2話 とどのつまりセカンドライフ
真っ暗で何も見えないし、何も聞こえない。
そんな空間に、神代ナツはぽつんと立っていた。
「こ、今度は何? うう、もう早く目ぇ覚めてよぉ……」
その場にしゃがみ込み泣きそうになっていると、どこからともなく老いた男性の声が暗闇の中で響いた。
――ああ、やっと会えましたな。神代ナツ!
ナツがキョロキョロとあたりを見回しても、そこには闇があるだけで誰もいない。
「だ、誰ですか!?」
ナツはとりあえず上に向かって叫んでみた。
すると姿は現れないものの、同じ老人の声が返ってきた。
――私はあなたの守護神ですぞ。私が職務怠慢をしてしまったばっかりに、あなたはトラックに撥ねられ死んでしまった……。
せめてもの償いとして、あなたを別世界に送りますぞ。
強くてニューゲームにしてあげるから、楽しんでネ!
「……。ええーーーー!! 意味が解らん! というか私あの時死んだの!?」
職務怠慢って、どうしてくれるんだ!
そもそもこれ夢じゃないの!?
こんなご都合主義な展開があるか!
色々と端折りすぎだろ!
馬鹿野郎が!
などと、言いたいことは山ほどあったナツだったが、不可思議な現象を立て続けに体験していたせいか、考えることを放棄しつつあった。
それが彼女の能天気すぎる性格のおかげなのか、碌でもない守護神のおかげなのかはわからないが、ナツはとりあえず『何とかなるだろう!』と、己の運命を受け入れようとしていた。
――大丈夫。もう元の世界には戻れないけど、ナツならきっとやれる!
「はぁ……。じゃ、じゃあとりあえず頑張ってみます」
ナツがそう決心した瞬間、真っ暗だった空間が明るみ始めた。
――さすが私の"元"守護対象! じゃあ、頑張るのだよ!
もう私は君の面倒見られないから。
「え、なんか今ボソッと聞き捨てならない言葉が聞こえたんですけど……。ちょっと!?」
彼女の叫びに、もう守護神からの返事はなかった。
◇
先程とは打って変わって真っ白な空間。
呆然としている彼女の耳に、かすかに男性の声が聞こえてくる。
ーー……ろ。……きろ。
「な、なに……? 聞こえ……」
「起きろと言っている、この愚図が」
「ぎゃあっ!」
ナツが寝床から蹴り落とされたのを理解したのは、彼女の目の前に大きなベッドが佇んでいるのと、その奥で紅い瞳を光らせている男が足を上げているのを見た時だった。
彼の表情は見えない。
「はぁ……。やっと起きたか、ナツ・カミシロ。あれしきの事態で気絶するなど、情けない」
やっとのことで起き上がると、先ほどナツに猛火をぶつけようとしてきた黒髪の男が、彼女を冷たく見下ろしていた。
(ば、ばいおれんす……)
「え、あ、あの……。あれ、ここどこ?」
蹴られた個所をさすりながらキョロキョロとあたりを見回す。
男から心底あきれたようなため息が聞こえた。
「何だ。まだ信じられないか、まだ覚めないか。ここが現実だ、ナツ・カミシロ。異世界から来たのか何なのかは知らないが、いい加減受け入れろ」
パチクリと瞬きを繰り返し何も答えないナツに、男は苛立ちを隠せない様子だ。
「まぁまぁ、仕方ないよハル。彼女はどうやら本当に遠い異世界から引っ張ってきちゃったみたいだし」
「ア、アレスキューさん!」
「"アキュレス"だよ、お嬢さん」
男の後ろからゆっくりと歩いてきたのは、またもや困った笑顔のアキュレス・エイデンだった。
ナツは間違いが恥ずかしかったのか頬を赤くし、すみません……と小声で謝った。
しかし笑顔のままな彼の表情に少しばかりほっとした様子のナツをみて、アキュレスは続ける。
「ごめんねナツ。これからちゃんと一から説明するからね」
いまだにどこかボーっとしている異世界から来た神代ナツに、アキュレスは努めてわかりやすいようにこう説明した。
ナツが今いる場所は、『プロメス王国』の五大地方のひとつである『シュロネー地方』。そしてその地方を統べるアキュレス・エイデン侯爵の住まう邸宅である。
現在、このプロメス王国では次期王位継承をめぐる"いざこざ"が起きていた。
その原因は本日より三日前、現国王であるプロメス王の一言から始まった。
「次期王は、五爵の中から一番強い者にしよう! スタートは〜……準備もあるから、三ヶ月後からね!」
その言葉があってからというもの、各地方を統治している"爵位"を持った者たちが、互いの命を狙う為に様々な準備をしている、という状況である。
爵位は五つに分かれており、上から『公爵』、『侯爵』、『伯爵』、『子爵』、『男爵』である。上の立場の者ほど、統治する土地の広さが大きい。
アキュレスは五爵の中で二番目の権威を持つ『侯爵』で、先代のエイデン侯爵からシュロネーの土地を受け継いだ。
勿論アキュレスも王位継承権を持ったひとりだが、彼はさほど王という地位に興味を持っていなかった。
しかし他の領主たちはそんな彼にはお構いましに、むしろ好都合だと着々と準備を進めているのであった。
(なんだかすごいところに来ちゃったな……。公爵とかって歴史できいたことあるような? ないような?)
