25話 人間と使い魔の狭間で
ハルバードが話し終えると、部屋にはしばらくの間沈黙が続いた。
アキュレスは俯き、何かを考えている。そして口を開こうとした時、鼻を啜る音が後ろから聞こえた。
後ろを向くと、ナツが静かに泣いていた。アキュレスは驚き、彼女の方に体を向ける。
「……ふふ、なんでナツがそんなに悲しそうに泣くの?」
「だっ、だって……そんなの、悲し、すぎっるからっ……」
アキュレスは困ったような笑顔で、ぽろぽろとナツの目から零れる涙をぬぐう。
そしてハルバードの方を向き、いつもの様に優しく笑った。
「話してくれてありがとう、ハル。なんだか胸のつっかえが取れて、すっきりしたよ」
「……!」
笑顔でお礼を言った彼に、ハルバードは大きく目を見開いた。
そして、いつもの彼らしくない弱々しい声で『何故だ?』と小さく呟いた。
普段と様子が違うハルバードに、アキュレスは不思議そうな顔をして彼の名を呼んだ。目をゴシゴシと擦ったナツも、彼の方を見る。
ハルバードはどこか悲しそうに、アキュレスに向かって問いかけた。
「何故、お前は私に礼を言うんだ? 私は、お前にずっとこの話を隠していた。それなのに、何故怒らない……何故責めない?」
「そうかもしれないけど、ハルは私の為に黙っていてくれたんでしょ? なら、仕方ないじゃない。それなのに話してくれたんだから、どうして責めることができるの?」
ハルバードはそれを聞いて少し黙った後、目線を落として続けた。
「何故、どうして……こういう時、私は『人間の感情』が理解できないのだろうな……」
「ハル……?」
「お前が笑う理由も、ナツが泣く理由も解らない。
クリフォードとマリアが死んだあの日、生きることに執着をする人間が、どうして己の死をあんなに簡単に受け入れる事が出来るのか、今でも解らない。
マリアは私を『家族』と言った。クリフォードは私を『親友』と言った。しかし、そういったものはお互いが"対等"であるから成り立つものではないのか……?
私は"ただの使い魔"だ。決して"人間"にはなれない。結局、人間の考えていることなど、私には……」
アキュレスが、怒気を含んだ声で名を呼んだ。
しかし、その続きはナツの震えた声によって遮られた。
「ハルバードさん、失礼しますっ……!」
パチンッ、とハルバードの頬が叩かれた。
「……何をす……っ!」
彼が見たナツの顔は、先程よりもとても、とても悲しそうであった。
アキュレスも驚いてナツを見た。彼女は、目を瞑って大きく叫んだ。
「ハルバードさんは、解らないんじゃなくて、『解ろうとしていない』だけですっ!」
初めてのナツの姿に、ハルバードとアキュレスが目を見開いて彼女を見ている。
ナツはぼろぼろと大粒の涙を流しながら、震える声を抑えるように話し始めた。
「わたし、馬鹿だからっ、うまく言えるかわからないけど……。でもわたしっ、ハルバードさんが人間らしくないって思った事、一度もないですっ!
