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食の日々  作者: 山田 弘
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全国編・三重県①-松阪牛-

食べるという行為は、生きることとほとんど同じ意味を持つ。

だが「生きるために食べる」だけでは、何かが足りない。

時に、人は食べることで世界を味わい、心を取り戻す。

一皿の料理の中に、季節や土地や人の記憶が詰まっている。


この物語は、そんな“食べること”に人生をかけた男の話である。

名前は——西川内剛。(にしかわうち たけし)


彼にとって料理とは、戦いであり、祈りであり、そして表現だ。

街で香りを嗅げば走り出し、味を想像すれば鍋を振る。

食べたいと思えば、その瞬間からもう料理は始まっている。

彼の休日は、誰よりも熱く、誰よりも美味しい。


その一皿が、彼にとっての人生そのものだから。

休日の午前。

三重の街は柔らかい光に包まれ、商店街や路地を吹き抜ける風に、山と川の香りがほのかに混ざっている。

俺、西川内剛は、今週もまた一週間ぶりの自由を手に入れた。


街を歩きながら、どこからともなく甘辛い香りが漂ってきた。

「……この匂いは……!」

肉屋の店先には、美しい霜降りの松阪牛が並び、甘い脂の香りと肉の旨味が風に乗って鼻腔をくすぐる。

その瞬間、今日の戦いの相手は決まった——松阪牛のすき焼きだ。


スーパーで、松阪牛の霜降り肉、長ネギ、しらたき、焼き豆腐、しいたけ、春菊、卵、割り下を購入。

肉の柔らかさと脂の艶を指先で確かめると、期待感が胸にじわりと広がる。

頭の中では、鍋でジュウジュウと焼ける肉、湯気の立ち方、甘辛い香りが鮮明に浮かぶ。


家に着くと、手を洗い、エプロンを締める。

厚手の鍋に少しの油を引き、まず牛脂を溶かす。

香りが立ち上ると、心が静かに高鳴る。

霜降りの松阪牛を薄く切り、鍋に並べると、ジュッと音を立てて脂が溶け、香ばしい香りが立ち上る。

長ネギは甘く香ばしく焼かれ、しらたきは出汁を吸って光を帯びる。

焼き豆腐も鍋の熱でじわりと染み、しいたけの香りがふんわりと広がる。


割り下を回し入れると、甘辛い香りがさらに濃くなり、湯気が立ち上る。

箸で牛肉をすくい、卵を溶いた小皿につけると、黄身の濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。


「ッス……いただきます。」


口に運ぶと、まず霜降りの脂がとろけ、柔らかく甘い肉の旨味が舌を包み込む。

割り下の甘辛さが肉と絡み合い、卵のまろやかさが全体をまとめる。

ネギの甘み、春菊の爽やかさ、しいたけの香り、しらたきのコリッとした食感——ひと口ごとに全く違う層が口の中で踊る。


二口、三口と食べ進めるたびに、香ばしい肉の香り、割り下の甘辛さ、卵のまろやかさが舌の上で重なり合い、幸福感が全身に染み渡る。

最後の一枚を口に入れ、丼の残った割り下の香りをかぐと、鍋全体の余韻が長く口の中に残る。

窓の外では、柔らかな光が街並みに降り注ぎ、遠くの山の香りと川の風が入り混じる。

余韻に浸りながら、自然と次の料理のことを考え始める。


「ッス……ご馳走様でした。」


——さぁ、次は何を食べようか。

閲覧ありがとうございます。

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