11話 嬉しいような、そうでないような
ちゅん、ちゅんという小鳥の囀りで、ナツはゆっくりと目を覚ました。
「うぅー……。なんか頭痛いの治らない」
昨日散々泣きはらした彼女の目はほんのり赤く、一晩経った今でも未だ泣きすぎによる頭痛に苛まれていた。
(盾、かあ)
ナツはベッドの中から窓の外をぼーっと眺め、これからの自分の在り方について考える。
(本当はもうあんな訓練やりたくない。痛いし、怖いし……。でも今更嫌だなんて、アキュレスさんに申し訳なさすぎるよ……。やっぱりハルバードさんが言う通り、私は甘ったれてるだけだよね。でも、でもやっぱり……)
彼女の葛藤は続く。
時折泣きそうになりながらもナツは頭を左右に振り、自分の頬をぱちんと両手で叩いた。
(……でもじゃない、そんなんだから私は駄目なんだ!
アキュレスさんは私にとっても優しくて、異世界から来た私の面倒を嫌な顔せず見てくれているのに。それなのに、今私が盾になることを拒否したら、アキュレスさんのことを裏切ることになっちゃう。
そんなの駄目だ……。頑張るのよナツ! 私はやればできる子なんだから! そうしなきゃきっと、いや絶対後悔する。
こうなったら盾にだってなんだってなってやる! 頑張るぞ!!)
そう決心し、もう一度気合を入れ直したナツは、準備をしてから意気揚々と食堂へ向かった。
ガチャリと食堂の扉を開けると、そこにはコーヒーを飲むアキュレスと、煙草を吸いながら新聞を読むハルバード、朝食の準備をしているリナシーが一堂に集まっていた。
「お、おはようございます!」
ナツは意を決し、皆に向かって挨拶をした。
アキュレスはナツの方を向いてにこやかにおはようと返し、ハルバードは顔を上げて静かにおはよう、と言ってから新聞に目を戻した。奥にいたリナシーはおはようと返した後、今準備してるからもうちょっと待っててね!と、慌ただしく叫ぶ。
いつもと変わらない朝の風景に、緊張して固まっていた体の力が少しだけ抜けた。
ナツは椅子に座り、己の決断をいつ言い出そうかと膝に手を置いて俯いている。
何もしゃべらないナツに、どうしたのかとアキュレスが問いかけようとした瞬間、彼女が意を決したように口を開いた。
「あ、あの。今日の訓練は、何時から……ですか?」
その言葉にアキュレスとハルバードは目を見開いた。
「ナツ……」
アキュレスはその意味を理解し、嬉しいと心底思ったが、まだどこか心配そうにしている。ハルバードはじっと彼女を見つめ黙っていた。
ナツは真っ直ぐアキュレスの目を見て言った。
「あの、私……決めたんです! もう逃げません。アキュレスさんの盾に、なります!」
「……その気持ちはとても嬉しく思うよナツ。でも、無理してない?」
「正直まだ怖いって気持ちもあります……。でも! それ以上に、私はアキュレスさんの役に立ちたい!」
「ナツ……!」
ナツの決意表明に、アキュレスの心配そうな表情は、今度こそ嬉しそうなものへと変わった。
ハルバードは咥えていた煙草を灰皿に押し付け、真剣な眼差しで彼女に問いかけた。
「ナツ……その覚悟は本物か?」
「はい!」
ナツはしっかりとハルバードの目を見て、力強く返事をした。
その目はもう、昨日のような弱弱しいものでは決してなかった。
ハルバードはそうか……と少しだけ嬉しそうに笑い、後は何も言わなかった。
「ありがとう、ナツ。君を召喚できてよかったよ」
ふわりと優しく微笑んだアキュレスに、ナツはえへへと笑い返し、照れたように頭をかいた。
「ああ、そうだ。ハル、さっきの話ナツに言ってもいい?」
「構わない」
「?」
話とは何だろうとキョトンとしているナツに向かって、アキュレスは話し始めた。
「実はね、ナツ。もしかしたら物理攻撃を無傷で受けられる方法があるかもしれないんだ」
「えっ……!?」
ナツは目を大きく見開いて驚く。
「試してみる価値はあると思ったんだけど、まだ確証がなかったんだ。ナツが今日もう盾をやりたくないと言ったら、止めるつもりだった」
「む、無傷ってどういうことですか……?」
ナツの問いに、アキュレスはこう説明した。
ハルバードの報告よると、ナツが魔法攻撃を受けた後の一定時間、物理攻撃に対して受けた魔法がバリアのような役目をする可能性があるとのことであった。
ナツがこの世界に来た初日、ハルバードが思い切り炎を浴びせようとした後、気絶したナツを起こそうとベッドから蹴り落としたのは記憶に新しい。
