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ほことたて  作者: 盆戸炉
11/56

10話 それはどこか官能的な

 トンッ、とハルバードが片足をついて着地した先は、メルドン邸の外にある街路のど真ん中であった。

 夜の通りには誰も見当たらない。あたりを淡く照らす街灯には、蛾や他の虫が明かりを求め集まっている。

 ナツの心臓は未だにバクバクとうるさく鳴っていた。それはときめきなどの類ではなく、絶叫マシンに乗った後のものに似ている。

 ハルバードは黙ったままナツを降ろすことなく、どこか座る場所がないかと探し歩いていた。


「あ、あの……」

 未だ腕の中にいるナツに声を掛けられ、ハルバードは目線を彼女の顔に向けた。

「待て」

 そう短く返事をすると、そのまま歩き出す。

 ハルバードはベンチを見つけ近づくと、ナツをゆっくりとそこへ座らせた。

 ナツがお礼を言う前に、ハルバードは彼女の前に跪き、先程カルマに投げつけられた片方の靴を履かせようと、ナツの右足に触れた。

「ひぇっ!?」

「少し、じっとしていろ」


 ハルバードは彼女の右ふくらはぎを支えた。

 まるでシンデレラの物語のラスト、シンデレラにガラスの靴を履かせるかのように、優しく優しく小さな靴をナツの足にはめた。

 生足に指を滑らせる彼の手の感触に、くすぐったいような、それでいてどこか背徳的な感覚がした。

 ナツの身体はピクリと小さく跳ね、顔を紅潮させる。

 同じように、もう片方の足にも指が触れた。

「ふ、ぁ……っ!」

 ナツは背中がぞわぞわとしたが、それは決してメルドン男爵が触れた時のような、肌が粟立つものではなかった。


 ただ靴を履かせていたただけなのに、とても長い時間が経ったような気がした。


 ハルバードが立ち上がると、ナツもバッとその場に立ち上がり、彼に謝ろうと大きな声を出した。

「あ、あの! ハルバードさん! すいま、」

 最後まで言う前にハルバードが手で制した。

「ああ、お前は謝らなくていい」

「えっ?」

 ハルバードは顔を逸らし、表情は変えずに言った。

「こうなった原因は、私がお前にきつく言い過ぎたから……だろう。だから、お前が謝る必要は無い」

「で、でも……」


「"人間"であるお前に、あれこれ要求すること自体が間違っていた。……済まない」


 今度は、ナツの目を真っ直ぐ見て謝った。

 彼の言葉を聞き、しばしおさまっていたナツの涙は再びぼろぼろと流れ出す。

「……何故泣く」

「だ、だって……。はるばーどさんがっ……!」


『なんだかとっても優しいからっ……!』


 と、ナツは叫ぼうとしたが、それはハルバードによって遮られた。

「まだ謝罪が足りないか?」

「ちっ、ちが……」

「そうだな……っ」

 するとハルバードはナツの腰に手を当て、彼女の身体をふわりと持ち上げた。


「ふぇっ……!?」


「なら、お前の願いを一つ聞いてやろう」

 ナツの顔はこれでもかというくらい赤く染まっている。

 公園の静けさと二人を照らす灯りが、まるでドラマのワンシーンの様だ。

 このまま時が止まればいいのに、とナツはぼんやりと思った。


「おねが……いっ!?」

 しかし、そんなシーンに酔い潰れる暇もなく、急に彼女の視点が右斜め下へと移動した。

 ハルバードの右肩に、彼女が担がれたのである。


「……へ?」


「悪いが、答えは後で聞こう。ここで悠長としている暇はない。

 帰りの列車がなくなれば、エイデン邸まで歩いて帰る羽目になる」

 先程のロマンチックな雰囲気は一気に断ち切られ、ナツを担いだままスタスタと駅舎の方へと向かうハルバード。

 ナツは数秒目が点になって呆然としていたが、慌てて叫ぶ。

「わわっ! お、降ろしてください!!」

(は、恥ずかしい!!)


「うるさい、暴れるな」

 はたから見れば、これこそ誘拐の現場そのものである。

 ナツはなおも抵抗を続けた。

「わ、分かりましたから! 自分で歩けるので! お、降ろしてくださぁぁい!」

 ハルバードはじたばたする彼女に仕方ないとため息をつき、彼女をゆっくりと肩から降ろした。

 ぜぇぜぇと、降ろされたナツの息は荒い。

(す、すごく恥ずかしかった……)

