第4話 風祭の勝手
残された家族に説明をしてあげたいから。
風祭が語った、異世界からこの地球に戻ってきた目的は、あまりにも善意に溢れていた。
気持ちは、わからないではない。
薫とて、家族に対する親愛の情は存在している。
今、不登校に陥っていて、今後もずっとこのままでいるつもりではいても、そんな自分であることが両親に申し訳ないとか、もっといい息子でありたかったとか、そういう気持ちが毎日湧き上がってくるくらいには、両親を大切に思っている。
けれど、他人となると、また話は変わってくる。
風祭の言う、家族、とは風祭の家族だけを指しているわけではないようだった。
消えた33人全員の家族に説明してやりたいと、風祭はそう言っているのだ。
「……なんで、そんなこと……」
薫が独り言のようにそう言うと、風祭は自嘲するように笑って、
「俺にもな、よくわからねぇよ。でも、そうしたいと思った。急に、な。……こういうことは理屈じゃあねぇだろ? 誰かに、なにかしてやりたいって気持ちはさ」
確かに、それはそうかもしれない。
道で転んで泣いている子供がいたら、手を貸して助け起こしてやりたいと思う。
歩道橋に難儀する重い荷物を持った老人がいたら、荷物を変わりに背負い、また、背中を押して階段を上るのを手伝いたいと思う。
それは、至って普通の感情で、別に何か細かい理屈があるわけではない。
しかし、それでもそれを実行する人間というのはそれほど多くない。
風祭は、その少数に入る人間だったようだ。
まぁ、いじめられている薫を助けようと考える人間である。
そうだとしても不思議ではないかも知れなかった。
「……それで、これから君はみんなの家を一軒一軒訪ねるの?」
風祭が本気で自分の言った目的を達するつもりなら、そういうことになる。
だからこその質問だった。
風祭は、
「あぁ。基本的にはな。ただ、問題があってな。ちょっと考えてみてくれよ、薫。俺みたいなのが急に現れて、あなたの息子さんや娘さんは、異世界に行ってしまいました。残念ですが、きっともう戻ってこれないでしょう。なんて言って信じると思うか?」
言われてみると、そういう問題がある。
薫は風祭の人柄を知っている。
会話の仕方、どういう考え方をするのか、そういうことを知っていて、だから嘘をついていないだろうと理解できる。
けれど、失踪したみんなの親御さんからしてみればどうだろう。
胡散臭い少年が胡散臭い絵空事を語ったところで、はい、そうですかとはどう考えてもならない。
「……まぁ、誰も信じないだろうね」
「だろう?」
風祭は苦笑してそう言った。
だとすると、彼の目的の達成はすでに暗礁に乗り上げかけていることになるが、どう解決するつもりなのか。
薫は気になって尋ねる。
「何か考えはあるの?」
きっとないだろう、と思っての質問だったが、風祭は意外にも、
「……実は、ないでもないんだよ。だから、お前のところに一番最初に訪ねてきたってところもある」
これには、薫も首を傾げた。
風祭の話すべてが本当だとして、薫を訪ねることにどんな意味があるのか。
てっきり薫は、"いなくなった同級生の行方を知りたい人間"の一人として訪ねられたのかと思っていたくらいである。
しかし、風祭はそういうつもりで来たわけではないらしい。
風祭は、続ける。
「向こうで、たくさん不思議なものに触れたって話をしただろう?」
「……そんな話もしていたね」
「その中には、画像とか動画とか、記録を残せる類の道具もあったんだ。こっちで言う、ビデオとかDVDとかみたいな、な」
魔法がある世界だ。
あっても不思議ではない。
「それが、どうかしたの?」
「それを使えば、信じてもらえると思わないか? 向こうにいるクラスメイトたちの姿を記録して、それを見てもらいながら話をするんだ。そうすれば……」
風祭の言わんとしていることを、薫は理解する。
確かに、それは可能だろう。
少なくとも何の証拠もないよりは、信じてもらえる可能性は格段に上がる。
もしかしたらこれはCGだ、とか言う人もいるかもしれないが、完成度の高いCGを作るのには多大なる労力と費用がかかるものだ。
ただの高校生一人に集められるようなものではなく、したがって、その魔法による記録の精度が高ければ高いほど、信じざるを得なくなるだろう。
しかし、それが薫とどんな関係があるのか。
