第12話 回旋曲(ロンド)《Ⅱ》
遺跡の名前はない。人びとには『鏡の祠』って呼ばれているらしいが、あくまでそれは後からついた名前。名前がない遺跡。それが正しい名前なんだって、レィシスがやけに力説していた。
少し離れた木の影から様子を窺う。目の前にその“名前のない遺跡”が見えた。遺跡はちょっとした森の中に佇んでいる。入り口には武装した男が二人。どうやら見張りをしているようだ。
「・・・魔物の巣窟に見張りなんているのか?」
何かおかしくないか?
この遺跡の周辺にレィシスが言っていたような強い魔物なんて全然いない。魔物を見かけたとしても先程倒してきたジャンクダックとかウルフぐらいだ。ここから見える遺跡から殺伐とした雰囲気はちっとも感じられない上に、見張りたちもそこまで屈強な身体つきをしているわけでもなさそうだ。いくら入り口とはいえ、魔物の巣窟であったら強い魔物が現れたりするのではないか?少なくともそれを倒せるくらいの力量がなければ見張りは勤まらないはずだ。
背中を冷や汗がつたう。横にいる奴の表情を盗み見ても焦っている様子は一切ない。
「今だけは信じてくれるって言ったよね?ヨル君。」
「・・・はぁ。疑われているのが分かっててニコニコしているほうがよっぽど怪しい、ってことに気がつかないのかね。お前は。」
ため息が出る。
「えーそうなの?じゃあ次から気をつけるねー。」
「安心しろ。次はないから。」
これが終わったらもう一生こいつと会いたくない。こいつに会わないためだったらどこまででも、地の果てまででも逃げてやる。
俺の心を読んだのか、レィシスはフードを被りなおしながら苦笑する。
「僕は会いたいなー、ヨル君色々と面白いし。」
「貶してんだろっ!?」
「褒めてるよー。」
もうやだ。
何こいつ。マイペースすぎる。
「さて、そろそろ突撃しようかー。ヨル君は見張り二人同時にいける?」
「いけません。」
「よし、じゃあ行くよー。」
「ねぇ、人の話聞いてた!?」
ひと揉めしてなんとか1対1にすることが出来た。よくやったと思う。心読める相手に先手取られて挙句の果てに間違いを色々と指摘されて屈辱を味わいながらもなんとか結果を勝ち取ったのだから。「僕はヨル君のためを思ってこの提案をしたのにー。」とか喚いてる奴は無言の圧力で黙らせた。最近相手を黙らせるスキルが上達してきた気がする。
ダガーを握る手に力をこめて目の前を見据える。
見張りを殺す必要はない。ただ首の後ろを柄で打って気絶させればいいだけ。
「いっせいので行くよー。いっせいのッ!!」
レィシスの声が合図となって俺たちは見張りに向かって駆け出す。ちょうど見張りから見て死角になる所に隠れていたからか、相手がこちらに気がつくまで少し時間があった。しかしスペックの差か、俺が見張りにたどり着く前に相手の視界がこちらを捉える。
「なんだお前はっ!!」
内心舌打ちしながらも、相手が剣を抜く前にどうにか背後に回りこむ。しかし首の後ろに打ち込む前に相手が気がついてしまって首を捻られる。間一髪避けられてしまった。柄は相手に当たったものの、カンッと小気味よい音を立てて鎧に当たってしまった。今ので俺が相手に攻撃出来るチャンスはなくなった。長剣が弧を描いてやってくる。
「っ、やばっ!」
咄嗟の判断で後ろにステップを踏んで、寸でのところでなんとか避ける。相手が体勢を立て直すうちにダガーを逆手から常手に持ち変える。