 そんな彼女を数歩追い越して立ち止まったハルバードは、振り返って言った。


「ほら、帰るぞ。ナツ」


 ハルバードの顔は少し呆れたような、しかしながら今までには見たことのないくらい優しく微笑んでいた。

 それを見たナツの胸が内側できゅう、と締め付けられる。

「! は、はいっ!!」

 ナツは嬉しそうにハルバードに駆け寄り、二人は並んでエイデン邸へと帰って行ったのであった。


 この苦しいような切ないような感情に、彼女はまだ気づくことはない。





 何とか最終の列車に乗り込み、エイデン邸へと帰宅した二人。

 玄関先ではアキュレスとリナシーが心底ほっとした顔で出迎えた。

「ナツっ……! 凄く怖かったよね。私が気分転換なんて勧めたばっかりに……。ごめんねっ、本当にごめんねっ!」

「アキュレスさんのせいじゃないです! うぅ、心配かけてごめんなさいっ!」

「よかった、ナツちゃん……」

 ひしっと抱き合うアキュレスとナツは、まるで本物の親子の様である。リナシーは二人を見て、目にハンカチを当てている。


「……」

(さすがに少し疲れたな)

 ハルバードは、彼らには自らの疲れた様子を一切見せないよう、速足で屋敷の中へと入って行った。

 実際、これまでにハルバードは魔力の使いすぎで疲労困憊していたのである。

 ナツを迎えにオーチェンバルグ地方へ向かう際、車や列車よりも早く移動するために限界まで速度を上げ、先日の泥棒とは比べ物にならないくらいの速さで走った。

 波止場公園からメルドン邸までは約70キロメートル離れている。ナツの世界で例えると、神奈川県から東京都を跨ぎ、その先の千葉県まで行くのと同じような距離である。

 また、メルドン邸への侵入と男爵への攻撃、カルマが掛けた魔法の解除、そして退却の際にも多くの魔力を消耗していた。

 本来ならば列車で帰ることはしないはずであったが、魔法が一切使えないナツを連れて行きと同じように帰るのは、さすがのハルバードでも無理があった。

 エイデン邸に到着した彼は、この場の誰よりも疲弊していたのである。


 アキュレスはそんなハルバードに声を掛けず、ひたすらナツをぎゅうぎゅうと抱きしめていた。

 ハルバードが疲れ果てていることも、それを誰にも見せないようにしていることも、アキュレスには全部解っていたからだ。

 ナツはいつのまにかハルバードがその場からいなくなっていた事に気づき、辺りをキョロキョロと見回すが、リナシーに好物のロイヤルミルクティーと食事を用意すると言われ、気になりながらも二人と共に食堂へ移動した。





 ナツが就寝した後、アキュレスは再び地下の書斎へと足を運んだ。両手にはホットコーヒーが淹れられたマグカップが、二つ持たれている。

「お疲れ様、ハル。はい、コーヒー。食事は?」

「ああ、ありがとう。食事は今はいらない」

「そう」

 ハルバードは調べ物をしていた手を止め、アキュレスからマグカップを受け取った。

 アキュレスはコーヒーを一口飲み、ハルバードに話しかける。

「ありがとね、ナツを連れて帰ってきてくれて」

「……命令だからな」

 ハルバードもコーヒーを一口飲み、顔をそらしてそう答えた。

「ふふ、仲直りできてよかった」

「子供の喧嘩ではあるまいし」

「同じようなものだったでしょうが」

「……」


 お互いにコーヒーをゆったりと啜りながら少し雑談をした後、アキュレスが真剣そうな顔でこう続けた。

「で、覚悟はできてるの?」

 ハルバードは伏し目がちに答えた。

「……ああ。矛と盾を担う覚悟、だろう?」

「うん。ナツに明日意思を聞いて、もしやりたくないと言ったら、君に両方を押し付けちゃうことになる」

 アキュレスは目を閉じて静かに言った。ハルバードは目線をマグカップに落とす。

「しかたあるまい。……私の責任だからな」

「まあその時は、私も覚悟を決めるよ」

「……何の覚悟だ?」

 ハルバードはその"覚悟"がアキュレス自身の死ではないだろうなと、ジロリと彼を見た。


「もちろん、共に戦う覚悟だよ。約束事を破ってまでも、ね」


 円卓会議では、王位継承権を持つ本人が攻撃をすることをしないという協定を締結していた。

 それを破れば王位継承権は剥奪される。そして、恐らくそれだけでは済まされないだろう。

 しかし、アキュレスにとってそれは死ぬよりも遥かにマシなことである。何せ彼は王位継承権には興味がないと、公言しているからだ。

 アキュレスがにこりとしながら、まるで宣言をするかのようにハッキリと言うと、ハルバードはどこか安心したかのように息を吐いた。


 するとアキュレスが急に何かを思い出したように、こう続けた。

「そういえば、何か新しいことは判った?」

「ああ、紙にまとめたので読んでおいてくれ。私はもう戻る」

「うん、お疲れ様」

 ハルバードはそう言ってアキュレスに一枚の紙を渡し、書斎を後にした。

 アキュレスはその紙に書かれた内容を斜め読みし、なるほどねと小さく呟くと、彼もまた自室へと戻って行った。

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