第2話 風祭の体験
風祭圭吾。
それは一週間前までの、薫のクラスメイトであり、そしていじめには加わっていなかった側の人間であった。
太い眉と低い身長、そしてそれに似合わない強靱な肉体を持つ、なんというかドワーフのような体型をしている少年だった。
ただ、正確は明るく、誰にでも話しかけ、仲良くする、そういうタイプの人間で、薫も不登校になる前にはよく話した記憶がある。
薫がいじめられていることについても気づいていて、どうにか止めようと尽力もしてくれた、とてもいい奴、なのであった。
しかし、だからといって、今、彼とする会話は薫には別にない。
薫は、たとえ、誰が相手であるにしても、接触を持ちたくないのだ。
それが、外界に存在する誰かである限りは。
だから、扉の向こうから聞こえてくる声にも全く反応せず、無言を貫くつもりだった。
実際、なにやら、久しぶりだとか、元気だったかとか、そんなことを言っても、薫は何一つ、返答することはなかった。
そんな薫にいずれ風祭も飽きて、帰ることだろう。
そう思っていた。
しかし、風祭は、
「……やれやれ。だんまりか。何か言ってくれてもいいのにな……ここ、開けてくれねぇか?」
そう言いながら、がちゃがちゃとノブを回す。
けれど、薫は何も言わない。
普通なら、こんな状態の人間と、会話しようなどとは思わない。
仮に初めはそう思っていても、諦めるのが普通だ。
実際、何度か学校からやってきた教師やカウンセラーは、十五分もすれば諦めて帰って行ったのだから。
けれど、風祭は扉が開かない、薫も返答する気がない、と察すると、そういったかつての訪問者たちの誰とも異なる行動をし始めた。
彼は聞こえてくる音から察するに、どっかりと扉の向こう側に腰掛けると、思い出すような口調で、話し始めたのだ。
「まぁ……何も話したくないなら、それでいいさ。そういうときは、誰にでもあるからな。俺だってあった……だから、ってわけじゃねぇが、俺の話を少し、聞いてくれ。何、別になにか反応する必要なんざ、ねぇよ。ただ聞いてくれりゃあ、それでいいんだ……どうだ?」
どうだもなにも、話したいなら好きに話せばいい。
何を話そうと、薫には返答する気がないのだ。
止めろと言うこともないということに他ならない。
風祭は、薫の無言を肯定と受け取ったようで、語り出す。
その口調は、不思議なことに、ほんの数ヶ月前までの風祭のものとは異なって、どこか重く、暗い色を帯びていた。
後悔とか、悲しみとか、そういうものを感じる、色の失われた声だった。
「……どっから、話せばいいんだろうな。まずは、そうだな、俺たちが消えた原因から、っていうのがいいだろうな? おまえも知りたいだろう、薫」
そう。
風祭たち、かつてのクラスメイトは、現在絶賛失踪中であるはずである。
薫は風祭がこうして現れている時点で、やはり何かトリックがあって失踪したのだと確信していたが、しかしどういう方法であの2年D組の教室を抜け出したのかにはそれなりの興味があった。
無言の薫に、風祭は言う。
「あの日、俺たちは授業を受けていたんだ……国語の授業、日野センの眠たい国語の授業だよ……なんだか懐かしいな……」
本当に心から懐かしそうに。
薫は、不思議と引き込まれていく自分に気づいたが、特に言葉は発しない。
けれど、頭の中にはかつての教室、そしてそこで授業をする教師、日野の眠たげな声と、お昼前の授業をだらだらと聞いている生徒たちの様子がありありと浮かんできた……。
◆◇◆◇◆
「この文章の"それ"、とはこちらの傍線部分を指していると勘違いしがちですが、この文章をよく呼んでみてください。すると、3の選択肢は明らかに間違っていることがわかると思いますが……」
あの当時は、現代文の授業の中、どこかの高名な文筆家の文章を題材にした授業が行われていたよ。
誰の文章だったかな……もう、あんまり覚えちゃいないが、不思議なことに日野センの説明だけは覚えてるよ。