この時ハルバードは、それこそ人間なら骨折してしまうほどの力で思い切り蹴ったつもりであったが、起き上がったナツは蹴られた個所を数回擦るだけで、あとは何事もなかったかのようにケロリとした様子であった。
そこから件の可能性を見出したという。
(なんか私に対する扱いがひどすぎるような気がするけど黙っておこう……)
ナツが蹴り落とされたときに痛みを少しだけ感じていたのは、魔法を受けてから既に40分ほど経過した後だった。つまり、『魔法を受けた直後なら痛みを全く感じず物理攻撃を受けられるのではないか?』と、考えたのである。
とりあえずナツは今率直に思った疑問を口にした。
「えっと……。なんで昨日言ってくれなかったんですか……?」
「言う前にお前が駄々をこねだしたからだろうが」
「……ええええ!! じゃあわたし、誘拐され損じゃないですかぁぁぁ……」
ナツはその事実を知って机に突っ伏し、落胆の声を上げた。
アキュレスが慌ててナツに謝る。
「あ、ああごめんねナツ! 私がもっと早くに言えばよかったんだよね! ごめん!」
「謝る必要なんてないだろうアキュレス。そもそも、それに気が付いたのは私だ」
(じゃあ早く言ってくれればいいのに……)
ナツは顔だけ上げると、じとりとハルバードを見た。
その視線にハルバードは眉を顰め、新しい一本に火を点けた。
「何だナツ、不満そうな顔をして」
「い、いえ……」
いつものようなやり取りに戻った二人を見て、アキュレスは安心したように笑った。
「あはは、でもこれでもハルは君の為に徹夜で研究していたんだよ?」
「えっ? わ、わたしのために……?」
「うるさい、お前の為ではない」
ぶっきらぼうでいつもと同じ冷めた顔ではあるが、明らかな照れ隠しの言葉にナツは体をバッと起こし、顔を綻ばせる。
あのハルバードが自分の為に徹夜までしてくれていたという事実に、今までの不満なんかどこかに吹っ飛んでしまった何とも単純な彼女に、ハルバードもどこか安心した様子だ。
「やっぱりハルバードさんはツンデレなんですね!!」
「訳のわからないことを言うな」
「ん? ツンデレってなぁに?」
「さぁ、おまたせしました! 朝食にしましょう!」
リナシーがおいしそうな朝食をカートに乗せて運んできた。
ナツはおいしそうな朝食を笑顔で頬張り、それを見た二人もゆっくりと朝食を食べ始めた。
こうして、またエイデン邸の一日は始まるのであった。
◇
「何とか様になったな」
「ありがとう、ござい、ます……」
結論から言うと、ハルバードの読みは当たっており、新しく編み出した新しい訓練方法は、功を奏していた。
まず、ハルバードがナツに魔法攻撃をしかけ、その直後に蹴りを入れる。
ナツは蹴りが当たった時の衝撃で後ずさったりよろけてしまうものの、直接身体に当たってはいない為、痛みなどは一切感じていなかった。
しかしナツは今、まるでスフィンクスのようなポーズで地面に突っ伏していた。
「つ、疲れた」
「何だ、まだ2時間も経っていないというのに。この愚図」
げしり、ハルバードがナツの背中を軽く蹴ると、ナツはべちゃりと地面にひれ伏した。
「うわぁっ! き、昨日の優しいハルバードさんは何だったんですか……あ!!!」
「何だ、やかましい」
「そういえばハルバードさん、私のお願いを聞いてくれるんですよね!!」
ナツは昨日の甘~いやり取りを思い出し、サッと立ちあがってハルバードへ詰め寄った。
彼は非常に嫌そうな顔をして舌打ちした。
(憶えていやがったか)
「……チッ。しかたあるまい、言ったことは事実だ。で、お前は何を望む?」
(うわあ、絶対『憶えていやがったか』って思ってるよ……)
「ええっと……」
ナツは望みを言おうとしたが、急に恥ずかしくなったのか俯いてもじもじと指を動かした。
自分から言い出したくせに何も言わないナツに、ハルバードは苛ついた様子で腕を組みカウントダウンを始めた。
「5、4、3……」
「あああ!!! 待って下さい! 言います、言いますから!」
「早くしろ」
ハルバードは冷ややかな目でナツを見下ろしている。
「うぅー。じゃあ、その……わ、私に『優しく』してください!」
ナツはぎゅっと目を瞑ってそう叫んだ。
ハルバードは全く予想していなかった彼女の願いに、しばし固まった。
例えば『何かが欲しい』という物欲だとか、『おいしいものが食べたい』という食欲だとか、そういった"人間らしい"願いかと思っていたからである。
「……は?」
「いや、『は?』じゃないです! ハルバードさんいろいろと厳しすぎるから!
