナ街道を走る馬車が一台あった。

 あまり装飾もなく、地味な馬車である。

 大きさもそれほどではなく、おそらくは、個人の持ち物であると思われた。

 引いているのは一匹の陸亜竜で、ゆっくりと街道を進んでいた。


「そろそろ、ナイテルに着くぞ」


 陸亜竜を操っている御者が、馬車の中にそう語りかけた。

 馬車の中からは、


「……疲れたわね。別に王都なんかに呼ばなくてもいいのに」


 色気の含まれた、若い女の声が返ってくる。


「あんたが話を受けちまえば、簡単な話だったんだがな。断った以上は、こうなることは分かっていただろう」


「そうね。ま、そもそも受ける必要も理由もないものよ。大体私がなんで……」


 そこまで言ったところで、御者の男の雰囲気が急に変わる。


「ちょっと待て……なんだか森が騒がしいな? これは……」


 と、街道の周囲を囲む森、《黒の森ニゲルシルワ》を警戒するように見つめた。

 男の様子に、馬車の中に入っていた女が外に顔を出して、森を見つめる。


「……確かに、これはおかしいわね」


 女も、森の様子に何か気になるところがあるらしい。

 男は馬車を止め、しばらく森を見つめていたが、直後、


「……うわぁぁぁ!!」


 という声とともに、森から一人の少年が飛び出してきた。

 非常に華奢な、黒目黒髪の少年だった。

 それだけなら、特に不思議なことはない。

 冒険者になりたての若いのが、無理をして森に入り、イノシシなどに追われて逃げて来たのだろうと予想がつくからだ。

 けれど、御者の男は、感じる気配はそんな、イノシシ程度のものではないと考えていた。


 実際、少年が森から出てきた直後、森から少年を追いかけるように現れたのは、


「ぶしゅるるるる……!!!」


 五体の豚鬼オークであった。

 しかも、そのうちの一体は鎧を纏い、剣まで持っている。

 それは、豚鬼騎士オークナイトと呼ばれる高位の魔物で、この辺りの森の浅層では滅多に見かけないものだった。


「こりゃあ、やばいな! お嬢、どうする?」


 男は馬車の中の女にそう、話しかける。

 逃げるか、それともあの少年を助けるか、という意味で尋ねたのだ。

 しかし、お嬢、と呼ばれた女性は男の言葉に応えず、目を見開いて少年を見つめている。


「……嘘。なんで? どうしてこんなところに……!?」


 それは、その女性と短くない付き合いになる男をして、初めて見た表情であった。

 どうしたんだ。

 そう聞きたかったが、それ以上に、現在の状況は逼迫している。

 決断は早くしなければいろいろな意味で手遅れになるのは目に見えていた、だからこそ、男は女性にもう一度言った。


「お嬢! どうする!? 早く決めろ!」


 男の一喝に、女性はやっと正気を取り戻したようだ。

 いつも通りの冷静な表情になって、男に言う。


「……お願い! あの子を助けて! 依頼料は上乗せで払うわ!」


 こういうとき、こんな反応をするのを見たことがなかった男は、その女性の台詞にかなり驚いたが、指示自体は明確である。

 即座に頷き、


「よし、分かった!」


 と返答すると、御者台から飛び降りて、魔物たちのところに向かった。

 背中に大剣を背負っているその男性は、冒険者であり、女性から依頼された護衛任務に就いていた。

 依頼主が依頼料を上乗せする、と言っている以上、それを断る理由は特にない。

 男は、背中から大剣を抜いて、魔物に向けて思い切り走り出した。


 ◆◇◆◇◆


 逃げるごとに増えていく豚頭に、薫はもう、ほとんど死を覚悟していた。

 二、三匹ならまだなんとか逃げることも出来たのかもしれないが、今や豚頭は五匹いる。

 しかもそのうちの一匹は、なんだか鎧を身につけ、剣を持っている騎士のような格好をしているのだ。


 見た目だけの虚仮こけおどしで、他の豚頭と同じような存在に過ぎない、というのならまだどうにかなったと思う。

 けれど、その豚頭騎士が現れると他の豚頭の動きが変わったのだ。

 統率されているというか、薫を追い込むような動きを見せ始めたのである。

 狼のようにそれぞれが逃げ道を塞ぐように動いていて、これは、あの豚頭騎士の指示に基づくものなのだろうなと思わずにはいられなかった。


 薫とて、何度かゲームの類はやったことがあり、あの豚頭たちが魔物と思しきもので、豚頭騎士はそれを統率するような個体であるだろうと言うことはすぐに予測がついた。


 しかし、それが分かったところでどうだというのだろう。

 ゲームでは、必ず主人公の周辺に最初に出てくる魔物は、主人公のしょぼい武器でも簡単に倒せるような雑魚モンスターばかりであるのが普通である。

 あの豚頭、それに豚頭騎士のような、主人公=薫が一撃で死にかねないようなモンスターが出てくるというのはゲームバランス的に考えて、あり得ない。


 まさにムリゲーである。


 これが仮に、ただのゲームであったら薫にもあきらめようがあったし、何度も挑戦すれば勝てる手段が……とか思えたのだが、これは異世界で、現実なのである。

 一度死んだら終わりであると考えるべきだ。

 当然、無謀な挑戦をして死ぬわけにはいかない。

 そうである以上、自分の命をつなぐためには薫はただひたすらに逃げるほかなく、根性を振り絞って逃走を続けているのであった。


 幸い、豚頭騎士は、豚頭と同じく、大して足は速くない。

 ただ、うまいこと逃げ道を塞がれてい疲労を誘われているので、かなり体力を削られている状態にあるというだけだ。

 それに、こんな状況ではあるが、薫にも一応、希望はあった。

 マップをちらりと横目で見てみると、そこには森の終点が表示されているのである。

 森を出れば、なんとかなるかもしれない。

 そう、薫は思っていた。

 というのは、魔物、というのは特定の場所に出現するもので、テリトリー外に出れば襲いかかってこないものかもしれない、という楽観的な予想の故である。

 そうではなく、地獄の底まで追いかけてくるという可能性もあったが、薫に賭けられる可能性はそれだけだった。


「……光が……森の外が見えた……っ!!」


 やっと、終点が見えた。

 希望の光である。

 薫はそこに向かって、思い切り走る。

 そして、森を抜けた。


 抜けたが……。


「ぶしゅるるる……!!!」


 豚頭たちは一切、速度を緩めることはなかった。

 どうやら、賭けには敗北したらしい。

 薫はそれを認識しつつ、もはや出来ることはただひたすらに逃げるだけだと、腹の底から声を出して足に力を入れた。


「うわぁぁぁ!!!」

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