5 毒の華
『 5 刺 』の別視点。たいしたことはないのですが、一応残酷描写有りです。
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
「後ろの正面、だぁれ?」
姐様は、お宿の遊女が足抜けしようとすると、いつもこの歌を歌われる。
そしてお笑いになる。
「くくく……ねぇ竜胆、今度は夜椿が失敗したんだって。相手の男は夜椿の目の前で殺されたらしいよ」
「そのようでございますね」
「ここから逃げようなんて……阿呆だねぇ」
「その通りにございますね」
くくく、姐様はお笑いになる。
白粉をはたかずとも白いお肌を、少しばかり桜色に染めて、紅を引かずとも赤い唇は美しい弧を描いていらっしゃる。
「ここから逃げる方法なんぞ一つだけだろうに」
その大きな目に、窓から見える間昼の月を映してお笑いになる。
「生きて共になどと、片腹痛い」
くくく、声を忍ばせお笑いになる。
たった一組の遊女と客が足抜けに成功して以来これまで、この花街ではずいぶんと足抜けを企む男女が増えた。 何十年もの花街の歴史の中で、たった一度の成功例なのに、それが皆に希望を与えてしまったらしい。
「揃いも揃って阿呆ばかり……金もなしに足抜けなんて成功するわけないじゃないか」
この花街にいる女性は、大概が親の借金の肩代わりにお宿に売られる。
お宿で体を売って、その借金を返していく。 もちろんいくつか例外もあって、姐様のように生まれたときからお宿でお育ちになった方というのもいらっしゃる。
一年前、姐様はある遊女の足抜けに荷担された。 特に仲の良い訳ではなかったその遊女に、姐様は金の工面をして差し上げたの。
本来なら遊女が金にさわることは絶対にないのだけれど、姐様はお宿の番頭の目を盗んで、お大尽方から直接お金を頂いていらっしゃった。
コツコツ貯めたそれを惜し気もなく遊女に渡し、花街から抜け出すのに使えと仰ったのだ。
結果、その遊女は花街の見張り番にお金を渡しながら、逃げ延びることが出来たと聞き及ぶ。
「さぁて、少しばかり夜椿に会ってくるかねぇ……どんな顔をしていることやら」
姐様はここ一年、本当によくお笑いになる。
お大尽がたの前でしか、お笑いにならなかったあの姐様が。
「竜胆も一緒に見に行くかい?夜椿のやつ、きっとひどい顔をしているよ」
「いいえ姐様、竜胆はご遠慮申し上げます」
「そう……」
「昼の準備をしてお待ちしております、どうぞ行ってらっしゃいませ」
姐様は後手を振ると、部屋を出て行かれた。
きっと姐様は戻られたら楽しそうに夜椿様のお話をされるのだろう。 夜椿様がどんな顔をして、どこに傷をつくって、どんな声を出したのか。
それは楽しそうにお話をされるのだろう。
足抜けに失敗すれば、男はその場で斬られ、女は拷問の後に別のお宿に売られてしまうらしい。 みんなそれを分かっているのに、最後の希望にすがって街を出ようとする。
希望から絶望へ。
叩き落とされた女の顔は、何度見ても飽きないと、姐様は竜胆にだけ話してくださった。
姐様と竜胆だけの内緒。
……さぁ、姐様が戻られるまでにお昼ご飯の準備をしておかなくては。
姐様と楽しいお昼時を過ごすために。
「この花を姐様にお渡しすれば良いのですね、分かりました」
姐様がお客をとられている最中、別なお客から花を預かった。
赤く華やかに咲く曼珠沙華の束。
「また来ると、伝えておくれ」
「承知いたしました、必ず姐様にお伝えいたします」
お客はそう言ってお宿をあとにした。
綺麗な曼珠沙華。
まるで姐様のように艶やかで美しい。
そう、曼珠沙華というのは、正に姐様を表すにふさわしい花であると思う。
生命力に満ち溢れた、人を引き付ける赤い華。
咲き終われば葉だけ置き去りにして、次咲く季節を土の中でじっと待つ。
美しい花なのに球根に毒を持ち、喰らえば毒に犯される。
死すれども相手を道連れにする、美しく気高くある赤い花。
その赤い花を、お大尽の酒のお相手をなさっている姐様の元へと運ぶ。
