32話 リナシー・マドルメ
リナシ―は振りかぶった槍を抑えることができず、ナツへとぶつけた。しかしその槍は、やはり彼女の目の前で消滅している。
ナツは今に泣きそうになりながらも、キラキラと静かに消えゆくそれを、じっと見つめていた。
「やっぱり、そうだったんだね。リナシ―」
アキュレスは目を覚まし、ベッドから降りると、悲しそうな顔で呟いた。それはどこか諦めたような表情も含まれているように見える。
ハルバードもナツの横に立ち、未だ何も言わないリナシーに向かってこう言った。
「残念だ。貴様なら、まだ思いとどまる可能性も考えていたというのに」
「え……? やっぱりって、どういうことですか……?」
ナツは、まるでこうなることが分かっていたかのような彼らの言葉に、震える声で訪ねる。しかし、二人は答えない。
代わりにリナシ―が下を向きながら、話し始めた。
「お分かりになっていたのですね……。
いつから……いえ、最初からなのでしょう。エイデン公爵とハルバードなら。
それでも尚、私を迎え入れたのは、"敢えて"だったでしょうね」
そう語るリナシーに、ナツは無理やり笑顔を作り、努めて明るい声をかける。
「嘘ですよね? これ、ただのドッキリなんですよね? だって、ありえないもん。
リナシ―さんがアキュレスさんを殺そうとするだなんて、絶対ないもん。
もう、やだなあ。こんな心臓に悪い悪戯なんて……リナシ―さんらしく……」
そう言うものの、ナツはリナシ―の目を見ることができない。
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるようなものであった。
しかしリナシ―は無情にも、ナツの小さな希望を握り潰す。
「ナツちゃん……ごめんなさい」
「ごめんなさい、ってなんですか……? それじゃあまるで、本当に、リナシ―さんは、私たちの敵、みたいじゃないですか……。
そんなことあるわけ……」
ナツちゃん、とリナシ―は少し声を張り上げ、彼女を制した。そして、こう宣言する。
「私は、『メルドン男爵』の使い魔。『リナシ―』。マドルメは偽名。
今、私は貴女の主、アキュレス・エイデンを殺そうとしている」
ナツの顔は今にも泣きそうなものに変わった。心なしかリナシーも、目が潤んでいるように見受けられる。
「うそ……そんなの」
「ナツ」
「アキュレスさん……」
アキュレスはリナシ―の前に立ち、彼女を迎え入れる時からの経緯の全てを話し始めた。
エイデン邸の前で呆然と立ち尽くす彼女を見て、最初アキュレスは本当に彼女が記憶喪失の女性だと思っていた。
そしてハルバードの反対を押しのけ、彼女をメイドとして迎え入れた。
しかし彼女の様子をみると、どうにも怪しい。記憶喪失であるならば、暗かった性格があそこまで急に明るくなることは無い。
それが彼女の本質だと言えばそうかもしれないが、アキュレスは小さな疑惑を抱き、そしてそれを信じた。
結果、彼女は"誰か"のスパイではないのかという事実を、後に確信することとなる。
決定打となったのは、彼女が召喚する小さなメイド。それらは屋敷の中を迷っているふりをして、そのミニメイドは部屋のいたるところに盗聴器を仕掛けていたのである。
最初にそれに気がついたのはハルバード。彼はそれをアキュレスに報告し、リナシ―を追い出すよう提案をしたが、アキュレスはそれを拒否した。
理由はいくつかあった。
まずは、このまま泳がせて一体誰のスパイなのかを知りたかった。
次にそのスパイの大元、つまり『メルドン男爵』側に、"自分は王位継承権争いに非積極的だ"という意思表示を筒抜けにさせたかった。それにより相手が少しでも自分に対して"油断"をしてくれることを狙ったからである。
アキュレスは最初から、王位継承権争いに興味がないなどとは微塵も思っていなかった。そう"公言"していたのは、上記の理由があったからだ。
最後は、神代ナツの存在。ナツと出会い、彼女は本当に幸せそうであった。もしかしたら心を改め、彼女がスパイの事実を自ら明かしてくれるかもしれないと願っていたのである。
しかしその願いは叶わなかった。
円卓会議の時、メルドン男爵だけ使い魔が一人しかいなかったのを見て、確信をした。彼女がメルドン男爵の"盾"だということを。
リナシーの送迎会の日、ナツ達が出掛けている間、アキュレスとハルバードは送迎会の準備と、ミニメイドが仕掛けた盗聴器を全て回収した。その時にはもう、彼女が改心してくれる希望は消えてしまっていたのである。
リナシ―は以上の話を聞いて、観念したかのように言った。
「その通りですわ。私は最初から『嘘』を付いていましたの」
ナツは未だに信じられない。否、信じたくなかった。今までリナシーと過ごした日々が、全て『虚像』だったなどと、認めたくはない。ナツは彼女に震える声で問いかける。
「どうして……?
