16話 仰げば尊し
ハルバードは、あまり一人で街に出たりはしない。その理由は、一人で歩いていると誰かしらに面倒臭く絡まれるからである。(主にそれは女性である)
しかし彼は本日一人で、住宅が多く建ち並ぶ『ヴェシン』に来ていた。
これはナツが悪夢の後、まだ熱で寝込んでいた日の出来事である。
◇
彼はアキュレスの命により、ある人物の家へと向かっていた。それは、かつてのアキュレスの恩師『ヤコブ・ボルトン』の家である。
仕事で忙しいアキュレスの代わりに、これから王位継承権争いをする事を伝えに行くためだ。
ヤコブはもうだいぶ前に教師を引退し、現在は隠居している。もう86歳になる彼は、現役時代、親がいないアキュレスのために色々と世話を焼いてくれていた、素晴らしい教師であった。
そして、ハルバード自身もアキュレスの保護者として世話になっていた。
本来ならば、国民に王位継承権争いについては知らせてはいけないこととなっている。
しかし、アキュレスはどうしても、世話になったヤコブにこの事を伝えたかった為、特別にプロメス王に許可をもらった。
自分は死ぬかもしれない。だから、今までの感謝をもう一度伝えたいと。
王も『まぁそれなら仕方ないよね』と、快く承諾してくれたという。
本来ならば直接会って話がしたかったが、どうしても仕事の都合で時間が取れないし、ましてや老体に鞭打って此処まで来てもらうためにも行かず、ハルバードに手紙を託したのであった。
「ここ、だな」
教えられた住所を辿ると、大きな一軒家の前に着いた。
ゆっくりと呼び鈴を鳴らす。すると、玄関から若い女性が出てきた。
モスグリーンのワンピースに、黒のカーディガンを羽織り、同じ黒のタイツを履いている。全体的に落ち着いた雰囲気だ。少し茶色がかった髪はボブカットにされており、目はくりっとしていて可愛らしい。
どことなくヤコブの面影を感じながらも、ハルバードは彼女のことは全く知らなかった。
女性はまさかハルバードのような青年が家に来るとは思わず、少し怪訝そうに尋ねた。
「はい、どちらさまですか?」
「こんにちは。アキュレス・エイデンの使いで伺いました、ハルバードと申します。ヤコブさんは御在宅で?」
「は、はい……少々お待ちください」
"余所行き"のハルバードに、女性は赤を赤くするも、急いで家の中に確認しに戻った。
数分後、すぐに女性が戻ってきてハルバードを招き入れた。
「おお! 久しぶりじゃなあ、ハルバード君。君は相変わらず"若い"ねえ」
「いや、中身は貴方と似たようなものだ。ヤコブさん」
「はっはっはっ! そりゃあ違いない。あの時はまだわしも若かったのになぁ、今じゃこのありさまだ」
ヤコブは足腰を悪くし、ベッドに寝たきりになっていた。ハルバードはその横にある椅子に座り、少し切なそうに老いた彼を見た。
黒かった髪は全て白髪に染まり、あれだけ逞しかった体格はもはや見る影もなく、顔には幾つもの皺が刻まれていた。
(やはり、人間はこうして老いてゆくのだな……)
「まだ充分お元気ではありませんか。アキュレスも貴方に会いたがっていましたよ」
「ああ、わしも会いたいのだかねえ、忙しそうじゃしな。あの頃とは比べ物にならないくらい、頼もしくなりおったな」
「ふ、そうですね。今じゃもう立派な領主ですよ」
暫くの間昔話に花を咲かせていると、先ほど出迎えてくれた女性がお茶を出しに部屋へと入ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。ヤコブさん、彼女は?」
「ああ、わしの娘じゃよ。遅くに生まれた子だから、君たちは知らないか。
ほら、『アリッサ』」
名前を呼ばれると、女性がハルバードに挨拶をした。
