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第五十章:沈む月
紫の上を失ってから幾日も経った。
しかし、喪失感はまるで消えない。
屋敷のどこにいても、紫の上の面影を感じる。
彼女が座っていた場所、彼女が手に取っていた琴——。
どれもが、そのまま時を止めたようにそこにあった。
◇◆◇
「父上……」
ある日、ふと背後から幼い声がした。
明石の姫君だった。
「……姫君」
「……母上が、もう戻らないのは分かっています。でも……」
彼女は何かを言いかけて、唇を噛んだ。
「……私がもっといい子だったら、母上は悲しまなかったでしょうか」
◇◆◇
その言葉に、胸が締めつけられる。
「違う……お前のせいではない」
「でも……」
「お前がいてくれたから、紫の上は幸せだったんだ」
俺は姫君の小さな肩にそっと手を置いた。
「紫の上は、お前のことを誰よりも愛していた」
「……本当に?」
「ああ、本当に」
◇◆◇
姫君は涙を拭い、こくりと頷いた。
そして、小さな手で俺の袖をぎゅっと掴む。
「父上も……泣かないで」
「……」
泣かないで——か。
俺は、ただ黙って姫君の手を握り返した。
紫の上の残したものを、俺は大切にしなければならない。
◇◆◇
だが、それでも——
紫の上のいない世界に、俺はどう折り合いをつければいいのだろうか。




