閑話休題 2
『もうファータ一人で何でも出来るね。僕がいなくても大丈夫なんじゃない?』
出来る訳じゃない、させられているんだ。師匠の頭のネジは果たして一本でも残っているのだろうかと思わなくもなかった。
けれど、そんな事を思いながらも優しい手つきで頭を撫でられると、それなりに嬉しくもあった。ポンコツで、女にも金にもだらしがないが、それでも私の師匠だ。誉められて嬉しくないわけがない。
そんな師匠は、ある日突然私の目の前から姿を消した。
一枚の手紙を残して。
その前日、夕飯に出したピーマンを残さず食べたのを見て、師匠も成長したもんだと思った次の日にはこれだ。
その内容は簡単に言うと、私に店の事を任せても大丈夫だと確信を得たので、店を一任して旅に出る、というものだった。
困った事があったら警備隊の医務室の先生を頼るように。先生は信用できる。だからファータの名前も教えておいたよ! って、何を勝手な事をしてくれとるんだ。
追伸、借金取りのおじさんに『ちょっと待っててね』と伝えといて。あとピーマンて意外と美味しいね! と書いてあった手紙を破り捨ててしまわなかった事は、奇跡に近い。
ただまぁ、師匠のお陰でその頃には自分一人で店を回せるようにはなっていたし、不自由もない。
最初はそう思っていたのだが、だんだん状況が変わってきた。
まずは師匠の残して行った女。……いや、女達。師匠が消えて以降、店を訪ねてきた『自称彼女』は十人を超えていたのだ。
師匠の顔が良い事は周知の事実であったし、女にだらしがないのも理解していたが、それにしても驚いた。
彼女らは最初こそ師匠の心配をしていたり、突然消えた事に憤ったりもしていたが、次第に店に寄りつかなくなる者と、私が師匠の行方を知っているのではないかと疑り始める者に二分されていった。
ちなみに私を疑う女達の中には、暴力に訴えてでも師匠の居場所を私から聞き出そうとする女もいた。
お陰で師匠の失踪後しばらくは生傷が絶えなかった。勘弁してくれ。
けれど師匠失踪から一年経つと、少しずつ女も店から離れて行って、最初は頻繁に見ていた師匠の夢も段々と見る事がなくなった。
特に師匠の夢は、一度店で居眠りこいて客に迷惑をかけてからは見なくなった。
二年もすれば、さすがに女達は来なくなっていた。
人を待ち続け、恨み続けるよりも、新しい出逢いを求めて前向きに生きるべきだと私も思う。
日常も、心の中も落ち着いて、だいぶん過ごしやすくなった……と思って油断した。
師匠の自称彼女の中でも厄介な女が刃物を持って店で暴れたのだ。
泣くわ喚くわ、まぁ酷かった。女の振り回す刃物で腕を斬りつけられた時は死ぬかと思った。……結果としては助かったけど。ちょっと覚悟を決めかけた。
さて、その頃から店に一人の客が頻繁に出入りをするようになった。いや、元々よく店に傷薬を買いに来る客ではあった。その客が薬を買う訳でもないのに顔を出すようになったのだ。
最初はたぶん、私の怪我を心配して様子を見に来てくれていたのだろうが、段々と店で会話をするようになり、終いには手土産をもって来て居座るようになってしまった。
別に何をする訳でもないのだが、私の横に椅子をもって来て座っているのを見ると、急に懐かしく思った。 私も小さい頃、師匠の隣に椅子をもって来て、座りながら一日を過ごしていたから。
師匠が失踪して三年半。
クロム・ルーザーと名乗るその男が、店によく来るようになって一年半ほど経った頃。
師匠の言いつけ通り、この男には名前も教えず適当に会話をしながら過ごしていた。すると、だんだん彼を目当てにやって来る客が出始めたのだ。
用もないのに押し寄せる女性客……という光景は、かつて師匠がいた頃に見た事がある光景だった。彼女達は、男が店にいるのを見つけるとこぞって薬を買い求める。
……まぁ、師匠程ではないにしろ、顔も良い。
忙しくはあるが、収入も増えるし悪い事でもない。この男を目的にやって来る客の相手は丸投げできるし万々歳だ。
たまに貴様その薬買うの何度目だと言いたくなるが、薬を買えば男と触れ合える為ついつい買ってしまうらしい。見上げた根性と財布の紐の緩さだ。そんな無駄な事に金を使える経済力が羨ましい。
ただ、そのお陰でやたら薬の消費が激しくなるので、本当にその薬を必要としている人が来たときに足りなくなってしまったらどうしようと不安に思っていた私に、男はある提案をした。
私の作った薬膳茶を売り物にすれば良いと言うのだ。それならば無駄に薬を消費する事もない。なおかつ、ただの趣向品であるため、少々値段に色をつけても問題はないだろうと。
