24話 親愛なるハルバードへ
※残酷な表現があります。苦手な方はご注意下さい。
門に入って建物を見ると、電気は一切点いていなかった。
ハルバードはそれに気が付いた瞬間、一気に"予感"がした。以前マリアが言っていたような、"悪い予感"というものが。
「っ、クリフォード、マリア……!」
ハルバードは眠っているアキュレスを抱えながら走った。
どうか、どうかこの予感がただの"空想"であってくれと、ハルバードは願った。
玄関の扉を開けると、真っ暗で奥が何も見えない。一見すると何も変わってはいなかった。
「クリフォード! マリア!」
ハルバードが名前を呼んでも、何の反応もない。
意を決し、ハルバードは真っ直ぐ主の寝室へと足を運んだ。
扉の前に立つと、じわり、と嫌な汗が滲む。
ドアノブに手を掛けようとしたその瞬間、
「おとーしゃん、おかーしゃん?」
アキュレスが起きて泣き出してしまった。
ハルバードは苦々しい顔で舌打ちをし、アキュレスに『済まない』と一言謝り、魔法で彼をもう一度眠らせる。
そして小さく息を吐き、今度こそドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を開けた。
部屋にはもちろん電気はついていない。月明かりが寝室を照らす。
そして目に映ったものは、クリフォードとマリアの惨殺死体であった。
あまりの衝撃に、ハルバードはアキュレスを落としそうになった。慌てて彼を抱き直し、意を決して中へと入ってゆく。
近くの椅子にアキュレスを寝かせ、まずは仰向けに横たわったマリアに近付いた。
彼女の胸は深く抉られ、白かった服はまるで薔薇のように赤く染まっていた。そのほかの外傷は見当たらず、目は閉じられ、頬には伝った涙の跡がある。
「マリア……何故……」
横にあったクリフォードの死体は、もっと悲惨なものであった。
首を切られ、腹を切られ、足を切られ、腕を切られ、これでもかというほどの刺し傷が全身を覆い尽くしている。
ずたずたにされた主を見て、ハルバードは小さく震えていた。
それは恐怖や悲しみではなく、憤りのせいであった。
「クリフォード、お前……こうなることが分かっていて、私とアキュレスを外に行かせたのか……」
ハルバードは俯いて、亡き主を静かに責めた。
顔を上げ、どうしようかと考えた彼の視線の先に、綺麗な封筒があることに気が付いた。
近付いてそれを手に取ると、そこには『ハルバードへ』と書かれている。
急いで封を開けると、中には3枚の紙が入っていた。ハルバードはまず1枚目を静かに読み始めた。
【親愛なるハルバードへ】
今貴女がこれを読んでいるという事は、もう私とクリフォードはこの世にいないのね。
勝手なことをしてしまってごめんなさい。貴方はきっと許してはくれないでしょうね。
こうなった理由は、聡明な貴方ならわかっているかとは思うけれど、クリフォードが王位を継承することが決まったからだと思うわ。思う、というのは確証がないからなのだけれど。
きっと彼が詳しい内容を書いてくれるでしょうから、私は控えるわね。
そうそう、昔……3年前だったかしら。貴方とお茶をしていた時。貴方は「予感など空想に過ぎない」って言っていたわよね。私もその通りだと思うわ。
でもね、あの時から感じていた予感は、今日の今日まで続いていたのよ。そしてそれは、どんどん鮮明なものとなっていったの。
『私とクリフォードは殺される』
誰に殺されるのかはわからないけれど、私たちはその運命から抗えなかったのね。
私はね、ハルバードにとても感謝しているの。言葉では表せないくらいに。
貴方はとても優しい人。だから、私の最期のわがままを聞いて。
『アキュレスを守ってあげて』
少し早いけど、クリフォードと私は、貴方たちの事を天国から見守っているわ。
……いいえ、天国になんて行けないかもしれないわね。でも、例え地獄の果てからでも、必ず見守っているから。
私はクリフォードとアキュレス、そしてハルバードいう大切な家族を、心から愛しているわ。これからもずっと、ずっと。
しばらくの間、お別れね。寂しいけれど、お説教は再会した時に聞くわ。それで、いっぱい弁解させてね。
さようなら、愛するハルバード。
【マリア・エイデン】
「……」
ハルバードは一言も喋らないまま、びっしりと文字が詰まった2枚目を読み始めた。
【親愛なるハルバードへ】
君がこれを読んでいる時には、もう俺とマリアはこの世にいないのだろう。
どんな顔をしてこれを読んで、何を思っているかが想像できてしまうよ。本当にすまないと思っている。
君にはちゃんと理由を説明しなくてはいけないね。
俺が王位継承権を受け、そのニュースが世間に流れた後、俺のもとにある脅迫状が届いた。
もちろん、それは王位継承権を破棄しろというものだ。差出人は解らない。手書きでもなく、郵送されたものでもなかったから、出所が全く分からなかった。
さらに、そこに書かれていたものは、『三ヶ月以内に破棄しなければお前らの命はないと思え、息子もろとも殺してやる』という脅し文句だった。
無論、俺は最初そんなものはクソくらえと思っていたんだ。君も多分そう言うだろう?