3の選択肢ってなんだったか、ぜんぜん記憶にないけどな。
ま、それはいいか。
麗らかな日差しが校舎の中に差し込んでてさ。
ちょうどよく眠くなる天気だったよ。
三時間目が終われば昼休みだし、腹も減ってたからな。
隣の席が無人なのは寂しかったが、まぁ、そのうち薫の家を尋ねて、学校にもう一度通うように説得しようか、なんて思ってた。
そのときはもちろん、お前を守るつもりでな。
何人か、賛同してくれる奴もいてな。
なんつーか、戦うつもりだった。
そういう奴らやお前や……それにお前をいじめてた奴らが一緒にいたあのクラスは、今思えば青春そのものだったな。
過ぎ去ってみてから初めて気づくってよく言うが、あのころ、間違いなく俺たちは青春の中にいたよ。
もちろん、薫。
お前もな。
そんな日々が、永遠に続いて……それで、いつか卒業して、大学に行って、それから就職して……。
そんな風にどこまでも平凡で、ありがちだが、幸せな日々が俺たちの人生の先には続いてるんだろうなって、壮大なことを考えてたよ。
現代文の時間だったからかな。
妙に詩的になってた記憶がある。
あぁ、そういやぁ、あの授業、もしかしたら現代の詩人かなんかの批評文とかな。
そうだ、そうだ。
……ま、そんなのはどうでもいい話か。
大事なのはそんなことじゃなくて、そう。
授業も後半にさしかかった頃のことだな。
これについては俺も未だに明確に説明は出来ないんだけどな。
体験したことをそのまま話すなら、こうなるだろう。
そのとき俺は、黒板にかかれたことをだらだらとノートに写して書いていたんだが、ふっと気づいた瞬間、別の場所にいたんだ。
……嘘くさいだろ?
俺も嘘くさいと思うわ。
まぁ、誰だってそうだ。
だけどな、本当の話さ。
シャーペン持って、椅子に座った姿勢のまま、どこだかよくわからない真っ白な場所にいてな。
どこだよここ、って思いながら、ゆっくり、背中からこけた。
当たり前だよな。
だって椅子が急になくなったんだぜ。
空気椅子とか事前にいってくれりゃあなんとかある程度は出来ただろうが、突然だからな。
無様にぶっ倒れた。
だけど、怪我はしなかった。
痛くもなかったし、というか、地面が地面っぽくなくて……柔らかいような、固いような、妙な手触りだった。
周囲を見渡してみれば、辺り一面真っ白でな。
地面も天井も地平線の向こうまで、延々真っ白だぜ。
さすがにおかしいと思った。
さっきまで教室にいたはずなのに、他は誰もいなかったし……。
いったい、俺はどうなっちまったんだ?
そう思った瞬間、ポーン、って音が聞こえた。
スマホの呼び出し音みたいっつーか、デジタルな音でな。
びくりとしたぜ。
そして次の瞬間、真っ白な服を着た若い女が目の前に突然現れた。
驚いたぜ。
そこには何もなかったのに。
隠れる場所もどこにもなかった。
それなのに、瞬間的にそこに現れたんだ。
おかしいにもほどがあった。
それはその若い女の方もわかっていたみたいでな。
苦笑して、言うんだ。
「申し訳ないですね。こんなところに突然呼び出したりして。驚いたでしょう?」
この台詞で、あぁ、なんだかわからんが、これはこいつのせいなのかってわかった。
だから俺は聞いた。
「……そりゃあ、驚いたな。当たり前だ。だが、起こってしまったことはもう仕方がない。呼び出したからには何か話したいことがあるんだろう? とりあえず、それを言ってくれねぇか?」
これには、むしろ若い女……めんどくさいな。
女でいいだろ。
女の方が驚いたみたいでな。
目を見開きながら、やっぱり少し苦笑して言った。
「随分と変わった人ですね。貴方のクラスの人たちは、大半がびっくりして泣きわめいたり、早くもとの場所に戻せと言っているようですよ。あなたはそういうことは思わないのですか?」
なるほど、俺のクラスの人間が全員、こんな風に呼び出されているらしい、とそれでわかった。
俺は女の質問に答えたよ。
「大半ってことは、冷静なやつも少なからずいるんだろう?」
