オレ女?
翌朝、六時に起床した和良は昨夜届けられた衣装ケースの中からタオルを取ると、洗面台へと向かった。
顔を洗って目を覚ますと、自然、体に活力が湧いてくるのが感じられる。
「よし」
気合を入れた和良が洗面台を出ると、ちょうどトイレから真理奈が出てきた。
「おはよう、カズくん」
「おはよう、マリちゃん」
和良が微笑みながら挨拶を返すと、顔を赤くした真理奈が頬を両手で押さえながらニヤニヤと笑うのを懸命に我慢する。新婚さん同様の挨拶に内心では踊りださんばかりに狂喜乱舞をしていた。
そんな真理奈の態度を訝しく思いながらも、さりとてあまり気にしないことにした和良はキッチンへ行って青いエプロンを掛けると、野菜を収納している箱からじゃがいもやきゅうり、たまねぎ、更に冷蔵庫からハムを取り出す。
「昨日はご飯炊かなかったから、ピザトーストとポテトサラダにしようと思うんだけど、それでいいかな?」
和良の確認に妄想から帰還した真理奈が頷いた。
「ああ、カズくんの作る料理はどれも美味しいから期待しているよ」
「うん」
昨晩、二人で話し合って家事は交互に行おうと決めたが、基本的には掃除は自分の部屋などは自分で行うのは勿論、分担せずとも済む部分は各自負担ということになっている。
買い物も主夫としてスーパーの値段を把握している和良が務めることになっている。そもそも、真理奈は育ちが違うために金銭感覚に多少のズレがあってそれが和良には心配だった。
真理奈は勉学や運動は得意領域だが、料理などの家事はメイドのレイカに一手に担っていたので不得手ではないが経験に乏しいのもまた事実であった。
和良がじゃがいもの皮をピーラーで剥いてコンロにかけた鍋のお湯の中に入れると、今度はもう一つ小さい鍋を出してお湯を熱し、卵を茹で始める。
その二つを茹でている間に手際よくピザトーストに使うピーマン、トマト、玉ねぎなどをスライスし、更に残った玉ねぎはポテトサラダに使うので辛味を抜くためボウルに水を入れてさらす。
スライスしたそれらの具材とスライスチーズを食パンに乗せると、オーブンに入れて焼き始めた。
一方、真理奈はリビングのソファに座って新聞紙を読んでいたが、たまに気になってちらりちらりと和良の方を見る。ちょうど、茹でたじゃがいもをボウルに入れてマッシャーで潰していた。
「何か手伝えることはあるかな?」
「えっと……じゃあテーブルを拭いて箸を用意しておいてくれるかな」
「うん、了解した」
てきぱきと布巾を水で絞って箸を置くとすぐに手持ち無沙汰になる。もう一度和良を見ると、オーブンからピザトーストを出してその上にブラックペッパーを振っていた。
真理奈はうずうずと手伝いたい衝動に駆られるが、昨日の取り決めを思い出してぐっと堪える。家事は交代制なのだから、今回はちゃんと和良に任せねばなるまい。
そう心を改めながらも、明日が待ち遠しくなった。既に自分の中で献立は決まっており、肉じゃがを作ることにしていた。まず何より愛する人に食べてもらうのは肉じゃがだろう。
よく茹でたほくほくのじゃがいもの甘みと豚肉の癖のある味、そしてそれを引き立てるにんじんと玉ねぎ、それらに醤油とみりんと砂糖で味付けをするのだが、この味付けの配分率に真理奈は絶対の自信があった。
甘すぎずしょっぱすぎず。甘辛いタレをレイカと共に二日も研究しそして導き出した答えこそ、自分の中で至高の肉じゃがへ至る解だと自負していた。
「はよ明日にならへんかなぁ」
待ち遠しくて笑顔で呟くと、ピザトーストとレタス、更に小皿にポテトサラダを乗せて運んできた和良が不思議そうに尋ねる。
「何で?」
「ひゃわあっ!?」
奇声を発する真理奈に和良も驚いた。びくりと仰け反る。
「え、どうしたの?」
「ななな、なんでもあらへんから、気にせんといて! それより、はよ食べよ。な?」
何かを誤魔化してくる真理奈に苦笑しながらも、和良はそれに従うことにした。
最後に冷蔵庫から牛乳と、食器棚からグラスを出しながら真理奈へと振り返る。
