7 魔女話 3
コンコン
「あいとるよ」
警備隊の医務室のドアを叩けば、そこから聞き慣れた声が帰ってくる。
ここに入るのは、少しだけ緊張する。
「失礼する」
「おー嬢ちゃん、いつも悪のぉ」
「いえ……」
辺りを見回して、誰もいないことに安心する。
医務室を訪れている警備隊の人たちは皆気さくで、怪我をして痛かろうが辛かろうが、私にも明るく挨拶してくれる。それに対して私は気のきいた言葉の一つもかけれず、黙って会釈するくらいの事しか出来ないから、できればこの部屋で他人には会いたくない。なんだかとても申し訳なくなるのだ。
いつも通り持ってきた薬を渡し、改良した点や新しく作った薬の説明をする。ちなみに今回は新しい滋養強壮の薬と、二日酔いに効く薬を持ってきた。最近欲しがる者が多いらしい。
「随分と傷薬の減りが速いな」
「ああ、この間地震があったじゃろ? そのせいで炭鉱で事故があったのは知っとるかい?」
「……噂程度には」
「警備隊の方から何人も救助の応援に行っとるんだが、怪我をして帰って来るもんも少なくなくてのぉ……それどころか病院に入りきらん軽傷の患者は全部こっちに回ってきたもんでの、てんやわんやじゃったわい」
そうだったのか。それは知らなかった。
「……大変だな」
「じゃが、まぁ、今のところ死人もおらんようじゃし、良かったわい……落盤で死者もないとは、神に感謝せにゃいかんのう」
そう言うと、先生は私のためにミルクと砂糖のいっぱい入ったコーヒーを用意してくれた。
「ところで、嬢ちゃんに聞きたいんじゃがのぉ……少し時間はあるかいな」
いったい何を聞きたいのだろう……薬や医療については私よりもずっと知識のある人だろうに。 私に答えられることなら良いが……
そう思い、促されるまま先生の前に置かれた椅子に腰を下ろす。 目の前のカップに手を伸ばし、一口含めば、それはとても甘くて美味しい。
「お前さん、クロムとはどこまでいっとるんじゃい」
ブッッッッ
口に含んだコーヒーを思いっきりぶちまけてしまった。先生の白衣がまだら色だ。
「……申し訳ない」
「ふぉっふぉっふぉ、別に構わんよ……その反応じゃ、あやつまだ手を出しとらんの?」
「……」
「いやぁ、ヤツに聞いてもはぐらかすばかりで何も言わんでのぉ……ジジイは気になって夜も眠れんかったんじゃよ」
ふぉふぉふぉ……
眠れなかったわりには元気じゃないか、先生。
手で口元を拭おうとすれば、おしぼりを差し出してくれる。
「……ありがとう」
私が口元をぬぐっている間に先生は白衣を脱いで続けた。
「まぁ、おまえさんもなぁ……あの男を見て育っとるからのぉ……」
あの男、とは師匠のことだろう。
「男は信用できんかの?」
「……そんなことは……」
ない、とは言い切れない。
師匠は確かに不誠実だが、少なくとも先生や彼の事は信用できると思っている。
……というか、師匠の方が特殊なのだ、それは重々承知している。
「……先生は……どこまで知ってるんだ」
あの男はこの人にどこまで話したんだろう。日頃の話を聞く限り、あの男が先生と親しいことは分かる。
「なぁんも。……好きも嫌いも言わんよ。じゃが、おまえさんの話をここでもよくするんじゃ。それを聞いていれば伝わってくるものはあろうて」
……ああ、きっとこれが年を重ねると言うことなのだろう。
ただ、古い記憶を持つだけの私とは全く違う。 私の記憶はただの記録に等しい。その記憶をもとに、誰かを思いやると言うことが出来ない。
先生のように人を慮ってやることが出来ない。
今の私には、出来ない。自分の事だけで精一杯だ。ちゃんと年を重ねれば、私にも出来るようになるのだろうか?
「あやつは良い男じゃよ」
落ち着きのある、優しい声。
「顔も良いし、性格も悪ぅない……わしにゃ劣るが……」
ふぉふぉふぉ
いつもの笑い声。 冗談なのか本気なのか……
「優しいぞい」
それは知っている。私にも、店に来る客にも、分け隔てなく優しい。 特に子供が好きなようで、私を見て怖がる客の子供を、いつもあやしてくれる。
「無駄に正義感が強いが運が悪いでの、よう怪我もする」
そう、来るたびにどこか怪我をしているよな。無傷で店に来たことがあるだろうか。相変わらず傷薬を買い足す速度が速いこと。
「無駄に明るいしの、居るだけで和むわい」
そうだな。彼が来るようになって、店は明るくなった気がするよ。
「少し、人の考えに聡すぎるところがあるがの」
ドキリとしてしまう。この人は知っているのだろうか。彼には人の考えが分かるということを。
「わしの亡くなった孫がちょうどあんな感じじゃった……年の頃も近うての」
少し懐かしそうな顔。……知らなかった。
「……孫は七年前、別の炭鉱の事故で亡くなっての……今回の落盤でちぃと思い出してしもうたわい……」
そのお孫さんに、あの男を重ねて見てきたのだろうか……
「今回あやつが事故に巻き込まれたと聞いた時は、心の臓が止まるかと思うたが……」
「……え?」
ちょっと待て、今、先生は何と言った?
「巻き……込まれた……?」
「ん? なんじゃお前さん、もしやまだ知らなんだのか?」
全然訳がわからない。話も繋がらない。どう言うことだ?
あの男は今、落盤事故の救助活動をしているのではないのか?
「あやつ、今入院しとるんじゃよ」
なぜ?
