3話 ならば受け入れましょう
朝日がシュロネー地方を照らし、エイデン邸では一人の女性の悲鳴が上がる。
「ひやぁぁぁ! な、なんで一緒に寝てるんですかこのひと!!」
目が覚めたナツの真横には、ハルバードが彼女の方を向いて眠っていた。
無論、男性と共にベッドで寝るということをしたことがないナツは、沸騰しそうなくらい体が熱くなり、ひとりでわたわたとパニックになっている。
すると、正面から顔を鷲掴みにされた。
「へぶっ!」
「うるさいぞ、馬鹿が。少し静かにしろ」
顔は手で覆われていて彼の表情は全く見えないが、その声は寝起きの為かよりいっそう低い。
「ご、ごべんなざい」
そう謝罪すると手が退けられ、視界が開けたかと思いきや、今度はハルバードがナツの上に覆いかぶさってきた。
「まったく、人の寝床を半分以上奪っておいて騒ぐとは……」
ギシリ、とベッドが軋む音がした。
「えっ、あ、あの……!」
(お、おおお男の人が目の前に!)
ナツの顔はまるでゆでだこの様に赤くなる。
それをどこか面白がるかのように、ハルバードはにやりとしてナツの耳元で低く、低く囁いた。
「"教育"が必要か、小娘?」
「わ!! わーーー!!!」
(何か声とかすんごいエロい! 誰かたすけて! 心臓が持たない!)
ハルバードがジタバタするナツに眉を顰め、もう一度手で彼女の顔を押さえつけようとした瞬間、部屋のドアがバンッ!と荒々しく開いた。
「はいはい、幼気な少女をからかわないのハルバード!」
幼気な少女という年齢ではないと内心突っ込みつつ、ナツはパッと救世主の方を見た。
そこにいたのは一人のメイドであった。
シャンパンゴールドの髪は後頭部で纏められ、その周りを編み込みのラインが飾り、顔のサイドに垂れた髪はふわりとカールしている。
着ているクラシックスタイルのメイド服と頭についたカチューシャには、フリルやレースがふんだんにあしらわれており、それは一見すると普通のメイド姿であるが、足元を見ればヒールの高い革のレースアップブーツという、何とも機動性の高そうな格好である。
彼女は手に持っている安っぽいハタキをハルバードの方に向け、パタパタと上下させている。
ナツは今の覆い被さられている状態に、とても恥ずかしそうにしていたが、メイドはお構いなしに部屋へずかずかと入って来た。
ハルバードがそんな彼女をちらりと見て、どこかつまらなさそうにナツの上からいなくなる。
ナツの表情は心底ほっとしたものに変わった。
「『リナシー』。もとはと言えば貴様がこいつをどっかの部屋に連れて行けばよいものを」
「仕方ないでしょ、使えるベッドがそれしかなかったの。使い魔同士なんだからいいでしょ! あ、でも安心して。今日からちゃんとしたお部屋を用意したからね、ナツちゃん!」
リナシーと呼ばれた女性は、ハルバードの鋭い視線など全く気にせずにナツに笑いかけた。
(び、美人さんだ!)
「あ、あの……。 あなたは?」
ナツはベッドから起き上がって恐る恐る尋ねた。するとメイドは丁寧にお辞儀をしてこう答える。
「わたくしは『リナシー・マドルメ』。この屋敷のメイド長ですの。以後、お見知り置きを」
「よ、よろしくお願いします!」
「ふふっ、あなたの事情は御主人様から伺っているわ。異世界から来たんですってね。大変だったわね……」
「い、いえ……!」
優しい言葉をかけてもらえて感動しているナツをよそに、リナシーはナツの服装をまじまじと見ながら言った。
「さっそくだけど、その恰好はこの国には合わないわね。着替えに行きましょ!」
「えっ? あ、はい!」
リナシーがそういうとナツの手を取り、ハルバードの部屋からさっさと出て行った。
強引なリナシーと、わたわたと引っ張られながら部屋を出て行くナツを見て、やっとうるさいのがいなくなったと言わんばかりに、ハルバードはため息をついた。
そして彼は身なりを整え、煙草に火を点けて一服した後、ゆっくりと己の主がいる部屋へと向かった。
◇
「似合うわナツちゃん! 背がちっちゃいから何着てもかわいい!」
早速、新しいナツの部屋ではリナシーによるファッションショーが開催されていた。
「い、いやぁ私にこんな可愛らしい服は似合わないですよ……」
ナツが着ていた服はいともたやすく脱がされ、もはや彼女はリナシーの着せ替え人形と化していた。
そんなナツがたびたび着せられているのは、パステルカラーでフリルとリボンがこれでもかと付いている、いかにも"ロリータファッション"の服で、ナツはそれを試着させられるたびにとても恥ずかしい思いをしていた。
リナシーは可愛いものに目がない。
そんな彼女が、ヒールの高いブーツを履いているとはいえ、自分の胸の辺りくらいまでしか身長がないナツを一目見た時、彼女の頭には着せたい服の構想が次々と浮かびあがったのであった。
「うぅ……。私みたいなのが着るような服じゃないですよこれ。見てる分にはかわいいけど……」
ことごとく自分の提案する服を渋るナツに、リナシーは仕方ないといった顔で新たな服を持ってきた。
