39話 純情な乙女心
『ヴァルナリオ伯爵 脱落』
争いを再開して早々、悲劇は起こってしまった。これでもう残るはバグリー公爵夫人、エイデン侯爵、ホルン子爵の三人となる。
「伯爵が……」
ナツの脳裏には、円卓会議での伯爵とその幼い使い魔達の姿が写る。しかし、すぐに頭を振って打ち消した。
(だめだ、深く考えたら……)
アキュレスは俯いた彼女を見て、気を使ってか、すぐに話題を変えた。他の二人もそれに続く。
「これでまた三日間は停止だね」
「そうだな。準備期間が増えたと思えばいい」
「そうそう、ゆっくり休も! あ、ナッちゃん今日デートしない?」
フユーデルの提案にナツは顔を上げるが、それはアキュレスによって即座に却下される。その声はどこか冷たい。
「駄目。次の争い停止期間になったら、フユーデルは地主さんたちの所へ、私と一緒に挨拶回りする約束だったでしょ」
「……そうだった」
もし争い停止になった場合、アキュレスは日ごろ世話になっているシュロネー地方の地主たちに、新しくエイデン邸に迎え入れたフユーデルの紹介をしようと決めていたのである。
彼はなるべく早めに連れて行きたかったが、幸か不幸か、それはすぐに叶ってしまった。
「じゃあ二人とも、留守番よろしくね。今日はゆっくり休んでていいから! ほら、早く準備してフユーデル」
「へーい……。ナッちゃん、デートはまた今度ね」
「早く」
「はーい……」
『いってきます』と彼らが家を出ると、エイデン邸の中は一気に静かになる。
ハルバードとナツはとりあえず居間へと移動し、二人でテレビを見始めた。そこには男女が口論をしている場面が映っている。
『君には僕しかいらないよね。だからもう他の男なんて見る必要なんて、ないよね? そうでしょ!』
『や、やめて! 私、あなたのことなんか……』
(……朝ドラってこっちの世界でもあるんだ……)
今まで、訓練やお使いなどでゆっくりとテレビを見る時間がなかったせいか、ナツはどの世界もさほど内容に差はないのだと、今まさに知ったのであった。
しかし思ったよりも内容が重く、彼女は気まずい思いをしていた。お茶の間が冷える、とはこのことである。
ちらりとハルバードの方を見ると、彼は全く興味なさそうにそれを眺めている。
ふと、ナツは気が付いた。今、この屋敷にはハルバードと『ふたりきり』だということを。
そう考えると、なんだか急に恥ずかしくなってきてしまう。
(ハ、ハルバードさんと、ふたり、きりっ……!)
「ナツ」
「ひゃいっ!」
そんな事を考えていたせいか、急に彼の声を聞いてナツは飛び上がった。
ハルバードは、なんだこいつという目で彼女を見ながら、こう問いかける。
「お前、こういった男が好きなのか?」
まさかハルバードがそんなことを言い出すとは思わず、ナツは目を見開いた。もしかしたら自分の好みを知りたいと思ってくれたのか!という僅かな期待を持ち、その真意を問う。
「えっ? ま、まあ嫌いではないですけど。な、なんでですか……?」
すると、ハルバードはソファーに置かれた女性用の雑誌を手に取り、パラパラと捲りながら少し不機嫌そうな声でこう言った。
「フユーデルに『もっと女心を知れ』と言われ、強制的にこれを読まされた。
で、お前が以前言っていた『ツンデレ』だの『ヤンデレ』だのが流行だと書いてあったが、このつまらないドラマの男が所謂ヤンデレというものなのだろう?
