23話 語られるのは過去の真実
――昔々、とはいっても30年程前の出来事である。
王位に就いて37年、当時54歳だったプロメス王は、国王の座を放棄しようとしていた。
「ササイ―、もう王様やりたくないんだけど」
「何を寝ぼけたことをおっしゃっているのですか」
若白髪に悩まされていた27歳のササイは、また戯言かと軽く受け流す。しかし、そんな側近の思いとは裏腹に、王は本気であった。
「ま、冗談はさておき。本当に来年王位を継承するよ」
「……はい?」
「そんな怖い顔しないでよー。ちゃんと話すから」
恐ろしい顔をするササイを尻目に、王はある一枚の紙を机から取り出した。
そこに書かれていたのは、『55歳になったら王位を誰かに継ぐべし』という一文。ササイは怪訝な顔をする。
「これは……?」
「父さんの遺言」
あっさりとそう言いのけた王に、彼の怒りは止まらない。
「そんなもの、初めて聞きましたよ! どういうことですか!」
「まってまって! いま説明するから! そんな怖い顔しないで!」
前プロメス王が晩年、病床に伏していた頃のことである。彼はまだ齢17の息子に王位を継承しようとしていた。
しかし、自らがとても長い間務めた仕事を、急に若すぎると言ってよいほどの息子に全てを引き継ぐことは、決して簡単なことではなかった。
その時、前王は先述した遺言のように、『若い時に、若い者に王位を継承することが、自分たちにとって、そして国にとって一番良いことだ』と、考えたのであった。
その遺志を、現プロメス王は継ごうとしていたのである。
「……しかし、貴方様にはご子息がいらっしゃいません。一体誰に……」
「もうそれは決めてあるんだ。ちなみにササイじゃないよ」
「……それはわかっております。では、どなたに王位を継承されようと?」
プロメス王はニヤリとした顔でその名を言った。
『エイデン侯爵』だよ、と。
「……本当に、"私"に言っているのですか? プロメス王」
城に呼び出され、玉座の前に立たされたクリフォード・エイデンは、その命をまったくもって信じられていなかった。
「本当だよ。僕はクリフォード・エイデンを次期王にしたいって言ってるの」
「……何故、私なのです。本来、指名されるのであればバグリー公爵では……?」
王政は基本的に世襲制であるが、現プロメス王は独身であった。しかしその場合、この国では通常、次期の王は親戚などの血が繋がった人物に継がれるものである。
だが、プロメス王は『そんなつまらない制度なんてもう止め止めー』と、現在のルールを自ら打ち破ったのだ。
クリフォードは、それにしたとしても、受け継がれるのは自分より立場が上のバグリー公爵が適当だと思っていた。
そんな彼の疑問に王がキッパリと答える。
「だって、バグリー君は"優しすぎる"から。そういう人は最高責任者には合わないんだよ。精々地方統制止まりだ。
君は優しさはあんまりないけど、とても効率の良い政治をするね。だから王には君の方がふさわしい」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、私はまだ国を治める力など……」
「それをこれから引き継ぐんじゃないの、一年かけてさ」
「一年、ですか……」
むしろこの時点で打診をするのは遅すぎるくらいであると、横にいるササイは思った。
こうして、正式に次期王を継承するという命を承諾したクリフォードは、神妙な面持ちで妻と従僕に報告をしたのである。
「まあ、本当なの? すごいじゃない!」
「そんな簡単に引き受けて大丈夫なのかお前。マリアも、単純に喜ぶな」
「まあ、なんとかなるでしょ。なんかあったらプロメス王に責任押し付けて亡命しよう」
「あら、じゃあどこに行きたいか考えておきましょう」
(本当にこの夫婦は恐ろしいな……)
やはり、クリフォードこそが王にふさわしいのかもしれない。
そしてその事実は公表され、世間を大きく騒がせた。
しばらくの間、新聞やテレビ、雑誌にはそのビッグニュースに関する内容で一杯だった。
次期王がエイデン侯爵に決定!!
"公爵"と"侯爵"の間に何が!?
プロメス王の"思惑"とは?
