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セピアワールド

色褪せた教室

作者: syou

2012/05/28 改稿

 果汁百パーセントの葡萄(ぶどう)ジュースが無かったので、俺は自動販売機から離れてホームのベンチに座った。ジーンズ越しにプラスチックの冷たさが伝わってくる。ぞわっと背筋が粟立つ。

 まあ、それも少しすれば慣れる。自分にそう言い聞かせ、冷たさから目を背ける。

 俺は自分の腕時計で時間を確認し、その後電光掲示板を見る。電光掲示板の表示が間違っていなければ、堵燐(とりん)行きの快速はどうやらもうすぐ来るようだ。

 『服を買うのを手伝ってくれないか』と大崎からいきなりメールが来たのは昨日の夜のことだった。『俺にはセンスが無い』と返信したが『とにかく来てくれ』と言われ、渋々ここに来た。本当は無視して行かないという方法もあったが、中学時代に色々迷惑をかけたことを思いだし、行く事にした。

 はあ、と溜息をつく。何故休日にもかかわらず部屋を出なければいけないのだ、と俺は今更そんな事を思う。

「まもなく、二番線に八両編成の堵燐行き快速電車が参ります。黄色い線の内側までお下がり下さい」どこの駅でも聞く女性の声が、電車の到着を報せる。きっと彼女は、今ここでアナウンスをし終わったら、また他の駅へ行く事なんだろう。多忙だな、と同情する。

 線路を駆ける音が聞こえ、俺はベンチから立った。折角冷たさにも少し慣れたのに、と温もりが残ったベンチを名残惜しく見る。

 ごうっと風を切って、快速電車が駅にやってくる。速度が徐々に緩くなっていき、止まった。ドアが一斉に開き乗客が数人降りてくる。こんな田舎に何の用があるのだろうか、と訝しげに降りた人たちを見た。

布農里(ふのうり)、布農里」さっきとは違う駅員のアナウンスが聞こえる。きっと彼女はもう、他の駅へと旅立ったんだろう。

 俺は、席がまばらに空いているその列車へと乗り込む。中に入るとぬるい空気が俺を出迎えた。だがそれも束の間、車内の暖かい空気が俺を包んだ。

 左端の優先席が空いているのが目に入る。俺はその左の奥の席に座る。足元の空調器具から暖かい風が出ている。その風を受けて、俺はほっと一息をつく。脚の筋肉の周りについていた氷が解けていくような感覚。これは何と言うか、物凄く凝っている肩をマッサージされている時と似ている。俺は、気を抜いたらすぐにでもその暖かさに顔が微笑んでしまう表情筋を、引き締めながらそう思った。

 目の前の席にはちょうど老人がいた。手には大事そうにランプを持っている。中には何が入っているのだろうか。ランプの魔人か、はたまたカレーのルーか。

 ゴトン、と音が鳴って電車が少し大きく揺れた。全く意図していない出来事だったので、俺は席から落ちてしまう。周りを見ると、乗客の皆さんがこちらを見ていた。恥ずかしさの余り、顔が熱くなる。

 俺はそそくさと席に戻ろうとするが、目の前にあのランプが転がっているのが見えた。恐らく、さっきの揺れで老人が落としてしまったんだろう。

 俺はそのランプを手に取った。奪おうなどと思ってはいない。勿論、持ち主に返す為だ。

「ああ!」目の前の老人が、顔に似合わないソプラノボイスでそう叫んだ。俺はその声に驚いて、ランプから手を引っ込めてしまう。もしや、本当にカレーが中に入っていたのか。

 眼前が歪み、まどろみに浸る感覚。


 ぼんっ、という安っぽい小さな爆発音と共に、ランプの先から煙が出てきた。

 ランプから出てきた紫色の煙は徐々に形になっていき、はっきりと目視できるようになった。

 人型。ふくよかな体型で、体の色は煙と同じ紫色。茄子のような顔の形をしている。人間と唯一違うと思われるのは、脚が無く、ランプから上半身が出ている事だ。もしかすると、俺の目からは見えないが内臓や血液が無いかもしれない。そうすると、唯一ではなくなる。