ところが緊張感走る場面のはずなのに、突如割り込んできた間の抜けた奴の声で身体の力がくにゃりと抜けた。
「ヨル君、こっちは終わったよー。ってあれー?もしかして失敗、しちゃったのー?」
「そうだよ失敗しましたけど何か!?」
ほぼ自棄になって叫ぶ。
あいつがこっちに来たってことは、そっちは成功したってことか。なら。
「もうこの際2対1に持ち込むぞ!卑怯とか言ってられるか!!」
「あはははー超卑怯。」
「うっさい!これは戦略だ。」
一人じゃ無理なら二人。立派なストラテジーだろうが。
戦隊ものとかだって一人の敵に向かって五人で迎え撃つ。それは一人じゃ相手に敵わないからだろ?RPGだって最終的には仲間全員で最後のボスに立ち向かっていく。それと同じだ!多分。そうだよな、きっと。
ほら、あれだ。赤信号、みんなで渡れば怖くない、って。
「必死に言い訳並べてるだけだよねー。でもま、いっか。じゃあ僕が魔術を唱えるから、その間時間稼ぎしてねー。」
「了解。」
少し下がったところでレィシスが詠唱準備に入ったのを確認して、俺は見張りと改めて対峙する。相手から斬りかかってきたので左に重心を傾けて避ける。その勢いを利用してダガーを振るうが鎧に跳ね返される。
「つっ、硬い。」
一応想定済みなのでそこまで驚かない。流石にこの鈍らで相手の鎧を貫けるとは思っていない。牽制するために斬りつけただけだったのだが、手に響いてくる衝撃が思った以上にくる。
そもそもダガーは斬りつけるためではなく、刺すことに使うのが一般的だとレィシスに教わった。鎧の隙間に刺しこんで相手に致命傷を負わせる武器、それがダガーだと。だから武器としての絶対的な力はないから安心して使って、とも。恐らく俺が武器を使ったことがないのを知っていたのだろう。
それから今の俺の力では、相手のツーハンデットソードを真正面から受け止めることは不可能だ。多分受け止めたら武器ごと身体が弾き飛ばされる。とりあえずレィシスの魔術に頼るしかない。それまでなんとしてでも避け切る。
相手の気合が聞こえてきてまた剣が振るわれる。それをダガーで剣筋をずらして避ける。いまいち逸らしが足りなくて頬に掠めた。チリッと頬が熱を帯びる。
ちょっと今のは危なかった。慣れない事はやるものではない。つーか魔術はまだかっ!!
「出来たよー。ヨル君、離れて。〈バーニングファイアッ!!〉」
レィシスが叫んだ途端、相手が一気に炎に包まれる。こちらにまで熱風が飛んできたので慌てて腕で顔を覆った。
「ぎゃぁぁああああああああああっ!!!!」
劈く悲鳴。
肉の焼ける臭い。
相手が地に倒れこむ。
倒れこんだ鎧の隙間からさらさらと黒い粉が空を舞う。一瞬何が起こったのか分からなくなって視界を覆っていた腕を退けた。鎧がただ倒れているようにしか見えないが、確実にこれは死体だ。さっきまで動き回っていた人間の、死体。
何処かで嗅いだことのある臭い。葬式で嗅いだ、骨の焼ける臭いが鼻を通り越して胃を刺激する。それでも吐かずに済んだのは、死体が灰になってしまっていたから。
ふともう一人の見張りはどうなったんだと周りを見渡す。もう一人はただうつ伏せになって地面に転がっているだけだった。灰にもなっていないし、死んではいないようだ。良かった。ほっと息を吐いたのもつかの間、笑顔で首を傾げているレィシスは真っ赤な口で弧を描く。
「それも、死んでるよ?」
・・・こいつは笑顔で何を言ってるのか。冗談にしてはひどすぎないか?
