43話 負ける勇気、生きる勇気
暫しの静寂が包み込む。しかし、それを断ち切ったのは子爵であった。
「ここまで、だな……。
降参だ!」
「えっ!?」
「シェゾリア……?」
「……」
(何を企んでいる?)
子爵の『降参』の言葉に、三人は困惑している。彼の性格上、それは考えられないことであった。
そんなアキュレス達の思考を読み取ったかのように、子爵は自嘲の笑みを浮かべながらこう言った。
「ああ、なんも企んでないよ。見てごらん、ハンプティ・ダンプティを」
三人が二体を見ると、それらは一切の動きを止めている。ピクリとも動かない。
子爵がパチンと指を鳴らす。
すると、ハンプティダンプティがその場に崩れ落ちた。
「なっ!?」
ナツは目を見開いてその様を見ている。
しかし、ハルバードとアキュレスは地面に落ちているものを見て、崩れ落ちた理由を理解した。
「仮面、か……」
アキュレスがそう呟くと、子爵が正解!と叫び、目を瞑りながら急に歌い始めた。
Humpty Dumpty sat on a wall.(ハンプティダンプティ 壁に座っていたら)
Humpty Dumpty had a great fall.(ハンプティダンプティ 勢いよく落っこちた)
All the king's horses, And all the king's men,(王様の家来や馬でも)
Couldn't put Humpty together again.(ハンプティー 元に戻せない)
「……ハンプティダンプティの本体は『仮面』なんだ。それが完全に割れた今、もう誰にも元には戻せない。僕にもね」
崩れ落ちたハンプティダンプティは、まるで人形のように動かない。
アキュレス達は黙ってそれを見ている。子爵は彼らに近づき両手を広げ、小さく笑いながら話し始めた。
「ホント、名前通りの脆い使い魔だ。皮肉だよねー。結局のところ、僕はまだ未熟だったんだ。ちゃんとした使い魔さえ出せない。
だから降参だ。僕の事、殺してくれるよね?」
彼の願いに、ナツは大きく目を見開いた。
「えっ? どうし、て……」
「んー? ナツねえはやっぱり甘いねー。これは命を賭けた王位継承権争いなんだよ? 『勝者は生き残り、敗者は死ぬ』。
当たり前じゃない?」
その言葉にナツは俯いて黙り込んでしまう。確かにそうかもしれないが、必ずどちらかが死ななければいけないとは考えてはいなかった。降参と言ったならば、それで終わりじゃないのかと、単純にそう思っていた。
さあ、と子爵が彼自身を殺すように催促する。するとアキュレスが目を閉じ、静かにこう言った。
「殺さないよ」
「……は?」
アキュレスの言葉に真顔になる子爵。そして彼は、怒りに満ちた表情でアキュレスを責め立てた。
「なにそれ。慈悲のつもりなの? ふざけないでよ!
僕は負けたの。あんたに、アキュレス・エイデンに! だから死ななくちゃいけないの。それとも、殺す価値もないって言いたいわけ?
……それなら、自分で死ぬしかないよね」
そう言って彼は拳銃を自らの頭に充てた。ナツはやめて!と叫ぶ。しかし、恐怖で足が動かない。
パァンッ……
けたたましい銃声が響きわたり、その後すぐに怒号が聞こえた。
「何するの……ハルにい!」
発砲直前に、子爵の腕をハルバードが掴み、銃口をそらしたのである。そして、ハルバードは静かに彼を諌めるような声で言った。
「これが、我が主の『選択』だからだ」
「……だからって、放せよ! 僕を死なせてよ……僕は、」
「シェゾリア」
その続きを、アキュレスもまた怒気を含んだ声で遮った。
まっすぐと子爵を見るその目は、怒りに揺れている。
「あのねえ、シェゾリア。酔ってるのもいい加減にしてよ」
「なん、だって……?」
「敗者は死ななくてはいけないって。これ、王が決めたの? 違うでしょ?
失格っていう選択肢があるんだ。必ず敗者は死ななくてはいけない、なんてルールはない。
君は君の美学を貫きたいだけでしょ、シェゾリア。『強い者が生き残り、弱い者は死んでゆく』って。私はそうは思わない。
私はねえ、君が"死に逃げようとしている"としか思えないよ。敗者だって敗者なりの"生き方"ってものがあるでしょ。敗者はいつまでも敗者ではないんだよ? 負けたらそこで終わりだ、なんてことはない。
いい加減にしろ、シェゾリア・ホルン。自分の命を、粗末にするな」
三人は目を大きく見開いてアキュレスを見た。いつも温厚な彼がこんなに怒りに満ちた様を見るのは、ハルバードでさえ初めてである。
子爵はハッとした。
彼は今まで弱肉強食の世界で生き延びて来た。そういう生き方しかしてこなかったのである。故に、今回の王位継承権争いもその例外ではないと当たり前のように思っていた。
「敗者なりの、生き方……?」
子爵はそんなことは考えたこともなかった。伯爵に投げつけたあの言葉こそ、正義だと思っていた。
自分は死に逃げようとしていたのか、もはや考えが追いつかない。自分の全てを否定されたかのような感覚に陥った。
茫然自失とする彼に、アキュレスは優しく、諭すように声色を変えた。
「そうだよ、シェゾリア。君は潔く降参した。それはとても勇気のあることで、なかなか出来ることではない。だからね、もう少し勇気を持ってほしいな。
『生きる勇気』を」
「……!」
子爵は暫く俯いて黙り込んでいたが、覚悟を決めたような顔で、アキュレスをしっかりと見ながらこう言った。
「わかったよ、アキュレスにい。ごめん。
僕酔ってたね、自分に。もう、死ぬなんて言わない」
彼の決意に、皆が安堵した。
「子爵……」
「……」
「良い子だね、シェゾリア」
それを見て、シェゾリア・ホルンは年相応な笑顔を見せた。
「ありがとう、みんなっ!」
すぐさま届いた電報には、『ホルン子爵 失格』の文字があった。
彼は、この争いが終われば子爵の地位は失われることだろう。しかし、子爵の顔は希望に満ち溢れたものであった。
「よかったぁ……」
「そうだね。これから人生長いんだから、ね? シェゾリア」
「うん。頑張るよ、僕!」
「せめてちゃんとした使い魔くらいは召喚できるようにならねばな」
「もぉ~相変わらず厳しいなぁ、ハルにいは!」
空には、まるで彼の未来を明るく照らすような朝日が、ゆっくりと昇り始めていたのであった。
残り。公爵、侯爵。