たからその、もっと、優しくしてくれたらうれしいなぁ~、なんて……」
ナツの声はだんだんと自信がなさそうに小さくなってゆく。
ハルバードはそんな彼女を見て笑いを堪えきれずにこう言った。
「ふ、お前は本当に阿呆だな」
「な!」
「お前の事だ。金が欲しいだとか、高級料理が食べたいだとか、そんな事だろうと考えていたが……」
(ハルバードさんは私の事なんだと思っているんだろう……)
「まあ、可愛い部下の願いだ。聞いてやろうではないか」
そう微笑んだハルバードにナツはほんのり頬を赤らめた。
しかしその微笑みは瞬時にニヤリとした邪悪な笑みに変わり、彼はこう続けた。
「で、『優しくする』とは具体的にどうすればいい?」
「え?」
ナツは今までの経験から嫌な予感がしたのと同時に、彼女の心臓はドクドクと鼓動を早める。
「私としては初日に比べれば十二分に優しくしているつもりだが?」
「それはそのっ、そうですけど……」
ハルバードがナツに近づいてくる。ああ、これは……とナツは冷や汗を流す。
そして彼はナツの目の前に立ち、顎に手を当て無理やり自分の方へと向かせた。
「お前は、"どう"優しくしてほしいんだ? ん?」
首をかしげて色気全開で問いかけるハルバードに、ナツの顔はボフッと赤く爆発した。
イケメンというのは罪である。
(い、今までで一番やばい……!)
相変わらず彼のからかい行動に慣れずアワアワとしているナツに、ハルバードがさらに追い打ちをかけようとした瞬間。
「はーい! そこまで!!」
「あ、あきゅれすさん……」
(た、助かった……!)
「何だ、アキュレス」
ハルバードは主の登場に、まるで何事もなかったかのようにパッとナツから離れ、彼の方へ向いた。
アキュレスはどこか怒った様子で二人に近づき、間に入ってハルバードの方を見た。
「何だ、じゃないよ! もう、ナツをからかうのはやめなさい!」
「からかってなどいないが?」
「嘘をつかない! それに、私は破廉恥なことは許しませんからね!」
(お、お母さん!?)
(何だこいつ)
ナツはアキュレスの背中からひょこっと顔を出し、そうだそうだーと小声で抵抗した。まさに虎の威を狩る狐状態である。
ハルバードはそれをみて一瞬イラッとしたが、仕切りなおしてアキュレスに問いかけた。
「で、何か用か?」
「え、ああ。そうそう。二人に頼みたい事があってさ」
「頼みたい事、ですか?」
ナツはアキュレスの背中から移動し、ハルバードの横に立った。アキュレスは二人を見ながら続ける。
「そうそう。明日なんだけどね、『チャリア地方』の『ホルン子爵』にお届け物をして欲しくて」
"子爵"という言葉に、ナツの体がピシッと固まった。
昨日の出来事が相当トラウマになっている様子だ。それを見てアキュレスが慌てる。
「ああ、大丈夫だよナツ! ホルン子爵はまだ子供だし、私とも付き合いが長いから心配いらないよ」
ナツはそれを聞き、少しほっとして表情を緩めた。
「そ、そうなんですか。よかった……。でも、子供が地方を統治してるなんてすごいですね!」
「うん、今彼は14歳くらいだったかな? チャリア地方は街が一つしかないっていうのもあるけど、行ってみれば彼がその地を統治しているかが分かると思うよ」
アキュレスがそう微笑むと、今度はハルバードが彼に問いかけた。
「で、届け物は"ついで"なのだろう?」
「あれ、ばれた? 実はナツのお披露目をしようかと思って」
「わ、わたしのですか?」
思ってもみなかった目的に、ナツは吃驚しながらアキュレスを見た。
「で、でもいいんですか? その……、相手は……」
相手はいずれ戦うであろう敵だ、ということをナツは言いたかったが、気を使ってか中々言葉が出てこない。
言葉につまるナツを見て、アキュレスは彼女の言いたいことを理解し、こう答えた。
「まあ、いずれやり合う相手かもしれないね。でもこちらとしてもナツの情報を渡すだけじゃないから」
つまり、子爵の使い魔の情報を得られるチャンスだという事である。
アキュレスはふふ、と笑って続けた。
「私がタダで行かせるわけないでしょ?」
(あ、あれ? アキュレスさんってこんなんだったっけ?)
普段とは違うアキュレスの腹黒そうな笑みに、ナツは一瞬違和感をおぼえたが、彼女がもやもやしている間にハルバードが口をはさみ、アキュレスはすぐにいつもの柔らかい雰囲気へと戻った。
「そうだな。で、時間は?」
「子爵は明日ならいつでもいいって言ってたから、お昼くらいに着く感じにしようか。申し訳ないけど、明日も私が車使っちゃうから列車で行って欲しいんだ。多分朝10時くらいのに乗れば大丈夫だと思う」
「了解した」
「わかりました……!」
ナツは使い魔としてのはじめてのおつかいに、緊張した声で返事をした。
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。今回はハルもいるしね」
「私は子守をするつもりはないが」
「だ、大丈夫ですよ! もう!」
アキュレスはじゃあよろしくね、と二人に声をかけ屋敷の中へと戻って行った。
ああ、救世主が……とナツがアキュレスを名残惜しそうに見つめいていたが、その後ろからハルバードがゆらりと近づいた。
「さあ、十分休憩しただろう。訓練の続きをするぞ」
その言葉にナツがゆっくり振り返ると、彼女の専属鬼教官が、手に炎を携え佇んでいた。
「え゛」
ナツとハルバードの訓練は、日が落ちてからリナシーが夕飯の準備が整ったことを伝えに来るまで、絶え間なく続いたのであった。