先生の話を聞くや否や、私は教わった街の大きな病院に向かった。
過去、どの人生においても、ここまでの全力疾走をした記憶はないと言うほどに走った。
病院に着くと、すぐさま病室を目指す。途中何度か走るなと注意されたが、とても聞く耳を持てる状態ではなかった。
一刻も速く、教わった病室へ。
そこへたどり着いたとき私が見たのは、頭や首、腕と、至るところに包帯を巻いた、痛々しい姿……
で、警備隊の制服を着た同僚と、ベッドに腰かけて楽しそうに談笑する男。
彼の周りから病室の入り口まで、びっちりと置かれている花や果物のお見舞いは、同僚や友人、はたまた彼を好く女たちからだと思われる。
私の立つ入り口付近には真っ赤に熟した美味しそうなトマトの差し入れが置いてあった。もうこれは運命としか思えず、それをひとつ手に取る。
「きっ……」
この口から小さく声が漏れた。同僚と談笑していたはずの男が、視線をずらし、私の姿を捉える。
その顔に僅かに走る、焦りの色。
もう遅いわ。
持っていた完熟トマトは私の渾身の力で空を切り。
「っっっっっっさまぁぁぁあああああああっっっっっ!!!!!!」
見事に男の顔面で弾けた。
「なぜ連絡のひとつも寄越さなかった!?」
病院内で騒いではいけないと言うのは私も知っている。 だがしかし、だがしかし。
「わ、悪かった、悪かったって……ほら、すぐ退院出来るって話だったからつい……」
頭に巻いた包帯は、完熟トマトの色に染まっている。
「そんな怪我だらけのくせに何をほざくか!」
それに、そういう問題ではないのだ。
「いや、ほんとごめんって」
ここに来る前に先生が言っていた。
落盤事故の救助の際に余震が起こり、彼は二次災害のに巻き込まれたらしい。一時は意識もなかったが、今はご覧の通りだ。
彼の怪我自体は奇跡が起きたとしか思えず、そのほとんどが打ち身であったり擦り傷であったり。内臓や手足の骨に異常はなく、肋骨の何本かを骨折しているようだが、驚異的な回復力のお陰で順調に治っているのだと。
焦りの色を浮かべて謝って来る男と、驚きを隠せない様子でこちらを見ている彼の同僚二人。……まぁ、怪我人の顔にトマトを投げつける女を見れば、それは驚きもするだろう。
「つまり、あれか。私には、知らせる必要もないと、そう言うわけか」
「いや、そんなんじゃなくてだな……」
「私なんぞに、病室に入ってほしくないと、そう言うわけか」
「いや、違うそうじゃなくてだな」
「私には……」
だめだ、腹立たしさで頭がどうにかなりそうだ。
「私には、貴様を心配する権利もないと、そう言うわけか」
「ちょっ、まて! おまえそれは違っっっ……痛っぅ……」
「帰る! お大事に!!」
それだけ言うと病室を後にする。胸の辺りを押さえて痛そうにしている姿に、同情しないわけでも、ましてや心配がない訳でもない。けれど勢いよく出てしまった手前、引き返すことも出来ない。
背後で男の呻き声が聞こえたような気がしたが、構わずに元来た道を進む。
肋骨の怪我なら、あの男の発した大声はそれなりに堪えたはずだ。きっと動けないだろうし、動こうとしても一緒にいた制服達が止めてくれるはず。せいぜい安静にしているが良いわ。
出来るだけ足早に、今度は走ったりはしないけれど、自分自身の一番早い速度で歩いて病院の出口へ向かう。
「待って、薬屋さん」
後ろから聞き覚えのない男の声がする。振り向けば、先程まであの男と談笑していた制服のうちの一人がいた。
「クロムの同僚で、ダイス・ファンダシオと言います……」
「……ご丁寧にどうも……悪いが簡単に人に名前を教えるなと言うのが師匠の教えだ」
「知っています……クロムから話は聞いていますので」
いったい何を話したんだ。恥ずかしいな。
「クロムがあなたを追いかけようとしたので……もう一人の同僚が取り押さえて……僕が代わりに来ました」
「……そうか、先程は騒いでご迷惑をお掛けした、お詫びする」
「あ、いえ……とんでもない」
「で、何か?」
「……いえ、少し誤解があるようですので訂正に」
誤解か。何が誤解なものか。
「クロムは単にあなたに心配をかけたくなかっただけなんですよ」
そんなのは分かっている。 分かっているんだ。
「落盤事故の救助の際、余震があって……そのときに人を助けようとして巻き込まれたんです」
なんとまぁ……らしいと言えば、らしい。
「見舞いに来て早々、あなたにだけは言うなと言われました」
……ひどい話だな。
「本当に、心配をかけたくなかっただけなんですよ」
念押しされなくても分かってる。わざとだろうが、しつこい男だな。
「……これを、渡してくれるか……必要かどうかは分からないが……」
医務室を出るとき、慌ててポケットに放り込んだ傷薬を渡す。 一応外傷があると聞いて持ってきたんだ。
病院だから良い薬もたくさんある。
きっとこんなもの必要ないけれど、それでも何かしたかったんだ。
「分かりました。何か伝えておくことは?」
面倒見の良い男だな。
「……トマトの件は謝らん。その代わり……」
心配すらさせてくれないのは、いくらなんでも酷いと思うから謝らん。
……まぁ、怪我人にトマトを投げつけるのも充分酷いが……いや、でも熟していたし、柔らかいやつだったし……大丈夫なはずだ。謝らん!
……そのかわり。
「次に店に来たときは、良い茶でもてなしてやると伝えてくれ」
だからさっさと治せ。
とっておきを振る舞ってやるから。




