7話 努力と才能の、見解の違い
神代ナツは庭の地面に大の字に寝っ転がり、ボイコットをしていた。
「貴様、どういうつもりだ」
ハルバードの眉間はこれでもかというくらいの皺が寄せられている。
普段であればその様子にビビって黙るナツであったが、今回ばかりはそうもいかなかった。
「もう無理です! 魔法は何とかなりますけど、やっぱり物理は普通に痛いですし!」
魔法攻撃に対しては"神"、しかしながら物理攻撃に対しては"紙"耐久力のナツ。
主人であるアキュレスを敵の攻撃から守る為には、物理攻撃をされることに慣れ、それを受けずとも避けながらやりすごすしかない。
ハルバードは手加減しながらもナツに容赦なく蹴りを入れるが、ナツは恐怖で動けず当たってばかりで、避けようとはするものの、その一歩が出ない。
それが悪循環となり、彼女の忍耐力は限界を迎え今に至っている。
「それをどうにかする訓練だろうが」
「だってハルバードさん本気で蹴りに来るから! こわい!」
今回ばかりはナツも必死に抵抗する。
「当たり前だろう。本気でやらないでどう慣れるというんだ? ええ?」
「ううーー……。だって痛いの嫌だし、怖いし……」
ハルバードは心底呆れた表情で大の字に寝て膨れている彼女を見下ろす。
「はぁ、貴様はアキュレスの盾だ。 主をあらゆる攻撃から守るのが仕事だろう」
「そりゃあアキュレスさんの役には立ちたいですけど……」
ぐずぐずしているナツに苛立っているハルバードは、こう言い放った。
「ならばもう貴様に要はない。役立たずはとっとと部屋へ戻れ」
冷たく突き刺さった彼の『役立たず』という言葉に、ナツの中でプツリと何かが切れた。
「な、なんですかそれ!」
彼女はその場から起き上がってハルバードに詰め寄る。
ハルバードはいつもよりも反抗的な彼女なんて気にもくれず、相変わらず眉間に皺を寄せながら見下ろしている。
「私だって、努力してるのに……」
ナツがぽつりとそう言うと、ハルバードは一瞬真顔になり、ゆっくり目を閉じた。
そして、先程よりもナツの顔を鋭く睨みつけた。
「"努力"だと? ああ、人間が好きな言葉だな。それは己を肯定させるための、何とも『狡い言葉』だ。
成功すれば『努力の賜物』、失敗すれば『努力が足りなかっただけ』だと言う。しかし、努力が足りなかったと反省したとして、何度も何度も同じ失敗を繰り返せば、最終的には『あれだけ努力したのだから』と納得して諦める。
目的があるのならば、貴様らのいう努力をすることなんて"当たり前"のことだ。
その言葉に甘えるな。
我々が失敗した先は、我々の死とアキュレスの死。
ひとつ勘違いしている様だから言うが、お前はもう『人間』ではない。アキュレスの『使い魔』だ。
努力という言葉が使えるのは、失敗できる、"次"がある人間だけだ。」
ナツはそう彼に諭され、その通りかもしれないとは思ったものの、ハルバードに突っかかった手前引くに引けなくなって叫んだ。
「ハ、ハルバードさんみたいに、才能があるような人に私の気持ちなんて分かるわけないです!」
しかしその叫びにも、ハルバードはそのままの表情で返す。
「"才能"か。劣る者の、『逃げの言葉』だ。
貴様はその才能がある者が、何の苦労もしていないとでも思っているのか?