「マリちゃん、また地が出てたよ」
「う、うむ、済まない。それでは朝食にしようか」
二人でダイニングテーブルに着くと、朝食をとり始める。
やにわに、真理奈が思い出したように和良を見つめる。
「そう言えば言い忘れていたが、横葉家の長男は必ず芸能について何か一つでも究めている必要があるのだが、更に余所から来る人間は四つ究めてなければならない。私の母君はピアノの全国コンクールで最優秀、落語の真打ち、更に本来は四つなのだが、三つ目の華道があまりにその業界で大成したので特別に三つだけで嫁に来た御人だ」
「へえ、すごいなあ。マリちゃんのお母さんか……。一度会ってみたいな」
「それは無理だろう」
口端には小さい笑み。
まずいことを聞いてしまったのだろうか。和良は自分の不躾な質問を後悔するが、真理奈はさして気に留める様子も無くピザトーストを齧る。
「何せ、世界中を飛び回って忙しい人だ。日本にいることも少ない」
「え、あれ、それだけ?」
もっと不幸なことを予想していただけに、意外にも良い意味で残念な理由だったことに肩透かしを食らってしまう。
思わず尋ねてしまった和良に真理奈は眉根を寄せる。
「それだけだが?」
他に何か会えない理由でもあるだろうかと、真理奈は宙を見て思索するが、そうして出てきた答えに苦笑をしてしまう。
「母君なら殺してもただでは死なない人だから大丈夫だ。ある意味、カズくんのお母様にも似ている」
きっと今頃は弁護士事務所でくしゃみでもしてるんだろうなぁ、と和良はそんなことを思いながら牛乳を飲み、片付いた皿を重ねる。
真理奈もすべて食べ終わったので皿を片付けていたが、その顔に僅かな微笑みが覗く。
どうしたんだろう、と和良は思ったが、何となくそれを聞くのは憚られた。理由は分からないが、きっとそれは遠い過去の記憶を思い出しているのだろうと、何となく察せたからだ。
真理奈から食器を受け取ると、和良はキッチンに入って食器洗いを始める。横では真理奈が調理に使って朝食の前に洗っていた鍋などを乾いた布巾で拭いて棚に仕舞っていく。
そうして、すっかり忘れていた頃に真理奈が口を開いた。
「カズくんもこの一年で何か四つ究めないといけないけど、何か目処はあるかい?」
そう。ここに来た当初の理由は『花婿修行』だった。修行なのだ。
それ故に真理奈は当然の如くこの一年で和良が四つの芸道を究めるつもりでいると思い込んでいたので、てっきり和良は既に目ぼしいものを見つけて準備を始めているとばかり思っていた。
無論、和良は単に花婿修行と言われても特に何かを指示されたわけでもなく、最初に家で『横葉家で一年間同居をしよう』と言われてそれに従ったまでで、そんなことは思ってもみなかった。突然の真理奈の問いかけに目を白黒させる。
その素振りを見て、真理奈もさすがにまだ何も着手していない事実を察し、焦りが表情に浮かぶ。
「まさか…………」
「うん…………」
みなまで言わずとも、強張った和良の表情だけですべてを把握した。こんな新婚さんごっこをやっている余裕などなかったのだ。
あまりの緊急事態に、頭が真っ白になりながらも真理奈は必死に打開策を探す。
自分が既に修得している芸道を教えてもいいが一年で他人にすべて指南できるほど深く究めてもなく、また心を鬼にして真剣に教えることは難しいだろうと思いそれは考慮の外に置く。
では実際に教室を開いている方の門下生になってはどうかとも思ったが、教室には他にも門下生がいるので集中した師事は期待できないだろう。これも除外。
そこで白羽の矢が立ったのが、横葉芸能専門女子学院だった。ただしいくら身内とはいえ男子の入学を許可するなどという特例を認めてはくれないだろう。ならば。
「横女に通う生徒から直接マンツーマンでレッスンを受けよう。それを一年間やればきっと大丈夫だ」
力説してくる真理奈に和良は頷いたが、しかし問題が一つあった。
「でも、誰か心当たりはあるの?」
和良の素朴な疑問に、真理奈は自信満々で笑った。