倒れている見張りのほうに歩いていって仰向けに転がす。それから兜に手を伸ばす。
―ガシャンッ
「だーかーらー死んでるってばー。そっちは内から破壊してったから、見た目はなんともなさそうに見えるけどねー。白目剥いて泡吹いてるでしょー?」
背後に立っているレィシスに目を向ける。笑っていた。にこやかに、いつも通り。銀色の瞳を細めて首を傾げる。
「この世界ってさー、そんなのが日常茶飯事だから。慣れておいたほうが良いよー?」
俺は勘違いをしていた。
異世界召喚なんて夢物語で、出来たら俺も異世界に行ってみたい。こんな世界は詰まらない。少々危険度が増したくらいどうってことないだろ?なんて思ってた過去の自分自身を殴り飛ばしたい。
狂ってる。
この世界の全てが。
日本にだって殺人事件は山ほどあった。それこそ身近で起きた事件もある。ただ俺には偶々関係しなかっただけ。友達が「この間殺人を目撃した」と言って騒いでいても現実味がない。数日後、ニュースでこの付近で殺人事件の犯人が見つかって、友達の言ってたことが本当だったんだ、と感心してそれで終わり。他に感じることはなった。
元の世界だっていつ死ぬかわからないくらい危険が沢山あった。事故に遭うかもしれない、誰かに殺されるかもしれない、階段から落ちて頭を打って死ぬかもしれない。身近にあるもので死ぬ事だっていくらでも出来た。包丁、縄、ナイフ、スプーンetc・・・消しゴムだって飲み込めば多分窒息して死ねる。周りには凶器が溢れていた。
でもこの世界は違う。
根本的に何かが違っていた。それを口で説明することは出来ないけど、とにかく何処かおかしい。
こんな世界・・・
「壊したほうがいいかもしれないって?」
「いや、なければよかったって。」
最初からなければ俺が此処に来ることはなかっただろうし。
「ふーん。・・・じゃ、気を取り直して中に入ろー。」
「あぁ。」
中は想像通り、というか。岩で出来た通路が永遠に真っ直ぐ続いていて、途中部屋とかがないまま最深部までたどり着いた。
「せめて罠とかないのかよ・・・。」
「そんなもの仕掛けてもここで全部台無しになるからねー。はい、到着―、鏡の間。」
少し開けた空間に出る。そこで目に付いたのは丸い形をした直系30cmくらいの鏡だった。大分錆びれているが、縁を銀の装飾で飾ってあって素人目でも高価なものだと分かる。
「あれがお前の目的か?」
「うん、そうだよー。」
やっと開放される。そう思って鏡に手を触れようとするとレィシスから待ったがかかった。一体何事かと奴に胡乱気な目を向ける。
俺はさっさとお前から解放されたいというのに。
「それに触っちゃ駄目。ダガーで壊してくれるー?」
「は?」
壊す?お前はこれが欲しかったんじゃないのか?
「誰も欲しいーなんて一言も言ってないよー?僕の目的はそれの破壊。それが終われば開放してあげるから。ね?」
はぁ。
ダガーで鏡を突き刺すことは出来ないだろうから、下に落として割るか。
腕を振る。鏡が重力に従って地面に落ちる。
―パリーンッ
割れた鏡から何かもやもやした黒いものが出てきた。何だこれ。触ってはいけない気がして後ずさると、その靄は俺の真横を通り過ぎていって後ろにいるレィシスに吸い込まれていく。
頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。一体どういうことだ?
そして次の瞬間、レィシスを中心にしてものすごい風が巻き起こった。軽く小さい竜巻レベルだ。飛ばされないようにしゃがんで身を守る。
「くっ・・・!!」
そうして数秒、風が止んだ。
「一体何なんだよさっきの風は・・・。」
立ち上がって乱れた服装を直しながら、此処にいるもう一人に目を向ける。
長年頼ってきた自分の目を疑った。(因みに視力は2,0。)
「・・・・・誰?」
呆気に取られるくらいの美形がいた。
足元まである美しい薄紫色の髪に、獣のような銀色の瞳で、額には今は閉じられているがもうひとつ目があった。指先から肩までびらびらとした真っ白な布を揺らして、裾から見える素足は雪のように真っ白だ。そして背が俺のをゆうに越している。多分2mぐらいあるんじゃないだろうか。残念なのはこいつが男であること。
目を擦る。いやホント誰デスカ?
