4話 街なかにハプニングは付き物
「ふぁ、ふぁんたじー!!」
間の抜けた声で子供の様に街を見回すナツ。その横には心底面倒くさそうに煙草を吹かすハルバード。
異色のコンビは、街の人々の目を引き付けていた。
「おい、あまりはしゃぐな。目立って仕方がない」
「す、すみません」
そうは言ったものの、あたりには魔法がそこらじゅうに溢れてキラキラとしている。
ナツは怒られてもなお、その緩んだ表情は変わらなかった。
二人がいる場所はシュロネー地方で一番栄えている街、『ポースリア』であった。この国で唯一港があるこの街には、他の地方にはない活気が溢れている。
この日も港の近くでは市場が開催され、多くの人がその日の朝獲れた新鮮な魚や野菜を買うために集まっていた。
しかしそんな明るい街の雰囲気とは対照的な二人の間の空気に、ナツは気を使って何かしゃべらなきゃと思い、ふとした疑問をハルバードに投げかけた。
二人の身長差は約35センチメートル。ハルバードの脇の下にナツがすっぽりと収まってしまうほどの差であるせいか、ナツが横にいる彼の顔を見るときには首をめいっぱい上げなければならない。
その様子はさながら親子のようだ。
「あの、ハルバードさん……」
「何だ」
(あ、ちゃんと答えてくれるんだ)
「ハルバードさんは、昔からこの街にいるんですか?」
案内を任されているのだから当たり前だろ、何言ってんだこいつ。というような目でハルバードはナツを呆れたようにチラリと見ると、しぶしぶ説明をする。
「ああ。私は先代のエイデン侯爵に召喚された使い魔だ。この街は長い」
「へー、そうなんですか。賑やかなところですね!」
「私はうるさいのは好きではない」
「そ、そうですよね……」
ぶっきらぼうに返事をするハルバードに、ナツはあはは……と苦笑いをする。またも先程の空気に逆戻りしてしまった。
そんな中、ふとナツは独り言を呟いた。
「なんかベネツィアみたいなとこだなー……」
その言葉にハルバードが反応した。
「『ベネツィア』とは、お前が元いた世界の地名か?」
「えっ? ああ! いや、私がいた場所は『日本』って名前の所なんですけど、ベネツィアは別の国の名前です!」
まさか独り言に反応されるとは思ってもいなかったナツは、ハルバードの問いに驚きながらも答えた。
するとハルバードはそうか、と言った後、誰に言うわけでもなく静かにこう続けた。
「似ているということは、どこの世界でも人間が考えることは、案外同じなのかもしれないな」
「え、それってどういう……」
ナツがその言葉の意味を聞こうとした瞬間、街の明るい雰囲気を切り裂くような女性の悲鳴が聞こえた。
「キャー!! 強盗よ!! 誰か捕まえて!!」
賑やかだった街の声は一気に不安のものに変わる。
ハルバードの表情は険しくなり、ナツは心配そうに叫び声のする方を見た。
「ご、強盗……? あ! あの黒い帽子の奴! てかめっちゃ早い!」
声がした宝石店の通りでは、全身黒に身を包んだいわばありきたりな格好の泥棒が、通常の人間ではありえないほどの速さで逃げて行くのが見えた。
「あいつは風を操っている」
「か、風!? あ、もう見えなくなっちゃった!!」
焦るナツをよそにハルバードは少し考えるしぐさをした後、男が去った方向へと歩き出した。
「ゆくぞナツ、仕事だ」
「えっ、仕事?」
状況を理解しないまま、ナツはスタスタと歩き出したハルバードに付いて行った。
港から少し離れた山の奥で、ある男が下品な笑いを響かせていた。
「はーはーはー! なんだよちょろいじゃねぇかポースリアの街はよぉ! サツも何も追いかけて来やしない」
店から盗んだ輝く宝石たちが、キラキラと男の手の上で光っている。
「これで兄貴も喜んで……」