……お前、こんなのの何が良いんだ?」
彼は呆れたような目でナツを見ている。
ナツは、ヤンデレはともかくツンデレとはまさにハルバード自身の事だというのに、本当に自覚が無いのか……と驚いた。
しかしそれを言うと後が怖いので、取り敢えずその質問にだけ適当に答える。
「い、いやあ。私ヤンデレとかはよくわかんないですけど……まあ自分をここまで愛してくれるのは良いことなんじゃないんですかね~……? 私は良いと思いますよ、ヤンデレ!」
それを聞いて、ハルバードは顎に手を当て少しの間考える仕草をすると、急に立ち上がってナツの目の前に来た。その顔は真剣そのものである。
「な、なんですか……あ。もう私にからかいは通じませんよ! 学習したんですからねっ!」
彼女が冷汗をかきながら得意げに言うも、ハルバードは全く表情を変えない。
(ん……? なんかいつもと違う?)
するとハルバードは、濁りきった瞳でナツを見ながらこう言いだした。
「何故私と話すときはいつもどこか怯えている? アキュレスやフユーデルとは愉しそうに話すのに、何故?
お前の相棒は私だろう、ナツ。私以外には何もいらないはずだ。二人の手前我慢をしてきたが、もう限界だ。
こんなにも、私はお前の事を考えているというのに……。
そうだ。変わらないのであれば、いっそのこと……この手で、お前を……」
「ハ、ハルバード……さんっ……?」
彼女の細い首に手を掛けようと迫り来るハルバードに、ナツは恐怖し固まる。
あまりの怖さに、目に涙が滲んだ。しかしその手は首には触れず、急にピタリと止まった。
「泣くほど嫌なら、軽々しく『良い』とか言うな。馬鹿が」
ハルバードはパッと元の状態に戻り、ナツの横にドカッと座り直した。
ナツは怖かったやら安心したやらで、涙目のままハルバードをポカポカと叩く。
「も、もうっ! なにするんですか! 怖かったんですからね!! はるばーどさんのばかぁっ! うそつきぃぃぃ!」
黙ってそれを軽く手で受け止めながら、ハルバードはしれっとドラマの続きを見始めた。
すると突然、リンゴーンというベルが二回鳴り響いた。
ナツはそれを聞き急いで玄関に行こうと立ち上がるが、ハルバードがそれを制する。
「はぁ、そんな顔で客人の前に出るつもりか? 待っていろ」
「ふぇ? あ、ありがとうございます……?」
一体誰のせいだと思っているのかとナツは少しイラッとしたが、ここは素直にお礼を言った。
ハルバードは居間を出る前に振り返り、意地悪な、だけど少しだけ切なそうな顔をしながらナツを見た。
「先程の言葉が本当だったら、お前はどうする?」
彼は一方的にそう言うと、すぐに玄関へと向かって行った。
残されたナツの顔は、ボフンッ!と赤く爆発する。
(ず、ずるいっ! ハルバードさんのばかばか! やっぱりかっこいい! すき!)
恋とはまさに盲目なのである。
ハルバードが玄関のドアを開けると、そこにはこれまた彼に恋したアリッサが立っていた。
先日のお礼に、ヤコブが美味いワインを彼女に持たせたという。
それをにこやかに受け取り、このまま帰ってもらうのも申し訳ないと、彼女を中へと迎え入れた。
ハルバードはアリッサを応接間に通し、しばらくお待ちくださいと居間へ戻り、未だ惚けているナツに声をかける。
「ナツ、客が来たから茶を出せ。応接間だ」
「えっ、は、はい!」
ナツは急いで厨房へと向かい、お茶汲みの用意を始めたのであった。
ハルバードはすぐにアリッサの元へ戻り、彼女の対面に腰かけ、微笑む。その顔に彼女は赤面した。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。遠かったでしょう?」
「い、いえ。職場がポースリアですから、さほどは……」
アリッサは先日、ハルバードの事を諦められたと自分では思っていたが、やはり彼の事を思い出すたびにその気持ちは大きく揺らぐ。
道中、例え大切な人がいたとしてももしかしたら……と悶々とし、そして自分の浅ましさに苛立ちもした。