世襲制が打ち破られた謎
さまざまな憶測が国民の間に飛び交った。
しかし正式に王位が継承される三ヶ月前、
『クリフォード・エイデンは妻と共に惨殺された』
というニュースが流れ、国民全員を更に困惑させた。
その犯人は未だに判明していない。
しかしながら、世間では公爵の仕業だと思う人が大半であった。
自分より下の者が王になる事を聞いて逆恨みをしたのではないか!などと、バグリー公爵はいわれのないバッシングを受け続ける。
そして、それに耐えきれなくなった心優しいバグリー公爵は、自ら命を絶ってしまったのであった。
結局、現王は一連の出来事を自分の責任として父親の遺志を受け継ぐことなく、自分の限界まで王を続けることを決めたのである。
しかし、御年84の彼はさすがにもう"限界"を感じていた。
自分が誰かに次期王の指名をすれば、また同じ悲劇が起きてしまうかもしれない。ならば、いっそのこと五爵でバトルロイヤルをして決めればいいと、今回の王位継承権争いを提唱したのであった。
◇
「そんな、ことが……」
アキュレスは初めて聞く真実に、戸惑った様子で俯いた。
両親が何者かに殺されたのは知っていたが、まさか王に任命されたが故の出来事であったとは、微塵も想像していなかったからである。
王は眉を下げ、申し訳なさそうにアキュレスに謝った。
「君には本当に済まないと思っているんだよ……。儂のせいでご両親を殺してしまったようなものだ、この罪は決して償いきれるものではない」
「い、いえ……王はただ、今は亡き前プロメス王の遺志を継がれようとしていただけです。貴方は何も……」
自身が一番困惑している時にさえ気を使うアキュレスに、王は目を細めた。
しかし、すぐに真剣な顔をしてハルバードの方を向く。
「エイデン君は優しいねえ。
……してハルバード、本当に話してないの? 当日の事」
どこか責めるような王の視線に、ハルバードは目を逸らして答えた。
「……はい。まだ彼には真実を受け止めきれる状態ではないと判断しましたので」
ハルバードは今までその事実をアキュレスに隠し続けていた。実際、まだ明かすつもりでもなかったのである。
しかし王は無情にもそれを明かしてしまった。そして、更なる真実をアキュレスにぶつけようとしている。
ハルバードはそれは避けたかった。いくらアキュレスが大人だとはいえ、彼の両親の死にざまを今知ることは、とても酷なことだと思ったからだ。
アキュレスは覚悟を決めたような顔で、ハルバードに向かって言った。
「話してくれ、ハル」
「アキュレス……しかし、」
言い淀むハルバードに、王の言葉が突き刺さる。
「君も案外過保護だねえ。むしろ、あの君が今まで話していなかったことが不思議で仕方ないよ。今話さずに、いつ彼に真実を話すのさ」
「……わかりました、話します。
アキュレス、これから話すことは真実だ。私が知ることの全てを話そう」
「うん、頼むよ」
ハルバードは、静かに語り始めた。
◇
――その日、ハルバードと当時3歳の幼きアキュレスはエイデン夫妻に見送られようとしていた。
「じゃあハル、アキュレスをよろしくね」
「よろしくね、ハルバード」
「ああ、今日は二人でゆっくりするといい」
クリフォードは前日、久々の完全なる休暇が取れた事を嬉々として報告すると、ハルバードにある"お願い"をした。
『アキュレスを連れて一日出掛けてくれない?』と。
その理由は、たまには夫婦水入らずでゆっくりと過ごしたいから、というものであった。
勿論ハルバードはそれを承諾し、次の日の朝からアキュレスと出掛けようとしていた。
「いってきあす、おとーしゃん、おかーしゃん!」
「あー、可愛い! いってらっしゃい、アキュレス」
「ふふ、気を付けてね。二人とも」
玄関のドアを出ようと二人が後ろを向き扉を開けようとしたが、咄嗟にクリフォードがハルバードを呼び止めた。
「っ、ハルバード!」
ハルバードがちらりと振り返ると、どこか切羽詰ったような顔の主と横にいたマリアの切なそうな表情が見え、彼は不思議に思い、もう一度向き直った。
するとクリフォードは真剣な顔でハルバードの目をじっと見ながら、ゆっくりとこう言った。
「アキュレスを、よろしく頼む」
いつになく深刻な顔でそう言ったクリフォードに近寄ろうとしたが、『早く行ってきなさい』とマリアに切ない笑顔で言われ、何か心に引っ掛かりを感じながらも、ハルバードはアキュレスを連れ、エイデン邸を後にした。
何時もの彼であれば、マリアの言葉を聞かずに家に居座ったかもしれない。しかし、その時ハルバードは朝からひどい頭痛がしていたが故に、それをしなかった。
パタリと閉まった扉を、夫婦は悲しそうに見つめていたのであった。
波止場公園で嬉しそうに船を眺めるアキュレスを、ハルバードは近くのベンチから見ていた。
ガン、ガン、と頭の中がうるさく鳴っている。いまだかつてこの様な事は経験したことがなく、ハルバードは頭を押さえながら考えていた。
(これは……この嫌な感じは何だ)
しかしお昼頃になると、何故かその頭痛はすっかりと治ってしまった。先程まで感じていた悪寒もしなくなっている。
「はる、だいじょうぶ?」
「ああ、もう大丈夫だ。心配ない」
「よかった!」
心配する幼子を見て、ハルバードはひとまず治ったのだからと、深く考えることはしなかった。
日が落ちてしばらくすると、遊び疲れたアキュレスが眠そうに目を擦った。
「うー……」
(もう頃合いか)
「帰るぞ、アキュレス」
「あい」
ハルバードはアキュレスを抱きかかえ、エイデン邸へと帰って行った。