たかが私の趣味で作っているものに値段をつけて売って良いものかと思った。だが薬の消費を減らすためだとその提案に乗ったところ、女達にウケた。数種類準備していた薬膳茶は驚くほど売れたのだ。
もちろん男が女達に宣伝してくれたというのもあるが、健康な女達にしてみれば薬よりもずっと買い求めやすい品だったらしい。その上、買い求めた薬膳茶の味や香りを男が説明する事で会話が生まれ、彼と少しでも長い間接していたい女達からすれば、万々歳なわけだ。
そして万年金欠の私も懐が潤って万々歳なわけだ。ああ、財布の重さが心地良い……なんて思った先から、借金取りのお兄さんたちに全て持っていかれたのだけれども。くそ、容赦のない連中だ。少しくらい幸せを噛み締めさせてくれても、と何度思った事か。
あと、この男の良いところは手土産に甘いものを持ってきてくれるところだ。甘いものは良い。疲れもとれるし、美味しいから好きだ。
最初のうちは、彼を店員だと勘違いする客もいた。けれど、そうではない事を告げると、今度は『恋人ができたのか』などと聞かれるようになり、果ては常連の客から『いつ結婚したの』などと聞かれてしまった。
一体何を見てそう思ったのかは分からんが、あまり良い傾向ではない。 男にも迷惑をかけてしまうかもしれないので、もう来なくて良いと伝えたところ、何故か名前を呼ばれた。
それはとても懐かしい響きだった。師匠がいなくなって誰も呼ぶ人のなかった名前。どうやら男の職場である警備隊医務室の先生から聞いたらしい。
師匠がくれた私の名前。師匠しか呼ぶ人の無かった名前。
師匠以外の人に呼ばれると、もう師匠が帰ってこないような気がして男に忘れてくれと頼んだ。
結局、師匠がいなくても大丈夫だと思いながらも、心のどこかで帰りを待ち続けていたのだと思うと、我ながら恥ずかしい気もする。
存外簡単に了解してくれたが、そこからが問題だ。
この男、私を好きだなどと言い始めた。
突然そんな事を言われて理解出来なかったが、返事を『了承』『拒否』『保留』のいずれかに決めろと言われ、『保留』を選択した。その後、少し口論になり、男を店から追い出した。断じて私は悪くない。悪くない……が、少し物を投げつけてしまったのは悪かったと思っている。もしかしたらもうこの店には来ないかもしれない。
……と思っていたら数日後、私の大好きなクリームがいっぱいのったケーキを手土産に、あっけらかんと姿を表した。
少し驚きはしたが、同時に嬉しくも思ってしまう。
きっと私はケーキが食べたいだけなのだ。
そう自分に言い聞かせて、嬉しく感じた事をバレないように、わざと突き放して『傍に来るな』と伝えれば、彼は困ったような顔をした。
『それではおまえにケーキを渡せない。』
しまった。
私が黙り込んだのを見て、彼は少し考えると遠慮なくこちらにやってきた。慌てて奥の部屋に隠れると、気にせず近くの作業台の上にケーキの箱を置いて、そこからケーキを一つ取りだし手掴みで平らげた。唖然とする私の方を一瞥すると、そのまま入り口付近の椅子に着座する。
『何なら入り口のドアを開けっぱなしにしておこうか』という提案をされたので頷くと、顔をしかめながらも入り口のドアを開けていた。不服そうだが自分で提案したんだぞ。
それから半年間。
以前に増して、男は頻繁に店に来るようになった。なんやかんやで好意は伝えてくる、かと言って返事の催促をするわけではない。何だか不思議な気分だった。
本人は本気だと言っているが、実際のところはよく分からない。冗談だと思える事の方が多かった。けれどそんな思いが顔に出てしまっていたのだろう。よく、『俺は本気だ』と怒られた。
本気であるならそれはそれで 困る。そろそろ私の年齢は死亡適齢期を迎えるのだ。これまでの人生、平均寿命は二十年。私は今年で十九歳になる。もし本当に私を好いてくれているなら、私はきっと彼を最悪の形で傷つけてしまう。 それは私にとって、避けたいものだった。
だから彼が私からそれとなく離れてくれるように、一つの決断をするに至る。
師匠がいなくなって実に四年が経っていた。
このとき、私は選択を間違えた。 私はいつかの返事を『拒否』とするべきだったのだ。それをせずに遠回しに私から離れてもらおうと考えた。私の前世の記憶の話をすれば、彼は私の事を頭のおかしな女だと思って離れてくれはずだと思った。
だから話したのに。
彼はそれを聞いてなお、私の事が好きだとこの手を取った。 そして彼自身の事についても話してくれた。
人の考えている事が分かる……というのは少々信じがたい話ではあるが、私のような人間がいるのだから彼のような……特殊な能力とでも言うのだろうか。そういう事が出来る人間がいても、おかしくないのかもしれない。
