6 至
そして今この時に至る。
「長い話をしたな……覚えているのはこのくらいだ。これが私の持つ前世の記憶の話だ」
これでこの話は終わりだ。 こんな話を真面目な顔でする私という存在は、さぞや滑稽なものだろう。
これを期に、是非ともこの男にはこの薬屋に近寄るのをやめてもらおう。
さぁ帰れ、 今なら汚物を見るような目で見てきても許してやる。 とっとと帰れ。
「つまりはあれだ、前世で幸福になれなかったおまえは、今生では是非とも俺に幸せにしてほしいとそういう」
「貴様いい加減にしろ」
この男、いったい何を言い出すのか。
長い話をした。
もう声も枯れそうなくらい長い話をした。 精神的にも疲れたが全てはこの男を二度と近寄らせないためだ。
なのに、何なのだ。 なぜ気持ち悪がらないのだ。
端から見れば、私は自分の妄想を神妙な面持ちで語る、頭のいかれた女のはずだ。 長々とこんな話を聞かされて、普通なら途中で話を切るなり、気持ち悪くてさっさと帰るはずだ。
けれどこの男は最後まで聞いたあげく、私に詰め寄ってくる。 何を考えてるんだ。
「何を考えてるんだ、ってか」
したり顔で言ってくる、その真意が分からない。 正直、これまでただの脳筋だと思っていたこの男が恐ろしい。
「怖がんなよ」
そう言うと、男はいつも通りの口調で喋り始めた。
「名前はおまえの知る通りクロム・ルーザー。街の警備隊に所属する、若干濃いがイケメンと定評のあるお兄さんで、好きなものは朝のコーヒーとおまえだ」
ちらりと妙なことを口走るな。
「元々別の街の警備隊に務めていたんだが、三年前にこの街に配属になった。新しく来た街で、先輩や市民に良いところを見せようと、飲み屋で暴れるゴロツキを取り押さえた時に突き飛ばされて、頭に結構な傷を作ったことがある」
突き飛ばされたなら打ち身か。その時に変なとこ打ったんじゃないのか?
「その時に警備隊の医務室でもらった傷薬こそが、おまえの作ったものだ」
……確かに警備隊の医師には毎月分薬を届けている。
「とてもよく効いてな……俺はよく傷を作るから、自分用に買おうと思って医務室のじいさんに売っている店を聞いたんだ」
ああ、落ち着きないものな、この男。
「そしたら、おまえにたどり着いたわけだ」
違う、貴様がたどり着いたのは私の薬であって、私ではない。
「薬屋には黒髪の陰気な魔女がいると噂で聞いていたが、話せばなかなか面白い」
貴様だけだ、こんなにベラベラ喋りかけてくるのは。
と言うか誰だ陰気な魔女などと変な噂を広めているのは。私は口下手で、ちょっとシャイが高じて顔をあまり見られないように髪の毛で隠しているだけだ。失礼だな。
「思ったことが顔にすぐ出るから分かりやすいし、女特有の狡猾さが無いようで実に俺好みだ」
そんなに顔に出てるか? 師匠にはそんなこと一度も言われたことないぞ。
「出てる出てる」
出てない!
「いや出てるって」
出て……あれ? 私は今声を出してたか?
「出してないさ。ただ顔に出てるんだ。『私は今声に出してたか?』ってな」
つまりあれか。人の細かい表情の変化や動作を見て、その人の考えている事を予測し、声に出して言ってみせることで相手の心を掴むという読心術という名の……
「うーん……当たらずも遠からず……だな……」
いわゆるペテン。
「酷いな」
………。
「どうした?」
……無心だ。無心になれ私。こんなやつのペテンに引っ掛かってやることはない。
こうやって私の心にどうにかこうにか付け入る隙を見いだし、高い壺を買わせようとするのがこういう輩の手段だ。
師匠は簡単に引っ掛かっていたが私はそんな手にはかからん。高い壺も高級羽毛布団も健康商品も買わんし、ワケわからん投資話にも乗らんぞ!
