13話 暗雲立ち込める
しばし三人で雑談をした後、子爵がふと感じた疑問を口にした。
「それにしても、ナツねえってまるで"本物の人間"みたいだね?」
「えっ?」
核心をついた発言に、ピクリとナツの肩が小さく跳ねた。
(分かりやす過ぎだ、馬鹿が)
ハルバードはちらりとナツを見てそう思ったが、彼は一切表情を変えず冷静にこう返した。
「それはまあ、アキュレスが召喚した使い魔だからな。あいつの阿呆さ加減がよく受け継がれているだろう」
ナツもそれを追うように慌てて取り繕う。苦笑いをするが、どこかぎこちない。
「それはそうですけど、阿呆はひどいですよぉ~……」
(わざとらしい)
「ああそうか、ハルにいは前のエイデン公爵が召喚したんだったよね! どおりで二人の雰囲気が真逆だと思ったよ」
子爵は納得したように、手をポンと叩いた。ハルバードはそれ以上の追求をさせないように話を進めようとする。
「そうだ。私とこいつを同じにするな」
「な、さっきからひどいですよ、ハルバードさん!」
「間違ったことは言っていない」
「ぐぬぅ……」
二人の漫才のようなやりとりに、子爵は爆笑した。しかし、子爵は尚も疑っている様子で首をかしげる。
「でもやっぱり本物の人間にしか見えないなぁ、何でだろうねぇ?」
ここからどうやってはぐらかそうかとハルバードが考えていると、急に部屋の電話がジリリリ!とけたたましい音で鳴り響き、子爵は受話器を取りに席を立った。
自身について余計なことは一切言うなと釘を刺されていたナツは、バレずに済んだ……とホッと胸を撫で下ろした。
子爵は、先程とは打って変わって真剣な表情で電話の対応をしている。
「そう……わかった。すぐに向かうよ」
ガチャリ、と受話器を置き二人の方を向くと、彼は申し訳無さそうに言った。
「ごめん二人とも。もっとお話していたかったんだけど、急にこれから出なきゃならなくなっちゃって……」
パチンッと手を合わせて、ごめんねっ!と彼は謝った。やはり一つ一つの仕草がどこかあざとい。しかしそれが許されるのは、ホルン子爵だからであろう。
ハルバードはそれを聞き、灰皿にタバコを押し付けた。
「そうか、仕事ならば仕方がない。帰るぞ、ナツ」
「あ、はいっ」
二人は帰る準備をし、子爵とその使い魔達に玄関まで案内された。
「本当にごめんね……。わざわざ来てくれてありがとう! また遊びに来てね、二人とも!」
「はい、ありがとうございました! あの、お仕事頑張ってください!」
「ありがとう、ナツねえ!」
「邪魔したな」
「ハルにいもありがとね、アキュレスにいによろしく!」
ナツとハルバードは子爵達に見送られ、ホルン邸を後にした。
ナツは門を出て少し過ぎると、後ろを見ながらため息をついた。
「はぁー、さっきはバレるかとヒヤヒヤし……いたっ!」
「お前は思ったことをすぐに表情に出し過ぎだ、馬鹿が」
バシッと背中を叩かれたナツは前にコケそうになる。しかしナツは文句を言いながらも彼に先程のお礼を言った。
「だからって叩かなくてもいいじゃないですかぁ……。
うぅ、でも助け舟出してくれてありがとうございました」
「次はない」
ハルバードはぶっきらぼうにそう言うと、煙草に火をつけ、スタスタと歩いて行った。
「き、気をつけます! ああ、待ってください!」
二人が駅舎へと戻る途中、外部の大人の姿が珍しいのか、小学生くらいの男児三人組がナツの方へと駆け寄ってきた。
「ん? こ、こんにち……きゃあっ!!??」
ナツの叫びにハルバードが振り返ると、彼女のフレアスカートがぶわりと上まで捲られていた。
「やった! 大成功!」
「白~!」
「なんだよ、大人なら黒とかセクスィーなの履けよなぁー!」
スカート捲りとは、なんとも小学生の男児らしい悪戯である。
ハルバードはため息をつき、まるで何事もなかったかのように『帰るぞ』と言ってナツのを見ると、スカートの裾をぎゅっと握りしめ、恥ずかしさに目を潤ませているのが見えた。
「うぅ、ぐずっ……」
(み、見られた! ハルバードさんにも見られた……!)
