第5話 異世界
「……あれで良かったのですか?」
舟山薫の家の前に警察車両が停車している。
マスコミやじゃじゃ馬もたくさん集まっていて、風祭はその中に紛れ込んで薫の母が警察に涙ながらに説明しているのを見ていた。
風祭の横には非常にうつくしい、けれど、どこか存在感の希薄な女が立っていて、風祭の様子をうかがっている。
風祭は女の質問に答えた。
「よくはねぇ。だが、他にやりようがないっつったのはお前だろう。それに、そのうちあいつは戻れるとも……俺みたいにはならずにだ」
風祭は自分の指先を見る。
人差し指の第一関節から先が欠けていて、断面が灰色に染まっていた。
「あなたの場合はそもそも向こうで無理をし過ぎたのですよ。寿命はもっと大切に使うべきでした。ただこちらと向こうを行き来するだけなら、それほど魂は磨耗しなかったと言うのに」
「別に好きで無理をしたわけじゃないんだがな……まぁ、それはいい。あいつにはちゃんと固有能力は付与されるんだろうな?」
「ええ。あなたが魔王討伐の見返りとして望んだ通りの固有能力が、彼には付与されていますよ。そもそも、あなたがここにいることがその証拠ではありませんか」
「……そうだったな。あのときは朦朧としていたから、記憶が曖昧なんだ。本当かどうか自信が持てない……」
「本当でしたよ。そうでなければ、あなたはこの世にいません」
女の台詞に、風祭は頷かざるを得ない。
本当なら自分は死んでいる。
そのことは風祭自身が一番よくわかっていた。
それから女は、
「さて、そろそろ私は行きますが……他にご要望はありませんね?」
「あぁ。もう、ない。十分だ」
「魔王を倒したのですから、もう少しくらいわがままをお聞きすることが出来ますが……」
女の言葉に風祭は僅かに考えるようなそぶりをしたが、すぐに首を振って答えた。
「いや……これ以上はいい」
「そうですか。まぁ、私たちも楽しませていただきました。お気が変わりましたら、お呼びください」
「呼べと言われても……」
呼ぶつもりはないが、あったとしても、そもそも、風祭はこの女の名前すら知らないのだ。
それに気づいたのか、女はふっと微笑み、
「私の名はレーリアと申します。そのときは、おーいレーリア、でも、出てこいレーリアでも、なんでもいいので。では……」
最後に冗談を言って、女……レーリアは風祭の前から消えた。
管理者、と名乗っていたが、結局正体は何も分からないままなのだろうと思っていた。
けれど、風祭にはその名前に聞き覚えがあった。
「……向こうの、運命の女神の名前だったか」
言われてみると、納得できる名前だった。
彼女のせいで、2年D組の生徒は全員がその運命を狂わされたのだから。
薫については、風祭の勝手で狂わせたとも言えるかも知れないが、そこは昔のよしみということで許してもらうことにしよう。
向こうに転移する直前の表情も悪くなかったし。
あとは、向こうでしっかり生き残って、向こうの記録を撮ってきてくれれば万々歳である。
それまでは薫のご両親に心労をかけることになるだろうが、向こうとこちらは時の流れが違う。
それほど長くない先、帰ってくるはずだ。
そのときは、風祭もすべてを説明しようと思っている。
「それまでは……」
風祭はそう言いながら、踵を返した。
人々の噂する声はうるさく、マスコミのフラッシュは目障りだ。
今日のところは、どこか、落ち着けるところに行こう……。
そう思って。
◆◇◆◇◆
緑の匂いがする。
生木の匂い。
それに、埃っぽいような土の匂いも。
薫は閉じていた瞼をゆっくりと開く。
見えた景色は、案の定、というべきか、深い森の中のものだった。
自分はどうしてこんなところに……。
そう考えると、すぐに思い出す記憶がある。
少し、頭が痛むけれど、記憶は確かだ。
風祭に異世界に送られたのだった、とすぐに思い出せたのだから。
「……それにしても、不親切きわまりないな……」
風祭が悪いのか、それとも他の理由によるものなのか。
それは分からないが、せめて異世界に送るというのなら、人のいるところに送って欲しかった。
これでは、まず自分が生き残れるかどうかから心配しなくてはならない。
まぁ、風祭本人も、自分がかつて送られたのは森の中だった、と語っていたくらいだから、これが普通なのかも知れないが、それにしたって勘弁して欲しいというのが正直な気持ちだった。
生まれてこの方、十七年。
どちらかと言えばインドア派で生きてきた薫である。
それに加えてここ半年近くは引きこもり生活をしていたのだ。
運動能力が高いはずがないし、外に出た途端に風邪を引くくらいのレベルで免疫力が弱っていてもおかしくはない。
それなのに唐突の森である。
ムリゲーにも程があった。
「はぁ……」
途方に暮れたくなって、ため息が無意識に出た。
けれど、何もしないでここで餓死、というのも耐えかねる。
別に地球では積極的に生きたい、みたいな欲求はなかった薫であるが、それでも今日死にたい明日死にたいというタイプではない。
出来る限り死なないように行動しようと言う気持ちはあった。
確認してみれば、体には特に不調は感じられない。
むしろ、不思議と力が湧いてくるくらいで、半年も引きこもっていたとは思えないくらいに調子がいい。