「おい、お前の師匠大丈夫か?」
大丈夫じゃないから私と店と借金を残してトンズラした。
「……なるほど」
「貴様、いったい何者だ?」
「だからさっき言ったろう? クロム・ルー」
「違う、名前じゃない」
ペテンとか言う話じゃない。この男……
「……人の考えていることが分かる、と言ったらお前は信じるか?」
「……にわかには信じがたいな」
ただ、信じないという選択が私には出来ない。
前世の記憶を持つ私がいるのだ。人の心が理解出来る男がいても不思議じゃない……はずだ。
あのポンコツ師匠も言ってたじゃないか、人生山あり谷あり不思議あり、理屈で証明出来ないことが起こりうるからこそ楽しいのだって隣に住むおじちゃんが寝言で言ってたって。
……ガッテム師匠、寝言オチかよ。
「っっっはははは! おまえ、やっぱり面白いな! そういうとこ、すっげぇ好きだ」
私は真面目だ。
「もっとしゃべればいいんだ……そうすれば陰気な魔女なんて言われなくなるぞ?」
「うるさい……それよりその、なんだ……」
貴様の話だ。人の考えが分かるとか、そんなんでよく外に出掛けられるな。私なら無理だ、何せシャイだからな。
いや、そんなことはどうでもよくて、人の考えが分かるというのは怖くないのか?
世の中はそんなに綺麗なものじゃない。
私を魔女にした村人の考えも、私を隔離施設に捨てた母の考えも、私を愛してくれなかった旦那様の考えも、私を妬んだ売春宿の女の考えも、きっと分かってしまえば恐ろしい。
そんなもの耐えられるのか?
この男は、これまでそんな恐ろしいものと向き合って生きてきたのか?
「ごちゃごちゃ考えんなよ……考えが分かるっつっても、普通にしてりゃ相手の喜怒哀楽が分かる程度だし、集中して考えを読もうと思わない限り詳しいことまではわかんねぇよ」
ならこの男は今私の考えを集中して読もうとしてるのか? 変態か?
「いや、そこは好意的に受けとれ。俺はお前の事をちゃんと知りたいから、こうして集中してるんだ」
ヤバい。こいつあれだ。
師匠が『いや、僕はそういうのもちろん、やったことないんだけど』と前置きして言ってたやつだ。
なんだっけか……確か家の周りをしょっちゅううろついては家主の様子を窺い、勤務先に現れては姿を盗み見て、挙げ句家の前までやって来てハァハァしながら下半身を露
「おまえの師匠どうしたんだ、大丈夫か? 逃げた理由借金だけじゃないよな、きっと」
知るか。
ただ、師匠が逃げた後に借金取りの他に沢山警備隊の人とか来て、借金取り以上の剣幕で師匠の行方を聞かれたがな。『被害者女性が』うんたらかんたら。四年も前の話なんで覚えとらんわ。
「……まぁ、あれだ、お前の師匠の事はもういい。藪蛇っぽいしな……話を最初に戻そう」
そう言ってまた一歩近づいてくる。私は一歩下がる。
いかん、もう後ろは壁だ。
「俺はお前が好きだ」
「それはどうもありがとう」
「付き合おう」
「遠慮しよう」
「すんなよ……」
近い。近い上に私の手をとるな。
私は貴様を遠ざけたかったんだ。
毎度飽きもせずに店にやって来ては、私に話しかけてくる貴様を。
薬なんて月に一度買えば事足りるだろうに。
今日は天気がいいだの、花が綺麗だから買ってきただの、美味しいケーキの差し入れだの。
男前なのも街の女に騒がれてるのも知っている。
こんな前世の記憶持ちで、身内もいなくて、ポンコツだが敬愛していた師匠にも逃げられ、知らないうちに借金まみれになって、人を信じれなくなった私に近づいてくるよりも、もっと外に目を向けるべきだ。
離れてほしいんだ。
だから長々と話をしたんじゃないか。私の記憶の話を。普通なら頭のいかれた女だと、もう近づかないでおこうと思うはずだと思ったから、話したんじゃないか。
勝手にどっかで幸せになれ。
「分かってないな、おまえ」
そんな顔で笑うな。
その顔を私に見せるな。
出てけ。
「やだよ。言ったろう? 俺には人の考えが分かるんだ」
聞いたよ。 信じがたいといったろう。
「おまえがいいんだよ、他のやつじゃダメだ。いつだって誰かを妬んだり、悲劇ぶって悲しんだり……顔と中身が全然違う。気持ち悪いんだ、そういうの。考えてることが分かるから、その通りに動いてやったら調子乗るし」
何をしてやったんだ。ハレンチめ。
「おまえこそ何想像してんだ、ハレンチめ」
ええい読むでない、私の考えを読むんじゃない!