そもそも土俵が違うんだ、そんな者と自分を比べようとするな。
その言葉に逃げている暇があるのなら、お前の言う"努力"を黙ってしろ。
私は努力が無意味だ、などというつもりはない。だが、努力をしているからと現状に胡座をかいているのなら、貴様はいずれ必ず死ぬ。
これから行おうとしているのは、中途半端で生き残れるような争いではない。
ただでさえ貴様は攻撃魔法が使えないんだ。
いい加減甘い考えは捨てろ。
もう一度言う。
貴様は人間ではない。
人間の持つ"余裕"など、使い魔の我々には一切ないことを忘れるな」
黙り込むナツに追い打ちをかける様に、ハルバードは言い放った。
「盾になる覚悟がないならば、貴様など"用済み"だ。盾は私が併せて担う」
ナツは目を見開く。その瞳にはじわりと涙が浮かんでいた。
「ひ、ひどい……。私だって、私だって! アキュレスさんの盾になりたいです! でも……」
「でも? でも、何だ。結果的にお前は盾になることを拒んでいるのだろう。そうやって役立たずに時間を割いている暇などこちらにはない」
「だからってそんな言い方……。っ……」
とうとうナツの目を徐々に潤わせていた涙は溢れ、彼女の頬を伝った。
ハルバードの表情は全く変わらない。
「鬱陶しい、泣くなら他所で……」
「ハルバード」
他所でやれと、ハルバードがナツを突き放そうとした瞬間、彼の後ろから静かな怒りを含んだ声が聞こえた。
「何だアキュレス」
「何だじゃない。言い過ぎだ」
「しかし、」
「ハル」
はぁ、と小さくため息をついたハルバードは、黙って屋敷の中へと戻って行った。
うずくまって静かに涙を流すナツにアキュレスは近づき、彼女の前にしゃがんで頭に手をやさしく置いた。
「ごめんね、ナツ。ハルも君を傷つけたくて言ったわけじゃないんだ」
「……」
アキュレスは続ける。
「ハルはね、召喚された時からあの姿で、あの考え方でずっと生きてきたんだ。
召喚したのが私の父親だったからなのかな、考え方が結構ストイックでね。私が物心つく前に父は亡くなっていたから、どんな人だったかはわからないんだけど。
そんな父の代わりにハルがここまで私を育ててくれんだ。やっぱり厳しいんだけど、でも間違ったことを言っているとは思わない。
さっきのハルの言葉も私は概ね同意する」
「……」
「でもね、一つだけ間違ってる事がある。
それは、ナツがもう"人間じゃない"って事。
ナツは人間として生まれ育って、経緯はどうであれ今ここにいるんだよね。
人間は弱い生き物だ。
君を見ていると、別世界で生きていようと人間の本質は同じなんだと思うよ。だから辛い時に弱音を吐くことは当然の事なんだ。
私だってあんな訓練、弱音を吐くに決まってるよ」
ははは、と苦笑いをするアキュレスを見て、ナツは弱々しく口を開いた。
「アキュレスさん……。わたし、ほんとうは、アキュレスさんの、役に、立ちたいのにっ、でもっ、やっぱりこわくてっ……」
嗚咽する彼女に、アキュレスは膝を立て両手を広げた。
「おいで、ナツ」
「あきゅれす、さん……うわぁぁん!!」
抱きついて号泣する彼女の頭を撫で、アキュレスは彼女が落ち着くのを静かに待つのであった。
「……少しは落ち着いたかな? ふふ、可愛い顔が涙でぐちゃぐちゃだ」
「うぅ、ごめんなさい……」
そう言ってナツはアキュレスから離れ、正面に座り直した。
アキュレスの着ていたベストはナツの涙でぐちゃぐちゃに濡れていたが、そんなことは気にも留めず、ハンカチで涙を拭いてやりながら優しく語りかけた。
「ナツ、私は無理に君を盾にしようとは思わない。元々無茶なお願いだとは思っていたんだ、ごめんね」
「……」
ナツはうつむきながら静かに彼の話を聞いている。
「でも、前にも言ったかもしれないけど召喚術には制限があるから、もう新しい盾を召喚することはできない。
だから、盾はハルにやってもらう」
「え……? でもそれじゃあ……」
「君は何も気にしないで、私の所で暮らしていいんだよ」
ナツはパッと顔を上げ、アキュレスの顔を見る。
彼は微笑んでいたが、その顔はいつもよりもどこか悲しげだった。
「アキュレスさん……」
「すこし、近くを散歩してきたらどうかな? 港とかに行って海を見れば、気持ちの整理がつくかもしれない」
「……はい」
ナツは小さく返事をし、立ち上がった。
それに合わせてアキュレスも立ち上がり、ナツの服に付いた土を払ってやった。
「さあ、気分転換しておいで。あ、その前に着替えたほうがいいね。リナシーを呼んでおくから、部屋へ戻りなさい」
「……」
ナツは黙って再びうつむいたまま、屋敷の中へと戻った。
アキュレスはそれを見届けた後、自身のスーツについた土埃を払いながらため息をついた。
「はぁーっ、仲良くなれたと思ったんだけどなぁ……」
そう呟いてゆっくりと自室へと向かって歩き出した。
◇
廊下を歩くハルバードに、キンキンとした声が突き刺さる。
「ちょっとハルバード! 見てたわよ! ナツちゃんにひどいこと言って!」
