第2話 僕と彼女の釣り合い
入学してから一週間。
ある程度通い慣れた教室。
僕と姫は、どうにか間に合った。
ただしお姫様抱っこじゃなくて、タクシーで。
……本当に手痛い出費だったよ、僕の食費が。
渋沢一人を犠牲にした僕を筆頭に、僕と姫は教室前の廊下で密談を交わしていた。
「この通り‼ 僕と姫が付き合ってること。皆には内緒にしてくれないかな」
両手を合わせて頼み込む僕。
それを姫は頬を膨らませて、眺め続けていた。
「絶対に嫌です。私は誰がなんと言おうと、緋色君のか――」
「ストーップ‼ ここでそのセリフはまずいよ‼ 皆に聞かれたら……」
僕はこっそりと、教室の入口から中を確認する。
するとクラスメイトの男子が全員、もの凄く殺気立っていた。
『ラブコメの波動じゃ~』
『カップルはいねぇが‼ カップルはいねぇが‼』
『大地球神様。この世の全カップルをあなたに捧げることを誓います』
相変わらず酷い光景だ。
とても、学校で一番可愛い女の子がいるクラスとは思えない。
この状況に一切、動揺しなくなった女子もすごいと思うけど。
「緋色君……」
僕がクラスの様子に気を取られていた時だった。
後ろに居た姫が、僕の耳元で不安そうに僕の名前を呼んだ。
それを聞いて僕が振り向くと、彼女はどこか寂しそうな顔をしていた。
「もしかして、私が彼女だと恥ずかしいんですか?」
拗ねたように、僕から顔を逸らして呟く姫。
もしも、ここが学校じゃなかったら。
僕が姫からの告白に対する疑念を、捨てられていたら。
たぶん、その場で愛くるしさを理由に抱きついていた。
それぐらい、拗ねた表情の姫も可愛かったんだ。
「緋色君は昔から優しいですから。私の告白が本当は嫌でも――」
「そんなことないよ‼ 僕だって、子供の頃から姫のことを特別に――」
「……え?」
僕の言葉に姫が一瞬、動揺を見せる。
それもどちらかと言えば、驚きや嬉しさの混ざった動揺を。
僕はただただ、恥ずかしいだけなのに。
それでも今、言っておかないといけない気がした。
僕の長年の気持ちを。
「僕は子供の頃から姫のことが好きだよ」
そうじゃなかったら、あの日騙されたりなんてしなかった。
「クラスが変わっても気になってたし。中学生の頃も些細な会話が楽しくて」
たぶん、今回のラブレターだって。
差出人が姫じゃなかったら、行かなかったと思う。
「だからその……姫が彼女で恥ずかしいなんてことはなくて……」
僕は上手く言葉にできない、自分の本音を探る。
それで考えた時、真っ先に浮かんだのは姫のことだった。
「今の僕だと、姫と吊り合いが取れてないから。だからまだ皆に言うわけにはいかない」
僕が考えたこと。
それは僕と付き合うことで、大幅に下がる姫の株。
確かにクラスの皆に殺されるのも、周囲に噂されるのも嫌だ。
でも根幹にあるのは、僕のちっぽけなプライドだった。
「そんなこと……緋色君が私の株を気にする必要なんて……」
気づいた時、ひんやりとした感触が僕の握った拳を包んでいた。
いつの間にか震えていた僕の手。
それを包んだのは、姫の優しい手のぬくもり。
「わかってるよ。でも僕が気にするんだ。姫ならわかってくれるよね?」
「ズルい言い方ですね。私は緋色君のことなら、なんでも肯定する可愛い奥さんですよ」
「ハハハ。まだ結婚できる歳じゃないけどね」
僕は姫の言葉に笑って応じる。
本当に良かったよ。姫が理解のある女の子で。
僕もそんなに器用な人間じゃないから。
今の本音を引き出すので一苦労。
もしも今、姫に説得されていたら、簡単に聞いたかもしれない。
「では、おでこにチューで手を打ちます」
「……今、なんて言ったの?」
「唇でも可です」
安心したのも束の間。
超ド級の要求をされた。
「どうしたんですか?」
目を閉じて、口づけを待つ僕の彼女。
これはもうおでこじゃなくて、唇へのキスを要求してるとしか思えない。
しかもここ、教室のすぐ前なんだけど。
HR開始ギリギリとはいえ、疎らに通り過ぎる人はいるし。
今はただ、学校で一番可愛い女の子と男子生徒Bが会話してるだけ。
こんな場所でキスをしたら、そんな噂一日で広まるに決まってる。
どうすればいいんだろう?