オフホワイトのブラウスの首元はワインレッドのレジメンタルストライプ柄のボウタイが飾り、袖口にも同じラインが入っている。ボタンから少し離れた両側に伸びる黒く細いラインと前掛けのパイピングは、シンプルなブラウスを少し華やかにしている。
下は膝まであるダークブラウンのフレアスカートで、裾の白いレースが可愛らしく覗かせている。
それに合わせる靴下はシンプルな白。そして靴はリナシーが履いているブーツとほぼ同じデザインで、こちらはヒールがないタイプだ。
ナツはそれらの服を、一目で気に入った。
「か、かわいい! あの、これがいいです!」
「うーん、ちょっと地味だけどナツちゃんが気に入ったのならそれにしましょう。
あとは髪ね! メイクはしなくても十分可愛いけど、今日は御主人様にお披露目するから、軽くしておきましょうね」
リナシーは櫛とメイク道具を手に取り、半ば強制的にナツを鏡台の前へと座らせた。
「え、別にそのままでいいですけど……」
リナシーは有無を言わせない。
散々髪をいじられメイクをされた後、ナツはぐったりした様子でリナシーと共に執務室の前に立った。
「失礼いたしますわ、御主人様」
「し、失礼します……」
リナシーは嬉々とした表情でドアを開け、急に緊張しだしたナツを引っ張り、部屋の中へと入っていった。
そこには屋敷の主であるアキュレスと、その従僕(にはとても見えないが)ハルバードが何かを話し合っていた。
リナシーの声に、二人が彼女達の方へと注目する。
「さっそく着替えさせてまいりましたわ、さあナツちゃん!」
ずいっと背中を押され二人の前に出されると、ナツはやはり恥ずかしいのか、もじもじしながら俯いていた。先述した格好に、肩甲骨あたりまであった髪はふんわりと巻かれ、ほんのりとメイクをされている。
二人は、ここに来た時とは雰囲気がガラリと変わった彼女を、無言でじっと見つめた。
(うぅ……。似合わないなら似合わないって言ってくださいお願いします)
数秒の沈黙に、いっそのこと貶してくれとさえ思ったナツに、いきなり賞賛の声が上がった。
「とってもよく似合っているよナツ! その髪もすごくかわいいよ!」
王子様のように爽やかな笑顔で、アキュレスは手放しにナツをほめた。
これにはリナシーもドヤ顔である。
「あ、ありがとうございます! えへへ」
ナツはまんざらでもない様子で照れながらも、先程から一言もしゃべらないハルバードの方をちらりと見る。
彼は無表情でナツを見ながら突っ立ったままであったが、すぐにアキュレスの方を向いた。
「残り後三ヶ月程で始まるのだぞ。生き死にの戦いが。
それでいてそんな悠長なことをしていても良いのか、"エイデン侯爵"?」
(ま、まさかのスルー……!?)
しょぼんとしているナツにハルバードがゆっくりと近づき、頭にポンと手を乗せて続ける。
俯いていたナツは驚いて顔を上げた。構わずハルバードは続ける。
「こいつが私の正式なパートナーならば、一刻も早く戦に備えて訓練すべきだ」
「それはそうなんだけどねハル、彼女は異世界から来たみたいだし、この国をちょっとは知ってもらおうと思ってさ」
「しかし……」
ハルバードが更なる反論する前に、アキュレスは静かに目を閉じ、今までとは違った声色でこう言った。
「命令だよ"ハルバード"。今日一日、彼女にシュロネー地方を案内してあげて」
ナツは今までとはまるで違うアキュレスの表情に驚き、恐る恐る横にいるハルバードを見上げた。
「……了解した、我が主」
彼はかしこまって頭を下げた。
その言葉と仕草にナツは先程よりも更に驚いて呆然としていると、すぐにいつものような冷たい目で睨みつけられた。
「何をボケッとしている、話は聞いていたのだろう。行くぞ、ナツ・カミシロ」
「え、あ、はい!」
そういってさっさと出口へ向かうハルバードの後を、ナツは置いてかれまいと駆け足で付いていった。
そんな二人の様子を見て、リナシーは首を傾げながら心配そうに呟いた。
「大丈夫かしらね、あのコンビ」
「大丈夫さ、彼らなら」
アキュレスの表情は、いつものような柔らかいものに戻っていた。
ナツは館の廊下を速足で歩くハルバードを見失わないよう、小走りで付いて行く。
すると急にハルバードが足を止めた。
「あの駄目侯爵、覚えていろよ……」
ぼそっと恐ろしいことを口走った彼にひとり青ざめていると、そんな様子が目に入ったのか、ハルバードがナツの方を向いて言った。
「主の命令ならばしかたがない、貴様にシュロネー地方を案内してやる。その代り、今日一日でこの世界を理解し、現実を受け止めろ。
私は面倒なことは嫌いだ。本来なら貴様を一刻も早く戦で役に立たせる為の訓練をしたいところなんだ。感謝しろ、ナツ・カミシロ」
ナツはヒッ!と息を呑み、彼の気迫にビビりながらも声を振り絞った。
(無茶苦茶だよこの人!)
「よ、よろしくお願いします……」
ナツはこれまでの十数時間をこの世界で過ごしてはいたものの、いまだに夢の中にいるのではないかと心の奥底で思っていた。
否、そう願っていた。
しかしその願いが儚くも散るのは、そう遠い未来では無かった。
プロローグ的な3話まで一気に投稿しました。これからは一週間以内の投稿ペースになるかと思います。何卒、よろしくお願いいたします。