声の主は勿論リナシーであった。
彼女はハルバードの前に立ちはだかり彼を責めた。
「やかましい、貴様の説教を聞く気はない」
いつもより苛ついた様子の彼は、屋敷に戻ってから既に3本目の煙草をくわえ、火を点けようとしていた。
「まったく……。ナツは大人とはいえ女の子なのよ? もうちょっとやさしく……」
「説教を聞く気はないと言ったはずだ。他に用は?」
「な、ないけど……」
「ならばそれ以上話すことはない。私は忙しい」
そう言ってハルバードはリナシーを避け、廊下を進んでいった。
リナシーは彼の背中を見て黙り込んだ。
すると、ふよふよと彼女の使い魔であるメイドが近づき、主人が自分の事を探しているとの知らせを聞かされ、踵を返した。
「さ、これできれいになったわね」
「……ありがとうございます、リナシーさん」
ナツは新しい服に着替えた後、乱れた髪をリナシーに整えてもらっていた。
相変わらず俯いてしょんぼりとしている彼女に、リナシーはどうしていいかわからず、努めて明るく言った。
「気にすることないわよ、ナツちゃん! ハルバードには後できっちりとお灸を据えておくから! さぁ、行きましょう」
リナシーに促され、出口へと向かうナツ。玄関口でやっと顔を上げ、リナシーにお礼を言った。
「いってきます」
無理をしているようなはにかんだ顔に、リナシーは心を痛めながらも彼女を見送った。
◇
街に出たナツは、アキュレスの言った通り港に向かっていた。
その足取りは心なしか重い。
ハルバードに言われた言葉が頭の中をぐるぐると回り、彼女の目がまたも潤む。
この顔を誰にも見られたくないと思い人通りの少ない道を通ると、波止場がある公園へと到着した。昼間であるにもかかわらず、周りには誰もいない。
ナツは柵に寄りかかり、目の前に広がる青色の海をぼーっと見つめた。
確かに自分は盾の覚悟も資格もないのかもしれない。
しかし、そんな言い方はないんじゃないか。
たとえ事実だったとしても、もうちょっと気を使ってくれてもいいんじゃないか。
そう思った彼女は、己の自分勝手さと幼稚さにも憤りを感じた。
しばらくその場でじっとしていると、ナツの背後から突然低い声がした。
「こんなところで何をしているのですか、可愛い御嬢さん」
ナツはハッとしてすぐに後ろを振り返った。
そこにいたのは、黒のストライプスーツに黒いシャツ、赤いネクタイをした男性が、ナツの2メートルほど後ろに立っていた。
オールバックの髪型に銀縁のメガネは、知的な、そして無機質な印象を与える。
にこやかな顔で『可愛い御嬢さん』などと男性に言われたら、普段ならばナツは照れながら笑っていたであろう。
しかし、今はそれよりも何故か恐怖の方が勝っていた。
不穏な風が彼女の髪を揺らす。
(全く足音がなかった、気配もなかった……)
そんな彼女の恐怖心を見透かしたように、男性は優しい声で続ける。
「ああ、驚かせてしまいましたね。申し訳ございません。
私は『オーチェンバルグ地方』の領主である『メルドン男爵』の矛、『カルマ』と申します。以後、お見知りおきを」
カルマと名乗る男は、丁寧にお辞儀をした。ナツはその様子に少しだけ緊張がほぐれたが、次の彼の言葉でまたも硬直した。
「お会いできて光栄ですよ、"ナツ様"」
何故この世界に来てまだ数日しか経っていない自分の名前を知っているのか?
ナツはアキュレスからまだエイデン邸にいる者以外の人物の話は一切聞いていない。もし、アキュレスがメルドン男爵にナツのことを話しているのならば、彼女にもその事を伝えるはずである。
ナツの頭の中で警鐘が鳴り響く。
わかりやすく表情を変える彼女を面白がるかのように、カルマは続けた。
「ああ、私が貴女様を存じ上げていることに驚いているのですね。実はエイデン侯爵から我が主に連絡がございまして」
「れん、らく……?」
「はい。あなた様が傷心なされているので、気分転換に我が地方に連れて行って欲しいと」
「え?」
ナツはそんなことはありえないとはっきりと思った。
なぜなら、アキュレスは『港に行ってみるといい』と彼女に提案をし、そして彼女が聞いた限りでは、ここシュロネー地方以外に"海はない"からである。
「うそ、ですよね……?」
「はい、嘘です」
あまりにもあっさりと嘘を認めたカルマに、ナツは言葉を失った。
カルマは顎に手を当て、少し困ったように言った。
「ふむ、やはり傷心しているとはいえ簡単にはゆきませんねぇ。では端的に言いましょう。私と一緒に行きましょう、御嬢さん」
「え、困りま……」
「ああ、貴女様の返答は必要としていません」
彼がそう言ったと同時に、ナツの意識は途絶えた。
「おや……この催眠スプレーは効いてくれましたね」
カルマは笑みを浮かべながら、くたりとした小さな身体を抱きかかえ、公園脇に停めてある黒の高級車に彼女を乗せた。
再び静寂に包まれた波止場公園には、可愛らしい片方の靴がまるでシンデレラのガラスの靴のように、ぽつんと置き去りにされていた。