「お誂え向けなのが三人いるじゃないか」
F号室に集まった面々は真理奈の説明を聞いて、いかにも「やっぱり……」という表情をした。
「あんなぁ、昨日車の中でカズはんが花婿修行しとりはるって聞いてなぁ、あて、てっきりなんかそういうんしたはりますんかな思うたんやけど、しとらんかったの?」
「私も今朝まではてっきりそう思い込んでいたが、本人に尋ねたらどうもそうではないらしい。そこで、三人にそれぞれ得意な芸を御教受頂きたい」
真理奈の応答に紗和と美弥は露骨に難しそうな顔をするが、一人だけすっと手を挙げた。咲だった。
「さっちぃ?」
紗和が驚きながら見れば、咲は相変わらずの無表情を和良に向ける。
和良はそれに真剣に見つめ返してその言葉を待つ。
「本気?」
「――――――うん」
確認するように咲が尋ねてくるので、和良は重々しく頷いた。
和良自信もただ漠然と日常を過ごすより、ちゃんと明確な目標に向かって日々を大切に過ごすことに異論は無く、かつ真理奈との婚約を考えれば必要なことでもあった。
その瞳に決意を認めた咲は、真理奈の方を見た。
「金曜日は一日射場が空いている。その日なら射を教えれる」
「さっちぃ、おおき――――にゅぃ!?」
咲の言葉に顔色を輝かせた咲に真理奈が抱き付こうとして、咲の手がその顔を押さえた。大事なことをまだ付け加えていないこともあったが、単純に両刀の変態に抱き付かれるのは嫌だった。
無表情はまったく変えず、念を押すように口をゆっくりと開く。
「ただし、もし少しでも誠意が感じられなければ即中断する。それでいいなら、いい」
「ありがとう、恩に着るよ」
笑顔で言ってくる和良に、咲は不思議にも悪い気はしなかった。逆に何か照れくさいものを感じて、目線を逸らして「別にいい」とだけ呟く。
その光景を見つめていた紗和も、意を決して頷いた。
「あても茶道でええんならよろしゅどす。お道具はあての部屋にあるさかい、いつでも準備はできはるけど、学院の授業が無い日は木曜と金曜しかないどすえ」
「えっと、じゃあ木曜日にお願いします。一生懸命頑張ります」
「あい」
「ミィもカズおにぃちゃんのためなら一肌脱ぐ!」
最後に美弥が威勢よく手を挙げた。
「ミィはね、高校で吹奏楽部やってたから、琴道を教えるね!」
「キンドウ?」
聞き慣れない言葉に和良が首を傾げると、横に座っていた真理奈がにこやかに微笑む。
「琴の道と書いて琴道だ。古くは奈良時代にまで遡り、正確に言うならば箏として発展した由緒正しい日本の芸道だ」
真理奈の解説にほぉ、と一同が感心する。言い出した美弥までもがへー、と感心してしまう始末だった。
日本の伝統芸能であるにも関わらずここまで馴染みが薄いことに真理奈は寂寥を覚えるが、それは今は気にしないことにした。今の自分は横葉家の長女ではなく、小田和良の婚約者なのだ。
「それで、何曜日なら大丈夫だ?」
真理奈の質問に美弥は額に拳を付けて考える人のポーズを取るが、全員がその言葉に注目している先で不意に笑ったと思うと、
「まだ授業始まってないからわかんないや、あはは」
軽く笑う美弥に真理奈は苦笑いをした。
そして一度自室に下がると、何か冊子を持って戻ってきた。
「これが今年の一年生のシラバスだ。音楽科は専攻によっても異なるが、琴ならば火曜と木曜は一年生はあまりセメスターもなく時間割が入らないだろう。火曜日に頼めるかな?」
「いいよぉ! よろしくね、カズおにぃちゃん」
「うん、よろしく」
互いに頭を下げて礼をしあうと、それを見ていた真理奈はこれで一段落かと思いつつ、まだ重要なことが残されていた。
余所から来る場合は四つの芸道が必要になる。あと一つ、足りないのだ。
後は、そのもう一人が誰か心当たりはないか上級生である紗和と咲に聞くしかない。
真理奈は姿勢を正すと、二人へと向き直る。
「誰か、もう一人こういうことに向いている人物はいないだろうか?」
んー、と天井を見つめて考える紗和の横で、咲がゆっくりと口を開いた。
