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電話

学会からの連絡は、昼休みの終わりかけに来た。


古美術商の裏で、伝票の束をめくっていたときだ。

携帯が短く震え、見慣れた大学の番号が表示された。

嫌な予感というほど大げさではないが、胸の奥が一段、静かに沈む。


「もしもし」

名乗りは要点だけだった。

例の肖像画について、正式な照会が入ったという。

展示の可能性、論文化の是非、学会としての扱い──言葉は丁寧だが、内容ははっきりしていた。

それはもう、わたし一人の発見ではない、という確認。


わたしは「特定不能」と記した。

けれど、古美術商の店主は、わたしの震える手つきを逃してはくれなかった。

彼はわたしに無断で、懇意こんいにしている幕末史の権威へ写真を送っていたのだ。

鑑定の依頼ではなく、好奇心の種として。

「浜崎家文書とセットで、新選組一番隊組長の可能性がある肖像が見つかった」という噂は、わたしの沈黙を追い越して、専門家の間で独り歩きを始めていた。


電話口の向こうで、誰かが「史料的価値は高くないが」と前置きする。

その言い回しに、わたしは小さく息を吐いた。

知っている。

あの絵は、年代も作者も曖昧あいまいで、系譜にすら載らない。

それでも、あの視線を前にして、価値がないと言い切れる人間がいることに、わずかな違和感が残った。

通話を終え、わたしは店の奥に戻る。

包みを解かなくても、あの肖像がどこにあるか、もう分かっていた。

見られている、という感覚だけが、消えずに残っていた。


沖田が死に、いちも死に、それでもこの肖像は残った。

生き延びたのは、描いた人だけだった。


酒井 雪。


この絵を描いた彼女は、沖田を幼いころの記憶でしか知らない。

どんどん焼けの夜も、医療記録の沈黙も、たぶん覚えていなかっただろう。

それでも彼女は、母の沈黙を見て育った。

語られなかった夜。

書かれなかった感情。


記録だけが正確で、理由だけが空白の時間。

その空白を、雪は想像してしまったのだ。

だからこの肖像は、英雄を描いていない。

剣を持たず、構えもなく、誇張こちょうされた病弱さもない。

ただ、誰かに見られていた人の顔だけがある。

学会で求められているのは、「沖田総司の新資料」だ。

けれど、この絵が残しているのは、沖田総司という人物ではない。

いちが忘れなかったこと。

雪が想像してしまったこと。

それでも消えなかった視線の記録。


わたしは、自分のことを考えてしまう。

終わったとは言えない関係。

進んでいるとも言えない時間。

言わなかった言葉を、まだ胸にしまったままの状態。

あの夜を、越えられていないのは、わたしも同じだ。

だから、この絵を「歴史資料」としては出せない。

これは、個人史だ。

誰かが誰かを覚えていた、その事実だけを残すためのものだ。


記録では、雪はその後生涯を東京で過ごしたが、大正十二年の関東大震災で命を落としている。

こうして、彼女の手で描かれた肖像画は、奇跡的に残された遺品となった。


学会からの連絡は、そのあとも繰り返された。

展示の形式、解説文の分量、作家不詳の場合の扱い。

電話やメールの文面はどれも理知的で、感情の入り込む余地はない。

わたしはその都度、検討します、とだけ返した。

うそではない。

決められずにいる、というのが正確だった。


史料として見れば、この肖像画は弱い。

制作年代も作者も、推定の域を出ない。

モデルが沖田総司であることも、断定はできない。

学会の言う通りだ。

それでも、あの絵を「公開する」という言葉に、わたしは小さな抵抗を覚えていた。

これは、関係のない他人に見せていいものなのか。

店の閉店後、奥の保管室で、わたしはもう一度その絵を前にした。

ガラス越しに見ると、視線は少しだけ遠のく。

それでも、逃げることはできなかった。


これは恋文ラブレターなのだと、さっきまでわたしはそう思っていた。

けれど、本当にそうだろうか、と一瞬だけ疑いがよぎる。

この視線は、愛されていた人のものではなく、ただ、逃げ損ねた人のものだったのかもしれない。


沖田総司を残すための絵ではない。

その確信は、もう揺らがない。

これは、いちが書かなかった日記であり、雪が知らないはずだった夜であり、そして沖田自身が明かさなかった顔だ。

誰かに見せるために描かれたのではない。

忘れないために、残ってしまったのだ。


わたしはふと、自分の携帯を思い出した。

送られないまま残っている、短いメッセージ。

消すこともできず、続きを書くこともない。

ほこりを被ったまま、忘れ去られた絵のような名残り。

スマートフォンの画面を伏せ、そのまま、何も入力せずに電源を切った。


どんどん焼けの夜を、越えられなかった人がいた。

そして今も、越えずに立ち止まっている人間が、ここにいる。

学会に提出する回答書を前に、わたしは一行だけ書き足した。


――本作は、歴史資料ではなく、個人史として扱われるべきものである。


それが正しいかどうかは、分からない。

ただ、あの視線を「説明」してしまうことだけは、できなかった。


私はもう一度、あの肖像画をみつめた。

たどたどしくも、確信に満ちた線で描かれた、「あの眼」。

そこにいる彼は、もう英雄ではなかった。

誰かの脳裏に刻まれ、誰かの人生に寄り添い続けた沖田総司の残像。

描かれていたのは、置き去りにされたその記憶。

けれどその眼には、静かな笑みが湛えられているように見えた。



最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

今回はワンアイデアで押し切りました。


(執筆というより)製作は、アイデアを生成AI(GeminiとChat GPT)でプロット化→それに自分で修正肉付け→AIで文章化→細かいエピソードを歴史的な事件や逸話に差し替え、または追加→全体を調整。

という感じです。

前作「格子の向こう」よりはAIの比率高め(あれはAIが書いた文章はほぼ残ってない)で、まえよりは上手くやれたかな?って感じです。


ちなみに、今回採用した説では、沖田と秩の間にはキョウという娘が生まれたことになっているんですが、そこに言及すると主題がボヤけてしまうので(なにせワンアイデアですので)、あえて触れませんでした。


とにかく楽しんでいただければ幸いです。



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