17話 本物は桁違いである
「お騒がせしました、もうすっかり元気です!」
熱を出した二日後、彼女はすっかり元気な姿に戻っていた。
他の三人は安心した様子で、朝食をパクパク食べるナツを見た。
「よかった、ナツが元気になってくれて。まだ頭痛とか、怠いとかない?」
「ありがとうございます。もう全然大丈夫ですよ! あ、そうだハルバードさん」
「何だ」
「今日の訓練は何時から始めますか?」
「ああ、それなら……」
「それなら今日の訓練は無しだよ」
ハルバードの声を遮って、アキュレスが彼女に向かって言った。ナツはとても吃驚している。
「……ああ。その通りだ」
「え!? どうしてですか? 元気になりましたし、私なら全然大丈夫ですよ!」
まさかもう用済みになってしまったのかと、ナツに不安がよぎる。しかし、そんな彼女の心配は杞憂に終わった。
「うん、今日はナツと『デート』しようかと思って!」
にっこりとして堂々とデートに誘うアキュレスに、彼女は一瞬固まったが、すぐに顔を赤く染めた。
「え。でーと、ですか……!?」
「うん。私とデートしてくれますか? 可愛いお嬢さん?」
ナツは誰かと付き合ったことはないが、デート自体は経験したことがある。しかし、それはどれも子供同士のちょっとした"お出掛け"でしかなかったが、今回の相手はアキュレスである。
初めての大人とのデート(彼女も成人しているが)に、ナツは心を躍らせたが、同時に彼女の頭にある疑問が浮かんだ。
「は、はい。もちろんです! でも、どうして急に……?」
「んー? ほら、最近訓練ばっかりで無理させちゃってたでしょ? だから息抜きに、と思ってね」
「ア、アキュレスさん……!!」
ナツはアキュレスの気遣いに感動し、目をウルウルとさせている。しかし、何か心に引っ掛かりを感じていた。
(……? なんだろう。すごく嬉しいのに、なんかもやもやする……?)
なんとなくハルバードをちらりと見ると、彼はいつものように煙草を吹かしながら新聞を読んでいる。
それを見て特に何も思わなかった彼女は、気のせいか!とアキュレスの方を向き直し、とても嬉しそうにお礼を述べた。
「ありがとうございます! 楽しみだなぁっ……!」
「ナツ、今日はどこに行きたい?」
「うーん、おいしいものが食べたいです! あとは、楽しいところ!」
「ふふ、ナツらしいね」
二人はキャッキャウフフ、とデートのプランについて話していたが、その傍らでリナシーが恨めしそうしていた。
彼女はむくれながらアキュレスに文句をぶつける。
「ずるいですわね、御主人様。わたくしもナツちゃんとデートしたかったのに……」
「ごめんね、リナシー。それはまた今度ね」
「リナシーさん、今度女子会しましょうね!」
「ナツちゃん……!」
リナシーは可愛らしく笑うナツに悶えている。
ハルバードは相変わらずやかましいなと思いながら、静かにコーヒーを啜っていた。
玄関を出ると、アキュレスは優しくナツの手を取った。
「さて、おいしいものは夕飯に取っておくとして……。じゃあ、行こうか。こっちに車庫があるから」
あまりにスマートに手を取られ、ナツは一瞬そのまま行こうとしたが、改めて自分が男性と手をつないでいるのを意識して、慌ててアキュレスを呼び止めた。
「あ、あきゅれすさんっ!? て、手っ……!」
「ああ、ごめん。嫌だった?」
少し悲しそうに笑ってアキュレスがパッと手を放すと、ナツは慌てて彼の腕を掴んだ。
「ち、違いますっ! その……私、こういうの、慣れてなくて……」
えへへ、と照れ笑いするナツにアキュレスは目を細め、もう一度優しく手を取った。
「ふふ、よかった」
(改めて見ると、アキュレスさんってやっぱり爽やかでかっこよくて王子様みたいだなぁ……)
ナツはアキュレスの微笑みを見て、顔がかあっと熱くなった。
◇
屋敷の中では、相変わらずリナシーが膨れながら食堂でコーヒーを飲んでいた。
「あーあ、いいなぁ御主人様。ナツちゃんとデート……」
「やかましい。貴様にはやることが山ほどあるだろうが」
「わかってるわよ! あなたは何回かナツちゃんとデートしてるからいいかもしれないけどねぇ!」
「? あいつとデートなんかしたことはない」
「思いっきり二人で街巡りしてたでしょうよ! ああいうのをデートっていうの!