 じっくりと、そのランプの魔人らしき煙の固まった固体を見ていると、眉をひそめて魔人は喋りだした。

「何か用か?」

 俺は自分の耳を疑った。普通、こういう時は願いを三つ叶えてやる、とか言うんじゃないのか? それなのに「何か用か」って、こいつは無愛想な自営業のおっさんかよ。俺は不審者を見る目で、その顔面茄子を見た。

「何だ? 願いでも叶えて欲しいのか?」そう言って、茄子は鼻で笑った。俺はその笑い方に苛立つ。

「別にそんなことは思っていないよ。けど、普通そこはそう言うんじゃないのか、と思っただけだ」

 はあ、と茄子は溜息をつく。「わかってねえなあ。何のメリットも無く人がホイホイと願いを叶えるかっつうの。メリットが無きゃ叶えねえよ」

 随分と現実的なランプの魔人だな、と心の中で苦笑する。

「よく考えてみろよ。見も知らぬ人間にお前は金をあげるのか? やらねえだろうが、普通は」

「けど、大金持ちの人とかおばあちゃんとかが、貧しい人とか迷子の子供にあげてたりするじゃないか」言ってから、そんな話フィクションの中だけだろうけどと思った。

 茄子は顎に手を当ててやけに真剣に話し始めた。「前者は見栄を張るためだ。人間って言うのは、いつでも人に良く見られようと努力するもんなんだよ。ほら、大人の女がそうだ。毎朝、髪のセットやらメイクやらとやっているだろ? それと同じだよ」

 魔人の視線が、俺に突き刺さる。痛い。特に暴力を振るわれていないのに。痛い。

「後者は、死期が迫っているのを心の奥底で感じ取っているからだ。生前、悪いことをしたやつは地獄に送られるって言うだろ。だから、少しでも生前にやった悪行を軽くする為に、人は老けると人に優しくなる」

 魔人の視線が、さっきのおじいさんに向けられる。彼もまた、そうなのだろうか。

 そこで、ふと気がついた。周りの色がせている。そして、誰もが止まったままだ。電車の走っている音も聞こえない。外の景色も止まったままだ。

 魔人はにやりと笑っている。「どうしてこうなってるか知りたいんだろ」

「……ああ」奴の思い通りなのは何か腑に落ちないが、俺はそう答えた。

 ふん、と鼻で笑って答えた。「何のメリットも無いのに教えるかよ」

 魔人はにやりと笑う。そして、声を出さずにじゃあなと口で言った。

 目の前が歪んでいき、電車の揺れる音で瞬きをした。


 移り変わる窓の景色、聞こえる音、動いている乗客。元に戻っていた、綺麗さっぱり。

 ランプは、まだ電車の床に落ちていた。煙は出ていない。おじいさんが、慌ててそれを拾った。

 何が起こっていたんだろうか。今、あのランプに問いかければ、またあの魔人が出て来そうな気もしたがやめておいた。どうせ、教えてくれない。

玲淀(れいでん)、玲淀」目的の駅の名前がアナウンスで言われる。俺は床から立ち上がり『こちらのドアが開きます』と光っているドアに向かう。

 緩やかに失速して行き、電車は止まった。ドアが開き、冷たい風が俺の体にぶつかる。思わず首を竦める。

 電車を降りると、大崎が待っていた。笑顔で手を振っている。

 ふと、さっきの魔人の話を思い出す。メリットがどうこうの話だ。それを思い出して、苦笑する。そして納得する。ああ、だから俺はこんなにもやる気が無いのか。

 よお、と俺は手を振る。心の中で、この際いっそ白のタキシードでいいんじゃないか、と俺は脳内であいつの顔にタキシードを合わせてみる。

堵燐、布農里、玲淀という駅名は架空のものです。

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