僕は姫に自分の気持ちを伝えたけど、未だに姫の告白は疑ってるし。
だって今の僕には、姫に好きになってもらえるところがないんだもん。
だから僕からすれば、姫の告白は違和感でしかない。
すごく嬉しかったし、姫の行動的に本気で僕のことを好きっぽいけど。
だけど払拭が拭えない状態で、まだキスは早いと思うんだ。
「そ、そうだ。お昼に飲み物を奢るとかでもいいかな?」
「わかりました。では、緋色君の飲みかけの紅茶をお願いします」
「どんな注文⁉ 普通に未開封状態のやつだよ‼」
冗談だと思いたいけど、姫の目は本気だった。
姫は僕の手から自分の手を離すと、そのまま手を組んだ。
さらに表情は、夢見がちなお姫様っぽい表情で。
「シンプルなキスも捨てがたいですが。間接キスには間接キスで、ロマンがあると思うんです」
「そう言われても――」
『被告‼ 言い分を述べよ‼』
「なんで即刻捕まってるの⁉」
さっきまで姫と廊下で話してたはずなのに。
気づいたら、縄で縛られた状態で、教室の床に転がっていた。
『黙れ、裏切り者‼』
「何を言ってるのさ‼ 僕は同盟の敬虔なメンバーだよ‼」
いつもは仲の良いクラスメイト。
それが今は、親の仇でも見るような目を僕に向けていた。
『検察側。被告の罪を読み上げよ』
『わが校に於いてバカの代名詞である被告、柊緋色は――』
「誰なの! その不名誉な僕のあだ名を考えたやつは‼」
『裁判の途中である。被告を黙らせろ』
僕の口に咬ませられたハンカチ……じゃなくて、誰かの使い古された靴下。
僕は吐き気を催しながらも、強引に咬まされたそれを黙って咬み続けていた。
その間も、モテない同盟議長による僕の裁判は続いて行く。
『被告は先刻。我が教室廊下前にて、学校のアイドルである姫柊姫嬢に言い寄っていた次第であります。教室に居た同盟メンバーが察知したところ。キス、という会話を繰り返しており――』
『前置きが長い。要約して述べよ』
『姫柊姫嬢にキスを迫っておりました‼』
……僕、迫られてた方なんだけど。
『では、判決を言い渡す。死刑‼』
「完全に怒りで決めたよね‼」
僕が議長に食ってかかっていると。
「諦めろ、緋色」
聞き慣れた声が、僕の隣から聞こえていた。
それは僕の悪友であり、中学時代からの知り合い――敵方敵徒の声。
あいつがいれば、同盟メンバーぐらい二人で片付けられ――
「……敵徒は何をしてるのさ?」
「見てわからないか? 次の裁判待ちだ」
そこには僕と同じく、縄で縛られた男子生徒がいた。
僕よりも体が大きくて、僕よりも筋肉質で、僕よりも野性味が溢れてて。
それでなぜか、顔に『ロリコン注意』の張り紙をされている悪友が。
「敵徒が裁かれるなんて珍しいね」
「俺にも色々と事情があるんだよ」
敵徒は僕と一緒で、同盟の中ではそれなりの地位を獲得してる。
一言で言うなら、参謀かな。
男子のリーダーは敵徒だからね。
僕はいつも、その補佐を無理矢理やらされる始末。
いつもトラブルに巻き込まれて、いい迷惑だよ。
だから基本的に同盟の皆は、敵徒だけは襲わない。
そんな敵徒がロリコン疑惑?
「何? 近所の小学生を襲ったとか?」
「誰がガキに手なんか出すか‼」
いやいや。そんなこと言ってるけど、敵徒のフィアンセって――
「あ~。中学生に手を出したとか」
「…………」
「……図星なんだね」
「言っておくけど。俺は迷惑してるんだぞ、いきなり住み着かれて‼」
「住み着かれて? ……もしかして敵徒、今家に――」
「手を組まないか、緋色。俺とお前が組めば、こんなやつら――」
「皆‼ 敵徒は今、中学生の許嫁と一緒に住んでるよ‼ しかもすごく可愛い許嫁と‼」
僕の言葉に、同盟の皆の瞳が怪しく光る。
良かったよ。これでクラスから犯罪者を出さなくて済んだ。
そもそも、あんないい子の婚約者が敵徒なんて。
彼女の心のお兄さんとして、僕が絶対に認めない。
『裁判長‼ 被告の交代をお願いします‼』
『そうだ‼ 未遂よりも犯してる方が罪は重い‼』
『今すぐ敵方を磔にしろ‼』
相変わらず怖いクラスメイトたちだ。
異性関係に関わる問題になると、簡単に目の色が変わる。
さてと。僕はこのどさくさに紛れて、逃げさせてもらうよ。
僕の力なら、こんな縄ぐらい簡単に引き千切れるからね。
「ちょっと待て、お前ら」
僕が腕に力を込めようとした時だった。
敵徒の声が場を支配した。