ちなみに、ナツの世界における実際にあった爵位の制度とは似て非なるものである。
ここまで聞いてナツは、どこかの国の事情か何かだと思っていたが、そんな現実味が次の事項で崩壊した。
この世界には所謂"魔法"というものが存在するという。
定番中の定番である炎や水など自然系の魔法はもちろんのこと、浮遊、破壊、召喚術など様々な超常現象がこの世界での常識である。
五爵たちにはもちろん自分でも戦えるだけの力はあるが、民衆の手前や公務などもあるため、全面的に"いざこざ"を起こすわけにはいかなかった。
そこで彼らは円卓会議の中で、『自分の矛と盾になる使い魔を召喚し、それらに自分の命を預ける』ということを決めたのであった。
要は『全面戦争ではなく暗殺し合いましょうね!』という事である。
そして、先程からナツに冷ややかで鋭すぎるナイフのような言葉を突き刺している男の名は、『ハルバード』。
ハルバードという言葉は"矛"という意味を持ち、その名の通り彼がエイデン侯爵を守るための矛である。
召喚といっても、本来は実際にどこからか連れてくるという事ではなく、厳密に言えば『創造』である。
主の魔力が強ければ強いほど、優秀な使い魔が召喚できる。
神代ナツの場合は、どうやら不具合で異世界から"本当の意味で"召喚されたらしい、ということであった。
いきなりの超展開にもう一度意識を失いそうになりながらも、頭を押さえながらナツはアキュレスに問いかけた。
「えっと、なんとなく話は分かったのですが……。私、魔法なんぞ見たこともないですし、もちろん使えないし。
盾なんてできないんじゃないかなー? なんて……」
その問いに、アキュレスは申し訳なさそうに答えた。
「うん、そうだよね。でもごめん……。本当は、異世界から来た女の子に盾なんて荷が重すぎると思って元の世界に帰してあげたかったんだけど、君が気絶している間に何度帰そうとしても、魔法陣がピクリとも反応しなくてね……。
それに召喚術には制約があって、私はこれから新たな盾を召喚することはできないんだ。
君はどうやら魔法攻撃が全く効かないみたいだし、攻撃を防いでくれるだけでいいから盾をやってくれると嬉しいな……?」
「え」
「あきらめて盾となれ、ナツ・カミシロ」
ああ、やっぱりあの守護神の言う通りなのか、私は死んだから元の世界に戻れないのかと、ナツはあまりの現実に膝から崩れ落ちた。
「どうしよう……。私本当に異世界にきちゃったの……?」
「もちろん生活のサポートは全力でするし、不自由はさせないつもりだよ」
アキュレスが崩れ落ちたナツの肩に手をポンと置いて、優しく言った。
今の彼女にとっては、その優しさが唯一の救いであった。
「ア、アキレスケンさん……!」
目をウルウルとさせて見上げるナツに、アキュレスはまるで小動物の様だと思いながら、今度はその小さな頭を撫でた。
「ふふ、惜しいね。私の名前は"アキュレス"だよ、可愛いお嬢さん」
「す、すいま、せ…ん……」
ナツがまた恥ずかしそうに謝ったかと思えば、ふらりと突然倒れてしまった。
アキュレスは急な出来事に焦り、仰向けになって動かない彼女を急いで抱き起こす。
ナツは身体的にも精神的にも疲れが溜まっていたせいか、急激な眠気が襲い、その場で眠ってしまったようだ。
「ああよかった、寝ちゃっただけみたいだね」
「本当にこんなので大丈夫なのか」
ハルバードはそんなナツの様子を見て、ため息交じりに言った。
アキュレスはナツの頭をもう一度撫で、ベッドへと寝かせながら笑った。
「ははは、大丈夫だよきっと。私の力になってくれるさ」
ナツを見るその眼はとても優しい。
ハルバードはやれやれといった表情でそんな彼を見た。
「お前のそのお人好しは、いつか身を滅ぼすぞ」
「そのときは、ハルがなんとかしてくれるんでしょ?」
にこりとアキュレスがハルバードに笑いかけると、ハルバードはすこしだけ目を見開いたが、すぐにいつものように鋭く睨む。
「……驕るなよ駄目侯爵。ひねり潰すぞ」
「あはは……。それは勘弁してください……」
アキュレスは再び情けない声を上げ、明日も早いからもう寝ないと!と逃げるように自室へと戻った。
ハルバードはいつの間にか窓の外がうっすらと明るみ始めたのを見て軽く欠伸をし、ベッドの上のナツを見た。
(この間抜け面が"盾"ねえ……)
すやすやとのんきに寝ている彼女にちょっとした苛立ちを覚え、ハルバードがデコピンをすると、ナツの顔が苦悶の表情に変わり、むーっと唸る。
その顔がおかしかったのか彼は小さく笑い、どこか満足げな表情で床についた。