じゃあ、私の為にお洋服を決めてくれたことも、髪の毛を可愛くしてくれたことも、メイクを教えてくれたことも、美味しい料理を作ってくれたことも、慰めてくれたことも、出かけたことも、助けてくれたことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、怒ったことも、ぜんぶ、ぜんぶ"嘘"だったんですか……?」
リナシ―は、慌ててその言葉を否定しようと顔を上げる。彼女とて、"全て"が嘘というわけではなかった。ナツと過ごす日々は本当に楽しかった。
だが、その弁解は遮られた。
「嘘、ではありませんよね」
カルマによって。
「……!」
全員が驚いた。気配など一切なく、急に声だけが響いたように感じられたからである。
その声がする方を見れば、リナシ―の真後ろにカルマがいやらしい笑みを浮かべながら立っていた。
(何故、気付かなかった……?)
「貴様、どうやってここに……」
ハルバードの殺気など気にもくれず、カルマはそのまま話し始める。
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃあないですか。それより、うちの"矛"がお世話になりましたね」
「……矛?」
以前、カルマは自身の事を"矛"と呼んだ。吃驚する皆を見て、カルマは楽しそうに続ける。
「いいですねぇ、その顔。では、ネタばらしをしましょうか。
まず、私とリナシ―は現メルドン男爵に召喚された矛と盾でございます。無論、私が矛ということは『嘘』です。
ナツ様をメルドン邸へお連れした日、私はナツ様に"その人物の過去が分かる能力を持っている"と説明しましたが、あれも『嘘』です。本当は、リナシ―に情報を貰っていたのでございます。
ああ、ちなみに円卓会議でのメルドン男爵の体調不良の件も『嘘』です。
……おや、まだ腑に落ちませんか?
メルドン男爵には我々の様な使い魔は召喚できないとお思いですか? まあ、そうでしょうね。普段の、オドオドとした彼を見ていたら。しかし、彼は『自分の欲望に非常に忠実』なお方でございましてね。自分が生き残る為ならば、我々の様な使い魔も軽々と召喚できてしまうのでしょう。
……おわかりですか? 我々は『嘘』を付く為に生まれたのでございます。メルドン男爵の"生きたい"という欲望の為に。
私とリナシ―は、『嘘、嘘、嘘』で成り立っていたのでございます。
……しかし、一つだけ『本当』になってしまったようですね。リナシ―」
リナシ―は唇を噛み締めながら下を向いて黙っている。ナツ達はカルマの最後の言葉を理解できてはいない。
(一つだけ、『本当』に……?)
カルマは声色を変え、未だ何も言わないリナシーを鋭く睨みつけた。
「エイデン邸で随分と絆されたのだな。
アキュレス・エイデンに対する"敬愛"、ハルバードに対する"友愛"、そしてナツ・カミシロに対する"慈愛"。
それらが全て『本物』になってしまったのだろう? リナシ―」
「……」
三人は目を見開いた。
リナシ―は、本当は彼らの事を愛していた。カルマの言うように、それぞれに愛を持っていたのである。
もうごまかすことはできないと、彼女はバッと顔を上げ、心の内を叫んだ。
「……そうよ! 私は、彼らを愛してしまった。本当ならば、そんなことあってはいけない事なのに……!」
「リナシ―……君は、」
アキュレスの言葉は、またもカルマが遮った。
その声は、とても、とても冷たい。
「そうだ。だからもうお前には要はないんだ、リナシ―。
死ね」
グサリ、と彼女の胸を剣が貫いた。