「やだなー、さっきまで一緒にいたじゃない。僕だよ僕。レィシスだよー。」
片手をひらひらと振ってにっこりと見慣れた笑みを浮かべる。声が少し低くなっていた。
うん、分かってたさ。髪と目を見た時点で分かってたことだ。でもさ、人間そう急に変化を受け止められないものなんだ。時間がかかるんだ色々と。
「どうしたのヨル君?顔がすごいことになってるけどー?」
「ほっとけっ。で、どういうことかきっちり説明しろ!」
「えーめんどくさ・・・・分かったよー。」
『相手を黙らせるスキルがレベルアップしました!』
そんなテロップが頭を過ぎった。
思った以上にレィシスの話が長かったので割愛する。
簡単にまとめてしまえば、要するにこいつは人間ではなく“魔獣”なんだとか。
そんで、そらえらい昔、勇者にさっき俺が割った鏡に力の大半を封印されてしまって、とっても困ってたらしい。だがつい最近封印を解くことが出来ると言われる短剣を見つけた。それが俺に渡してきた短剣、またの名を慈悲の短剣【ミセリコルデ】という。(つーかこの短剣そんなすごいやつだったのか・・・俺鈍らとか言ってた。)しかし自分ではその封印を解くことが出来なかったので、露店を開いていて偶々目に付いた俺を引き連れて見事封印を破ってみせた。
「そうそう。因みに僕の本当の名前は透視の魔獣【レィノルシス】。やっと自由になれたー。本当にありがとーヨル君。」
んーっと伸びをする。身体のあちこちにぶら下がっている金の装飾がしゃらっと音を立てて揺れる。清廉な笑みは何処となく神秘的な雰囲気をかもし出していた。
「どういたしまして。もういいか?」
「えーもう行っちゃうのー?ね、もし良かったらこれから僕と一緒に旅しないー?」
「冗談。じゃーな。“レィ”。」
「冗談じゃないのにー。まぁいっか。そのうちまた会おうねー。」
名前を呼んだからか、どうやら許してくれたらしい。まぁ最後くらい、な。
なんだか良い終わり方なんじゃないかと我ながら思っていると、ふと疑問をひとつ思い出す。
「最後にひとつだけ聞いてもいいか?」
「どーぞー。最後とは言わずいくらでも聞いてー。」
「いや、お前と長時間話したくない。で、この遺跡に以前来たことあるって言ったよな?そしたら此処が魔物の巣窟ではないことをお前は知っていた。なんであんな嘘ついたわけ?」
じとっと睨みつけると慌てて顔の前で両手をぶんぶんと振る。
「嘘じゃないよー。以前来たときはここら一帯魔物がうじゃうじゃ居たはずなんだよー。なのに来てみたら全然魔物いないしで、僕も実は驚いてるんだよー?」
どういうことだ?
魔物ってそんな短時間で狩場を移動したりするものなのか?ヒエラルキー的に考えても強者が生き残るはずで、弱い魔物がここまで生息範囲を広げることは出来ないはず。何か見落としているのだろうか。
「参考までに聞いておくけど、前来たのっていつ?」
「んー・・・結構最近のことのはずだけどー。多分あれから500年くらいは経ってるのかなー・・・。」
「それだよ阿呆!!」
500年も昔のことだったら生態系が変化していてもおかしくない。
疑問がすっかり解消されたところで、さっさと街に帰るか。昼食ってないからすっげぇ腹空いてるし、帰ったら何食おうかな・・・。
「あ、待って待って!!」
「んだよ?」
振り返るとそこに真剣な表情のレィノルシスがいた。
「・・・もし、だけど、思い出したら僕のこと1番にしてね。」
「・・・はい?」
「なんでもいいからー、とにかく約束だからねー。じゃあ、頑張って。僕は他の仲間のところに自慢しに行って来なくちゃ。」
じゃーねーとやる気なさそうな挨拶と同時にレィノルシスの足元に薄紫色の陣が浮かぶ。そして菫色の残像を残して一瞬にして目の前から消えていった。
本当に、最後までワケ分からん。なんだったんだあいつ。
「あ、短剣返してねぇ。」
第12話 終わり
2012/2/17改訂