「三日前にC号室に新しい子が入った。確か、オレ女」
「オレ女?」
真理奈が不思議そうに繰り返すと、咲が首肯する。その横で、思い出したように紗和も両手を合わせて真理奈を見遣る。
「そやったなぁ。確か、川崎大志て名乗ってはった思いますえ」
どういう人物なのかと年下の三人は怪訝な表情を浮かべるが、朗らかに笑う紗和を見て悪い人物でないだろうし、何より協力してくれそうなら人物なら頼んでみる価値はあると思い、その人に当たってみることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
五人はB号室の前に集まると、和良が緊張で震える指を伸ばしてインターホンを鳴らした。すぐに中で歩いてくる音が聞こえ、「どなたでしょうか?」と少し低い声が聞こえてくる。
和良は何と言えばいいか分からず、まず自己紹介をすることにした。
「えっと、小田和良って言います、今度奥のF号室に一年間住むんですけど、お願いがあって来ました」
拙い口調で言う和良の自己紹介を聞いて、後ろの四人はダメかなと半ば諦めかけていたが、突然バタンとドアが強く開け放たれ一斉に面食らう。まさか開けるとは思いもしなかった。
そして現れたボーイッシュな黒髪と鋭い目付きが特徴的が川崎大志は、不信感も露わに和良をじろじろと眺め、そして疑いの目を向ける。
「男なのになんでこの寮に住めんだよ?」
高圧的な口調を意に介さず、和良は頭を掻いて後ろの真理奈を見る。
「あそこにいるマリちゃんの口利きで一年間入居させてもらうことになって。それで、その間に芸道を学ばなきゃいけないから、もし良かったらぼくに教えてもらえないかなって」
「はぁ? お前さ、頭大丈夫か? 突然んなこと言われてさ、『あ、そうなんすかいいっすよー』って言うほどオレがとっぽい性格に見えんのかよ?」
「あ、オレ女だ」
「オレ女だな」
「オレ女だぁ」
「せやなぁ」
四人が異口同音に強調し、それに咲が無言で頷く。
その正面ではオレ女と呼ばれた川崎大志が顔を俯けて俄かに震えていたが、やがて顔を上げると憤怒の形相で五人を睨んできた。
「 オ レ 女 って、 言うなあっ!!!!」
声を張り上げる川崎大志に驚きを禁じ得ない五人はその場で立ち尽くすが、たちまち川崎大志が中に戻ってバタンと扉を閉めたので唖然とドアを見つめる。
「オレ女って呼ばれるの、ヤだったんだね……」
申し訳無さそうに美弥が言うと、他の面々も配慮が欠けていたことに深く自責する。
おもむろに顔を上げた和良はもう一度インターホンを鳴らすと、ドアの前まで詰め寄る。
「川崎さん、さっきは酷いことを言ってごめん。もう絶対に気を悪くするようなことは言わないように気をつけるから、せめてご近所さんとしてたまに話したりできないかな?」
ドアの向こうからは返事が無いが、構わずに和良は続ける。
「ぼく、この通り軟弱だし、誰に対してもそういう風に自分を主張できないから、川崎さんの言葉遣いとか見習いたいし……ダメ、かな?」
しん、と中は静まり返っていたが、やおらにドアがキィ、と微かに開く。
「和良だけ入ってくれ。他のヤツは要らねえ」
短い、素っ気無い声で言われたが、和良は破顔して頷く。
「うん、じゃあ、お邪魔させてもらうよ」
「――カズくん、私たちは邪魔なようだからF号室に戻っているが、全員先ほどの無礼は申し訳なく思っていることを伝えてもらいたいんだが……」
「うん、ちゃんと伝えるよ」
それを聞いた四人は硬かった表情を少しだけ和らげ、邪魔にならないよう部屋へと戻ってゆく。
深呼吸を一度した和良は、薄く開いた扉を開けて玄関に入る。サッカーボールや自転車の空気入れなどが玄関にはあった。
それらを見てから中へと入って行き、リビングへと入ると川崎大志がソファに不貞腐れたように片膝を立てて座っていた。
部屋全体が比較的男勝りな外観だった。床には無造作に服が散乱していたり、キッチンにはカップラーメンの空容器などがあることからも家事が苦手なことが窺える。
