~僕と彼女と007~
春の暖かさを感じる公園。ぬくもりにつつまれた桜ふぶきの中、僕と彼女はベンチに座っている。
「はい、あーんして、あーん。」
彼女がそう言って、膝に置かれた弁当箱からタコさんウインナーを取り上げ、僕の方に差し出した。
「あ、あーん・・・」
僕が口を開けると、彼女がウインナーを口に放り込む。なかなか美味しい。
「どーお?私の作ったお弁当美味しい?」
彼女が上目遣いにそう言ってきた。
「あ、ああ、美味しいよ。」
僕がそう答えると、彼女はやった! と小さくガッツポーズをした。
さあ、もっとおたべ?
彼女がそういってまたウインナーをさしだす。
ああ、ありがとう。
ぼくはくちをあけ、ウインナーをたべ―――
「起きろおおおおおおおお!!!」
次の瞬間、腹部に激しい痛みが走った。目の前の景色が歪み、暗転する。気がつくと、そこは春の公園などでは無く、僕が意識を失ったあの廊下であった。僕はその廊下に、情けなく仰向けに倒れていた
「やっと気がついたか、バ会長め。」
その声は・・・
僕は視点を動かした。倒れ込んでいる僕の頭上で、彼女がスマートフォンのライトで僕を照らしつつ、まるでゴミでも見るかのような目でこちらを見下していた。右足が僕の腹の上にのっているのは、恐らくは起こす際に思いっきり踏みつけたのだろう。
「書記長・・・あれ? あれは夢?」
僕はその場から腰を起こした。頭がズキズキと痛む。ふと周囲を見回すと、ここは先ほど僕が気絶した廊下であった。しかし、例の血痕も足跡も跡形も無く消えており、まるで元々何も無かったかのようにシンとしていた。
「まったく。真っ暗な廊下でぶっ倒れてたから何事かと思えば、のんきに居眠りとはね。」
彼女が吐き捨てる。
「いや、居眠りしてたわけじゃなくて・・・実はね?」
僕は、血でできた足跡の話をしてみた。
「足跡を見てその場で気絶ねぇ、でも、私が来たときにはそんな物はなかったぞ?」
「でもこの目でハッキリと見たんだ。血塗られた廊下を!」
僕がそう主張すると、彼女は唇に指を当て、うーんと唸った。
「私はこれでも会長さんの事は信頼しているつもりなんだが・・・どうもなぁ・・・」
彼女が、信じられない。という顔をした。やっぱりか。彼女は他人の主張に合理性を求めるタイプだ。
「まぁ、会長さんが嘘をつくとも思えないし、とりあえずその件は一旦保留だ。それより、さっき警備システムを一部停止させてきた。これでもうドアを開閉してもセンサーは反応しない。」
「そんな事できたのか?」
「ああ。当直の沢沼先生から昼の内に暗証番号とカードキー情報盗んだからな。」
彼女がつらつらととんでもない事をいう。沢沼と言えば、体育の教員で、腕っ節が強い事で有名だ。
「沢沼から盗んだだって? 一体どうやったんだ?」
「何の事は無い。ちょっと女性の武器を使っただけだ。」
またとんでもない事を言う。こいつそんなやつだったっけか?
「えーっと・・・具体的に一体何を? まさか青少年保護育成条例的なことを?」
「・・・? 何か勘違いしているようだが、単に生理で休んだ分の補習受けるフリして教官室に忍び込み、机の上に無防備に貼られた暗証番号のメモを盗み見て、セコムの磁気カードを秋葉原で買ったカードリーダーで読み取って複製しただけだぞ?」
そうか、ならいい、いいんだ、よくないけど。
「ただ、ドアの開閉を探知するセンサーは停止できたんだが、赤外線による動体検知センサーはどうしても解除できなかった。だからコレを使う。」
彼女がウエストポーチから、なにかを取り出した。
「それは?」
「ごく普通のビデオカメラだ。と言っても十数年前のモデルだがな。お前、デジタルカメラに使われているCCDカメラはリモコンの電波を映す。という話はしってるか?」
「ああ、知ってるよ。昔テレビで見た事がある。確か、ケータイのカメラでテレビのリモコンを写すと、赤外線発光部が光って見えるんだよな?」
「ああ。実はCCDカメラって言うのは本来、人間が探知できない赤外線までクッキリハッキリ映し出せる物なんだ。しかしそのままだと色が変に写ったりぼやけたり、カメラとして不都合な事態が起こるから、普通のCCDカメラには赤外線を九十パーセント以上除去するフィルターがついている。しかし、このビデオカメラにはナイトビジョン機能と言って、その赤外線をあえて映し出す事で、暗視ゴーグルのように暗いところでも撮影ができる機能があるんだ。」
「なるほど! つまりはそのビデオカメラを通して見れば、まるでスパイ映画のように赤外線センサーが見えるってワケだな?」
僕は納得して、手をぽんと叩いた。
「そういうことだ。まぁこの裏技は、とある理由から現行のナイトビジョン機能付きカメラでは使えないんだけどな、おかげで十数年前の型を用意するのが大変だった。」
「とある理由? 何それ。」
僕がそう質問すると、彼女は何故か不快そうな顔をして言った。
「お前が知る必要は無い。」
僕はなぜ彼女が不快そうな顔をしているのかがわからなかったが、“女の思考回路がわかれば宇宙の謎なんて簡単だ”という言葉もあるし、深くは突っ込まないことにした。
