4 飢
死後、旦那様が私に会いに来たのかどうかは、分からない。
愛人がどうなったのかも、分からない。
死んでしまえばその後の事など何も分からないのに、私はいったい何を期待していたのだろうか。
そして私はまた生を受ける。
新しく生まれた私は、騎士の家の長女として双子の弟と共に育った。
けれど、物心ついた頃から私はその環境を変に思っていた。
前にもこんな大きな邸宅に住んでいなかったか。
両親の顔は私の知っているものとは違うのではないか。
私の兄弟は双子の弟ではなく、年の離れた兄姉と、亡くなった二つ年下の妹ではなかったか。
私は、結婚したのではなかったのか。
そして十歳になる頃、はっきりと自覚した。
私には前世の記憶がある、と。
その事を弟に話すと、弟は素直に信じた。
「すごい、だから頭いいんだね」
たぶん簡単に弟がその事を受け入れてくれたのに、気を良くしたのだろう。
同様に母にその事を話せば、気持ちの悪いものを見るような目で見られたので、以降は誰にもその事を話さずに過ごすことにした。
確かに読み書きやマナーに関しては、弟よりも私の方が覚えも早く、難しい本の内容もそこそこ理解できた。
弟だけはそれを手放しで誉めてくれたが、騎士の家において女子のそれはどうでもよいものだった。
私に出来て、弟に出来ないことがあるなどと父にばれると、父は弟に厳しく教え込んだ。
何となくそれが可哀想になってしまい、物事を覚えるペースを弟に合わせるようになった。
外国語の勉強でも国の成り立ちでも、学業において何か解らない事があると、弟は、家庭教師でも父でもなく、まず私に質問をしてきた。
男尊女卑の時代において、姉弟であるとはいえ同じ年の女に物を尋ねるのは嫌ではないかと思い、それを弟に聞いてみたのだが、家庭教師や父に教わるよりも解りやすいと笑っていた。
そんな少し変わり者の弟が、私はとても好きだった。
大きくなるにつれ、少しずつ弟との接点が減っていった。
彼は父から馬術や剣術を習い、私は母から淑女のたしなみ全般を叩き込まれるようになったのだ。
部屋も分けられ、弟と共に眠ることもなくなり、何となく……いや、まぁ、寂しかったというのもあるが……夜になると部屋を抜け出して空を見上げるようになった。
前世の記憶にある夜空と何も変わらないように見えるそれを、ただただ眺めていると、いつの間にか弟は隣に来ていて。
それから雨の日以外は二人で星見をするのが日課になった。
私達に転機がやってきたのはもうすぐ十五になるという頃だ。
しばらくすれば私は社交界に出て、弟は騎士になるための学校に通う事になっていた。
成長して、弟妹もでき、何もかもが順調に進んでいたある日、私が家の中庭で星見をしていると、いつも通り弟がやって来ては『風邪引くよ』と上着をかけてくれた。
身長も伸びて逞しくなった弟は、星を見ながら騎士学校への入所が三日後になったことを私に告げた。
数ヶ月先の話だと聞いていたので驚いたが、素直に祝いの言葉と、当時お気に入りだった自分のネックレスを、お守りがわりに渡した。
青い石のついたネックレスを弟は大事そうに掲げ、額に当て一言。
「ありがとう」
三日後、弟は騎士学校の寄宿舎に入るため、王都へと出発してしまった。
それからは淡々と日々を過ごした。
無事社交界への顔出しも終え、数人の友人にも恵まれた。
父や母に背くことなく、友人とも当たり障りのないやり取りをしながら弟のいない生活を送る。
そうして年を重ね、十八を迎える頃だったろうか……友人や母と会話をする際に、大変困るようになったのは。
当時の女性の結婚適齢期は十六から二十と言われていた。 数少ない私の友人達は皆、結婚するか、少なくとも婚約者がいる状態にあった。
十八になろうと言うのに、婚約者どころか恋人の一人もいないのは私だけ。
ただ、誰に何を言われても、私は結婚する気などなかった。前世の記憶のお陰で、結婚生活というものに希望を見出だせなかったというのも、理由の一つだろう。
結婚という未来が見えないのに、恋をする必要があるとは思えなかったので、社交界では男性の誘いを断り続け、母の持ってくる縁談話を難癖つけて断り続けた。
幸いにも、何だかんだで娘には甘い父であったため、無理やり婚約や婚姻を結ばされることは無かった。
父の甘さをいい事に私は、自身にもたらされる誘いや縁談を断りながら、何度も父に修道院に入ることを打診した。
若さを理由に断られたが、根気よく説得を続ける日々。
私のしつこさに根負けしたのか、父は私にある提案をした。 これより毎朝、街の教会に通い、その手伝いをすること。二十歳になってもその気持ちが変わらなければ修道院に入ることを許可してくれた。
別に神に仕えたいわけではなく、単純に教会の行う慈善活動に興味があっただだけ。何より、騎士になる弟の無事を祈りたいという気持ちが強かった。
父との約束を取り付けてからは、起床の時間を早めて街の教会に通い始めた。
朝の祈りを捧げ、教会内外の掃除をして家に戻る。
そんなことを二十歳になるまで飽きずに続け、家の反対を父との約束を盾にして押しきり、修道院の門を叩いた。
修道院での生活は、ずっと使用人のいる生活を送ってきた私には過酷極まりないものであった。
けれど、充実もしていたと思う。
自分にも他人にも甘えてはならない生活を、十年近く続けていたある日、修道院の院長に呼び出され、僻地の教会に勤めるよう言い渡された。
逆らえるものでもないので父母に手紙を書き、実家には一度も帰らず僻地へと向かった。
痩せた土地にポツンと建った教会での生活は、厳しいけれど充実したものでもあった。
ある日いつものように仕事をしていると、一人の騎士が訪ねてきた。
以前は王都で働いていたと言う彼は、遠征で近くまできたので教会に遠征道中の無事を祈りを捧げにきたのだという。
祭壇で神に祈りを捧げ終えた彼は、まるで懺悔でもするかのように、私に『少し話を聞いてほしい』と申し出た。
静かに、けれど意思を持って語る彼の話を、私は黙って聞いていた。
……話を終えると、彼は半ば諦めたような顔つきで、戦争が始まるのだと言った。 この辺りは危険だから逃げるようにも言われたが、この地を放置すれば周辺の村を見捨てる事になるので自分だけが逃げ出す訳にはいかない。
「私だけ逃げるなんて出来ません」
そう伝えれば、彼は諦めたような顔で言った。周辺の村の住民も理由は違えど、その地に残る選択をしたのだと。
帰る間際、彼は赤い石のついたネックレスを手渡してくれた。
「お守りがわりに」
最後に私の無事を祈ると言って、憎らしいほどの青空の下、彼は遠征軍の駐屯地へと帰っていった。
十数日の後、戦争が始まった。
戦争の影響で食物を徴収された近隣の村ではすぐに飢饉が始まり、教会の食料庫を解放しても数日ももたず、人々が地に伏していった。
帰る家のある修道女は家に帰し、逃げ出す者は捨て置いて、一人残った教会で。
ただただ、毎日祈った。
彼の無事を。
飢えた体を引きずって。
鈍く光る赤い石を握りしめて額に当てて。
祭壇の前で。
いるのかどうかも分からない神に、祈りを捧げた。
戦争の終結ではなく。
彼の無事を祈りながら。
私は、死んだのだ。