「無理、てかおまえさっきから喋ってくんないじゃん……だから読むしかないの」
キーーーーー! かえれ!
「嫌……て言いたいけど、今日は夜勤だから、そろそろ行かなきゃなんだわ。名残惜しいけどまた来るぜハニー」
堕ちてしまえ。
「どこにだよ。じゃなー」
………。
やっと。 やっと帰った……
なんなんだあの男は。 まるで嵐じゃないか。 心臓に悪い。
「くそ」
悪態をついても、店の中にはもう誰も居ない。私以外。
……くそ。
本当に困る。 これまでからすると私の平均寿命は二十歳程だ。最高でも三十数歳までしか生きたことがない。
私がいま十八歳、今年で十九歳だ。あと数年生きられれば良い方じゃないか。
材料だって揃いつつあるしな。
私が一番有力だと思うのは、借金取りになぶり殺しにされるという死に方だ。
四年経っても師匠の借金の十分の一も返せていない。それどころか利子が増えるばかりだ。
そろそろ身売りを迫られるか、奴隷商人と『こんにちは』させられてもおかしくない。
どちらにせよ、出るとこも無く引っ込んでもいないこの体ではあまり女としては価値がないだろうし、体力もないので奴隷としても使えないだろう。
きっと役立たずの私は、借金取り達にボコボコにされて、海にポイされるのだ。
次に有力なのは師匠の『被害者』に襲われて殺されると言うものだ。
実際に二年程前に、自称被害者がうちに乗り込んできて、刃物を振り回して喚いていた事もあるし。無くはない。
また私が薬の材料を間違えて恨まれ、誰かに殺されると言うことも考えられるだろう。
常に注意はしているが、毒と薬は紙一重と言うしな。薬師の師匠に拾われて色々教え込まれたのが運のつきだ。
まぁ、今のところ兆候は無いものの、病死だってありうるし、何かしらの事故や災害に巻き込まれないとも限らない。
……なんか、師匠のせいで死ぬ確率上がってないか? いや、あくまでも私の想像だしな。
いつの時も孤独を感じながら死んでいたから、師匠がとんずらこいた時、そろそろなんだって思った。
悲しいようでいて、どこかほっとしていたようにも思う。曲がりなりにも十数年、私を育ててくれた人だ。師匠が悲しむ顔なんか見たくない。
………悲しんでくれる……よな? たぶん。
まぁ、なんだ。 何にしたって、好きだなんて冗談じゃない。 好かれる覚えなんてもちろんない。
何より、好きな人が死ぬかもしれないなんて、考えるだけで恐ろしいんだ……
いつか修道院で、私は弟の死を考えるだけで震えが止まらなかった。何もできないのが口惜しく、自分を憎くさえ思った。辛かった。
誰かにそんな思いはさせたくないんだ。
「……どうすればいいんだ」
分からない。無駄に過去なんて覚えているが、何の役にも立たないじゃないか……いつだって私は孤独なだけの女だったんだ。人生経験もへったくれもない。
こんなことで悩む日が来るなんて、思いもしなかった。