「姐様、別なお客様から姐様に花の贈り物でございます」
「おや、綺麗な花……けれど竜胆、今は旦那様の御前だよ。それは竜胆にあげるから持ってお下がり」
「かしこまりました、姐様。旦那様も失礼致しました、どうぞごゆっくり」
その花を持って部屋を下がる。
姐様は本当に要らないものならその場で捨てろと仰る。 けれどそう仰らなかったということは、飾っておけということ。
ただ、他のお客からの贈り物をお大尽に見せることで、より高価な贈り物を頂いたり、金子を頂けることもあるそうで、何かが届いた際には必ず接待部屋に持ってくるようにと姐様からは仰せつかっている。
竜胆にはまだ少し難しいけれど、駆け引きというものらしい。
何にせよ、先ほどの姐様のご様子ならば、きっと竜胆は姐様のお役に立てたのだ。
嬉しい。
綺麗な曼珠沙華を抱えて姐様のお部屋へ。
床の間に水をいれた花瓶を置いて、そこに花を生けた。
暗い部屋に赤く咲く。
月明かりの中でも存在を潜めることなく咲くその花。
姐様は今日は泊まりのお大尽の相手をなさる。 だから姐様にお伝えするのは、きっと明日になる。
姐様、この花を持ってこられたのは、先日姐様を足抜けに誘われたお客でございます、と。
「そうかい、あの商家の息子かい」
姐様は曼珠沙華を一輪手に取ると、その花に唇をお寄せになる。
お大尽の床から戻られた姐様は少し気だるげで、お化粧も落ちてしまっているのに、いっそう美しく見えるから不思議。
「竜胆、知っているかい?どこぞの神の教えでは、吉兆には天上から赤い花が降るとされているんだ」
そう言って姐様は曼珠沙華の花弁をむしって散らされた。
ハラハラ、ハラハラ。
散る赤い華。
その向こうで、姐様は笑っていらっしゃった。
くくく。
声を潜めて楽しそうに、姐様は笑っていらっしゃった。
次の日も、その次の日も。
曼珠沙華のお客は姐様を訪ねてやって来た。
姐様は連日やって来るお大尽の相手をしていらっしゃったから、そのお花はいつも竜胆が受け取ってお部屋に飾っている。 日に日に増えていくその花を姐様は嬉しそうに眺め、その花を散らされるとき、姐様はとても楽しそうなお顔をしていらっしゃった。
「そうだ竜胆、次にこの花を男が届けに来たら三日後の夜明け前に店の裏で逢おうと伝えておくれ……」
「三日後の夜明け前に、お店の裏で逢おうと姐様からの言伝てでございます」
「承知した」
赤い曼珠沙華の花束のお客。 いつもは花だけ渡して去っていくのに、その日は違った。
「彼女に、愛していると伝えてくれ」
それは甘い愛の言葉のようにも聞こえるけれど、お客の顔はどこか呆然としていて。
「承知致しました」
そう告げるとお客は足早に店を去っていった。
その事をお伝えすると、姐様はいつもよりずっと嬉しそうにお笑いになる。
「そうかい、くくく……ありがとう竜胆……ああそうだ、ご褒美にこれをあげるよ」
そう言って姐様は竜胆に綺麗な簪をくださった。
翡翠のついた綺麗な簪。 姐様の艶やかな御髪によく似合いそう。
「昨日のお客がくれたのさ……花なんぞより良いものをくれてやる……なんてね……でも簪なんぞ要らないから竜胆にあげるよ」
そう仰ると簪をとって竜胆の髪につけてくださった。
「似合うよ竜胆」
「ありがとうございます、姐様……大切に致します」
くくく……
姐様が笑っておられる。 綺麗な顔で、愉快そうに。
また赤い花をむしって散らされた。
三日後の夜明け前。
姐様はそっと起き上がられた。
いつも私室で眠られるときは、竜胆が頑張って起こしても起きては下さらないのに。
なんだか不思議な気分で、でもこんなことは初めてだから、姐様に竜胆を起こしていただきたくて。
ついいたずら心で眠ったふりをしてしまう。
けれど、姐様は竜胆を起こしては下さらなかった。
音をたてないように、そっと隣で眠ったふりをしている竜胆の頭を撫でて、行ってしまわれた。
くくく……
いつものように、声を潜めながら楽しそうに笑って。
「……姐様……?」
行ってしまわれた。
竜胆を置いて、姐様は行ってしまわれた。
どこへ?
