19話 衣装とは魔法の一つである
「目を瞑るなと、言っているだろうが!」
「うわぁっ!!」
ナツの背中が思い切り蹴られ、彼女は派手に転けた。
数日間休んでいた訓練を久しぶりに始めたナツは、恐ろしいほど感覚が鈍っていた。
攻撃が当たる前に目を瞑ってしまう癖が再発していたのである。
「ほら、立てこの愚図が」
(痛くないけどひどい!)
「うぅ、ごべんなざい……」
「お前にはまだ調教が足りなかったか? ならばしっかりと躾けてやる。覚悟をしろ」
「ひ、ひぃぃぃ!! だ、誰か助けて!」
「ふ、ここには助けなど来ない」
「それ悪役の台詞! ぎゃあっ!」
相変わらずのスパルタ訓練が、再開したのであった。
◇
久々の訓練が終わり、ナツはヘトヘトになりながらも風呂で至福の時を過ごしていた。
「ふわぁ~~!! 極楽極楽~♪」
どこか親父くさい台詞を吐きながら、彼女はこれからの自分についてゆっくりと考え始めた。
(そういえば、ここに来てだいぶ経つなぁ……。王位継承権争いまであと約一ヶ月くらいだ。私、本当に大丈夫なのかな?
さっきハルバードさんが『お前は相手の攻撃を受けるだけでいい』って言ってたけど、そもそも戦いってどんな感じで進むんだろう……? 次の訓練の時に聞いてみよ)
ふんふーん、とご機嫌な様子で鼻歌を歌いながら浴槽に浸かっていると、カチャリと脱衣所の扉が開く音が聞こえた。
「え!? だ、誰?」
(ま、まさかアキュレスさん!? いや、リナシーさんかも? ハルバードさんだったらどうしよう!!)
彼女は瞬時に、それぞれの人物が入ってきた時の反応を考えた。
ーーアキュレスの場合
「え!? ご、ごめんナツ!! 入ってるの知らなかったから!! み、見てないから安心してね! じゃあ!」
ーーリナシーの場合
「ん? あらナツちゃん、入ってたのね。ごめんなさいすぐ出て行く……あ、1枚だけ撮ってもいいかしら?」
ーーハルバードの場合
「……何でお前が入っているんだ。仕方ない、一緒に入ってやろうか?」
(お、男であるアキュレスさんがまさかの一番安全!? ひぃぃぃどうしよう!)
そのまま脱衣所に出るわけにもいかず、浴槽で体育座りをしてドキドキしながら出て行ってくれるのを願っていたが、それは叶わず、ガラリと浴室の扉が開いた。
「きゃーーーー!! ……え?」
入ってきたのは、リナシーの使い魔であるミニメイドであった。どうやら迷い込んでしまったらしく、困った様子でふよふよと飛んでいる。
「な、なんだぁ、ミニメイドちゃんだったのか……。迷っちゃったんだね、じゃあ後で一緒に……」
すると、ドタドタとこちらに向かう足音が、"三人分"聞こえてきた。まさか……と嫌な予感がした。
バンッと荒々しく扉が開く。
「ナツ! 叫び声が聞こえたけどどうし……え!? ご、ごめん!! 見てないから、見てないからね!!」
「え、御主人様どうし……あら、こんなところにいたのね、私の使い魔ちゃん! ごめんなさいね、ナツちゃん! あ、1枚だけ撮ってもいいかしら?」
「何だ、特に何もなかったではないか。無駄足……いや、そうだなこのまま私も入るか。いいだろう、ナツ?」
ナツの予想は大正解であったが、そんなことよりも彼女の顔はまるでゆでだこ状態である。そして震えた声でこう叫んだ。
「で、でてってくださぁぁぁぁい!!!!」
「ナツー、そろそろ機嫌許してくれないかなぁ~……。ほら、ナツの好きなお菓子、買って来たんだよー」
アキュレスは、ぷんすか!と怒っているナツを物で釣ろうとしている。リナシーも、必死にミニメイドで彼女のご機嫌取り。ハルバードは相変わらず、そもそも叫んだのが悪いと開き直っている。
「ふ、ふん!」
(もうお嫁にいけない……!)
◇
そして夕飯どき、彼女は打って変わってご機嫌だった。
リナシーが、彼女の大好物のデミグラスソースのハンバーグを食卓に出したからである。
ケロリとした顔でハンバーグを食べる彼女を見て、どうにかして機嫌を直さなきゃと真剣に策を練っていた大人三人は、安心したと同時に、どっと疲れたのであった。
(やっぱりこのハンバーグすごくおいしい!)
「~♪」
「よ、よかった……。あ、そうだ!」
アキュレスが急に大きな声を出すと、他の三人が彼に注目した。彼は続ける。
「明日なんだけど、ナツとハルが明後日の円卓会議で着る用のスーツを買いに行ってきて欲しいんだ。私以外の三人でね」
アキュレスの言葉に、リナシーが真っ先に反応した。
「わたくしも、ですか?」
「うん。リナシー、服を見繕うの得意でしょ? 客観的に見てあげて欲しいんだ。それに、たまには気分転換しないとね!」
それを聞いたリナシーは、歓喜に満ち溢れた様子でお礼を言った。
すると、今度はハルバードが疑問を口にする。
「私も新調する必要があるのか?」
「あー、うん。明後日は"国王"も来るからね。一応頼むよ」
「……そうか、了解した」
"円卓会議"と聞いたナツはハッとし、途端に緊張し始めた。
(わ、私も出ること忘れてた……。しかも、国王も来るの!?)
