第2話 追複曲(カノン)《Ⅰ》
目を開けると眼前には馬乗りになっている美少女。
彼女はフリルがこれでもかというほどついている水玉のエプロンを着ている。片手には湯気が立っているおたま。もう片方の手は何故か俺の頬に。
腰の長さまであるブロンドの艶やかな髪は高いところでふたつ縛り、所謂ツインテールで、彼女が動く度にさらさらと音が鳴る。天使の輪が見える。有名なブランド物のシャンプーのCMに出れるんじゃないかとさえ思えた。
頬が薄い桃色に染まった少女の顔が迫り、女物のシャンプーの香りがふわっと漂ってくる。
あれ、たしかこれ父親が使ってるシャンプーと同じ匂いじゃね?なんでこんな美少女から父親と同じ匂いが?と一瞬疑問に思ったがまだ頭が覚醒していないためにその疑問は簡単に流れてしまう。
頬に触れていた彼女の片手はいつの間にか顎に移動していてスッと上を向かされる。そこには柔らかそうな薄紅色の唇が。
そして金色に輝く彼女の髪が額に触れる・・・か触れないかの寸前で間一髪アイアンクローを発動した。
―ギリギリギリ
「いっ、痛い、痛いよお兄ちゃんっ!!」
「この変態野郎がッ!!お前一体何しに俺の部屋に入ってきやがった!!」
そのままぐぐっと額を押してベットから落とす。ドスッと痛そうな音が聞こえたが無視。完璧にこいつが悪い。
で、そのスカートの中見えるようにしてんのは絶対態とだよな?
「いてて・・・なんで落とすの~?」
「何でもこうでもねぇよこの阿呆!人が気持ちよく寝てたのに起こしやがって・・・。今何時だと思ってんだ!?」
ちらっと壁にかけてある時計を見て、「4時32分?」と首を傾げて答える少女。
「あぁそうだよまだ外暗いんだよ。あと30分くらい寝れたんだよっ!」
「寝てるよりボクと有意義なことしない?」
「しねぇよっ!!というかもうお前の所為で目が覚めたわっ」
欠伸をしつつ布団を剥ぐ。冬だけあっていくら部屋の中とはいえ布団がないと寒さが身に凍みる。ベットの下にあるスリッパに足を入れようとすると何かに布のようなものに引っ掛かる。疑問に思って下を見ると、部屋の中の床上に多数の女物のエプロンがばら撒いてあった。
「でね、今日学校で家庭科実習があってね、どのエプロン持っていったらいいかなって。」
「はぁ・・・早く起こした理由はそれか。」
気がつけば少女の腕の中にも大量のエプロンが。それを一枚一枚綺麗に並べていく。まるで彼氏とデートに行く前の服選びをしている少女だ。
お前そんなにエプロン持ってたっけ?というかなんでそんな少女趣味溢れるデザインなんですか!?
「お兄ちゃんはどう思う?この今着てるやつはお気に入りなんだけど、こっちのピンクのおっきなリボンがついてるやつも可愛いと思うんだよね~。」
あぁ可愛いんじゃない?うん、お前その水玉のやつ似合ってるわ。
正直なところ俺にはどうでも良かった。こいつが何のエプロン着ようが家庭科実習で何の料理を作ろうが関係ない。
だってこいつ、男だし。
「なぁ、お前今日本当は家庭科実習なんてないんだろ?女子が家庭科実習のときは男子は原則木工大工だろうが。」
「うん?お兄ちゃん何言ってるの?それよりさ、やっぱりこれかな?」
「あぁーうん。それが良いんじゃない?(棒読み)」
しかも自分のこと本気で女子だと思ってるから性質悪い。絶対うちの親の教育方針間違ってる。まぁ両親があんなんだからそれを見て育ったこいつがそうなるのも道理だが。両親のことはまた追々説明するとして。
「もう、何その棒読みは~、乙女心が全っ然分かってないんだから。少しはお父さんを見習えばいいのに~。」
真顔で空恐ろしいことさらっと言わないで欲しい。
今でも考えただけで震え上がる。もし俺もこんなんなってたら何も疑問に思わずに女装してたに違いない、と。しかもこいつはまだ女顔だから良いものの、俺なんかがやったら間違いなくご近所で不審者扱いされるに決まってる。
「響、この大量のエプロンを先ずどうにかしろ。俺は先に下に降りて朝飯作ってるから。」
「あ、ボクがフレンチトースト作るからお兄ちゃんはスープ作って。」