前世の記憶がある事を話してから数日。
やはり男はやって来た。南第五区で売っているという異国の菓子を手土産に。 何だか気まずい気持ちで彼を迎え入れたが、こちらが拍子抜けするくらいいつもの調子だった。
なんかもう、あの日の会話は全て夢だったのではないかと思い、それとなく聞いてみたら怒られた。
『おまえに前世の記憶がある事も知っているし、俺には他人の考えが分かるってのも話しただろ』
一応聞いてみただけじゃないか。確認だ。
しかし、人の考えが分かると言うのは実際はどう言った感覚なのだろう。話を聞いた時は、そんな事が私に出来てしまったら恐ろしくて外に出る事も出来ないのではないか……とも思ったが、いざ本人を前にすると驚くほど明るく前向きな性格をしているように見える。
何となく気になって、どんな気分なのか聞いてみたところ、逆に小さい頃に『人の考えている事が分かれば良いなぁ』と思った事はないかと聞かれた。
小さい頃は毎日師匠にこき使われていたから、そんな事を考えた事などない。そもそも、そんなに知り合いもいないし、こちとら自分の事だけで手一杯だ。
彼の話によれば、小さい頃は自分以外の人も同じような事が出来ると思っていたらしい。ある日、好きな女の子の考えている事をどうしても知りたいと強く念じたところ、その子の考えている事が詳しく分かったのだと言う。その頃から変態性を発揮していたとは驚きだ。
それから、なぜか話は彼がこの街に来た頃の話になった。
彼がはじめてこの店を訪れたのは三年も前の話なのだと言う。
……そうだったろうか? 私には二年くらい前の記憶しかないのだが。出会った頃の事を覚えていないかと聞かれたので首を横に振ると、彼は思出話を始めた。どうも私に思い出させたいらしい。
話を聞いて確信を得た。全く覚えていない。頭に怪我をした客? 悪いがそんなのはこれまでに数えきれないほどいた。
しかし、あれだ。私は長い話が苦手だ。するのはもちろん、聞くのも、だ。
とどのつまり、話の途中で寝てしまったのだ。 いや、だって寝ていてもいいと言うから。
途中までは覚えているんだ、私の愛想笑いを小馬鹿にしたり、顔の見えない私の年齢を母親と同じほどだと勘違いしたとか、本当に失礼な男だな。ああ、あと女運が無いと言う下り。浮気されたり借金されたり嘘をつかれたり、素直に可愛そうだと思った。 そのあとは……うすぼんやりとしたとした記憶しかない。
話が終わる頃に男の声で意識が明瞭になっていったのだが、その時に言われた言葉は衝撃だった。
『お前いつも客が帰るときに愛想笑いするじゃん。アレやめた方がいいよ』
なぜだ。
あれは客を出迎える、また見送るにあたって私が示せる数少ない敬意だ。私は言葉でそれを伝えるのが苦手なのだから。
師匠にも、『お客さんを迎えるときは愛想良くしてね』と言われていた。それを間違っているとも思えない。
彼がなぜそんな事を言うのかと言うと、どうも私の愛想笑いは少し怖いらしい。
驚いた。
師匠に教わった、とっておきだったのに。
けれどそう言われると、そういえば……と思わないでもない。
小さい頃、前世の記憶はある上に内向的な性格も手伝い、友達と言える人間が一人もいなかった私は、師匠以外の人間と接する機会がほとんど無かった。 お陰で顔面筋が発達する事なく育ってしまう。
前世の記憶もあるし、師匠に群がる女の笑顔を見て育った私は、笑顔がどういったモノであるのか理解していても、それを実行するのは難しかった。
店番を任されるようになってからと言うもの、『愛想笑いは看板娘の通常装備だから』という師匠に習い、表情筋を動かして笑顔を作ったとき、師匠には変な顔をされた。
少し顎をひいて首をかしげ、上目使いで、出来る事なら少し眉尻を下げて、ニコリ。
これが師匠の鉄板らしい。これで落ちない男なんて男じゃないとまで力説された。
考えてみれば同じような事を前世の売春宿でやっていたなぁと思い、頑張って思い出してみた。
師匠の言う通りにやってみたら、爆笑された。
『いいねそれ、凄く元気出るよ。それ採用』
当時は師匠がそういうならそれで良いかと思い、鏡の前で練習しようとしたらやんわり止められた。 以降師匠の言いつけはしっかり守って生きてきたわけだが、あのポンコツ、はめてくれやがった。 くそ。まぁ、当時から私は恥ずかしがり屋で顔を隠していることが多かったから、客にもあまり見られていなかった……はずだ。
うん。
大丈夫だ。
きっと。
その後しばらくは二人で愛想笑いの練習をした。結局上手くはいかなかったが。