「……」
ハルバードはもう一度大きなため息をつきナツの横まで戻ると、公園へと走って行く子供達の方を向いて手をかざし、彼らを宙に浮かせた。
そしてギュインという音でもなりそうなくらいに、手荒くこちらへと引き寄せる。
男児たちは離せ!だの、下ろせよクソ!だのと、ぎゃあぎゃあ騒いでいる。
しかし一向に下ろされることはなく、次第に彼らの声も小さくなっていった。
185センチメートルの男よりも視線を上まで吊り上げられるというのは、子供にとって恐怖でしかない。
ハルバードは三人の顔をじっと見つめ、彼らが完全に沈黙するまで黙っていた。とうとう観念したのか三人は完全に口を閉ざす。
すると、ハルバードは彼らに向かって静かにこう言った。
「ごめんなさい、は?」
ひっ!と小さな悲鳴が3つあがった。そしてハルバードのあまりの怖さに、男児達は素直に謝った。
「「「ごめんなさぁい……」」」
「謝る相手は私じゃない」
「お、お姉さんごめんなさい!」
「もうしません!」
「許してください!」
急にバッと自分の方へ振り向いて必死に謝る彼らを見て、ナツはなんだか可笑しくなって小さく笑い、三人を許してやった。
それを聞いてハルバードはゆっくりと彼らを地面に下ろす。足がついた直後、男児たちは一目散に公園の方へと逃げていった。
「あの、ありがとうございます。私のために……」
へへへ、と情けない顔で笑う彼女を見て、ハルバードは黙って駅舎の方へと歩きだした。
「ああ、待ってください!」
「お前はもう少し威厳というのを身に付けたらどうだ? "大人"なんだろう?」
ハルバードは歩きながら呆れたようにナツを見下ろす。
彼女はぐぬぬ……と唸り、ハルバードの威厳がありすぎるんだと内心悪態をつきながら付いて行った。
こうして、ナツの『はじめてのおつかい』は無事終了し、二人はゆっくりエイデン邸へと帰ったのであった。
帰宅した二人は、アキュレスに本日の報告をしながら夕飯を食べていた。
「で、そのハンプティ・ダンプティっていうのはどんな使い魔だったの?」
「なんか仮面をかぶってて、全く喋らないんです。不気味だったなぁ……」
「"ずんぐりむっくり"でもなかったな」
「へえ、まぁ案外脆いのかもねー。名前の通りにさ」
そんな会話をしながらも、ナツは帰りの列車から頭痛がしており、少し辛そうに笑っていた。
(なんか頭痛いかも……)
「あ、あの。疲れちゃったので、明日の為に早く寝てもいいですか?」
ナツが恐る恐るアキュレスに問いかけると、彼は心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「もちろんだよ、大丈夫?」
「はい、では、おやすみなさい……」
「おやすみ、ナツ」
「……」
一瞬くらりとしたナツを、ハルバードは見逃さなかった。そして彼女の背中をじっと見ながら、何かを考えているようだった。
◇
「お、おはようございます……」
いつもより少し遅く食堂へと入ってきたナツの顔は赤く、息も少し荒い。
ふらふらと足取りはおぼつかず、とても辛そうな様子で椅子に座った。
「おはよう。あれ……ナツ、なんか調子悪そうだね。大丈夫?」
いつもとは違うナツに、アキュレスは心配そうに声を掛ける。ハルバードもそんな彼女を黙ってじっと見ていた。
「だ、大丈夫です……えへへ」
明らかに大丈夫ではない彼女を見て、ハルバードが口を開いた。
「アキュレス」
「ん、何?」
「使い魔が病気に罹る可能性は?」
「うーん。ハルを見ていた限り、0パーセントに近いと思っていたんだけどね。ナツの場合は特別なのか、そうでないのかはわからないな。
あの様子だと、普通に風邪を引いたんだと思うけど……」
「そうか……」
「リナシー!」
アキュレスはうーんと唸ってから、厨房にいるリナシーを呼んだ。すると、厨房から彼女がひょこっと顔を出す。
「どうかされましたか、御主人様?」
「ナツが風邪を引いたみたいなんだ。とりあえず医者を呼ぶから、来るまで部屋で様子を見ていてくれるかな?