確かに、わたしと違って魔法は使えるし、それに厳しいし、たまに無茶苦茶なこと言ったりもするけど、で も……ハルバードさんがただの使い魔で、人間とは全く違うものだったら……。
だったらあんな、あんな"優しい笑顔"、できるわけないもんっ!!! ふっ……うっ、……っ。
『家族』や『親友』って、とっても素敵な事なのにっ……どうして、どうしてハルバードさんは、自分や、そう言ってくれた相手の事まで、否定しちゃうのっ!?」
最後の方はは感極まって号泣しながら叫ぶ彼女に、ハルバードは言葉が出ない。
アキュレスは目を伏せ、静かに言った。
「ナツの言う通りだよ、ハル。確かに君は人間に召喚された使い魔だ。でもね、私も君の事、一度だって"ただの使い魔"などと思ったことはない。
私は君のことを『家族』だと思っているよ。
これから先、例え私が死んだとしても、それは変わらない。
『親友』っていうのは、きっと君を召喚した父さんの特権なんだろうね……。少し羨ましいよ。
そう、この前ナツと話していたんだけどね、これから皆で幸せになろうって話をしたんだ。
『家族』として、ね。
……ふふ、ハルはもう既に"人間"なんじゃないかなぁ? だってそうじゃなかったら、そんな辛そうな顔、出来ないと思うな」
アキュレスが見たハルバードの顔は、辛そうに歪められていた。
しばらくしてハルバードは目を瞑り、息を吐く。そして、そうだな……と小さく呟いて顔を上げた。
その顔は、何かが吹っ切れたような表情をしていた。
「私はどこかで、自分の思う"使い魔"から変わってしまうことを恐れ……
いや、違うな。
私はただ、人間に羨望していただけだ。小さな事で一喜一憂できる人間を羨んでいただけ、だったんだな……」
「ハル……」
それを聞いて、ナツはまた目をゴシゴシと拭くと、ハルバードに向かってへらりと笑った。
「えへへ、そう思うってことは、もう完全に人間じゃないですか!
私の知人なんて、ハルバードさんよりも全然人間らしくないんですよ?
そういうのって、"個性"じゃないですか! みんな違うんです、考えることも、感じることも。心配しなくても大丈夫ですよ。
だから、これからも『家族』として、一緒に楽しく過ごしましょうよ! ね!」
「そうだよ、ハル。でも、君の事をまた少し知ることができてよかった。
これからもよろしく頼むよ、"ハルバード"」
「……そうだな。ありがとう、アキュレス、ナツ。
私は幸せ者だ、こんな『家族』がいるのだから」
ふわり、とハルバードが優しく微笑むと、アキュレスとナツは感極まってハルバードに抱きついた。
「ハルっ!」
「ハルバードさんっ!」
ハルバードは驚きながらも、いつものようにこう言った。
「ひっつくな、鬱陶しい」
その顔はとても、とても嬉しそうであった。
「感動的だったな―」
ハッとして三人が前を見ると、王とササイが目にハンカチを当てていた。
「す、すいません!」
「申し訳、ありません……」
「ごめんなさいっ!」
慌てて座りなおすと、王が微笑みながらアキュレスに言った。
「いやあ、良い話を聞かせてもらったよ。だから、そうだねー、君たちなら王位継承権争いを無償で破棄する権利をあげるよ」
アキュレス達は大きく驚いた。王の後ろに立つササイまで目を見開いている。
しかし、アキュレスはにっこりしてそれを断った。
「お気遣い感謝いたします。しかし、私は降りません。父が王位継承の命を受けていたと知った今、私がそれを引き継ぎます。『息子』として。
確かに、使い魔二人を危険に晒すことは心苦しいです。できれば辛い戦いはさせたくない。
ですが、私は信じています。二人は必ず生き残ると。そして、私とこれからずっと一緒に生きてくれることを。『家族』として」
後ろの二人も、しっかりと前を向いている。とても頼もしい顔をしていた。
王は、嬉しそうにゆっくり頷いた。
「さすがは、クリフォード・エイデンの息子だね。良い決意だ」
◇
帰りの車の中、ナツは緊張から解放されたのか、泣き疲れたのかで眠ってしまっている。
助手席のアキュレスは、それをミラー越しに微笑ましく見ていた。
「疲れて寝ちゃったみたい。それにしても、ナツがあんなにしっかりした子だとは思わなかったよ。ふふ、諭されちゃったね、ハル」
運転していたハルバードは、まっすぐ前を見ながら答えた。
「……一応こいつは成人しているのだろう? はぁ、でもまあ、しっかりと諭されたな」
「ああ、成人してたんだったね……また怒られちゃう!
……争い、来月からだけど……どうなるかな?」
「心配しなくていい。お前は王になった後の事でも考えていろ」
「ふふ、そうだね。じゃあ、何かあったらプロメス王に責任押し付けて亡命しちゃおう! ね?」
「……ふ、そうだな……」
こうしてお互いに絆を深め合った三人は、エイデン邸へと帰って行った。
王位継承権争いまで、残りおよそ一ヶ月である。




