6話 そして時には昔の話を
ーー44年前、エイデン邸
「完璧だ」
当時のシュロネー地方の領主で、アキュレスの父親である『クリフォード・エイデン侯爵』は、齢18にして召喚術に成功した。
禍々しい魔法陣が描かれているその中心には、一人の青年が跪いている。
「こんにちは、はじめまして」
クリフォードが優しく話しかけた。
男はゆっくりと顔を上げ、その紅い瞳はクリフォードを真っ直ぐに見つめている。
「はじめまして、エイデン侯爵」
「君は今日から僕の使い魔だ。名前は、そうだな……。ハルバードにしよう! "矛"っていう意味だよ」
「仰せのままに、我が主」
クリフォード・エイデンという男は実に優秀な人物で、魔力はとても高く、人望は厚く容姿端麗、完璧な男だと評判であった。
そんな彼が召喚した使い魔が優秀でないわけがない。
しかし、クリフォードの唯一の欠点は、その内なる性格の悪さであった。
「あーあ、この書類作んのめんどくさいなぁ。そうだ、『バグリー公爵』におしつけちゃお!」
この国では、通常侯爵よりも公爵の方が立場は上である。
しかし、彼にはそのようなことはまったくもって関係ない。
「お、お主、それは私が公爵と知っての物言いか!?」
「ええ、わかってて言っています。どうか、よろしくお願いいたしますよ。"優秀な"公爵どーのっ!」
まだあどけなさの残る顔つきだが、もはやその笑顔は邪悪としか言いようがない。
「……し、仕方あるまい。今回だけだぞ!」
「ありがとうございます! いやー、さすが公爵殿はちがいますなぁー!」
ぐぬぬ、というバグリー公爵のくぐもった声を聞きながら、ハルバードは思った。
(ふむ、これが交渉術というものか)
見た目こそは変わらないものの、召喚した当時はまだ"素直"だったハルバードの性格がひん曲がってしまった一番の原因は、もちろんクリフォードにあることは間違いないだろう。
そんなクリフォードは25歳の時、幼馴染であった同い年の『マリア・サルティナ』と結婚し、彼らが30歳の時にアキュレスを授かった。
かわいい息子の前では、腹黒いクリフォードもただの親ばかと化していた。
「ああー俺にそっくり! 世界一かわいい!」
ベビーベッドの中で目をぱちくりとしているアキュレスを見て、クリフォードは自分の息子を褒めちぎっていた。
「朝からうるさいぞ、クリフォード」
「ハル! だってみてごらん!? ほら、笑ったよ! ねえ!」
その表情は緩みきっている。
「やかましい! とっとと円卓会議に行く準備をしろ。遅れるぞ」
「ちぇーっ、じゃあいってくるね! アキュレス!」
早く行けと言わんばかりに、ハルバードは彼を睨む。するとクリフォードは部屋を出る直前に立ち止まり、振り向かず静かに言った。
「あ、ハル」
「……何だ」
この時ハルバードはクリフォードの顔は見えていなかったが、とても嫌な予感がしていた。
「赤子の前で、煙草はよくないんじゃあないかな?」
ギギギ、と振り返ったクリフォードの顔は、まるで悪魔の様であった。
さすがのハルバードもそんな主には逆らえない。
「……すぐに消そう」
「よろしい。じゃ、あとは頼んだよー!!」
クリフォードが出ていった部屋の扉から、今度は彼の妻であるマリアが、苦笑いをしながら入ってきた。
「まったく、あの人ったらバタバタと……」
「もう少し落ち着いてほしいものだ。してマリア、体調の程はいかがかな」
「ええ、今日は調子がいいのよハルバード。お茶、入れてもらえるかしら」
「了解した」
そうハルバードが返事をすると、彼女は近くの椅子に腰かけた。
マリア・エイデンは当時の流行病に侵されていた。決して治ることのない不治の病。
しかし、クリフォードはハルバードに手伝ってもらいながらも、必死に彼女の病を治そうと日々研究をしていた。
「ふふ、ほんとうにあの人にそっくりね、この子は。すこし寂しいわ」
横にある小さなベッドの中で、未だ目をぱちくりとしているアキュレスの頬を、彼女は優しく撫でながら言った。
「性格は君に似ることを願おう。ほら、どうぞ冷めないうちに」
ハルバードは淹れた紅茶をマリアの前のテーブルに置き、自身も対面の椅子に腰かけた。
二人の間にゆったりとした時間が流れる。
「ありがとう。ねえ、ハルバード」
「何かな」
「私がもしいなくなったら、あの人とアキュレスをよろしくね」
にこりと笑う彼女をハルバードは鋭く睨んだ。
「……それを言うのは、30年早いぞマリア」
「ふふ、優しいのねハルバード。でもね、私予感がするの。とても嫌な予感」
「予感?」
ハルバードは顔を顰める。
「ええ、近いうちに私はこの子の前から消えてしまう気がするの。それは病のせいではないわ。もっと別の、恐ろしいこと」
「よせマリア。予感などというものは、ただの空想にすぎない」
ハルバードは目を瞑り、彼女の話を遮った。
「……そうね。ごめんなさい、天気が悪いせいか気が滅入っちゃってるのかしらね」
マリアは窓の外の雨を見ながら、困ったような顔で笑った。
「貴女は何も不安がることはない。それを飲んだらゆっくり休め」
「そうするわね、ありがとうハルバード」
そう言ってマリアが出て言った部屋の扉を、ハルバードは何かを考えながらじっと見つめていた。
そしてその3年後、マリア・エイデンは、夫であるクリフォードと共に、何者かに殺害された。
◇
――さん、……ドさん……
「ハルバードさん!」
追憶をたどっていたハルバードは、急に自分の腕の中から呼ばれているのに気づきその声の主を見る。
そこにはまだ酔いがさめてないであろうナツが、彼の顔を心配そうに見つめていた。
ハルバードは咄嗟に手を放す。
絨毯が敷かれた廊下に彼女は落とされ、ドタッと鈍い音がした。
「ぎゃあ! 痛い! なにするんですかぁ……」
彼が下を見ると、ナツが尻をさすりながら涙目で睨んでいた。
「やかましい、起きたなら自分で部屋まで戻れ。私はもう寝る」
「あ、ちょっと! ハルバードさん!?」
ハルバードは踵を返し、自室へと戻って行った。
「なんだったんだろう……」
ナツの見たハルバードの表情は、どこか哀しげな様子だった。
宴会の次の日、ナツが目覚めたのはまたもや床の上であった。
「うぅ……。痛いです、ハルバードさん……」
案の定二日酔いの彼女はとても辛そうに起き上がった。ガンガンとしている頭を押さえ、唸っている。
「いつまで寝ているんだこの愚図、訓練を始めるからとっとと着替えて庭へ出ろ」
そう言ってハルバードはさっさとナツの部屋を出て、庭へと向かった。
昨日の少し優しく見えた彼はまるで幻想だったかのように、相変わらずナツに対してひどい扱いである。
しかしもうそんな彼に慣れてしまったナツは、渋々支度を済ませて急いで庭へと向かった。
これから、『恩人であるアキュレスさんの為に、頑張って盾になるぞ!』と意気込んだ彼女の、壮絶たる訓練が始まる。
そして、それは早くも2日後に崩壊することとなった。
次回は、短い閑話(無駄話)集になります。
台本のようなレイアウトになりますので、苦手な方はご注意下さい。
また、読まなくても本編には影響ありません。ちょっとした、ナツとハルバードの会話集です。
よろしくお願い致します。