朝食は後ででも良いから」
アキュレスにそう言われ、リナシーがナツの方を見ると、彼女は机にペタリと倒れこみ息を荒くしていた。
「え? ナツちゃん大丈夫!?
……了解しましたわ、御主人様」
ナツはもはや返事をする気力もなく、うぅ……と辛そうに唸っていた。
「では、部屋に運ぶぞ」
「私は氷嚢とかいろいろ準備していくから、先にお願い」
「ああ」
ハルバードはナツを抱き上げ彼女の部屋へと運んで行き、リナシーは急いで看病の準備をし始める。
アキュレスは既に医者に電話をしに廊下へ出ており、食堂からは一気に人がいなくなった。
「風邪ですね」
到着した医者がナツを診察し、横で心配そうに見ていたアキュレスに向かって言った。
「そうですか……」
「ひとまず解熱剤と鎮痛剤を5日分出しておきますので食後に飲ませてくださいね。
それでもまだ調子が悪いならまた呼んで下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
「水分は多めにとるようにしてくださいね。では、私はこれで」
「ありがとうございました。リナシー」
「はい、玄関までご案内致しますわ」
パタリと部屋のドアが閉まったのを見て、アキュレスは安心したように息を吐いた。
「よかった、変な病気じゃなくて……」
「あの、アキュレスさん……」
「ん? どうしたのナツ」
「迷惑、かけて、ごめんなさい……」
か細い声で辛そうに息をしながら謝るナツを見て、アキュレスはとても切なくなったと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ナツ、迷惑だなんて全然思ってないよ。むしろこっちが無理させちゃってた結果なんだから……。本当にごめんね」
「い、いえ。そんなことは……えへへ、やっぱりアキュレスさんは、やさしいですね」
頭を優しく撫でるアキュレスに、ナツは弱弱しく笑った。
「ほら、もう無理しないで寝ていなさい。あとでリナシーにナツが食べれるようなご飯作ってもらうからね」
「ありがとう、ございます……おやすみなさい」
「おやすみ、ナツ……」
ナツが規則正しい寝息を立て始めたのを見て、アキュレスは彼女を起こさないよう静かに部屋を出た。
廊下では、ハルバードが壁にもたれかかって静かに煙草を吸っていた。
彼はアキュレスが部屋から出てきたのを見ると、壁から離れてアキュレスに問いかける。
「で、何だった?」
「風邪だって。変な病気じゃなくてよかったよ」
安心したような彼の顔を見て、ハルバードも少し安堵した。
「そうか」
「無理が祟ったみたい。しばらくはゆっくり休ませてあげないと」
「……そうだな」
そっぽを向いて素直にうなずくハルバードに少し驚いたが、すぐににやりとしてアキュレスは彼の顔を覗き込んだ。
「あれ、なんかやけに素直じゃない。ナツがいなくて寂しい?」
「すり潰すぞ」
「あはは、それは勘弁してほしいな……」
「御主人様。お医者様がお帰りになられました」
二人がそんな会話をしていると、リナシーが玄関からパタパタと小走りで戻ってきた。
「ああ、ありがとうねリナシー。あとはいつもの業務に戻っていいよ」
「……はい。大丈夫かしら、ナツちゃん……」
「心配なのはわかるけど、いまはぐっすり寝ているからそっとしておいてあげようね」
「……わかりましたわ」
ちらちらとしきりにドアを気にするリナシー。
今にも部屋に行ってナツを起こしてしまいそうな彼女を、アキュレスはやんわりと制した。
そして彼はパンと軽く手を叩き、仕切り直してこう言った。
「さ、朝ごはん食べて仕事仕事!」
三人は食堂へと戻って遅めの朝食をとり、それぞれの仕事場へと解散した。