「ええ。三分の一くらいですね。十人が非常に冷静に聞いていらっしゃいますよ」
その十人が誰なのか考えてみたが、二、三人しか浮かばなかったな。
まぁ、こういうとき、人がどういう反応するかなんて実際に体験してみないとわからねぇし、俺の予想した二、三人ももしかしたら泣いてるかも知れねぇ。
とりあえず、それは置いておくことにして、俺は改めて尋ねた。
「まぁ、そいつはいい。それよりも、あんたの目的だ。俺に……いや、俺たちになにか用か? 2年D組に」
「ええ、まぁ。端的に申し上げますと、貴方がた、大宮第三高校2年D組の皆さんには、これから別の世界に行っていただこうと思いまして。そのための、ちょっとした説明を私たちが、というわけです」
これには、俺もあんぐりと口を開けるしかなかったぜ。
何を言っているんだ、というのが一つ、それに異世界なんてあるのか、というのが一つ、それに移動が可能なのかというのと、それが可能にしている存在がいるのにも驚いた。
そんな俺の反応に女は満足したようでな、
「やっと驚いていただけたようで何よりですよ。さっきから無反応と申しますか、驚かせ甲斐がなくて……口では驚いたとおっしゃるのに、無表情なのですから。今は、本当に驚いていらっしゃいますね」
「そりゃあ……だって、あんた、異世界だろう? そんなところに行けとか言われて平静でいられる奴がどこにいるんだ」
「そうなんですけど……ここも一応、異世界ではありますからね。呼び出された時点で驚いていて欲しかったのですが」
言われてみると、その通りだ。
だが、なんだか自分の夢か何かのような感じのしてしまう風景でもあったからな。
驚きのタイミングを逸した感じだった。
女は続けたよ。
「まぁ、こんな殺風景なところで驚けと言われても微妙かも知れませんね」
「……分かってるじゃねぇか」
俺は喉から絞り出すようにそう言ったよ。
本当は叫びだしたかったけどな。
それは我慢した。
そもそも、そんなことしても無駄だろうってのがあった。
友好的に接してくれてはいるが、こいつは何かとてつもない技術や力があって、俺をこんなところに呼び出したわけだ。
その時点で、もう泣こうが喚こうがどうしようもねぇんだなって、俺には分かっちまった。
ただ、どうせ異世界なんかに放り込まれるなら、情報なんかは出来るだけ聞いておきたかった。
俺は女を質問責めにしたよ。
「ところで、俺たちは異世界に送り込まれるらしいが、それは何のためにだ?」
答えないかも知れないと思ったが、素直に教えてくれた。
「これはとても複雑な話なので正確に説明するのは今の地球の技術レベルでは不可能なのですが、わかりやすく申し上げますと、現在、地球の存在する世界の魂の許容量がパンクしかけてましてね。このままですと、世界ごと崩壊する可能性があるので、余分な魂を別の、魂の量が希薄な世界へと移したいから、というのが理由になります」
「……魂ってあるのか?」
「現在の地球の技術レベルでは観測は不可能ですが、あるかないかと言われればあります」
「それで、俺たちが異世界に行けば、その、許容量オーバーは解消されると?」
「ええ。厳密に申し上げますと、貴方たちの魂に、余計な魂をものすごくたくさんくっつけて異世界に送る、という感じになります。分かりますか?」
言わんとすることは分からないでもなかったが、なんでそんなことが起こるのかとかは当然よく分からないからな。
納得はできなかった。
だが、
「……イヤだと言っても送るんだよな?」
こう言った俺に、女は眉を寄せながら、でもはっきりと言ったよ。
「ええ。申し訳ないですが、これは決定事項ですから」
「なんで俺たちが選ばれたんだ?」
「ランダムです。30人前後の魂があれば充分でしたから」
これで分かった。
これはもうどうしようもない話だってな
意志を尋ねるつもりもなさそうだし、頷こうが頷かまいが関係ないみたいだしな。
俺は頭を切り替えて、送られる先のことを尋ねたよ。




