35話 新風巻き起こる
電報に大きく記されていたのは、『メルドン男爵 脱落』の文字であった。次の行には『三日間の争い停止』も、併せて書いてある。
三人にとっては、逆に色々と考える時間が増えてしまった。
しかしアキュレスには今、そんな暇はない。
その訳は、フユーデルが『暫くは家に来ないで』というアキュレスの言いつけを破り、朝からエイデン邸へ押しかけて来たからである。
「俺、怒ってるよ。アキュレス」
応接間に着いて早々、フユーデルが開口一番にそう言った。アキュレスは彼が言いたいことを理解している為、黙って俯いている。
フユーデルはそんなアキュレスを見て苛立ったように続きを話し始めた。
「昨日ボルトン先生に会って、俺が強引に聞いた。
……俺に言わなかった理由は分かるよ。先生だけに言った理由もさ。
でも、納得はできない。これでもしアキュレスが死んだら、俺は別れの挨拶さえ出来ずに、お前と永遠のサヨナラだ。お前はそれで良かったのか?
何とか言えよアキュレス!」
フユーデルが声を荒げて彼を責め立てる。
その言葉を聞いたアキュレスは顔を上げ、彼の目をしっかりと見つめながら、自分の想いをぶつけた。
「……じゃあ言うけどね。君に王位継承権争いの事を伝えたらどうなるか、わかっていたから話さなかったんだ。
君はいかなる理由があろうとも、この争いを認めないでしょ。下手したら、王の所に乗り込むんじゃないの?
わたし……いや、"僕"はね。納得してこの争いを受けたんだ。例え君やボルトン先生と、ましてやハルやナツと、永遠の別れになろうとも。
僕は侯爵だ。シュロネー地方を統べる侯爵。次期王を五爵の中から選ぶというのなら、僕はどんな理由があってもそれを受ける。
この前、王が話してくれたんだ。昔、僕の父さんが次期王の命を受けていたって。でも、それによって殺された。だから今回は、こうして公平に領主同士で争うことになったんだって。そう聞いたんだ。
なら尚更、僕は受けるしかない。父さんがやろうとしていたことを、僕が継がないで誰が継ぐんだ。
フユーデルはこれを聞いて、僕の事を止めないでいてくれるの? 認めてくれるの? ……違うでしょ。僕は君の事を一番よくわかってる。僕を止めるよ、必ず。
僕は死ぬつもりなんて微塵もない。だから、別れの挨拶なんて必要ない。そうでしょ?」
フユーデルは、ここまで感情的になったアキュレスを初めて見た。彼が"僕"という時は、侯爵としてではなく、アキュレス個人の思いが強い時に言う一人称である。
そしていつもの彼ならば、フユーデルに謝り、困った笑顔で釈明をし、そして最終的には彼に許される。それが常であった。
フユーデルは、初めて彼の本音を聞いた気がした。
驚いて黙る彼を見て、アキュレスはハッと冷静になり、声と目線を落とす。
「……ごめん、感情的になりすぎた。でも、これが僕の本当の気持ちだよ」
フユーデルは、どうすればこのどうしようもない親友の事を"止めることができるか"を考えていた。
アキュレスの言葉を聞くまでは。
今は、どうすればアキュレスの"力になれるか"を考えている。
表情を変えて考え込む彼に、アキュレスはいつものような優しい声に戻ってこう言った。
「ありがとう、フユーデル。僕の力になろうと考えてくれてるんでしょ?」
フユーデルは目を見開いた。どうして、どうして彼はいつも自分が考えていることが分かってしまうのか。
嬉しいような、悔しいような思いだった。
「ほんと、ずるいよね……」
「えっ?」
「ごめん、俺突っ走ってた。自分の事しか考えてないって、こういうことだよな……。
俺、何ができるかな……。どうしても、このまま帰るようなことはしたくない。
もう俺は止めない。アキュレスが真剣に決めたことだから。でも、せめて、何か……」
今にも泣きそうな彼に、アキュレスは微笑みながらある提案をする。
「ふふ、なんで君が泣きそうになってるの?
……じゃあさ、うちの"メイドさん"になってよ」
「えっ? メイド……?」
アキュレスの突拍子も無い提案に、フユーデルはポカンとしながら彼を見上げた。
アキュレスは、今まで起きたことを全てフユーデルに話した。
王位継承権争いを提唱された時から、リナシーを迎え、ナツの召喚、そして、争い開始から今までの全てを。
フユーデルは時々怒ったように顔を顰めていたが、黙って最後まで聞いた。
アキュレスが話し終わると、フユーデルは素直に感想を述べる。
「それ、アキュレスのせいだよね」
彼はリナシーが殺された理由が、アキュレスにあったと率直に思った。
アキュレスはその通りだ、と言って俯く。昨日はハルバードやナツが庇ってくれたが、アキュレス自身は自分のせいだと今でも感じている。
しかし、フユーデルはそのままこう続けた。
「でも、俺でもきっとそうする。元はと言えばメルドン男爵が悪い。スパイに来させたのはそいつなんだから。
そうか、だから今日はナッちゃんとハルバードは休んでるんだね。ナッちゃん、辛かっただろうね……。ハルバードやアキュレスもショック受けたとおもうけどさ」
その言葉に、アキュレスは少し救われたような気がした。
フユーデルは暫く俯き、そして意を決したように顔を上げる。
「……俺、やるよ」
「え……?」
「身の回りの世話、するって言ってんの」
「フユーデル……」
「実はさあ、俺考えてたことがあって……」
フユーデルは座っていたソファーの背にもたれかかり、一息ついて話し始めた。
彼は海外留学で政治に関する様々なことを学び、プロメス王国へ帰ってきた際には、元々アキュレスの秘書として働かせてもらうつもりだったという。
しかし今はそれよりも、食事や掃除、洗濯などの身の回りの世話役が足りないと知り、彼はひとまずそこから始めようと決意したと明かした。
アキュレスは彼の計画に驚きながらも、まずは家事を請け負ってくれることを素直に喜んだ。
そしてこの戦が終わり、アキュレスが王となった暁には、彼を側近にすることを約束したのであった。
「ありがとね、フユーデル」
「こっちこそ、ありがと。俺さ、ずっとアキュレスの役に立ちたかったんだ。へへ、なんか照れるけど!
……アキュレスがいつも俺が女装の事でいじめられてた時に庇ってくれたり、勇気づけてくれたから。それ以外にもいっぱいあるけど……恩返ししたくて!
侯爵の手伝いなんてさ、知識必須じゃん。だから留学して政治学んできた。俺、役に立つよ。必ず」
照れ笑いしながらも真剣にそう語ってくれた彼に、アキュレスは目を細めて微笑んだ。
「フユーデル……。僕は幸せ者だね。君のような親友がいて」
その後も、二人は雑談をしながら笑い合った。アキュレスもフユーデルも、この時間だけは、子供の頃に戻った気がした。




