5話 なんてったって、私は大人
「ただいまですー! はぁー、疲れたぁ……」
「とっとと入れ、邪魔だ」
「いたっ! レディーファーストだと思ったら違った!」
「お前が淑女とは、笑わせるな」
「ひどい!」
「おかえりなさい、ふたりとも!」
リナシーが漫才をしているナツ達を出迎え、二人に夕ご飯の準備がちょうどできた事を伝えると、そのまま食堂へと案内する。
食堂に入るや否や、アキュレスがにこにこしながらナツに話しかけた。
「おかえり! ナツ、どうだった? シュロネーの街巡りは」
「ただいまです、アキュレスさん! 街巡りはとても楽しかったんですけど、めちゃくちゃ疲れました……」
へへへ、と笑うナツにアキュレスはそうだよねー……と苦笑いをしている。
「あの程度で疲れるなど、体力がなさすぎる」
「そんなこと言われてたって、あれは広すぎますよ! それにハルバードさん足速いし!」
長い時間一緒にいて慣れたのか、ナツはハルバードに対して先ほどの漫才と同様、軽口を叩けるようになっていた。そんな彼女にも、ハルバードは相変わらずの対応である。
「ついてこれない貴様が悪い」
「な、なんですとー!」
そんな二人の様子に、アキュレスは楽しそうに言った。
「あはは! 随分と仲良くなれたみたいだね」
二人は同時に彼を睨んで声を重ねた。
「何か言ったか、エイデン侯爵」
「冗談はやめてくださいよ、エイデン侯爵」
息ぴったりなナツとハルバードを見て、アキュレスはとうとう爆笑した。
そして、二人はいい矛と盾コンビになりそうだと安堵したのであった。
「さー、乾杯しましょう!」
リナシーが酒やグラスを持ってきて机に置いて乾杯の準備をする。
そこでナツはふとした疑問をなんとなく口にした。
「あれ、これで全員ですか?」
広い食堂には、ナツ、アキュレス、ハルバード、リナシーの4人しかいない。
ナツの疑問にアキュレスが答えた。
「うん、そうだよ。もともとこの人数しか住んでないからね」
「え、でもリナシーさんはメイド長なんですよね? ということはもっとたくさん人がいるのかと……」
リナシーはふふっと笑ってナツに向かって言った。
「そうよ、私はメイド長だけど、他のメイドは私の小さな使い魔達なの。だから実質メイド長といってもこの屋敷にいるメイドは私一人なのよね」
彼女はそう言うと、ナツの目の前で使い魔の小さなメイドを魔法で出してみせた。
「わあ! かわいい!」
「ひと仕事を終えたら消えちゃうような、簡易的な使い魔なんだけどね」
ふよふよと浮いているミニメイドに、ナツはメロメロな様子だ。
「さ、じゃあ乾杯しようか。ナツはお酒まだ飲めないだろうから、ジュースで良いよね?」
アキュレスのこの発言を皮切りに、後に晩さん会は恐ろしいものに変貌することとなる。
「え?」
ナツはきょとんとした表情でにこにこしているアキュレスを見た。
「一応この国では"18歳以上の大人"しかお酒飲めないんだよね」
「え? あの……」
「ちゃんとナツちゃん用のオレンジジュースも持ってきてるわよー」
「えっと……」
「フッ、お子様にはそれがお似合いだな」
「……」
黙り込んで俯いたナツに、どうしたの?とリナシーが声を掛けようとした瞬間、ナツがバッと立ち上がり叫んだ。
「わたしは、二十歳です!!!」
時が止まった。三人は瞬時に思考を巡らせる。
『はたち』
『はた』は『20』を意味し、『ち』は助数詞である。つまり、この国においてナツはとっくに成人していることになる。
まさか、いやナツがまさかそんな、というような視線が三方向から彼女に突き刺さる。
恥ずかしいやらなんやらで、ナツの顔は真っ赤に染まりぷるぷると震え、涙目になっている。
あのハルバードでさえ固まっている始末である。
そんな空気の中、アキュレスが慌ててナツに駆け寄り弁解をした。
「ご、ごめんナツ! ナツがあまりにも可愛かったからつい15、6歳くらいかと思って……」
その笑顔には汗が滝のように流れている。
リナシーも、ぷんすかと怒る彼女に必死になってフォローを入れる。
「そ、そうよナツちゃん! 女は若く見られる方がいいのよ! ほら、じゃあお酒一緒に飲みましょう、ね?」
ぷくーっと頬を膨らまして拗ねるナツは、自ら子供っぽいしぐさをしているなどとは気がつかず、『お酒なんか余裕で飲めます! 下さい!』と、豪語した。
実際のところナツが二十歳になったのは、元の世界で事故が起こるほんの数か月前の出来事で、彼女はほとんど酒を嗜んだことはなかった。飲んだことがあるのは、せいぜいアルコールの量が3度程度のものである。
しかし、もはやそんなことは彼女には関係なかった。
リナシーが急いでナツのワイングラスを用意し、白ワインを注いだ。アルコール度数は12度のミディアムボディである。
無論、ナツにとって人生初のワインだ。グラスに注がれたキラキラと輝く白ワインが、この時はとても美味しそうに見えた。
始まる前からグダグダになりながらもやっとのことで準備が整い、気をとりなおしてアキュレスは乾杯の音頭をとった。
「じゃあ改めて……。ナツ! エイデン邸へようこそ! この出会いを祝して、乾杯!」
乾杯!という声と、グラスの鳴る音が食堂に響く。
先程まで膨れていたナツはアキュレスの言葉に感動し、初の白ワインを口にした。
(うぅ、チューハイみたいに甘くなくておいしくない……。なんかアルコールもキツい気がする。でも、これがお酒ってやつだよね!)