「くれるわけがなかろう、この屑が」
「何っ!?」
男は、ここにいるのは完全に一人だと思い込んでいた。
彼は心底驚いた様子で、後ろの木に寄りかかる男を見る。それは森の中であるのにも関わらず、煙草を優雅に吹かしているハルバードであった。
男は即座に宝石を懐に仕舞い、体制を整える。
「何を驚いている。ご自慢の速さで撒けなかったのがそんなに意外か?」
「お前、何もんだ? 俺の速さについてこれるやつなんざぁ……」
「いないとでも思ったか。ずいぶんと自信家な奴だな」
ハルバードはにやりと笑い、寄りかかっていた木から離れ男と対峙する。
一定の距離を保ちながらも、ハルバードの放つプレッシャーに男は冷汗を流すが、彼もまたにやりと笑う。
「どんな魔法を使ったか知らねぇが、ここがどこだか解ってんのか兄ちゃんよぉ!」
男がそう叫ぶと、周りの木々が風もないのにざわざわと揺れ始め、地面に落ちた葉が宙に浮き始める。
それを見るとハルバードは、罪を裁こうとしている者とは思えない程の邪悪な笑みを、より一層深めた。
「切り裂かれて死ねぇぇ!」
ハルバードに向かって鋭い風や木の葉、枝がものすごい勢いで襲い掛かってくる。
しかしハルバードはそれを避けようともせずに、ただただ笑っている。
その表情に泥棒の男は不気味さを感じながらも、攻撃の手は止めない。
煙草の火が風に触れ消えた瞬間、ハルバードは叫んだ。
「受け止めろ!」
「は、はいっ!!」
すると、ハルバードの後ろの木からナツが素早く彼の前に立ちふさがった。
◇
事の数分前、ナツとハルバードは泥棒の逃げた先に早足で向かいながら、こんなやり取りをしていた。
「あの、どこへ向かっているんですか?」
「泥棒の逃げた先に決まってるだろう、間抜けが」
ナツを見る目は、相変わらず冷たい。しかし、ナツも負けじと反論する。
「そ、それはわかってますけど! どこに行ったかわかるんですか?」
ハルバードは答えない。
(え、無視?)
するとハルバードは煙草の煙を吐き、彼の右手の人差し指から伸びる糸のようなものをナツに見せた。
「追尾魔法だ。先程奴にかけた」
キラキラと光る糸のようなものに、ナツは驚きを隠せない。
「すごい! というかいつの間に……。でもそれなら安心ですね! 警察に言いに行きましょう」
確か警察署がさっきありましたよね、とそこへ向かおうとしたナツの頭を、ハルバードが上からガシッと鷲掴みにした。
「いだっ!」
「もう連絡済だ。我々は奴を足止めする」
もう仕事は済んだかと思っていたナツは、戸惑いの声を上げた。
「えっ」
「何だ、まさかこれでもうおしまい。などど思っていたのか?」
ギギギ、と彼女の頭を自身の方へと向けてハルバードは低い声で言った。
彼の瞳は赤く光り、表情は見えない。
ナツは冷汗を流し、引きつった笑みを浮かべながら弁解を試みた。
「ま、まさかぁー! いきましょう、ハルバードさん! さっさと泥棒を退治しちゃいましょう! ね!」
ハルバードはその言葉にパッと彼女の頭にあった手を放し、今度はにやりと笑った。
「そうだな、おいたが過ぎる若造には灸を据えてやらねばならない」
ハルバードのあまりにも邪悪な笑みに、ナツの顔はさらにひきつる。
(泥棒さん、ご愁傷様です……)
「そこでだ、ナツ」
「は、はい!」
「貴様は木の陰にでも隠れていろ」
「……えっ!!」
ナツは目を見開いてハルバードの顔を見た。
女であるナツを危険な目に合せることなんてできない。
可愛い顔に傷がついたら大変だからな。
お前は安全なところで待っていろ。
まさかそんな気遣い(妄想)をしてもらえるだなんて微塵も思っていなかったナツの顔は、先程とは打って変わり感極まっていた。
(なんだ、ハルバードさんもなんだかんだ言って紳士的じゃないか!)
