7 魔女話 2
「おおい、薬屋のお嬢ちゃん」
朝、いつもと同じように市場に出掛けると、八百屋のご主人に声をかけられた。
「……おはよう」
「おはようさん!」
「……腰の具合は……もういいのか?」
「おうよ、お嬢ちゃんの湿布薬のお陰でこの通りだ!」
そう言って元気に動いて見せるご主人の横では、奥さんが困った顔をしていた。
「もうあんた、あんまり無理するんじゃないよ! まだ完全に治った訳じゃないんだから」
あれからまだ五日。確かに完治するにはまだ早い。
「……腰は治りかけが一番危ない……出来ることなら安静にしてくれ」
いま無理をして、足腰たたなくなっては意味がない。
「ほら見たことかい、やっぱり今日もあたしに店任して、あんたは休んでな!」
「なんだよ大丈夫だっての! ずっと寝っ転がってるのも飽きたんだよ」
「……適度な運動くらいなら問題はないだろう……ただ少しでも痛みを感じたらすぐ横になってくれ、腰を痛めたときは薬よりも安静にすることが大切なんだ」
と、師匠がいっていた。
八百屋のご夫婦にはいつもお世話になっているし、これからも世話になる。元気でいてほしい。
「薬屋さんもこう言ってんだ、無理すんじゃないよあんた」
腰に手を当ててそう言う奥さんの顔は、心なしか曇っていて、やはり心配なのだろう。ご主人もそれを察してか、それ以上言い返すことはない。
……互いの気持ちがきちんと伝わっていると言うのは、こういうことなのだろう。見ていてこちらの心が温まる。
八百屋ではいくつか野菜を購入すると、奥さんがトマトをオマケでくれた。熟していてとても美味しそうだ。
「ありがとう、どうぞお大事に」
八百屋を離れる際にそう声をかけると、ご夫婦は明るい笑顔をこちらに向けて手を振ってくれた。
だから私もゆっくりと手を振る。
ただそれだけなのに、ご夫婦は驚いたように顔を見合わせていた。
「薬屋さん、この間はありがとう」
いつだったか、月のものの痛みが酷いと言っていた客だ。
彼女はあれから、度々他の薬も買いに来るようになった。元々は身体が弱く、体調を崩しやすい体質だったらしい。 線の細い女だと思ってはいたが、最近は暑さに負けて食欲もなく、体調を崩して飯の食えない日もあると言うので、食こそが健全な身体を作るのだと食欲を増進させる薬膳料理を薦めた。それが効果をあらわしたらしく、最近は顔色も良い。
「いらっしゃい……顔色が良いな」
「そうでしょ!? 最近すごく身体が軽いのよ、これも薬屋さんのお陰だわ」
いや、その線の細さなら身体が軽いのは当たり前だろうと思わないでもないが。
「……今日は何の用だ?」
この女が熱をあげている男は今日も店には来ていない……というかここ最近ずっと来ていない。例の地震の落盤事故のお陰で忙しいのだろう。
「用がなくちゃ来てはいけないの?」
「そう言うわけではないが……」
実際、何の用もないのに入り浸っている男もいる。
そう思っていると、彼女は何やら持っていた鞄の中を漁り始める。
……どうしたのだろう?
「今日はお礼を持ってきたの……じゃーん」
女が鞄から取り出したのは両手ほどの大きさのぬいぐるみだった。
可愛らしいウサギが『いらっしゃいませ』とかかれた看板を持ってちょこんと座っている。なんと言う可愛らしさだ。筆舌尽くしがたい。
「お薬や、薬膳料理を教えてもらったお礼に。ほら、この店少し殺風景じゃない?こういうのがあっても良いんじゃないかなーって……思って作ってみたんだけど……」
「……あなたが、作ったのか?」
「うん、裁縫は得意なの……どうかしら?」
どうかしらもこうかしらもない。
「……素晴らしい」
「ほんと!?」
本当だとも。この絶妙な耳の垂れ具合、素敵な顔の曲線、愛らしくつぶらな瞳、小さく、けれど主張することを忘れない尻尾、どれをとっても素晴らしい。 最高だ。
「店に飾っても良いだろうか?」
「もちろん、そうしてくれると嬉しいわ」
そう言うと、女は満足げな顔をしていた。 これだけ可愛らしいものを戴いて、そのまま帰すわけにもいかぬと思い、女には私の新作薬膳茶を小瓶に入れて渡した。まだ誰にも飲ませてはいないが、中々の出来であると自負している。
「ありがとう! この間ここのお茶買ったけれど、すごく美味しかったの……また来るわ!」
手を振って店を出ていく女に、小さくこの手を振り返し、その姿を見送る。
人に手を振るようになったのはいつからだろう。
昔は、恥ずかしくてそんなことはできなかった。 師匠に熱をあげて手を振る女はいても、私を眼中に入れてくれる人などいなかったように思う。
これもあの男の影響だろうか。
作業台の上には可愛らしいウサギがちょこんと座ってる。 実に器用に作るものだ。
今生の私はさして器用でも不器用でもないが、いつかの古い記憶にある過去世の私は、大変に器用な女だった。
幼い頃に両親を亡くし、幼馴染みとその親に何かと世話を焼いてもらいながら、得意の裁縫を活かし生計をたてていた。作った人形を町で売ることを続けているうちに、子供達に人形劇をして見せろと迫られ、やって見せたこともある。
毎日夜中までカンテラに灯りをいれて人形を作っていたので、たまにふらついてしまうこともあったが、それでも毎日が充実していたように思う。
なぜだろう、こんなことを思い出してしまうのは。痛くて辛くて苦しい筈だった遠く古い記憶。
『こだわるべきは過去じゃないんだよ。たまに振りかえって干渉に浸って、こんな事もあったから次は気をつけようって思いながら、もう一度前を向くために思い出はあるんだ』
当時、五股がけしていたうちの一人の女にそれがばれて、店の中でビンタを食らった師匠が格好をつけてそんなことを言っていた。だからこの痛みの記憶もいつか僕に前を向かせてくれる原動力になるんだよなんて、バカなことを言っていた。
ちなみに師匠が同じような理由でビンタを食らったのは、私の知る限り八回。何の反省もしていないじゃないか。
師匠、はっきり言おう。
その素晴らしく膨大な薬の知識を惜しむことなく、むしろ率先して私に与えてくれたことは感謝している。衣食住を与え、育ててくれたことにも感謝している。
が、私はあなたのことをバカだと思っている。軽薄で無神経で騙されやすく男として最低を極めているとすら思っている。 本当に、女ウケする顔と薬の知識とその腕さえなければただのポンコツだ。
ただ、あなたの言葉に、時々。
本当の本当に時々ではあるが。
私は頼られていた、誰かに必要とされていたのだと。
救われているのもまた事実なんだ。