彼女がカメラを持ち、廊下を進んでいく。途中にあるセンサーの光を、彼女の指示通りに上手く避けながら進むのは、さながらメタルギアをやっているかのようだ。
「なぁなぁ、そのカメラ、僕にも持たせてくれよ。」
僕は単純に好奇心が刺激され、彼女にたのんだ。
「別にいいが、そのかわりちゃんとセンサー避けさせろよ?」
「ああ、ありがとう。」
彼女がビデオカメラを渡してくれた。
ビデオカメラを覗くと、まるでスパイ映画のように赤外線センサーの位置が把握できた。それを上手く避けていくのは単純にたのしい。小さいころ、家の廊下に赤い毛糸を張って007ごっこをした時の事を思い出す。しかし、実際に見る赤外線センサーの色が赤ではなく白だったのはすこし驚きだった。
僕はふざけて彼女の身体にビデオカメラを向け、言ってみた。
「こちらスネーク! 目の前に敵がいる! オタコン、指示をくれ!」
すると彼女はあきれた声で返してきた。ナイトビジョンのカメラに、彼女の冷ややかな目線がハッキリと映る。
「こちらオタコン。バカやってないで任務に戻れバ会長」
セコムのセンサーと言っても、所詮は学校、しかもオンボロの部活棟だ。特に機密書類や金庫があるわけでもないからか、センサーの数は少なく、数分で部室にたどり着く事ができた。
「さてと、女ネボの部室まで来たわけだが、どうするんだ?」
僕は彼女にたずねた。
「そうだな・・・とりあえず、お前が先に入ってセンサーの位置を確認してくれ。私は後から入る。」
「了解した!」
僕はメタルギアのごとく、ビデオカメラ片手にドアを開け、素早く中に入った。そのまますばやく部室内を見渡すと、窓際に一本の白い線が見えた。
「こちらスネーク! センサーは窓際に一本あるだけだ、他にはないようだぜ?」
そう言ってビデオカメラをまた彼女に向ける。
「了解。ご苦労様バ会長。」
彼女が冷めきった目つきで僕を見ながら部室に入ってくる。そして、部屋の電気のスイッチを入れた。部屋が一気に明るくなり、すこし目がくらむ。
「おいおい! 電気なんてつけて大丈夫なのか? もし警備員が光に気がついたら・・・」
「安心しろ。この時間帯は警備員は体育館棟か本校舎にいる。この部室と本校舎の間には死角があるから、光でばれる心配は無い。」
「ほう・・・」
僕は素直に感心した。そんな事まで考えているとは・・・
「ま、いまから三十分も経てばここにもどってくるから、急ぐぞ。」
彼女が慌ただしく調査を始めた。
「会長、家具を動かすのをてつだってくれ。」
「わかった。」
僕たち二人は協力して、壁際のロッカーをいくつか動かした。中に入っている物を取り出さずに移動しているため、かなりの重量があり、予想以上の重労働だ。全て終わった頃には、二人とも冬だというのに夏のような汗をかいていた。
「畜生、暑いな。」
彼女がブレザーとセーターを脱ぎ、Yシャツ姿になった。
「確かに暑いな。僕も脱ぐよ。」
僕もブレザーを脱ぎ、Yシャツ姿になる。重い物を運び呼吸も乱れていたので、少し座り込んだ。肺がヒューヒューと音を立てる。それを見てか、彼女が言った。
「ああ、すまんな会長。君の身体が弱いのをすっかり忘れていた。少し休んでくれ。」
「サンキュー、そうさせて貰う。」
僕は壁際に置かれたパイプイスに座った。彼女の方はと言うと、
床の絨毯をはがし、なにやら床を調べている。僕はとくにやることが無かったので、先ほど渡されたビデオカメラでメタルギアごっこの続きをすることにした。
カメラを覗き、部室中をぐるっと見わたす。不意に、彼女の後ろ姿をレンズがとらえた。その瞬間、僕はあるとんでもない“異変”に気がついた。
(ん? ん!?)
僕は彼女の背中を肉眼で確認した。Yシャツを着た全く普通の女子高生の背中がそこにはあった。僕はもう一度、ビデオカメラ越しに彼女の背中を見てみた。そして、その光景に仰天した。
「うわぁ!」
思わず声を上げてしまう。彼女が驚いてこちらを振り向いた。
「どうしたんだ会長! なにかあったか?」
「いや、その・・・」
その時僕は、この異常事態をなんとしても彼女にごまかし通さなければならなかった。その理由は話せないが、もし彼女にこの異変を知られたら、僕の命に関わる危険性すらあった。
「パイプイスにゴキブリがいたもんで・・・」
「ゴキブリ?」
彼女は一瞬きょとんとし、その後で笑い出した。
「相変わらずバ会長は臆病だな。さっきは心霊現象で気絶。今度はゴキブリで絶叫とは。」
彼女がバカにした口調で言う。
「悪かったな、臆病で。」
僕はむっとした顔を作った。彼女がニヤニヤと笑いながら床の調査を再開する。どうにかごまかせたようだ。
僕はもう一度、ビデオカメラ越しに彼女の姿を見た。カメラのディスプレイに、彼女の胸元が映る。
(信じられないよな、こんなの。)
僕はそう思い、カメラを構えたまま左手で顔をつねった、ほおがひりひりと痛む。やはり夢ではなかった。
カメラには、透けた服で作業をする彼女の姿が映しだされていた。