しかし色々考えていたところで、目の前にしてしまえばもう、そんな苦悶はすぐに取っ払われてしまった。
好きだという気持ちは、誰にも止めることはできない。
「そうだったのですか、お仕事は何を?」
そんなアリッサを意に介せず、ハルバードは"お仕事モード"で彼女と話す。少し寂しい気もしたが、アリッサもまたにこやかに返した。
「父と同じ教師です。まだ努めて一年のひよっこですが」
「それは素晴らしいですね。きっとお父様と同じように立派な教師になられるのでしょうね」
「い、いえ! わたしはまだまだ……」
アリッサが照れ笑いをしていると、コンコンコンと扉がノックされ、ナツがお茶を持って部屋に入ってきた。
「失礼しまぁ~す……。お茶お持ちしました」
アリッサはちょこんとしているナツを見て、何だハルバードの相棒は"子供"じゃないかと安堵した。
これなら私にもまだチャンスがあるのではないかと、希望を持ち始める。
(きれいな人だなぁ……うう、私もあんな感じになれればなぁ)
一方ナツは自信を失いかけていたが、うかうかはしていられない為、急いでアリッサにお茶を出しながら挨拶をした。
「こんにちは、どうぞ」
「ありがとう、私はアリッサ・ボルトン。ええっと、あなたは?」
「私はナツです。エイデン侯爵の使い魔です。アリッサさん、よろしくお願いします!」
ペコリ、とお辞儀をする彼女を見て、アリッサは自分の教え子達の事を思い出す。
あくまでもナツを子供としか見ていないが、恐らくこの国の大人なら大抵はそう思うだろう。
「ええ、よろしく。この子がハルバードさんの相棒ですか?」
「はい、まだ未熟者ですがね」
(な、なにさ! そのさわやかな笑顔……! 私にそんな顔したことないじゃん!)
ナツはアリッサの『この子』という発言よりも、ハルバードの態度の方が気に障ったのであった。
ハルバードはお茶出し後も居座るナツに、目で『早く出ていけ』と訴える。
それにも少し苛立ちはしたものの、客人の手前、ナツは冷静に『失礼します』と部屋から出て行った。
パタリと扉が閉まると、ナツはそのままドアに耳を当て、彼らの会話を盗み聞きし始めた。二人の様子が、どうしても気になって仕方がない。
「ふふ、可愛らしい使い魔さんですね」
「只の子供みたいなものですがね」
談笑する彼らにムッとしたが、引き続き静かに聞き耳を立てた。
しばらく他愛のない話をしていると、突然アリッサが意を決したようにあの!と大きな声で言った。
ハルバードは少し驚くが、黙ってその続きを促す。
ナツもどうしたのかとより一層耳を扉に押し付けた。しかし大きかった声は、急に自信を無くしたような小さなものに変わってしまい、内容がよく聞き取れない。
「私と、……ってくれませんか?」
「……ええ、もちろんです」
「!?」
ナツは聞こえてきた言葉を頭の中で補足した。
アリッサは今『私と、付き合ってくれませんか?』と言い、そしてハルバードはそれに対し『ええ、もちろんです』と答えたのだと。
まさかこんなにもあっさりと自分のいないところで失恋してしまうなど、彼女は思ってもみなかった。
涙が止まらない。ナツはぎゅっと目を瞑り、自分の部屋へと走り出した。
荒々しく自室のドアを開け、ベッドへとダイブする。抱きついた枕がじんわりと濡れていった。
「うっ……ぐずっ……」
(伝えられないまま終わっちゃった……。こんなことなら聞かなきゃよかった。でも、いつか知るんだよね……)
本来なら、好きな人が幸せになることは、自分にとっても幸せなことだと思っていた。しかし、それを受け入れられるほど彼女はまだ大人ではなかったのである。
「いやだよぉ……。わたしだって、すきなのにぃ、うぅっ……」
ひとしきり泣いた後、ナツは疲れたのかそのまま眠ってしまった。
「では私はこれで」
「ええ、お気をつけて」
「はい、これから宜しくお願いします!」
アリッサはお辞儀をし、エイデン邸から帰って行った。歓喜に満ち溢れた顔をしながら。