「初めまして。『アリッサ・ボルトン』です。父がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ。お父様には大変お世話になりました。
エイデン公爵の使い魔、ハルバードと申します。以後、お見知り置きを」
「は、はいっ、よろしく、お願いします……」
アリッサはにこやかに笑うハルバードにまたも赤面し、何だか照れている様子だ。
それを見たヤコブは豪快に笑いながら、冗談めいた口調でこう言った。
「なぁに照れとるんじゃ! まあハルバード君は男前だからなぁ。
そうだ、まだこの子は独身でね。ハルバード君貰ってくれんかのぉ」
「ちょっと! な、何言ってるのよお父さん! す、すみません……」
するとハルバードは尚もにこやかに返した。普段ならば、ありえないことである。
「いや、私にはこんな可愛らしいお嬢さんは、勿体無いですよ」
ありえない台詞である。
それを聞いたアリッサは、茹でダコのようになりながら、そそくさと部屋を出て行った。
「すまんのぉ、男慣れしてなくて」
「父親としてはそれが望ましいのでは?」
「まぁな!」
ははは!と豪快に笑う父の声をドア越しに聞きながら、アリッサは両手で熱を持った顔を冷ますように抑え込んだ。
「な、なんでこんな、ドキドキしてるの……?」
ハルバードは雑談もそこそこに、"本題"に入った。ヤコブにアキュレスから預かった手紙を渡し、読むように促した。
ヤコブはゆっくりとその手紙を読むと、静かに目を閉じて話し始めた。
「そうか……王位継承権争い、ねえ。またプロメス王も無茶なことを言い出す。でもまあアキュレス君のことだ。あまり心配はないな。
……覚えているかね。昔、彼が両親がいないことを知って、ひどく落ち込んでしまっていた時のことを」
「……ええ、勿論です」
ハルバードは、昨日のナツのように『置いて行かないで!』と懇願するアキュレスの姿が頭に浮かんだ。
自分だけ両親がいない。その事実を知って、彼はさほど取り乱したりはしなかった。表では。
しかし家では、ハルバードが自分の前から消えようとすると、あのように必死に叫ぶのであった。それをヤコブも知っていた。
「あの時、貴方がアキュレスに諭していなければ、今の様にはならなかったでしょう。感謝します」
「いや、わしは当然のことを言っただけじゃ。『人と違う事が当たり前だ』。それをきちんと理解できたのは、君の教育と、彼の賢さのおかげだよ」
「いえ、私はただ……」
「何だ、君らしくない。いつもなら、『当然だ』と、言うのだろう?」
「……ふ、そうですね」
ハルバードは目を瞑り、当時のことを思い出しながら微笑んだ。
あっという間に夕方となり、ハルバードがそろそろ帰らなければと言い出すと、ヤコブは彼にお礼を言った。
「ハルバード君、今日はありがとう。アキュレス君によろしくね」
「はい、伝えておきます」
「で、次は二人で来てもらおうかね。まさか、死ぬつもりではないだろう?」
「ええ、勿論です」
ハルバードがそう返事をすると、ヤコブは満足そうに頷き、アリッサに彼を見送るよう頼んだ。
「お邪魔しました。では、私は……」
「あ、あのっ!」
門を出て、駅の方へ歩き出そうとしたハルバードを、アリッサが呼び止めた。彼は振り向いて『……何か?』と言うと、アリッサが照れながら、意を決したようにこう言った。
「え、駅までご一緒してもいい、ですか……?」
ハルバードは断るのもなんだと思い、それに承諾した。
アリッサはパアッと表情を明るくさせお礼を言い、二人は並んで歩きながら駅へと向かった。
「あの、ハルバードさんはエイデン公爵の使い魔、でしたよね……?」
「ええ、そうです」
「じゃあ、あの、変なこと聞いて申し訳ないんですけど、ご結婚とかは……」