これなら、ある程度、森を歩くことは出来るだろう。
しかし、一体どこに向かえばいいのか……。
そう思って、再度、きょろきょろと周りを観察してみる。
大木が茂る深い森の中、やはり人の気配は感じられない。
空は僅かに木々の間に見える。
青い。
昼間であるということだろう。
しかし、そんなことが分かったところでどうしようもない。
何かないのか……。
それから、改めて考えてみると、風祭の台詞が思い出された。
そう言えば、ステータス画面は薫にも使える、とか言っていなかったか。
伝言を残しておくとも言っていたし、それがこれからの行動の指針になるかもしれない……。
そう思って、薫は誰も人のいない森の中で一人、
「……ステータス……」
と地味に唱えてみた。
あんまり大きな声で言うと森の生き物を呼び寄せてしまうかも知れないと思ってのことだった。
それにもう一つ、非常に中二病的で、恥ずかしいので大声は勘弁して欲しい、というのもあった。
とは言え、反応しなければ改めて大きな声で言うしかないのだが、薫は運が良かったようである。
ステータス、と唱えた直後に薫の目の前に透明な板が現れた。
触れてみると、僅かにさわったような感覚があるが、強く触れると板を貫通したので、実体があるというわけではないのだろう。
いろいろな項目があったが、その中で"個人情報"という欄があり、とりあえずとこをタップしてみると、こう表示された。
◆◆◆◆◆
名前:舟山 薫
種族:人族
スキル:なし
固有能力:*****Lv2
◆◆◆◆◆
簡潔にも程があった。
名前と種族はまぁ、分かる。
スキルなしも、特に取り柄はないのでそうだろうなと言う感じはする。
しかし、おそらくこの世界で生きていくためのよすがとなるだろう固有能力には期待していたのに、読むことができない。
しかもレベルがあって、なぜか2である。
どういうことなのか。
これは、どう考えても今の薫には分からなかった。
何か少しでもいいから情報が得られないかと、試しにいろいろタップしてみたが、名前はタップしても意味がなく、種族については"この世界においてもっとも人口の多い種族"としか表示されず、固有能力に至っては、タップすると、ブー、という音が聞こえた。
詳細はあるのだろうが、今は見れないと言うことかもな、と推測した。
これはもう、今のところは諦めるしかないだろう。
それよりも、薫はこのステータス画面の中で使える機能を何か探さなければ完全に自分は詰むだろうと確信した。
さらに他の欄であるが、風祭の言ったとおり、用語解説とヘルプの欄が設けられていて、触れるといろいろな解説が表示された。
かなり膨大な情報が記載されていて、これは中々簡単に扱えなさそうだな、という感じがしたのでとりあえず、今は置いておくことにする。
また、方角表示と、マップ、アイテムボックス、それからメッセージ、という欄もあり、それぞれタップしてみると、そのままの機能だった。
方角表示は東西南北を、マップは自分を中心とする地図を、アイテムボックスはものを異空間に収納することができるらしく、メッセージはタップするとスマホのメール画面のようなものが表示された。
おそらくは、ステータス画面を持つ者とメールのようなやりとりが出来る機能なのだろう。
そして、今そこには一件、伝言が残されていた。
"風祭圭吾からのメッセージ"
と書かれてある。
薫はあわててそれを開く。
そこには、こう書いてあった。
◆◇◆◇◆
どたばたとそっちに送って悪いな。
大体、町の近くに送れるようにしたんだが、どうだ。
ちゃんと着いたか。
着いてなかったら、悪いな。
まぁ、それでもたぶん何とかなるはずだ。
それと、お前にやった記録の道具のことなんだが、持っていれば自動的に撮影されるから特にスイッチとか入れる必要はないぞ。
あぁ、すごくプライベートな会話とか、状況とか、そういうのは撮らないようになってるから、心配しないでいい。
じゃあ、頑張れ。
薫。
いい旅をな
風祭圭吾
◆◇◆◇◆
なんだこれはと言いたくなる内容だった。
ほとんど、役に立つ情報がない。
道具の使い方の説明で終わりである。
風祭が今、目の前にいたらぶん殴っていることだろう。
それにしても少しくらい役に立つ情報があるかと思っていたのに……。
ただ、メッセージの内容を読む限り、仕方のないことなのかも知れなかった。
風祭は、どうやら薫を人里近くに送ってくれるつもりはあったと読みとれるからだ。
周囲の状況を見れば、その試みが失敗していることは明らかだが、これはもう仕方がない。
あるものだけで、どうにかすると心に決めるしかなかった。
幸い、ステータス画面にはマップと方角表示がある。
これを使えば、森の中で完全に迷子、という感じにはならなそうだ。
マップは自分の周囲から視認できているところまでを自動で地図にしてくれるらしく、これがあれば同じところをぐるぐる回り続けると言うことにはならなそうだ。
問題は、見えていないところ、足を踏み入れていないところは表示されないと言うことだが、そこまで求めるのは贅沢だろう。
「……死なないように、頑張ろうか……」
あまり気合いの入っていない声だが、一応、自分に活を入れたつもりであった。
そして、薫は森を歩き出す。




