36話 エイデン家の食卓
「と、いうわけで。私がこの屋敷のメイドになったから、よろしくねぇ~二人ともっ!」
ミニ丈の黒いメイド服に身を包んだフユーデルがサプライズで夕飯を振る舞い、その場でくるりと一回転して、ハルバードとナツに可愛らしく笑いかけた。
ほんの少しでも、元気づけてもらえるようにと。
しかし、二人の表情は暗いというよりも、"困惑"していた。
「……フユーデルさん……」
「……せめて、食えるものを出してくれ」
彼の料理の腕前は、『壊滅的』であった。
「え~、見た目はあれだけど、おいしいよ!
多分」
アキュレスは予想外の出来事に頭を抱えていた。
メシマズの典型、『慣れて無いのにレシピを見ない』、『調味料はカン』、『味見をしない』、『勝手にアレンジする』、『自信過剰』。フユーデルは全てを兼ね備えていた。
アキュレスは自由気ままに料理をしていた彼を、心配そうに覗き込みながら時折アドバイスをしようとしたが、彼は勿論それを一切聞こうとしなかった。
ただ『大丈夫』としか言わず、とうとう面倒くさくなってアキュレスを厨房から追い出してしまったのである。
そして出来上がった料理……否、"残骸"は、全体的に黒く、何故か見た目だけはハンバーグや魚などにきちんと形成されていた。
しかしナツは暫く真顔でその"残骸達"を見つめていたが、急に小さく噴き出した。
「ふふっ、じゃあ私、いただきます!」
ハルバードとアキュレスは目を見開いて驚きながらナツを見た。その顔は『信じられない』と言っている。
「……お前、食い意地張るのも大概にしろよ。また食い物のために死ぬ気か?」
「だ、大丈夫ですよ多分! だって、せっかく作ってくれたんですから!」
「もー失礼なっ! ほら、ハルバードもた・べ・てっ?」
フユーデルはパチッとウィンクをし、ハルバードは思いっきり顔を顰める。
そんな中、ナツが意を決して"ハンバーグらしきもの"を恐る恐る口に入れた。
それを見た三人が、固唾を飲んでナツを見ている。
カラーン、カラン……というフォークが落ちた音が食堂に響いた。
これは、まずい。味ではなく、事態がまずい。
嫌な予感は的中し、ナツはそのままバタリとテーブルに倒れこんだ。
「ナツ!? ちょ、水、水!」
「ナッちゃん!?」
「はあ……この馬鹿が!」
三人は慌ててナツの介抱の為に駆け回った。
(これはさすがに、まずいです……ふゆーでる、さん……)
しかし大惨事が起きながらも、ナツはフユーデルが元気付けようとしてくれたおかげで、少しだけ前に進めそうな気がした。
◇
「というわけで、今日は料理の基礎をハルから学んでね。わかったの? フユーデル」
次の日、厨房ではエプロン姿のハルバードとフユーデルがいた。
ナツは何とか復活し、今回は試食係として食卓から彼らの様子を窺っている。
フユーデルはどこか不満そうではあるが、昨日のナツを見てさすがに申し訳ないと思ったのか、アキュレスに素直に従った。
恰好だけ見ればメイド喫茶のそれであるが、このままでは"冥土"喫茶どころの話ではない。
一方ハルバードは心底面倒くさそうであったが、全員の"命"の為、それを承諾した。
「なんか腑に落ちないけどぉ~、宜しくお願いしまぁすっ」
「仕方ない、今後の為だ。ありがたく思えよ、フユーデル」
「はぁ~いっ! お手柔らかにねっ」
「……」
(腹立つなこいつ)
『ハル'sキッチン』の開幕である。
「……だから、どうしてそこで全部入れようとするんだ馬鹿が!」
「え~、だってスープの色を濃くするためにはこれくらい必要でしょ?」
「お前……何故見た目にこだわるくせに完成するとああなるんだ」
「え~、そんなのわかってたらああならないよ~」
(この馬鹿を一体どうしてくれようか……)
フユーデルは根本的に料理というものを理解していない。
そんな相手にハルバードが根気よく教えることができるかと言えば、それは限りなく不可能に近いことだ。
厨房の入口からは、アキュレスとナツが冷汗をかきながら心配そうに二人を見ている。
ハルバードはどうすれば彼にうまく伝えることができるかを、頭をフルに回転させながら考えていた。
そして、ふとあることを思い出し、首を傾げながら唸っているフユーデルに問いかける。
(そういえば、確かこいつは学生の頃……)
「おい、お前確か理科系が得意だったな」
「ん~? まあね。今は文系っぽいけど」
「よし、よく聞け。『料理は科学だ』。
すべて科学の実験だと思え。いいな?」
フユーデルは突拍子のない言葉にポカンとしている。そんな彼にハルバードは苛つきながらも、その言葉の意味を説明した。
「いいか、レシピは実験の手順書だ。その通りに作れば成功する。逆に、変に手順や容量を変えると失敗する。
簡単なことだ。賢いお前ならわかるだろ、それくらい」
「……! おお、なるほど!」
ピコーン!とフユーデルが閃いて、さっそくハルバードの言う通りに実験風に料理してみることにした。
そんな彼らの様子を離れたところで見ながら、ナツとアキュレスはゆっくりとお茶を飲んでいる。
「すごくわかりやすいですね、ハルバードさんの説明」
「ねー、実は教師に向いてるんじゃないの?」
さながら実況席の様である。
それからは、厨房から罵声が聞こえるようなことはなかった。
「どうぞ!」
「……これ、本当にフユーデルさんが作ったんですか……!?」
食卓に並ぶのは、まるでレストランの食事のような美しい料理達であった。昨日はひどい有様だったせいか、それらがとても輝いて見える。
ナツとアキュレスは、目をキラキラとさせていた。
「すごいよ、フユーデル! おいしそう!」
「でしょでしょ! ささ、食べてみてよ!」
「いただきまぁすっ!
……おいしい! おいしいですフユーデルさん!」
見た目通り、非常に美味であった。まさか、『料理は科学』を理解しただけでここまで変わるとは、教えた張本人でさえ思ってもみなかったようである。
フユーデルは、ハルバードに満面の笑みでお礼を言った。
「ありがと、ハルバード!」
「次からこの方法で作れよ」
「おっけー!」
(はあ……何とかなったな……)
ナツはもぐもぐと美味しそうに料理を頬張っている。
戦が始まってからはまともに食べていなかったせいか、その手は止まらない。
「おいしいですよ、フユーデルさん」
「へへ、惚れた?」
「ほ、惚れてはないですっ! もうっ!」
「フユーデル、おいしいけどナツにちょっかい出さないでね」
アキュレスはにこにこと怖いくらいの笑顔で、フユーデルに向かって牽制をする。
彼はちぇーっ、といいながらも、美味しそうに自分が作った料理を食べてくれるナツを、かわいいなぁと微笑みながら見つめていた。
"食"とは、生きる上で最も重要なことである。
これでひとまずエイデン邸の"食"の危機は去ったと、全員が安堵したのであった。