咲も家事はあまりせず料理と洗濯は紗和に任せ切りらしいが、それでも部屋の片付けくらいは自分でやる。むしろ、無断で紗和が咲の部屋に入ると怒って丸一週間は口を聞かなかったこともあったらしい。
それを思うと、川崎大志の部屋はあんまりだった。
ずっと家で家事をやってきた和良は掃除や洗濯をしたい気持ちがむらむらとこみ上げてくるが、今は懸命に堪えて川崎大志の向かい側の床に座る。
川崎大志はそれを見ながら特に何も言わず黙っていたが、やがて膝をソファから落として同じく床に座る。
「本当にさっきのこと悪いと思ってんのかよ?」
詰問するような目を和良に投げかける。
和良は膝の上に置いている拳に力をこめると、昔の自分の経験を思い出しながら純粋に申し訳なく思いそれに頷く。自分もまた、中学時代には男のくせに体育が苦手で家庭科の成績ばかりが良かったためか、クラスの男子にそれを揶揄されて女男と呼ばれていたこともあった。和良自身はあまり気にしていなかったが、当時転校してきた真理奈がそれを見咎めたりもした。
あだ名は時として誰かに不快な思いをさせてしまうことがあるのだ。
「ぼくも、他の四人も悪気は無くて、だから本当に申し訳なく思ってる。ぼくも昔は女男って呼ばれたりしてたから。だから次からは絶対に気をつける」
「…………川崎大志。昔っから"ダイシ"なのになぜか知んねーけど、"タイシ"ってみんなに間違われて呼ばれる。まあ、タイシって響きもカッコいいしそっちはあんま気にしてねーから、もし呼ぶんだったら呼び捨てでダイシかタイシでいいぜ」
ばつが悪くなった大志はそっぽを向きながら投げやりに言う。それでも許してくれたことを嬉しく思い、和良は顔を綻ばせた。
「うん、よろしくね。タイシ。ぼくのことも気軽にカズって呼んでくれればいいから」
「――おう」
伸ばされた手を、大志は恥ずかしさから唇を僅かに尖らせながら握って仲直りの握手をする。
そうして離した手を少し見つめてから、大志はまた和良に向き直る。
「それとさっきのだけど、交換条件で書道を教えるのを引き受けてやってもいいぜ。オレ、書家を目指してっからその練習にもなるしな。ただ、見ての通り部屋が散らかってっだろ? カズが週一で掃除とかやってくれっとスッゲー助かるわ」
「うん、いいよ。それと台所もちらりと見えたけど、カップラーメンばかりじゃ体に悪いし、もし良ければぼくの部屋がこの階のF号室だから事前に言ってくれればタイシの分も作るよ」
「え、マジかよ? んじゃ、そうさせてもらうかんな!」
身を乗り出して喜ぶ大志を見て、和良はそれを嬉しく思った。
何となくだが、男友達ができたような感覚が嬉しかった。この通りの気質なので中学でも高校でも親しい男友達はおらず、いつも真理奈や高校では家庭部の女子とばかり話していた気がする。
それも楽しいことは楽しかったが、やはりこういう気軽に話せる相手というのもまたいてくれると助かる。
「うん、腕によりをかけて作るよ」
「へへっ」
互いに打ち解けると、和良は試しに他の四人にも同じようにちゃんと紹介した方がいいと思った。
実際に話してみると言葉遣いこそ粗暴だが、頑固なわけではなくむしろ積極的に話しかけてくる。きっと他の四人とも上手くやれるだろう。
「あのさ、それでみんなともちゃんと紹介させてほしいと思うんだ。みんなもすごく気にしてたし……」
大志は口を真一文字に結んでいたが、一つ舌打ちをすると頭をぼさぼさに掻く。
その雰囲気から、どうやら受け入れてくれそうなことに和良は安心した。
「~、ああ、わーったよ。ただし馴れ合うつもりはねーからな」
念を押してくる大志に頷くと、和良は立ち上がって玄関へと向かう。大志もそれに続いて靴箱の上に置いているカードキーを手に取ると玄関を出た。
十五階の奥にあるF号室へ行くと、和良が先に立ってインターホンを鳴らした。
すぐに足音が聞こえ、ドアが開くと真理奈が顔を出す。
「はーい、あ、カズくん」
真理奈の声に応じて頷くと、和良は真理奈に大志が見えるよう横に避けた。