そんなものがあるのなら、風祭が自分で撮ってくればいいだけの話だ。
だから薫は言った。
「……君の言うことはわかるよ。でも、それならさっさと異世界に言って、みんなを撮影してくればいいじゃないか。それに、そもそも、簡単なことじゃないと言うわりに、君は異世界と地球を好きに行き来出来ているみたいだ。いっそ、みんなを連れ帰ってくればそれで済むんじゃないかな」
久しぶりに長文をしゃべった薫である。
なんだか、喉が疲れた気がするくらいだ。
薫が言ったのは、正直な気持ちである。
風祭の話は、全体的にどこかおかしい。
言っている問題すべて、風祭なら解決できそうなのに、する気がないように聞こえるのだ。
だから、薫としてもこんな言い方をせざるを得なかった。
風祭も、そういうことを言われるのはわかっていたのか、
「お前の言うことは、鋭い」
そう言った。
けれど、直後に、
「けれど、そいつは正しくないんだ。俺は言った。異世界と地球を行き来するのは、簡単じゃないってな。俺はな、薫。別に自分の力でこっちにこれた訳じゃないんだ。それに……もう一度向こうに行けるわけでもない」
「それはどういう……」
薫が聞くと、風祭は質問を遮るように言ってきた。
「なぁ、薫。扉を開けてくれねぇか?」
「えっ……」
「もうこんだけ話してるんだ。別に面と向かって会話してもいいだろう?」
確かに、それはそうかもしれない。
けれど、あの扉は薫にとって盾のようなものだ。
あれがあるから、会話できていると言っても過言ではないくらいに。
だから薫は躊躇する。
「……それは……」
けれど、風祭は、
「開けたくないなら、開けなくてもいい。俺は勝手に入るからな」
と、言った。
何をする気なのか、と思った。
瞬間、以前、父が扉を壊して侵入してきたことがあったから、同じことをするつもりなのだろうかと思った。
けれど、そんな気配は感じない。
そうではなく、風祭は別の方法で部屋に入ってきた。
それはつまり、
「……嘘、でしょ……!?」
部屋の扉から、人の足が飛び出てくる。
扉は開いてもいないし、壊れてもいないのに、扉から斜めに人の足、ちょうど膝から先がにゅっと生えてきたのだ。
さらに、次の瞬間には人の上半身が覗いた。
そして、顔が見えて……。
「……おう、薫。やっと顔を合わせられたな」
そう言って笑う、風祭の顔がそこにはあった。
◆◇◆◇◆
それから、風祭はそのまま扉を透過して部屋の中に入ってきてしまった。
こんなやり方は卑怯である。
薫には抗いようがない。
しかし、そんな、ずるい、という気持ち以上に、風祭の話はやっぱりすべて本当だったのかと、そんな驚きが胸の中を一杯にしていた。
信じていないわけではなかった。
けれど、こうして証拠をこれほど派手に見せられては、驚かないわけにはいかない。
それに、気になっていることは、他にもある。
風祭の顔。
それは、確かに薫が学校に通っていた頃、よく見ていたものだ。
けれど、うまくは言えないが、何か変わっているように感じた。
まず、あのころは生やしていなかった無精ひげが生えている。
目には切り傷が刻まれていて、隻眼だ。
さらに表情には不思議な覇気のようなものが感じられる。
体つきも違う。
昔から筋肉質なタイプではあったが、今の彼が纏っている筋肉はまさに鎧のようですらあった。
全体として、男として、一回り大きくなっている。
そんな印象を感じるのだ。
「……その顔は、どうしたの?」
「ん? 目のことか?」
「それ以外にも……なんか、雰囲気が違うから」
薫の言葉に、風祭は笑って、
「そりゃそうだ。今の俺は、22だからな」
「え?」
「この世界じゃ、まだ一週間しか経っていないらしいが……俺は向こうで5年過ごしてる。だから、変わったように見えるんだろう」
それは、いろいろなことに驚いてもう驚くことはないだろうと思っていた薫を、もう一度驚かせるに足る、事実だった。
風祭はそんな薫を無視して、話を続ける。
「まぁ、いろいろあったんだよ。それは置いとくとして……さっきの話の続きだ。俺は、みんなの記録を撮ってきて、みんなの家族に説明したいんだ。だが、俺にはそれは出来ない……その理由が、これだ」
風祭はそう言って、自分の左腕を見せてきた。
なんだろうと思って見てみると、人差し指の先が、おかしな色に変わっている。
灰色なのだ。
壊死している……?