相変わらずよく通る声だ。
でも今更、何を言ったところで――
「緋色は去年まで。ブラコンな義妹と一緒に暮らしていた。それも毎晩、ベッドや風呂に潜り込んでくるような妹と」
『裁判を続行する。被告、柊緋色。弁明することはあるか?』
「弁明だらけだよ‼ そもそも僕は、茜のことなんてただの妹としか思って――」
「騙されるな、お前ら‼ 緋色は筋金入りのツンデレ‼ 本当はかなりのシスコンだ‼」
「何を言ってるのさ、敵徒‼」
敵徒に先導され、全ての敵意を僕へ向ける同盟の皆。
まずい。完全に僕をやるつもりだ。
誰でもいいから僕を助けて――
「待ってください‼」
僕が助けを求めようと、教室の中を見回していた時だった。
教室にウチの学校の生徒。その誰もが知る声が響き渡る。
自然と皆の視線はそっちへ。
僕の視線も皆と同じ方を向いた。
「緋色君は何も悪くないんです」
「……姫」
僕を擁護してくれる救世主がいた。
それは僕の彼女である姫柊姫だ。
しかも姫なら、皆に頼みを聞いてもらえるかもしれない。
これなら僕の自由も、約束されたようなものだ。
「確かに緋色君は茜ちゃんに好かれています。でもそれは仕方がないことなんです」
そうさ。なんで姫が僕の妹の名前を知っているのかは知らないけど、僕は何も悪くない。ただ茜がブラコンで変態なだけなんだよ。だから僕は何も悪くない。姫のおかげで助かったよ。
「緋色君は格好いいんです‼ だから私も緋色君とお付き合いを始めたんです‼」
「「「「「…………」」」」
姫の言葉に、教室に居た全員が沈黙する。
その空気がしばらく続いた後。
姫が遅れて気づいて、慌てた様子で自分の口を隠した。
……もう遅いけど。
姫の方へ集まる女子。
僕の方へ群がる男子。
性別の違いだけで、どうしてこうも見える景色が違うんだろう。
僕の周りを肉の壁が囲んでいた。
『問答無用で死刑‼ 女子……それも姫柊姫嬢と付き合うなど、万死に値する‼』
議長の言葉を皮切りに、体を引きずられる僕。
僕は泣き叫びながら、助けを求めた。
「弁護士を‼ 他の弁護士を呼んで‼」
……こんなのもう諦めるしかないよ。
「それで? 僕は何をやらされるの?」
『では、ロープと寝袋をこちらへ』
「ロープと寝袋?」
議長の指示に従い、二人の男子生徒がそれぞれ縄と寝袋を持ってくる。
彼らは学校にそんなものを持ってきて、何をするつもりだったんだろう?
『これから被告には、短時間のミノムシ体験を味わってもらう』
「ミノムシ⁉」
言われてすぐ、頭の中で寝袋に入った自分と、縄で吊るされる自分を連想した。
こういう時、詳細な言葉を交わさなくても限り泣く正解を連想できる辺り。自分も十分に向こう側なのだと、理解できて嫌になる。それにしても、どこから吊るつもりだろ?
『窓枠の近くに錘を用意しろ』
「まさか窓から吊るすつもり⁉」
『安心しろ。縄はすぐ解けるようにセットしておく』
「どこに安心しろって言うのさ‼」
不安に駆られる僕。
まだ縛られたままで、まともに身動きが取れない僕とは対照的に。
『違反者の報告感謝します‼ 参謀総長‼』
「礼を言われるまでのことじゃない。俺はただ当然のことをしたまでだ」
縄を解かれて、自由の身になった敵徒。
敵徒は軽くストレッチをしながら。
「そう不安そうな顔をするな、緋色。ここは三階だ。落ち方さえ間違えなければ、問題ない」
「この状態で、僕に落ち方を気にする余裕があると思う?」
縄で縛られたまま、寝袋へインされる僕。
さらに、寝袋ヘと結ばれるロープ。
それを見て、敵徒がニタニタと笑みを浮かべる。
「落ち着け。下手に落ちても首の骨が二、三本折れるぐらいだ」
「敵徒こそ落ち着いてよ。人の首の骨は一本しか――」
「野郎ども、始めるぞ‼」
僕の声を無視した、敵徒の野太い声。
完全にさっきのこと、根に持ってるよね? お願いだから助けてよ‼
男子数人に担がれた僕は、それから覚悟する暇もなく、窓から空へ投げ出された。
これ、壮大な虐めだよね? クラスの男子全員で、一人の男子を虐めるなんて……。
こんなところを先生が見たら――
「どうだ、思い知ったかリア充‼」
「なんで先生までそっち側にいるんですか‼」
ウチの担任である女教師も、ノリノリでこの騒動に加担していた。
いくら結婚願望の強いアラサー(彼氏いない歴=年齢)でも、やっていいことと悪いことがある。僕は風に揺られながら、そう思った。