もー、うらやましい。私だってナツちゃんとお洋服見たり、カフェでスイーツ食べたり……写真撮ったり……」
リナシーはナツとの理想のデートをぶつぶつと呟いている。
(あれがデート、ねえ)
「……あれが私なりのデートだと思われるのは不本意だな」
「……どんな扱いをしてたのよ、あなた」
◇
「わあっ!!! すごい!!」
「楽しんで貰えて何よりだよ」
二人はシュロネー地方の隣に位置する『グロリア地方』の城下町、『アルヴァディア』に来ていた。
『国立魔法技術博物館』と名付けられた建物に入ると、そこにはファンタジーの集大成ともいえる、魔法に関する展示がずらりと並んでいた。
この世界にとっては、『魔法』は『科学』のような扱いである。ナツの考えていたファンタジーとは少し異なる。この世界では皆、魔法は一つの"ツール"として扱っているのだ。
博物館には体験コーナーなども併設されており、様々な魔法の実験を体験する子供たちを見ながら、一緒に楽しんでいた。
魔法が使えない彼女にとって、そこはまるで楽園であった。アキュレスははしゃぐ彼女を見て、連れてきてよかったと安堵した。
「見ていてくださいアキュレスさん! もしかしたら私にも魔法が使えるかも!」
ナツはやろうとしていたのは、『炎と氷の魔法をぶつけてみよう!』というもので、専用器具から出力する魔法を氷か炎のどちらかから選び、それに対して自分の魔法をぶつけて力比べができるというものであった。
彼女は氷を選択して柵の前に立ち、先程子供がやっていたように前方に手をかざす。
しばらくして、前方から氷がナツに向かって噴射された。
柵が設けられており、直接それが当たることはないが、急激に寒さを感じるほどの冷たさである。
無論、彼女は何も感じてはいない。
「ふぉぉぉ、炎よ、でろぉぉぉ」
しかしいくらナツが念じても、その手から炎は出てこなかった。
むしろ、本来ならば分散される魔法がナツへと集中し、彼女の目の前でキラキラと消滅している。
「あはは、やっぱりこうなっちゃうんだね……」
「うぅ、やっぱりだめでした……。でも、すんごく楽しいです!!」
「ふふ、それはよかった」
ひとしきり博物館を楽しんだ後、二人は近くのカフェでランチ食べ、店を出るとすぐに後ろから声をかけられた。
「あらぁ、エイデン侯爵じゃなぁい」
その声に二人が振り返ると、そこには見るからにブランド物に身を包んだ、美人のマダムが立っていた。
まるでパーティー帰りであるかのような、鮮やかな赤色のタイトなロングドレスの上には、黒のスーツジャケットを羽織っている。ピンヒールのパンプスや、値段がとても高そうなサングラスなどの小物類が、彼女を更にゴージャスに輝かせている。ダークブラウンの髪にはウェーブがかかり、その姿はまさに"セレブ"である。
ナツは初めて見る本物のセレブに、ドギマギしていた。
アキュレスは一瞬だけ面倒くさそうな顔をしたが、すぐに爽やかな笑顔で女性に挨拶をする。
その顔はまさにビジネススマイルである。
「こんなところでお逢いするとは。奇遇ですね、『バグリー公爵夫人』」
(こ、この人が、公爵夫人……?)
バグリー公爵夫人はグロリア地方の領主で、五爵の中で最も高い権威を持つ者である。
「ええ、本当に。……あらぁ? もしかしてお邪魔だったかしらぁ?」
公爵夫人はちらりとナツを見ると、にやりとした笑みを浮かべ、わざとらしく謝った。
ナツは初めて見る公爵夫人に、どう挨拶したらよいかわからず、緊張した顔でアキュレスの横で固まっていた。
「ふふ、侯爵も隅に置けないわねぇ。"使い魔"と逢いびきだなんて」
ナツはすぐに否定をしようとしたが、その前にアキュレスが相変わらずの笑顔で答えた。
「おや……わかっていらっしゃるなら、ここは私に格好付けさせてください、夫人」
「うふふ、そうねぇ。
そうだわ、今日はハルバードはいないのかしらぁ?」
ハルバード、という名前が夫人の口から呼ばれ、ナツはピクリと反応した。
「残念ながら、彼は今日は留守番です」
「それは残念ねぇ……。まぁ次の円卓会議を楽しみにしていますわぁ。ではまたね、侯爵に小さな使い魔さぁん」
「はい、ではまた」
「はっ、はい!」
公爵夫人は、クスクスと笑いながら前方の若い男性の元へ近寄り、腕を絡めて街の中へと消えていった。
(き、緊張した……)
「あ、あれが公爵夫人……」
「ごめんね、ナツ。あの人は誰にでもあんな感じだから、気にしないで」
「はい……。あの、ハルバードさんも……知り合いなんですか?」
ナツはなんとなく、彼女とハルバードの関係性が知りたくなって、アキュレスに尋ねた。
「うん、ハルは何度か会ってるよ。最近は全然だけどね」
「そう、なんですか……。にしても、随分と若い旦那さんがいるんですね?」
「ん? ああ、あれは……」
アキュレスは少し困ったように、苦笑いをして言った。
「あれは、まあ。新しい恋人、ってところかな……?」
「え?」
何だかディープな話題を吹っ掛けてしてしまったと、ナツはハッとして口を噤んだ。しかしアキュレスはあまり気にしていないようで、話を続けた。
「彼女の旦那さんは、数年前にご病気で亡くなったんだ。それで、夫人がグロリア地方を受け継いだってわけ。
まあ、あまり大きい声では言えないけど、彼女の男好きは昔からなんだ。さっきの男の人もきっと新しい恋人だろうね。まあ、公爵もそれをわかってて結婚したんだろうけど……」
「そうだったんですか……」
(だからって……なんか、感じ悪い!)
ナツが眉をしかめていると、アキュレスは仕切り直して言った。
「さあ! そんなことより、まだまだ夕飯の時間までたっぷりあるよ。次はどこへ行こうか」
それを聞いてナツの表情はパッと明るくなった。
彼女が、すぐそこに見える大きなデパートに行きたいとリクエストをすると、アキュレスは嫌な顔一つせず、夕飯の時間まで、彼女の思う存分ウィンドウショッピングに付き合った。