そう思ってさらによく見てみると、突然、ぽとり、と指の先が落ちた。
さらに、落ちた灰色の人差し指は、さらさらと砂になり、そして空気の中に消えていった。
「これは……」
「こっちに来た副作用らしいな。世界を渡るのは普通の人間では厳しいものがあるらしい……俺たちみたいな特殊なのでも、流石に二度も渡ると、こうなるってことみたいだ」
なるほど、だから風祭はもう、向こうに行けないということか。
でも、それが薫に何の関係が……。
そうおもったところで、薫の頭に閃くものがあった。
「……まさか、僕に行ってこいって? それでみんなの記録をとってこいって言うの?」
「その、まさかだ」
「なんで……なんで僕に行かせるのさ。もっと適当な人がいるでしょう!?」
絶対にそんなことはしたくないと、薫は叫ぶようにそう言う。
けれど風祭は無慈悲に首を振って、
「いないんだな、これが……。言ったろ。異世界転移は普通の人間には厳しいってな。地球の普通の人間じゃ、行こうとしたところで途中で消滅してしまう」
「……僕は普通の人間だ」
「ところが、違うんだな。お前は2年D組の生徒だ。お前には大量の魂がすでにくっつけられてるのさ」
「……え?」
「省略はしたが、あの白い空間の女にはいろいろ尋ねたことがあるって言ったろ? その中に、不登校の奴が一人いるけどそいつはどうなるか、ってのもあってな。あの女は答えたよ。すでに魂はくっつけてあるので転移させたいところなのですが、私に許されているのは2年D組の教室にいたものだけを転移させることですので、放置、ということになります、ってな」
「……つまり、どういうこと……?」
「この世界で、お前だけが向こうに行ける。申し訳ないが、そういう訳だ。納得して行ってきてくれ。あぁ、これが例の道具だ。首に下げておくぜ。じゃあ、よろしく頼む。あ、お前にも特殊能力とかステータスは付与されてるってよ。向こう行ってから確認すれば分かるぜ。ついでに何があるか分からないから、用語解説とヘルプはお前にも一応、つけておくようにあのときあの女に頼んでおいた。いや、何が役に立つかわかんねぇもんだな……他にもいろいろ言いたいことはあるんだが……あと三十秒で転移させないとまずいんだ。伝言はステータス画面のメッセージ機能に入れておいたから、適宜確認しておいてくれ。じゃあな、薫」
薫の首に革紐で出来た首飾りを下げながら、まくしたてるようにそう言った風祭は、唐突に薫に向かって手を翳した。
すると、薫の足下に複雑な文様の描かれた魔法陣が描き出され、ぐるぐると回転しながら光り輝き始める。
これは、と思いあわててそこからぬけだそうとした薫だが、体が全く動かない。
顔だけは動いたので風祭を見ると、
「……悪い」
と笑っている。
これはどうやら、はめられたらしい。
思い出してみれば、風祭にはこういうところがあった。
いたずら好きというか、なんというか。
しかし、不思議なことに、薫は呆れながらも、なぜかすっきりした気持ちでいた。
異世界。
そんなところに行って、自分が無事に生きていける気はしないが、地球にいるよりはいいのかもしれない。
それに、どうせそのうち死のうとか考えていたのだ。
これはいい機会をもらったのかもしれないとも。
「……期待はしないで」
自分の体が透明になっていくのを見ながら、薫は風祭にそう言った。
風祭は、
「出来ればでいいさ。俺が、魔王を倒したのと同じだ」
異世界転移というのは……最後の最後にとんでもないことを言わなければならない決まりでもあるのだろうか?
そう思いながら、薫の体は別の世界に運ばれていく。
最後に、耳元で声が聞こえた。
「……あと、ありがとうな、薫」
意味は分からなかったが、風祭が心のそこからそう言っているのが薫には分かった。
だから。
「どういたしまして」
そう言って、薫は、地球上から消滅した。
完全に、跡形もなく。
後日、2年D組は不登校になった生徒も含め、全員が失踪したということで報道はさらに過熱したのだが、薫がそれを知る機会はないのかもしれない。