そんなナツの顔を見て、アキュレスは慌てて彼女の肩に手を置き、彼女を安心させるために努めて明るい声を出した。
「大丈夫だよ、ナツ! 国王って言っても、普通のお爺ちゃんだから! それに、ナツ達は顔合わせするだけで、何かしなきゃいけないわけじゃないから。ね?」
その言葉にナツはほっと胸をなでおろしたが、実際にはまだ少し緊張していた。すると、ハルバードがそんな彼女を見て、追い打ちをかけるようにこう言った。
「とはいっても、正式な場だ。アキュレスに恥をかかせるなよ?」
「ふ、ふぁい……がんばります……」
「プレッシャー与えてどうするのさハル……」
ナツは後の円卓会議を想像し、『アキュレスに恥をかかせないためには……』、『国王に何か聞かれたら……』と、頭の中で心配事が右往左往していたのであった。
◇
次の日、三人は朝からポースリアの街に繰り出していた。向かっているのはアキュレス御用達の紳士服の店である。
リナシーは念願の『ナツお出掛け』という夢が叶い、とても嬉しそうに張り切っていた。
「遂にナツちゃんとのお出掛けが……! ……一人余計なのがいるけど」
彼女がじとりとハルバードを見ると、彼は心底面倒臭そうな顔をして、煙草の煙を吐いた。
「やかましい。さっさと買って帰るぞ」
「あ、あはは……まぁまた今度二人でお出掛けしましょうね、リナシーさん!」
「ナツちゃん……!
あ、ここの店よ!」
リナシーが指差したのは、これまた高そうな紳士服の店だった。ショーウインドウには、今流行りであろうデザインのスーツが飾られている。
(ま、また高そうなお店だなぁ……)
三人が店に入ると、店内はとても落ち着いた雰囲気で、様々なスーツが並べられている。奥には女性用のスーツコーナーもあった。
いらっしゃいませ。と近づいてきた店員に、リナシーは早速注文を始めた。
「この二人のためのスーツが欲しいの。まずは女性用のを案内していただけるかしら?」
「かしこまりました。そちらのお客様は如何致しましょう?」
「私は自分で見て回るので結構」
「承知致しました。では、お二方はこちらへどうぞ」
奥に案内された女性二人は、様々なデザインのスーツに心を躍らせていた。
「スーツってこんないっぱい種類があるんですね!」
「ええ、ワクワクしちゃうわ! そうねぇ、フォーマルタイプのものがいいんだけど、あんまりかっちりしすぎないものがいいわ」
「かしこまりました、少々お待ちくださいませ」
そして店員が持ってきた様々なスーツを、ああでもないこうでもないと言いながら選んでいった。
「これがいいわね! ナツちゃん、ちょっと試着してみて」
そう言ってリナシーが差し出したのは、ワンピースとジャケットであった。
ベースは黒いノースリーブのワンピースで、袖がついた白のドット柄のシフォン生地が重なっている。短めの袖はパフスリーブになっており、透け感のあるデザインだ。黒の太いラインが入ったハイウエストで、Aラインのシルエットは可愛らしく、しかしフォーマル過ぎてはいない。
そのワンピースの上に合わせるのは、首ものと開きが大きい、少し光沢のある黒のテーラードジャケット。一つしかないボタンの上には、リボンがあしらわれていて、隠しボタンとなっている。その真横にはポケットが左右に付いており、袖は捲るように少し長めに作られている。
「か、可愛い! これ、着てみます!」
「では、試着室へとご案内させていただきます」
リナシーとナツが試着室の前まで連れてこられると、ハルバードも別の店員に試着の案内をされているのが見えた。
「ハルバードさんだ」
「あら、ハルバードも決めたのね」
「ああ」
「ではこちらでお願いいたします」
二人が試着室に入り、その間にリナシーは小物類を楽しそうに探していたのであった。
カチャリ、と二人の試着室の扉が同時に開いたのに気づき、リナシーと店員が急いで戻って来る。
「どうかしら……あら、二人ともよく似合ってるじゃない!」
すると、ナツとハルバードはお互いの姿を見た。
「ほう、馬子にも衣装だな」
「なっ……!!」
ナツは文句の一つでも言いたいところであったが、それどころではなく全身が熱くなっていた。
(か、格好いい……!!!)
ハルバードが着ていたものは、白のシャツに黒のストライプスーツ、ジャケット、グレーのネクタイという至ってシンプルなスーツ姿であったが、きちんとジャケットまで着ているのを初めて見たナツは、そのスーツマジックに魅了されていた。
店員の女性も赤面しながら、よくお似合いです……と見惚れている様子だ。
しかし、リナシーだけは顔を顰めて唸った。
「うーん。似合ってるけど、シンプルすぎない?」
「別にいいだろう。アキュレスより目立つわけにもいかない」
「そうねぇ、でもせめてポケットチーフはちゃんと入れなさいよね!」
「はいはい、仰せのままに」
ハルバードはリナシーを片手であしらい、裾直しを店員に頼んだ。
それを見たリナシーが、全くこの男は!と眉を顰めていると、横で未だに惚けているナツに気が付いた。
「ナツちゃーん、おーい?」
「……はっ! な、なんでしょう!」
「あら気づいた。うふふ、ナツちゃんもとってもよく似合ってるわ! 私はこれがいいと思うけど、ナツちゃんはどうかしら?」
「私も気に入りました! これがいいです!」
くるりとその場で回ったナツを見て、リナシーはその姿を一枚収めたいという衝動に駆られたものの、そこはぐっと我慢しナツに着替えるよう伝えた。
ナツが着替え終わると店員がそれを預かり、レジへと向かって行く。ハルバードも裾上げの準備が終わり、別の店員がスーツ一式を持って行った。
会計が終わった三人は、ハルバードのスーツの裾上げが終わるまで、近くの店にランチをしに行くことに決めたのであった。