「ん、りょーかい。」
「あ、着替え手伝って欲しいっていうんなら喜んで手伝うけど。」
「はっ、冗談。さっさと出てけ変態。」
もう、お兄ちゃんったら照れ屋さんっ、とかなんとかぶつぶつ呟きながら大人しく自分の部屋に引き下がっていった。
一気に脱力したい気分に陥ってベットに仰向けに倒れこむ。
「・・・・・はぁ。」
こうしていること数十秒、また眠くなってしまう。やばい、二度寝しそうだ・・・と危機感を感じて、気合を入れなおすためにのろのろと洗面所に向かった。
コンロには響が沸かしておいてくれたのか鍋があって、蓋を開けると中にお湯がたっぷりある。椅子に掛けてある紺色の愛用エプロンをつけながら冷蔵庫の中身を確認するとじゃがいもとにんじん、キャベツ、鶏肉が見つかったので今日は簡単ポトフにしようと決める。
「・・・先ずはにんじんからだな。」
少し厚めのいちょう切りに刻んでいると水玉のエプロンをつけた響がキッチンに入ってくる。
「あ、そうだ。今日こそはお兄ちゃんが起こしてきてよね!ここんとこずっとボクにばっかり押し付けてたんだからね。」
「そうだった・・・仕方がないな。じゃあ鍋見ててくれよ。」
「うん。」
両親を起こしに行くのは俺と響の当番制だ。最近はずっと響に押し付けていた為、今日こそはお兄ちゃんがやってよね、と怒られてしまった。
気乗りはしない。というか起こしに行きたくない。
両親の寝室は一階にある。リビングを出て廊下をちょっと進んだところだ。その目的地の手前に起こしに行きたくない原因を作っている本人が居座っている。
ぴくぴくと動く三角のピンクの耳に、ふさふさの真っ黒な毛に覆われた肢体。首には鈴がついた赤い首輪。黒猫だ。
「・・・やっぱり居るか。」
こいつ味を占めてやがる。内心舌打ちをする。
因みにこの猫の名前は『黒猫』だ。そのまんま、黒い猫だから黒猫。捻りもネーミングセンスの一欠けらもない。まぁ俺がつけたんだが。しかしうちの家族は俺を除いて“クロ”って呼んでる。家族側の言い分からすれば長いし呼びづらいしかも可愛くないから、らしい。たった4文字を長いと言い切るうちの家族は一体どんな主観性を持っているのやら。
「にゃあ。」
どうやら俺が此処に来たことに気づいて起きてしまったようだ。ぽてぽてと小さな足を交互に繰り出してこちらに近寄ってくる。
可愛い。思わず抱き上げて頭を撫でたくなる。あるいはうちの猫じゃなければ実行に移していたのかもしれない。うちの猫じゃなければ。
猫は寝室へ行かせないとでもいうようにしなやかな身体をつかって巧みに邪魔をしてくる。左足を出そうとすればその左足が下りてくるだろう場所に、右足を出しても然り。態と踏まれる場所に小柄な身体を挟みいれる。
そう、まるで踏んで欲しいかのように。
「にゃあっ、にゃあ~」
うるうると涙目を向けて懇願するような甘い声を出す。今日は久々に俺が来た所為か尻尾までふりふりするというおねだり第3弾まで発動しやがった。
しかしここで心を鬼にして猫を突き放さなければつけあがるだけだ。
「お願いだからどいて?」
いやいやと首を振る猫の頭を撫でるが、するっと避けられてしまう。
猫はここを動かない。あることをしない限り。
そのあることをするのが嫌で俺は響に当番を押し付けていたのだ。本当だったら無視するのが1番良いのだが、この猫に限ってそれはタブーを意味する。無視すれば今以上に付きまとってくるに違いない。
表情を消して足元に居る猫を見下す。そして底冷えするような声でこう言い放つ。
「退け。このドMが」
その途端、猫は酔ったようにふらついてパタッと倒れてしまった。そして恍惚な顔で弱弱しく鳴いてひげをピクピクさせる。
「はぁ・・・。」
倒れて動かなくなった猫を通行の邪魔にならないように足で廊下の隅に動かしておく。
これが嫌で響に当番を任せていたというのに。もういっその事あいつが毎日やればいいのだ。見た目こそ美少女だが腹の中はどす黒い。この猫と反対のドSなのだから。この二人の相性は抜群のはずなのに、何故黒猫は俺に懐く?