でも、マリアは違った。マリアはそれを聞いてひどく青ざめたんだ。そして"予感"の話もしてくれた。
本来なら俺はそんなもの信じていないけど、なんでかな……今回だけは徐々に俺もその予感っていうのを感じたんだ。『己の死』っていうね。
ひとまず警察にそれを届けたんだけど、やっぱり犯人は判らずじまい。王に話しても、「君なら何とかしてくれるでしょ」なんて呑気に言いやがった。
今更王位継承権を破棄なんてできるわけがない。でも、殺されるのもまっぴらごめんだ。
だから俺はマリアの予感をひとまず信じ、今日一日家にいることを決めた。本当はマリアも外に出すつもりだったんだけど、彼女が頑なに拒否するもんだからね。
したがって、こうしてお互いに君への懺悔を書き連ねてるんだ。「死ぬ時もあなたと一緒よ」なんていわれて、断る男なんていないだろ?
もちろん俺は抗うつもりだよ。死んでたまるものか、マリアを殺させてたまるものか。アキュレスとハルを置いて逝けるものか。
でも、これが読まれているという事は、残念ながらマリアの予感が当たってしまったということだ。抗えなかったんだ。
一体俺は誰に殺されるんだ?
想像もつかない。別に仇をとれなんて言わないけど、もし犯人見つけたらさ、俺とマリアの分までぶん殴っといてよ。
そうだ、ハルの所有権をアキュレスに移した。これからは君の主はアキュレスだ。
だからもう俺は君の主ではないけど、もし、もし君が良いと言ってくれるのなら、俺の最期の命令を聞いてくれ。
『アキュレスを守ってやってくれ』
あーくそ、今更涙出てきやがったよ。覚悟決めたはずなのになあ。
そうそう、ハルとの思い出も決して忘れたことなんてないよ。感謝しきれないくらい感謝してる。
君は家族でもあり、俺の一番の親友だ。18歳の時からそれは変わらない。ありがとう。俺たちは先に逝くよ。
ああ、アキュレスがもし俺らの事を疑問に思ったら、適当にごまかしておいてくれ。アキュレスは優しい子だから、本当のことを知ったら変に責任を感じてしまうと思うんだ。
長々とかっこ悪いな、俺。死ぬときはもっとスマートに死ぬ予定だったのに。
最後に、もう一枚にちゃんとした遺書を同封する。それを警察に見せれば、君とアキュレスの無罪は保障される。
じゃあな、ハル。小言は地獄で聞くから、それまでアキュレスをよろしく頼むよ。
さようなら。我が親友、ハルバード。
【クリフォード・エイデン】
ハルバードは朝から感じていた頭痛の意味を理解した。それは、主の"死"の前兆。昼頃に急に取り払われたのは、所有権がアキュレスに移ったからである。
くしゃり、とクリフォードの手紙を握り潰し、ハルバードは少し震えた声で、目の前に横たわる"かつての主"に向かって言った。
「了解した……我が、主……」
到着した警察官に3枚目の手紙を見せると、ハルバードとアキュレスの無実はすぐに証明され、解放された。
そこに書かれていたのは、以下の内容であった。
ハルバードとアキュレスの無実
シュロネー地方はアキュレスに引き継ぐ
アキュレスが自立するまでの間、ハルバードの侯爵代行の許可
ついでに、現王に限界まで国王を続けるよう要請
死の間際であったにもかかわらず、クリフォードは己の仕事を全てアキュレスに引き継ぐための準備を、しっかりとしていたのである。
こうして、侯爵の地位はアキュレスに受け継がれ、彼が一人前になるまで、ハルバードが幼きアキュレスを育てたのであった。