ハルバードはよく聞かれる質問に、内心面倒だと思いながらも、ヤコブの娘とあって、にこやかに答えるという"大サービス"をした。
「まさか、私をもらってくれる女性などいませんよ。それに、私はエイデン公爵の使い魔ですので、主人より先に身を固めるなど、言語道断ですよ」
無論、それは建前である。しかし、アリッサはホッとした様子で、よかった……と小さく呟いた。
アリッサは質問を続ける。
「ちなみに、他の使い魔さんはいるんですか?」
その問いに、ハルバードはふとナツの姿を思い出した。
えへへ!と笑う彼女、食いしん坊でお調子者な彼女、悲しそうな彼女、嬉しそうな彼女、元気な彼女、照れる彼女、にこっと微笑む彼女。
何故、たった一ヶ月あまりの時を過ごしただけの神代ナツのことが、こんなにも思い出されるのか彼は不思議に思った。
しかし、きっと昨日の風邪で参っていた彼女が印象的だったからに違いない、とハルバードは深くは考えなかった。そして、静かにこう言った。
「ああ、居ますよ一人。どうしようもない、間抜けな女が」
アリッサは悟った。
彼にはもう、心に決めた人がいるのだと。自分がそこに入る余地はないことを。
何故ならその時のハルバードの顔は、家に居た時の愛想笑いのようなものではなく、本当に何かを慈しむような、そんな柔らかな笑顔だったからである。
アリッサの目に涙が滲んだ。その顔を見せないように、彼女は俯きながら無理やり明るい声を出した。
「そ、そうだ! 私、お父さんに頼まれていたことがあったんです! 行かなきゃ……!」
「? そうですか、残念です」
「す、すみません! ではっ!」
来た道の方へ走り出したアリッサを、ハルバードは不思議そうに見たが、すぐに何事も無かったかのように駅へと歩き出した。
(そういえば、リナシーに買い物を頼まれていたな……クソが)
彼は心の中でリナシーに悪態をつきながらも、頼まれていたナツに食べさせる為のリンゴを買いに、ポースリアへと帰って行ったのであった。
◇
「おかえり、ハル。先生元気だった?」
「ああ。大分老いていたが、あの勢いは当時のままだ」
ハルバードはアキュレスに今日のことを細やかに話した。アキュレスは少し切なそうにその話を聞くと、彼にお礼を言った。
「ありがとね、ハル。今度は二人で行こう」
「そうだな」
二人がそんな会話をしていると、リナシーがハルバードに気づき、小走りで近づいて来た。
「おかえりなさい、ハルバード。それ、リンゴ? 買ってきてくれたのね、ありがとう」
「ああ。ほら、これで十分だろう」
ドサリと机に置いたリンゴは、到底病人が一人で食べられる量ではなかった。
「こんなに買ってきたの……まあいいわ。切ってナツちゃんに食べさせてくる」
そう言ってリナシーは大量のリンゴを厨房へと持って行き、ウサギさんがいいやらなんやら、鼻歌を歌いながら未だ熱にうなされているナツのためにリンゴを切り始めたのであった。
その後、ハルバードはふとナツの様子が気になり、彼女の部屋へと向かった。
そこにはすやすやと眠るナツがいる。もう昨日のような悪夢は見ていないようで、ハルバードは安心した様子でナツの頭をひと撫ですると、彼女を起こさないよう静かに部屋から出て行った。
「んぅー、あーよく寝た……」
(なんか、ハルバードさんが優しく頭撫でてくれる夢見ちゃった、えへへ~)
「ナツちゃーん……あら、起きてたのね! 具合はどう?」
「リナシーさん、もうだいぶ良くなりましたよ!」
その様子にホッとしたリナシーは、彼女にウサギ型に切ったリンゴを渡した。
「わあ! 可愛い! ちょうどリンゴ食べたかったんです、ありがとうございます!」
「うふふ、どうぞ召し上がれ」
ナツはハルバードの買ってきたリンゴを、しゃくしゃくと美味しそうに食べるのであった。