朝から疲労が溜まりまくっているのを感じながらも寝室のドアノブに手をかける。どうやら両親は既に起床しているようだ。
『どう?みっちゃん。気持ち良いかい?』
『うん・・・良い。あ、そこっ・・・上手・・・んっ。』
『そんなに褒められたらもっともっと可愛がってあげたくなるじゃないか。』
『あっ、やだっ、すごく良い、よ、まー君。あぁっ、もうだめぇっ!!』
―バタンッ
「朝から何やってるんだうちの変態両親どもはぁぁぁぁあああああああああッ!!」
勢い余ってついドアを蹴破ってしまった。たしか寝室には鍵がかかっていたはず。・・・これ、後で弁償しろって言われそうだ。
寝室の中にはきょとんとしている男女のカップルが一組。
「何って、わたしはただまー君に肩もみしてもらってただけだよ?」
「オレはただみっちゃんに肩もみをしていただけだが?」
前者の台詞を発したのは、美しい黒髪を肩甲骨辺りまで伸ばして何処か神秘的な雰囲気をかもし出している少女。後者は金髪碧眼の見目麗しい青年だ。二人は仲良くひとつのベットに座っていて、服もきちんと着ていた。
「やだなぁ、夜くんは。何かいやらしいことでも考えてたの?~」
「しょうがないだろう。息子だってお年頃だ。そういうエッチな妄想癖があっても仕方がないのだ。」
「ありがとうお母さん全然フォローになってねぇけどなっ!?」
因みに黒髪の少女に見えるのが父で、金髪碧眼の青年に見えるのが母だ。
何が楽しくてお互いの立場を逆転しているのか知らないが、見た目もばっちりそう見えてしまうから何も言えなくなってしまう。
母上の胸は何処かに出張中らしくもうずっと帰ってこない。驚くべき地平線、水平線。母は見かけからして分かるとおり外国人だ。外国人女性は日本人女性より発育が良いと思っていたんだけど。テレビでもそんなのやってた気がしたし・・・あれって嘘だったのだろうか。うちの七不思議のひとつだ。
「取りあえず朝食がもう少しで出来るから。」
「分かった。よし、じゃあオレと一緒に着替えるか。」
「もう、まー君ったら/////」
―バタンッ
「にゃあ。」
「はぁ。」
ストレス発散に大声で叫びたい。うちの家族をどうにかしてくれ、と。
両親が家を出て行くのは結構早い。大抵二人とも同じ時間帯に出勤する。
父はうちの近所のカフェ“魔女の薔薇“へと、母は大手会社の秘書を勤めているのでその会社へと。出て行く間際になって二人は愛を確かめ合うように同じやりとりをする。毎朝毎朝糖分120%の気障ったらしい台詞を並べていく母親には呆れを通り越して一種の尊敬を覚える。
「テレビ消したか?」
「うん、火も確認したし窓も大丈夫だよ。」
キッチンの方から髪を解きながら歩いてくる弟。弟の制服はスカートでなくスラックス。一応きちんと外と内の区別はつけているようで。まぁ万が一にも響がワンピース姿で外を出歩いたとしても見抜ける奴はいないだろうけど。
長い髪はやはり邪魔になるようでポニーテールにしてまとめている。響にとって髪型は一種のスイッチみたいなものであって、ツインテールのときは変態美少女、ポニーテールのときは爽やか変態美少年と性格や雰囲気をガラッと変える。別人といっても通るくらいに。勿論口調も変わる。
「よし、じゃあ行こうか兄さん。」
「了解。行くぞ、黒猫。」
今までこうして家族だから一緒に暮らしているわけだけど、ここまで雰囲気が変わると時々本当に別人なのではないかと疑ってしまう。
黒猫を外に出す為にドSオーラで一発ノックアウトにした我が腹黒弟はペッと外に猫を放り投げる。扱いが雑すぎる。もう少し優しくしてやればいいものを。
「兄さん、行こう?」
「あ、あぁ、さんきゅ。」
うん、たしかこんなかんじの朝だった。すっごい濃密だけどうちじゃあこれが普通。もしこれが普通だと思えないのならその感覚はもうどこかおかしくなってると思う。
だけど、これからもっと普通じゃないこと、寧ろ異常なことに自分が巻き込まれることを神でも預言者でもない俺が知る由もなかったんだ。
第2話 終わり
2012/2/3改訂