ひとり盛り上がっているナツを、ハルバードはなんだこいつ、というような目で見た後こう続けた。
「私が奴と対峙し、相手が魔法を打ってきたら私の前に出て魔法を受け止めろ」
その言葉を聞いて、ナツのにやけ顔が真顔にかわった。
「……え? 私が、ですか?」
(表情がコロコロと変わる奴だな)
「貴様以外に誰がいるんだ、貴様は"盾"だろうが」
「は、はい……。期待した私がバカでした……」
目に見えてしょんぼりとしたナツを見て、ハルバードは面倒くさそうにそっぽを向いて言った。
「……心配するな。貴様に魔法攻撃は一切効かない。
貴様が悠長に寝ている間に何度も試したから確実だ、保障しよう」
フォローされているのだかされていないのだかはよく分らなかったが、ナツはその言葉に安心し、受ける決意をした。
「ほ、本当ですね? なら、腹括ります!」
「ああ。では急ぐぞ」
「はい!」
追尾の糸は市場を抜け、街のはずれまで来ていた。
それは山の入り口へと続き、二人は薄暗い山道に足を踏み入れたのであった。
◇
ナツは言われた通り、相手の魔法攻撃を受けるために立ちはだかった。
「はっ! そんな小っちゃい嬢ちゃんに俺の攻撃が……何っ!?」
目をぎゅっと瞑っていたナツは、ハルバードに炎を当てられそうになった時と同様、一向に何の衝撃も来ないため、ゆっくりと目を開ける。
すると、あろうことか男が放った魔法はナツの体に集中し、そして彼女には当たることなくキラキラと消滅していた。
ナツはその光景を見てとても驚き、その美しさに感動していた。
「わぁー! き、きれい!」
「何だあのガキ……! 魔法が一切当たってない、だと? くそっ! これなら……!」
泥棒が更なる魔法で追撃をしようと構えると、その耳元で悪魔が囁いた。
「ずいぶんと"楽しそう"だな、屑野郎」
「!!!」
即座によけようとした泥棒だが、ハルバードは遊びは終わりだといわんばかりに、そのの背中に回し蹴りを決めた。
「ぐはぁっ!」
泥棒は真後ろにいたハルバードに蹴られ、ハルバードとナツの間に横たわった。
ぐっ、とくぐもった声を発し、痛みに耐えている。
ハルバードがやれやれといった様子で泥棒を捕縛しようと近づき、男の腕をつかもうとした瞬間、ハルバードの目の前からその姿が即座に消えた。
「!!」
気が付けば泥棒はナツの方へ向かっていた。
その手には刃物を持っている。
ナツはあまりに急な出来事に反応できないでいた。
「えっ、何……?」
「どけやクソガキィ!」
泥棒が刃物を振り上げナツに襲い掛かった。
「ひっ!!!」
ナツはまた目をぎゅっと瞑り、縮こまった。確かに魔法攻撃は効かなかったが、ナイフとなれば話は別である。
今度こそ痛みが来るのかと諦めかけたその時、悲鳴が上がった。
「ぎゃあっ!」
ナツがその声にすぐさま目を開けると、ハルバードが刃物を持つ泥棒の腕を捻りあげているのが目に入った。
「余計なマネをしやがって、クソが」
ハルバードは盛大な舌打ちをして男を気絶させ、魔法で生成した縄でその体を縛り上げた。
パンッと手を叩き一仕事終えた様子のハルバードを呆然と見ていたナツは、あることに気が付いた。
「ハルバードさん、ほっぺたの傷!」
ハルバードの頬には刃物で切り付けられた傷があり、そこからは血がツツ、と流れている。
ハルバードはその傷を確かめ、
「ああ、この程度……」
問題ないと言おうとしたが、ナツが彼に駆け寄り血が出ている個所にハンカチを優しく当てた。
「ごめんなさい。私をかばった、せいで……」
目に涙を浮かべ見上げるナツに、ハルバードは目を少し見開き、彼女の頭に手をポンと置いた。
「お前のせいではない、それにこんな傷すぐに治る」
ナツは今までとは考えられない程優しいハルバードの声に驚いた。
ハルバードは自分の頬の傷をハンカチで抑えるナツの手をそっと剥がし、傷があった個所を見せる。
血を流していた頬は、何事もなかったかのように元に戻っていた。
「あれ、傷は……」
「すぐに治ると言っただろう」
「そっかぁ、よかったぁ……」
へらりと笑うナツに、ハルバードは彼女の頭に乗せていた手をわしゃわしゃと動かした。
「わぁっ!」
「まずは他人の心配より自分の心配をするんだな、小娘。
……さて、警察も着いたようだ。ゆくぞナツ、まだ本日の任務は完了していない」
到着した警察官に泥棒を引き渡し、さっさと山を下りてゆくハルバードに、ナツはまってくださぁい!と間の抜けた声で追いかけていった。
シュロネー地方には、ポースリアのほかに、3つの街が存在する。住宅街の『ヴェシン』、農業・畜産業が盛んな『バラディア』、そして自然が豊かな『セウブラン』。
ポースリア以外は落ち着いた雰囲気の街であり、観光名所らしい場所は殆どなく、自然公園などでゆったりとした時間を過ごすには最適な場所である。
シュロネー地方では、むしろポースリアが賑やか過ぎるくらいだ。
街を出た二人は、残りの3つの街を列車で移動しながらふらふらと散策し、疲れ果てた様子でエイデン邸へと帰還した。
その様子をじっと見つめていた鋭い視線にも気づかずに。