「書道を教えてくれることになった川崎大志で、ダイシかタイシって呼び捨てにしてほしいって」
「そうか。よろしく、タイシ。そして先ほどはいきなり失礼なことを言って済まなかった」
「ああ、いいよもう。さっきもカズから何度も謝られたしよ。で、、お前は?」
「横葉真理奈だ、この寮の舎監を務めている」
「シャカン? って、何だよ?」
聞き慣れない言葉に大志が目を細めると、代わって和良が口を開いた。
「この寮の管理人だよ。例えば寮に何か問題があったら相談したり、他にも寮生の悩みを聞いたり、そういうことをしてくれる人かな」
「あっそ。よろしくね、真理奈」
「マリでいいぞ」
互いに握手を交わすと、F号室の中に入ることにした。
リビングには他の三人もソファに座って話しをしていたが、和良たちが入ってくると中断してじっと大志を見つめ、それぞれがさっと立ち上がって頭を下げた。
「ごめんなさい」
「えろうすんまへんどしたなあ」
「ごめん」
美弥は本当に申し訳無さそうに謝り、紗和や咲も普段はあまり変わらない表情に申し訳なさを滲ませながら謝る。
それに苛立だしく頭を掻いた大志は一歩前に踏み出すと、
「いーからもぉ頭上げろよ、イライラする! 別にもういーから。ったく、オレは川崎大志な。タイシって呼び捨てにしてくれ」
最後に付け加えた大志に三人は顔を上げると、戸惑いながらも一番に咲が身を乗り出す。
「先日も紹介いただいた。改めてあたしは茅賀咲。さっちぃ。よろしく」
「あてもおらしたんやけど、いちおぅね、不二紗和。サワって呼んでおくれやす」
「ミィは鴨野美弥。ミィって呼んでね」
それを聞いていた大志は、あれ? と首を傾げた。
「なあ、こいつ誰の妹なんだ? オレはこっちの和服の女の妹だとばっか思ってたんだけど」
言って、咲の頭に手を乗せた大志に全員がしんと押し黙る。
大志はそれに気付かず、不思議そうに全員の顔を見回すが、誰も答えようとしない。やがて咲が口を開いた。
「横葉芸能専門女子学院二年。来月で二十歳」
「ええええええええええっ!?」
思わず手を離して狼狽える大志に、全員が苦笑をする。
そうして紗和が朗らかに笑いながら止めの一撃を口にする。
「タイシはんもやぼなお人やねえ」
「いや、だってよ、え、えええええええ!?」
「別に、気にしてない」
(その後)
六人が互いに和解した記念に写真を一枚撮ると、晴れて咲に許しを頂いた大志が全員にメールアドレスを赤外線で送って交流を深めた。
そんな中で一人、真理奈だけが蚊帳の外であることが和良は気になって仕方が無かった。
「ねえ、マリちゃん。ぼくが携帯電話の使い方を教えるから明日買いに行こう? そしたらいつでも連絡をすぐとれるようになるし、正直、高校の時もそれで話す機会がなかなか無かったし」
「カズくん……うちのことそないに考えてくれはってたなんて、うち感激やわあっ!!」
抱き付いてくる真理奈を宥めていると、和良はみんなの視線に気が付いてと取り合えず引き離すことにした。
しかし。
「ミィもおっ!」
「…………面白そう」
「え、さっちぃ行くん? せやったらあてもぉ」
全員がもみくちゃになって和良が呻いている中で、唯一人近寄らずに困惑している大志を今度はみんなが見つめる。
「オ、オレはそんな風に馴れ合わねーからなっ! ぜってーんなことやんねーからなッ!」
「「「「えー?」」」」
「オレはぜってーやんね~~~~っ!!」
顔を真っ赤にして叫びながらも、一分後に女子が互いにじゃれつくのに夢中になった頃合いを見計らって、そっと背後から和良の背中に寄り添う大志だった。
やっと全員揃いました(汗
ここまでで一章『桜咲く』として書いてきましたが、何か批評などがあればどうぞお願いします!
この後もまだ携帯電話を買いに行ったり花見に行ったりしますが、もうすぐ話の本筋である芸道の稽古もちょくちょく入ってくると思います。
明るく楽しい話を考えているので、ニヤニヤしながら読んで頂ければ嬉しいです!