あの曼珠沙華のお客のもとへ。
そうだ。今日は姐様があのお客と約束をなさった日。
姐様が行ってしまわれる。
寝るときも大切に抱えていた簪を強く握りしめ、慌てて布団を出て、寝巻きのまま姐様の後を追う。
『次にこの花を男が届けに来たら三日後の夜明け前に店の裏で逢おうと伝えておくれ』
お宿の裏へ、足早に。
けれど、音をたてないように。
姐様を追う。
ドスッ
たどり着いた先には姐様の後ろ姿が。
凛としたその立ち姿は、いつもとは違って頼りなく。
揺れて。
くらりと。
倒れこんだ。
「……あねさま……?」
空を仰いで倒れていらっしゃる姐様の胸元には花のように赤い、赤い……
「あ、ああああ、あああああああ」
姐様の向こう側にはあの曼珠沙華のお客。
「しゃくな、げ……ああああああああああああ」
ふるふると震えながら、姐様の名を呼びながら手で顔を覆う。 お客の足下には小刀の鞘が落ちていた。
「違う、違うこんなはずじゃ……」
ぶつくさ、ブツクサ。
うるさいお客。
「この小刀は、そちら様の物でございますか」
「あ、う……あ……」
「もしそうであるなら、竜胆はこの小刀をあなた様にお返しせねばなりません。姐様を訪ねて来られたお大尽様のお忘れものは、いつも竜胆が預かり、お返ししておりましたゆえ」
「うあ……ああ……」
ヌプリ
嫌な音をたてて、姐様の胸元から小刀を抜く。
途端に広がる姐様の赤。
ああ、姐様はその赤でさえ美しくていらっしゃる。
「『ああ』とは肯定の意で御座いますね」
「い、や、うあ……」
一歩お客が足を下げ、そのまま後ずさってしまう。
「お待ちくださいませ」
逃がしてはならぬと思い持っていた簪を投げると、うまいこと足を掠めたようで、お客はその場ですっ転んでしまう。
なんたる不様。
「お忘れものにございます」
転んだお客の首もとに抜き身の小刀を差し出す。
「この小刀は、姐様の胸元に刺さっておりました」
その首もとにあてがい、薄皮を一枚。
「ち、が……」
「竜胆がここに来たとき、姐様とあなた様の二人がこの場におられました」
お客の血が一筋流れる。
「これを姐様に突き立てたのは」
「う、あ……あ……」
「あなた様でございましょう?」
スッと。
少し力をいれて小刀を引くと、お客の喉からは勢いよく飛沫が吹き上がった。
その首から飛び散る赤く温いそれは、姐様が笑って散らしたあの花によく似ていて。
「姐様」
お客の手に小刀をしかと返すと姐様の方へ駆け寄る。
竜胆が小刀を抜いた場所からは、どくどくと美しい赤が溢れていた。
夜明けの光が射し込む中、姐様はピクリとも動かず。
ただ美しく弧を描くその唇が赤く濡れていて。
「姐様……笑っていらっしゃるのですか?」
その漆黒の瞳が、もう竜胆を見て笑っては下さらないのかと思うと寂しくて。
ただしばらく、今しばらくは姐様を近くに感じていたくて。
姐様の赤い海に身を寄せ、うずくまる。
それからのことはあまり覚えていないけれど、気がついたら姐様のお部屋に寝かされていた。
竜胆は三日間ずっと眠り続けていたらしく、その間に姐様は御供養されたらしい。
姐様のいない部屋は、ただただ広いだけ。
花瓶の中の曼珠沙華が、少し元気をなくして頭を垂れている。
「曼珠沙華……」
天上の花。赤い花。
姐様は逝ってしまわれた。
吉兆には天上から赤い花が降ると仰った。
ねぇ、姐様。
姐様にとっては吉事であったのでしょうか。
あの赤の降る夜明けの中、その美しい唇は弧を描いていらっしゃいました。
姐様は確かに笑っていらっしゃったのでしょう?
『ここから逃げる方法なんぞ一つだけだろうに』
別な方法を知っていても、あえてこの方法を選んだ姐様。
姐様は無事に逃げ出せたのですね。
姐様が笑っていらっしゃるならば、それで良いのです。
楽しそうに。
「くくく」
竜胆も笑いましょう、姐様がそうであったように。
そして姐様がよく歌っていらした歌を、姐様への手向けに。
「くくく」
かごめ かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀が滑った
「後ろの正面 ―――」