「おいしいです!」
(……明らかに顔を顰めたなこいつ)
ハルバードにはお見通しである。
ナツは一口飲んでグラスを置き、テーブルに並ぶ豪華な料理たちを眺めた。
サラダやオードブル、パスタやチーズなど、ナツの世界で言えばフレンチとイタリアンをベースとした料理がずらりと並んでおり、彼女は涎を垂らし目を輝かせた。
おいしそうな料理を見てすぐに機嫌を直した現金な彼女に、顔を綻ばせながらリナシーは言った。
「さあナツちゃん、いっぱい食べてね!」
「はいっ!」
ナツはにこにこしながら料理を次々に頬張るのであった。
「あー、よかった機嫌直ったみたいで……」
その傍ら、アキュレスはほっとした様子で小さく呟いた。
「もはやあれが成人している女性など、まったくもって信じられない」
ナツの向かいの席でワインを静かに飲むハルバードは、彼女の食いっぷりに呆れかえっていた。
このまま晩さん会は平和に終わるかと誰もが思っていたが、その1時間後に悲劇は開幕した。
◇
「もっとわいんもってきてください!」
「え、ええ……。でもしばらく休んだ方が……」
「いいえ! わたしはまだのめます! お、と、な! ですから!」
顔を真っ赤にしてへべれけになりながら酒をあおっているのは、まぎれもなく神代ナツである。
だんだんと酔ってきた彼女は、開放的になったのか溜まっていた鬱憤をアキュレスにぶつけだした。
「それでですねっ、わたしはぁ、まぼろしのぉ、にくまんをぉ、たべられなかったんです!」
「そ、そうだったんだ……それは残念だったね」
先程子ども扱いしてしまった負い目もあってか、アキュレスは彼女の愚痴にとことん付き合うことに決めていた。
そんな中、リナシーはナツちゃん可愛い!とカメラのシャッターを絶え間なく切っていた。
ハルバードはもはや全員にドン引きである。
しかし、彼もまたナツの話を聞いてやろうと仕方なくそこに居座っていた。
「それできがついたら、しんでることになってて、しゅごしんっておじいさん? が、わたしをここにおくるとかいって……」
今までの経緯を話していたナツの表情がだんだんと暗くなってゆき、とうとう俯き黙ってしまった。その様子に、アキュレスは心配そうにしている。
そしてポツリとナツが呟いた。
「わたし、もうおかあさんやおとうさんにも、あえないのかなぁ……」
ふえぇと子供のように泣き出してしまったナツ。
いままで忘れかけていた現実を思い出し、これからの生活に漠然とした不安を感じた彼女の涙は、どんどんと溢れ出てきて止まらない。
リナシーは慌てて彼女の涙をぬぐいに向かう。
「ナツちゃん、大丈夫よ。私たちがいるわ」
アキュレスは黙り込み、俯いて肩を震わせている。
そんな彼をハルバードがどうしたのかと見ていると、アキュレスは急に立ち上がり、ナツをぎゅっと抱きしめた。
「ナツ……! 今日から私の事をお父さんだと思っていいから! 私もナツの事を娘だと思うからね!!」
「うぅっ……アキュレ……おとおさぁん! えーん!」
ナツもアキュレスを抱き返す。
「ナツ!」
「おとうさん!」
そんなドラマのワンシーンのような彼らの様子を見て、リナシーも負けじと参戦した。
「ずるいですわ御主人様! 私もナツちゃんのお姉さんになりますわ!」
「りなしーおねえちゃん!」
「ああ! なんてかわいいのナツちゃん!」
もはやこのくだらない茶番じみた光景は、ハルバード、否、読者にとっての悲劇である。
「……」
ハルバードは早くこの場から立ち去りたいと心底思っていた。
しかし主人の手前食堂を勝手に出るわけにはいかず、彼はただ静かに灰皿の吸殻を増やしてゆくのであった。
◇
宴もたけなわ、ハルバードが煙草を5本ほど消費した後、事態は収拾した。
ナツは騒ぎ疲れ寝てしまったため、この場はおひらきとなったのだ。リナシーは彼女の使い魔と共に食卓を片付けている。
そして、本日めでたく父性を爆発させたアキュレスがハルバードに向かって言った。
「じゃあハル、この子をベッドまで運んであげてね」
何処か吹っ切れた様子のアキュレスに思わず殴りたくなったハルバードだが、すやすやと寝ているナツを見てため息をつきながら彼女を抱きかかえた。
もし彼女が起きていたのなら、お姫様抱っこをされていることに赤面するであろう。
食堂を出る前に、ハルバードはアキュレスをちらりと見て言った。
「甘やかすのも大概にしろよ、アキュレス」
「わかってるよ、でも前の世界で亡くなったとか聞いちゃうとね……。守ってあげなきゃってなっちゃうよ」
「……ほどほどにしろよ」
「ふふ、わかってる。じゃあおやすみ、ハル」
「ああ、おやすみ」
夜は更け、窓の外からは綺麗な星空が見える。ハルバードはナツを部屋へと運んでいた。
ときおり彼の腕の中で、むー……と唸る彼女は、とてもじゃないが成人女性には見えない。
「私も、堕ちたものだな……」
ハルバードは目を閉じ、自嘲の笑みを浮かべ、小さく呟いた。